エミの青春:金杯で乾杯

 団体戦の勝利は気持ちよかったけど、甲陵もプライド高いから馬術会長杯に招待して来たんだよ。お父ちゃんも、

 「神崎愛梨とメイウインドまで出場するっていうんや」

 神崎愛梨の名前は馬術界では超有名。とにかく日本ではダントツでオリンピックでもメダルが期待できるとまで言われてる。でも招待されたのはなぜかコトリさんじゃなくシノブさん。

 今度は自馬戦だからどうするんだろうと思ってたら、買っちゃったのよね。うちの厩舎にシノブさんの馬が運び込まれた時にお父ちゃんは目を丸くしてた。

 「あんなん初めて見た・・・」

 うちは貧乏クラブだけど、お父ちゃんは甲陵の元厩務員だから、イイ馬は知ってるんだよ。とにかく甲陵の馬は高級品ぞろいだから。そこまで馬を知ってるお父ちゃんが絶賛するぐらい、シノブさんのテンペートは凄いってこと。

 会長杯も見に行きたかったんだけど、甲陵倶楽部は、会員以外は許可が無いと入れないところで、お父ちゃんは馬のお世話係で入れたけどエミは行けなかったんだよね。だからお父ちゃんから聞いた話になるけど、とにかく凄かったらしい。

 一回戦は全員が出場して、上位八人が午後からのトーナメントに進む方式だったらしい障害馬術は先に減点があって、次にタイムだけど、準決勝からは減点無しのスピード勝負になったらしい。でも、シノブさんも神崎愛梨も相手を寄せ付けないぐらいは早かったって。

 決勝は手に汗握る白熱の好勝負。シノブさんと神崎愛梨は桁違いの物凄いタイムなのになんと同タイム。もちろんって、もう言っちゃうけど、二人が飛ぶと、

 「会長杯は特別仕様で一七〇センチもあるんや。そやのに、二人が飛ぶと全然そんな高さに見えへんねん。まるで中障害、いや小障害で遊んでるみたいやねん。あないに簡単に飛ぶのが今でも信じられん」

 ジャンプ・オフがまた壮絶だったって。

 「デュエロになってコース変更があったんや」

 デュエロって決闘って意味になるけど、会長杯は対戦者同士のデュエロが重視されるんだって。それこそ家屋敷を賭けてた時代もあったそう。障害馬術でのジャンプ・オフは同じコースで行われるのが原則だけど対戦者がデュエロとすればコース変更もOKになるって言うから驚き。

 「その変更やけど・・・」

 会長杯は本来は馬場の障害と、クロスカントリーのミックス・コースで行われるんだって。だけど今回は外部招待選手がいるから馬場だけで行われたんだけど、ジャンプ・オフは本来のミックス・コースに変更になったって。

 「それってシノブさんに不利じゃ」
 「オレもそう思たんやが」

 先攻はシノブさんだったんだけど、

 「あれはクロスカントリーやない。まるで競馬の障害競走みたいやった」

 まさにシノブさんは爆走したみたい。そのあまりの爆走ぶりにあの神崎愛梨が勝負を下りちゃったんだって。そしてそして、北六甲クラブに鎮座したのが会長杯である金杯。

 「お父ちゃん、大きなカップやな」
 「お父ちゃんも初めて見るけど、台座の馬まで全部金やねん」

 エミも持ちあげようと思ったけど、重いのなんのって。

 「甲陵の時は理事長室の防犯装置付のショーケースに入れてあって、誰も直接触ったことがないって言われてた」

 なんとなくわかる気がする。十八金製だそうだけど、何千万円するか想像もつかないもの。それとだけど、この金杯だけど授与じゃなくて、贈呈なんだ。つまりはシノブさんのもの。

 「お父ちゃんも話だけは聞いたことがあるけど・・・」

 金杯が出来たのは第二次大戦前らしくて、外部招待選手が会長杯に優勝したら潔く贈呈することになってるんだって。お父ちゃんも伝説と思ってたらしいけど、本当に贈呈されてビックリしたって。シノブさんがうちで預かってくれって言うから、そうしてるけど、見るたびに驚かされるもの。


 でもここは北六甲クラブ。金杯にも働いてもらってる。誰だってあの金杯に触ってみたいだろうし、カップだからお酒入れて飲んでみたい人もいるじゃない。だから、

 『金杯で乾杯』

 料金取って使ってる。そりゃ大人気。とにかく重いから三人がかりで普通は飲むんだけど、うちの常連さんなら一人で抱えて飲むのもいるし、なんと片手で飲んだのもいた。もっともコトリさんは、

 「ちょっと金杯に可哀想な気がする」

 まあ、甲陵では触ることさえ出来なかったものね。もっとも、そう言いながら、

 「エミちゃん、次はコトリのとこで頼むで、ビールで」

 やっぱり飲みたいみたい。そういえば会長杯の祝賀会の時には金杯に日本酒をなみなみと注いでシノブさんが一気に飲んじゃったものね。あれもコトリさんは、

 「大相撲の賜杯じゃあるまいに」

 そういうそばから、

 「次は焼酎や」

 そう言って自分で飲んでたっけ。