渋茶のアカネ:騙されるもんか

 一ヶ月も休むと、

    『久しぶり』

 こういう感じがするもんだね。

    「おはようございます」
    「やっと元気になったねぇ」

 もうコリゴリだ。

    「そうだそうだ、サトル先生が呼んでたよ。出勤してきたらすぐに顔を見せて欲しいだって」
 ヤバイ、お説教かな。そりゃ、これだけ休めば注意の一つぐらいするだろうし。でも、ちょっと待て、ここは普通の会社じゃない。ここはオフィス加納なんだ。タダの注意ですむわけないだろ。絶対に何か企んでいるはず。

 そもそもサトル先生が呼んでるのが怪しい。こういう時はまず直接の師匠であるツバサ先生だろ。そりゃ、サトル先生は社長だから呼ばれても不思議無さそうだけど、わざわざサトル先生がまず呼んでるのを怪しいと考えないといけないんだ。

 サトル先生は悪ふざけに一番加担しなさそうに見えるんだけど、サトル先生が噛んだ時はそれこそオフィス加納を上げての悪だくみになることがあるのは、よ~く知っている。アカネだってダテに三年も働いてるわけじゃないからね。

 とはいえ行かなきゃならない。今回は手が込んでるな。行かずに逃げちゃう手をまず封じられているようなもんじゃない。とりあえずやられそうなのは、ドアをあけたらドッカン・パターン。

 古典的な黒板消しもあるけど、オフィス加納にはホワイトボードしかないから、バケツはありうる。でもバケツじゃプラスチックでインパクトが欠けるからタライ。それも金タライの線は十分すぎるほどありうる。それぐらいは調達するものね。いや、どこかで使ってたからあるはず。

 さてサトル先生の部屋のドアだけど・・・これは巧妙だ。外からじゃ仕掛けがまったく見えない。どれだけ準備してるんだ。まさかドアノブに電流とか、でもあれは前にやって一人死にかけたから禁じ手になってるはず。

 そうなると・・・わかったぞ、落とし穴だ。上からの攻撃にアカネの注意を向けておいて、足元を狙う作戦に違いない。問題はドアの前なのか、ドアを入ったところかで、落とし穴の幅も問題だな。簡単にはまたげない幅になっているはずだから・・・

    「アカネ、なにしてるんだ」
    「あっ、ツバサ先生、おはようございます。床に落とし穴を仕掛けられていないかと思って」
    「どこの世界にコンクリートの床をぶち抜いて落とし穴を作ったりするものか。わたしも呼ばれてるんだ、入るぞ」

 それでもやりかねないのがオフィス加納だから、ツバサ先生がどこを踏むかよく注意して、同じところを踏んでおこう。それなら罠はないはず。部屋に入るとサトル先生から、

    「退院おめでとう」
    「御迷惑をおかけしました」

 なんとかサトル社長の前まで罠にかからずに来れたぞ、

    「君はオフィス加納を退職してもらう」
    「えっ、どうしてですか。そりゃ一ヶ月も休んだのは悪いと思ってますが、いきなりクビはあんまりです」
    「その上で専属契約を結びたい」

 専属契約ってなんだ。

    「オフィス加納では一人前のプロになった者は幹部社員になってもらうか、プロとして専属契約を結ぶことになっている」

 それは聞いたことがある。

    「君には専属契約が適当であると言うのが判断だ。ぜひオフォス加納と契約を結んでほしい。契約条件だけど・・・」

 専用の部屋が与えられた上で、なにこの契約料とか、この給料。さらに仕事ごとに歩合だって。ここでツバサ先生が、

    「うちではそれしか出せないんだよ。だから他と契約するのも、独立するのもありだ、どれを選ぶかは自由だ」

 なんだよこの急展開は。ちょっと待て、話がおかしすぎる。やっとわかったぞ。今回の罠はアカネを舞い上がらせておいて笑い者にする計画に違いない。あぶない、あぶない、乗せられてしまうところだった。

    「もう、冗談ばっかり、アカネも病み上がりなんですから、からかうのもイイ加減にして下さい」

 そしたらツバサ先生はまじめくさって、

    「これが契約書だ」
    「そんなもの、いくらでも偽造しちゃうじゃないですか、アカネを舐めてもらっては困ります」
    「信じん奴だなぁ、アカネがどんな評価になってるのか知らんのか。これを見ろ」

 ポイと渡されたのが業界誌。なになに、写真界に超新星が現れるってか、その名前は、

    『渋茶のアカネ』

 だから渋茶は余計だ。

    「わかったか」
    「ええ、凄いものですね。ニセの業界誌までデッチ上げるとは」

 そしたらツバサ先生は眉間をピクピクさせながら、

    「お~い、マドカ、他のも持ってこい」

 マドカさんが

    『ドサッ』

 様々な週刊誌が十冊ばかり、

    「アカネの及川電機の仕事の評価だ。わかったか」

 うひゃぁ、こりゃすごいビックリした。

    「こ、これは・・・」
    「わかったか」
    「労作ですね。一ヶ月もこんなんやってたんですか!」

 部屋中が転んでました。ようやく気を取り直したサトル先生が、

    「ここで勉強しすぎているので、容易に信じられないのはわかるが、染まり過ぎだぞ。とにかくサインしてくれ」
    「イヤです。どうせ便所掃除三ヶ月とか、肩もみ半年とか」
    「どこにも書いてないだろ」
    「そりゃ、あぶり出し」

 でもまあ、これだけみんながアカネを担ぐために準備していたのを無にするのも悪い。悪ふざけにあえて乗って、笑い者になるのもオフィス加納。

    「わかりました、サインします」
 さてなにが起るかと思ってたら、そのまま部屋に御案内。その時にアカネは覚悟した。真の仕掛けはこの部屋にあるって。すべては浮かれたアカネが『自分の部屋』に入るための罠だったんだと。まさか吊り天井とか、床がせりあがるとか。

 でも入ってもなんにも起らなかったんだ。その時にアカネは真の恐怖に襲われた。今回の悪ふざけの根の深さに。ここまででも、まだ仕掛け段階なのだと。いったいアカネになにをする気なんだって。


 月末になってアカネはすべてがわかった。その日は給料日で引き落としに行ったのだけど、

    「ひぇぇぇ、ホントだったんだ」
 アカネの絶叫が銀行に轟きましたとさ。これぐらい用心しないとオフィス加納ではなにがあるかわからないんだよ。