不思議の国のマドカ:アカネの真価

    『カランカラン』

 今日はツバサ先生に連れられてバーに。どうも今日はサトル先生とは『休養日』らしい。どんだけ、やりまくってるんだろ。夫婦だから文句の付けてもしようがないけど、アレってそんなにイイのかな。イイらしいけど、アカネには未だに男の気配がないものね。

    「ツバサ先生。それにしてもマドカさん変わりましたね」
    「新境地を開く時ってあんなものだよ」

 そうなんかな。

    「それとラグビーのポスターの頃にあった女らしさへの妙なこだわりが、すっかり自然なものになってますし」
    「そうだな。今の方が断然良い。すべての悩みが解消したんじゃないかな。それでも,それが理想かどうかはまた別の話になるが、マドカはあれで落ち着くだろう」

 なんか前歯、違う、そうだ奥歯が抜けかけている。これも違う、えっと、えっと、まあイイか。それより気になっていることが、

    「ここだけの話ですが」
    「なんだ」
    「マドカさんの視線が変わった気がしませんか」
    「アカネも気づいていたのか」

 やっぱりツバサ先生もそうだったんだ。あれは同性を見る目じゃなかったものね。

    「ひょっとして、マドカさんはホモ」

 ツバサ先生の顔色が変わったぞ。やはりマドカさんはホモだったんだ。

    「アカネ、ホモって、なんだ」
    「女のくせに男を愛する変なヤツ」
    「あん? アカネはそうじゃないのか」

 あれっ、おかしいな。言われてみればアカネも男を愛してるし、アカネは女だし、アカネはホモじゃないはず、えっと、えっと、

    「男が男を愛する場合がホモで、女が女を愛する場合はレズだ」

 ちょっとした違い・・・では、さすがにないか。

    「そう言えば、マドカさんが変わったのは、ツバサ先生と三十階に行ってからじゃ」
    「そうなるな」
    「なにかあったのですか」

 ツバサ先生はマンハッタンを飲みながら、

    「あったと言えばあった。あれは女神の仕事だったよ」
    「なんですか。そのチリ紙の仕事って?」
    「チリ紙じゃない女神だ!」

 女神の仕事とは、エレギオンの女神が行う神に関する仕事ぐらいで良さそう。女神の仕事と言えば思いつくのは、

    「アングマールの魔王が攻めて来たとか」

 さすがにこれがあり得ないのはアカネにもわかる。あの話は実話だとわかったけど三千年以上前の話だし。

    「それは五十四年前にあったそうだ」

 ぎょぇぇぇ、ホントにあったんだ。

    「さらに四十二年年前にもあったそうだ」

 まだアングマール戦が続いてるとか。どうもあそこの三十階に関わると話がぶっ飛び過ぎる。マジですかの世界だもの。

    「ではまた魔王が攻めてきた」
    「いや魔王は三十九年前に死んでいる」
    「じゃあ、今度は誰が」
    「冥界の神だ」
    「へえ、ヤギの神様ですか」
    「違う、誰が『メー』と聞いてヤギを連想するんだ」

 他に何を連想するって言うんだよ。『メー』と『紙』から連想するのはヤギ以外にないじゃないの。聞くと地獄の神みたいなものらしいけど、

    「閻魔大王みたいなものですか」
    「だいぶ違うけどな」
    「やっつけたのですか」
    「いや、放置だそうだ」

 はぁ? エエんかいな。エレギオンの女神でも閻魔大王は怖いのかな。そりゃ、怖いだろうけど。

    「マドカは冥界の神によって不思議の国に放り込まれていたんだよ」
    「マドカさんは毎日出勤してますが」

 ツバサ先生は次のオーダーをした後に、

    「放り込まれていたのは精神だ」
    「地下鉄乗ってですか?」
    「それは西神ニュータウンだ」

 よくよく聞いてみると、マドカさんはどこかに行ってた訳ではなくて、精神的に辛い状況にあったぐらいで良さそう。まったく、もう、こんな難解な喩えで話すものだから、新しいテーマパークが西神に出来たかと勘違いするところだった。

    「どんな世界ですか」
    「苦しくて辛い世界だが、一方で不思議というか奇妙な世界でもある」

 イメージしにくいな。

    「今回の女神の仕事は結果として、マドカをそこから助け出す仕事になった」
    「助かったんですね」
    「なんとかな。あれで良かったと思う」

 なんか歯切れが悪いな。

    「これからのマドカは手強いぞ」
    「そりゃ、合気道四段」
    「あははは、アカネは可愛い奴だ」

 褒められちゃった。どうなったかを聞きたかったんだけど。

    「アカネに今回の事件のすべてを説明するのは無理だ。それぐらいマドカの行っていた世界は複雑なものだったんだよ。その中でマドカは苦しみに苦しみ抜いた末に、本来の自分を取り戻したぐらいに思っていたら良い」

