不思議の国のマドカ:神算のコトリ

    「シオリは綺麗だったね」
    「ブーケトスは取れんかったけど」
    「今ごろは飛行機の中」
    「そして昨日は初夜」

 ホンマにコトリは結婚と縁ないわ。結婚するのが女の目的やないけど五千年やで。一回ぐらいやってもエエやんか。別に独身主義者やないし、男嫌いでもあらへんのに。

    「ユッキーも小山恵では、もう結婚せえへんつもり?」
    「そんなことないよ、まだまだ狙ってるよ。コトリはもうあきらめたの?」
    「なに言うんや。まだ大学院出たてのピチピチ・ギャルやで」

 なんか売れ残り二人がボヤいてるようで虚しいわ。もっとも実際に結婚するとなると、あれこれ問題があるのはそうやねん。

    「もし結婚したら、家はどうする」
    「嫁に行くなら、ここを出ていくことになるけど」
    「入り婿もあるで」

 ここでユッキーからの提案やってんけど、本社ビルの建て替えの時に二つの家族が住めるように設計しようって。

    「・・・だから、こんな感じで共有スペースとそれぞれのスペースを分けて・・・」
    「ユッキー、わかるけど、お互い子どもが出来へんねんよね」

 二人で大きなため息ついて、黙り込んでもた。

    「やっぱりコトリが一番結婚に近かったのはあの時かな」
    「そうやな。あれは籍以外は結婚してたとしてもエエと思う」
    「そう思うよ。ちゃんとしたお屋敷で奥様してたんでしょ」

 エエ旦那やった。あれで子どもが出来てたら完璧やった。周囲もエエ人ばっかりやった。

    「あの時のコトリは幕末の京都から始まったのよね」
    「うん、エライ時にエライとこ住んどったわ」
 あの頃のコトリは上方では極道屋と呼んでた博徒の娘。親父は会津の小鉄の子分で、赤玉の縞蔵。『アカシマ』とも呼ばれてた。赤玉の由来はデボチンにでっかい血管腫があったから。

 でも小さいけど一家構えて親方してた。親分のことを上方では親方言うとってん。そいでもってコトリがやってたのは女壷振り師。そうそうお袋は物心つくころはおらんかった。死んだ言うとったけど、逃げられたと思ってる。

 親父は今から思うとアイデア・マンで、サイコロ博打に一工夫加えてた。チョボイチとか狐チョボら思いついたみたいだけど、丁半博打に工夫を加えたんよね。丁半博打は賽の目の合計が奇数か偶数かを当てるものだけど、出目の呼び方は九半十二丁あるんよね。

 親父はその出目にも賭けられるようにしたんよ。布の上に横二列の升目を描き、出目が二十一あるから一番上はピンゾロで一つにしてた。丁半だけなら二倍だけど、出目方式の場合は二十倍にして射幸心を煽ったってやつ。

 それ以外にも天秤と言って升目の真ん中に置いて二つ同時に賭けて十倍もあったし、格子っていうて四つの升目に賭けて五倍もあったの。さらに丁半の二倍も賭けられたし、横串いうて横一列で二倍もあったんよ。

 一番上のピンゾロ升だけど天って呼んでた。ピンゾロが出ると親の総取りになってたんや。もちろんピンゾロ升に賭けるのもありで、その場合は二十倍。今ならルーレットに近い感じかな。

 それと出目方式の時は賭け方が複雑になるから、完全コマ札方式にしてた。客一人一人に色違いのコマ札を渡しとってん。客はコマ札を買って賭博して、帰りにコマ札を現金に戻す感じかな。コトリのとこはコマ札一枚が十文やったわ。


 出目方式は単純には二十一個の升目で勝っても二十倍だから、ずっとやってれば胴元が必ず勝つ仕組み。でも倍率高いから、胴元にもリスクが生じるんよね。そりゃ、出目にドカンと賭けられて当てられたら日には、目も当てられんことになるからね。

 そやからコマ札を最初は十文にしとった。十文がどれぐらいやけど、おおよそ一文が十円ぐらいで考えたら今の感覚にちょっと近いかも。だからコマ札は一枚百円ぐらいって感じ。そいでもって上方は銀本位制やってん。これもだいたいやけど銀一匁で百文、千円ぐらいかな。

 こうしといたら百枚賭けられても二万円ぐらいで済むやんか。ところが博打する人間はスリルを求めるから、コマ札を千枚とか買おうとするのが出て来たんや。そんな仰山コマ札用意し切れへんから、銀一匁札、さらには銀十匁札まで作ってんよ。

 銀十匁になったら一万円やんか。単純計算やけど、コマ札一枚でも二十万円の支払いになるんよね。この程度でもうちの賭場的にはキツかったぐらい。もし十枚なんてやられたら二百万円で破産しかねへんぐらい。

 出目方式は一攫千金の可能性があるから、あちこちの賭場で流行したけど青天井でやって破産したとこもあってんよ。だから一回の賭け金をどこも制限するようにしてた。ところがうちの賭場では青天井方式やったから大繁盛してくれた。

 そんなリスキーなことが出来たんは、コトリの能力。出目方式でも先に壷振るんよね。それから客が賭けていって、壷開けるんやけど、コトリは壷振ってから賽の目を自由自在に変えることが出来たんよ。

 でもそれだけじゃなくて、その時の勝負でどの目を出したら、一番最適かを瞬時に計算出来たんよ。ここがわかりにくいかもしれへんけど、勝負は胴元が勝ちっ放しやったらあかんの。そんなんしたら誰も客が来んようになるやんか。

 その日の勝負の内でも勝ったり、負けたりをさせたり、常連やったら勝つ回と負ける回を織り交ぜていかなあかん。そうすることで客に、

    『今度こそ』

 こう思わせ続けるのが商売のコツ。親父に言わせると、

    「賭場とは客にギャンブルの雰囲気を味あわせるところ」

 これを当時風の言い回しでしとった。親父の考えはおもろうて、

    「賭場のゼニは胴元が取る分と、客がやり取りする分は別や」
 胴元は賭場の提供料を食うためにもらうが、後は客がやり取りして賭博を楽しむものだってね。そやから賭場が立った日の取り分は決めてあって、取り過ぎないように、払いすぎないように調節せにゃあかんのよ。この計算がコトリは抜群だったってこと。

 賭場に来る客は後世の時代劇の影響で、渡世人や遊び人の巣窟みたいな印象があるけど、実際のところはごく普通のいわゆる町人がメイン。そういう客は常連さんやし、近所やからとくに大切にするように言われてた。

 たとえ負けても破産するほど負けさしたらアカンって。そやから賭場ではゼニは貸したりはせえへんかった。持ってきたゼニ以上は絶対に負けへんようへの配慮で、コトリも負け過ぎんように調節しとった。

 その代わり、流れ者、とくに座を乱すような奴には容赦なかった。そりゃ、コトリが狙い撃ちで叩くから、大負け。そんな客には親父もホイホイとゼニ貸しとった。貸すいうてもコマ札だけやから元手いらへんやんか。そうやってテンコモリ借金作らせといたら、それを清算しない限り二度と顔だせんへんやろ。


 親父の親方は小鉄親方やねんけど、うちだけ青天井で繁盛してる理由を聞かれたそうやねん。親父は小鉄親方に世話なってるし、うちのような小さなシマは小鉄親方に守ってもらわないとどうしようもない関係でもあったんや。

 だからコトリの秘密を話したんよ。小鉄親方も最初は信じられへんかったみたいやけど、実際にやってみせたんよ。出目の操作もビックリしとったけど、それよりどの出目を選ぶかの判断の速さに舌巻いとった。

 小鉄親方は自分の賭場でコトリに壷振らせてみたんよね。さすがに小鉄親分の賭場やから勝負が大きいんよね。コマ札だって下手すりゃ銀十匁単位なんよ。それでも勝負が終われば予定通りキッチリ帳尻があってるから、小鉄親方は感心してしまって、

    『神算のコトリ』
 こんな呼び名が付けられた。それから目を懸けられて、可愛がってくれて、小鉄親方のところで出目方式やる時はコトリが呼び出されるのが定番になってた。つか、コトリ以外に壷振らせたら怖くてしょうがないぐらいかな。

 そうそう大阪に鍵屋の万吉親方がおるんやけど、小鉄親方と仲良かったんよ。コトリの話を聞いて尻無川の賭場でも壷振り頼まれたんよ。万吉親方もコトリの業に感嘆してくれてた。小鉄親方のところも、万吉親方のところも壷振り料は弾んでくれたから、うちの一家の貴重な収入源やったし、コトリの小遣い銭にもなったんよ。下手すりゃ、うちの賭場の揚がりより多いもの。

 小鉄親方や万吉親方に目をかけてもらったのは、親父の計算でもあったと思ってる。上方の巨頭みたいな親方に可愛がられてるだけで、妙な因縁を吹っかけてくる奴が減るって寸法。とにかく賭場は荒れやすいところやし。

 それでもイカサマを疑って因縁つけて来るのはいくらでもいた。ぶっちゃけイカサマやってるようなもんだけど、そういう時には相手の賽で、相手に壷振らせての勝負でケリつけてた。

 相手はイカサマ賽も使ったけど、それでもコトリは出目を操作できるんよ。出た目を見て目を丸くしてたもんな。それでも暴れる奴はなんぼでもおったけど、それはあの商売の宿命。まあ、あの頃はあの頃で楽しい時代だった。

    「でも神算のコトリが、ああなっちゃうだものね」
    「ホンマやで、動乱の時代って思わんことが起るもんや」
 そう、時代はコトリを女壷振り師で終らせてくれへんかったんよ。