 本来の? それでも助かったならイイんだけど。

    「マドカさんはどこか変わったのですか」
    「ああ、すっかりな。しかし、それは見えない世界の戦いで、外から見たマドカには変わりはない。マドカはどこにでもいる普通の女の子だ」

 わからないやんか。だいたいマドカさんはどこからどう見ても普通の・・・まさか、まさかだけど、

    「じゃあ、お嬢様でなくなったとか」
    「そうだな、今は貴婦人マドカ様かな」

 ここだよ、ここ。どうしてアカネは渋茶から進化しないんだ、ずっとだぞ。あの渋茶を淹れた日からずっと渋茶なんだぞ。なのに、マドカさんはスタートがお嬢さんで今や貴婦人なんておかしいじゃないか。責任者は出て来いって言っても、隣に座ってるけど。

    「わたしはアカネを連れて行きたい」
    「イヤですよ、その不思議の国なんか」
    「そんなところにアカネを連れて行かせるものか。もしそうなりそうになれば、エレギオンの五女神をフル動員しても防がせる」

 うわぁ、ツバサ先生の表情がマジだ。

    「三十階もイヤですよ」
    「みたいだな。まだアカネの時間は残されてるから、もう少し考えてからにする」
    「マルチーズもイヤです」

 ツバサ先生は届いたダークラムのロックを飲んで、

    「コトリちゃんが言ってたよ。人は偉大だって。神が宿る事によって人としての能力は飛躍的に高くなるが、それさえ凌ぐ人は存在するとね。わたしの記憶の中でも三人いる」

 そんなスーパーマンが三人も、

    「誰ですか」
    「加納志織時代の一学年上だったリンドウ先輩と水橋先輩。今でもあの時の感動と興奮は忘れられない」
    「なにをされた方ですか」
    「部員が四人にまで減っていたヘッポコ野球部を、たった七ヶ月で県大会決勝まで導いた偉大な立役者だ。決勝でも後一歩だったんだ」

 そりゃ、たしかに凄いけど、

    「もう一人は」
    「隣に座ってるアホだ」

 バカとかアホとか好き勝手に言いやがって。ちょっと言い間違えと、聞き間違いが多いだけやんか。いくら師匠と言っても言い過ぎだぞ。アカネが聞きたいのは三人目・・・えっ、えっ、えっ、アカネが三人目だって。

    「アカネ、お前なら神を凌ぐ」
    「それはいくらなんでも」

 ツバサ先生はニヤッと笑って、

    「わたしの目が節穴とでも思っているのか。アカネの写真の才能はかつての水橋先輩を彷彿させる。水橋先輩は一目見ただけで光の写真を撮れてしまったのだ」
    「一目で!」

 聞くと加納先生御夫妻は水橋先輩の鮨屋に食事に行かれ、そこで加納先生の旦那さんが光の写真で記念写真を撮ったそうなんだ。それを面白がった水橋先輩は、

    『こう撮るんか』

 そうやって一発で撮ってしまったんだって、

    「あの時ほど、水橋先輩が鮨屋やってくれて良かったと思った事はないよ。もし写真の道なんかに進まれていたら、メシの食い上げになってたよ」

 こりゃアカネより凄いかも。いくらアカネでも一目で光の写真は撮れないもの。世の中には化物みたいな人がいると思う。

    「でも今思えば、水橋先輩に写真の道に進んで欲しかったと思ってる」
    「さっきはメシの食い上げって・・・」
    「あの頃の腕と自信ではな。でも今は違う。もし水橋先輩が写真の道に進まれていたら、遠の昔に今のレベルに来れてたはずなんだ。ひょっとしたら写真の行き着く先まで行けてたかもしれない」

 なんちゅう自信と向上心、

    「そしてやっとアカネが現れてくれた。無限の世界の果てへの同行者がな」
    「ツバサ先生に付いて来れますか」
    「あははは、言っておくが主女神は現存する神の中でも桁外れに強いそうだ。わたしはその力をフルに使う。どうだ相手にとって不足はないだろう」
    「もちろんです、それでも勝ってみせます」
    「楽しみにしとく」
 仕事だって、恋だって、誰にも負けるものか・・・仕事は自信がある。恋は既婚者のツバサ先生はもう眼中に無いけど、貴婦人マドカ様相手となると苦しそう。どうか被りませんように。