浦島夜想曲:三日目(2)

 ここでユッキーが、

    「星野君はここからどうするの」
    「泊りにして、明日は大雲取越を目指します」
    「さすが。じゃあ、どこ泊るの?」
    「百福ですけど」
    「やったぁ、今夜は一緒だ」

 熊野古道にほど近いところに宿はありましたが、なんと民宿。

    「こんなんも楽しいで。ホンマは四人までやってんけど、コトリが頼み込んで五人でもOKにしてもろた」

 宿に着くと客はわたしたちと星野君の二組だけ。もっとも二組しかとらないそうだから満室ってこと。星野君は何度か来たことがあるみたいで大将や女将さんと親しげに挨拶してる。ユッキーは、

    「お風呂は一緒ってわけにはいかないけど、晩御飯は一緒に食べようね」
    「イイのですか」
    「もちろんよ、女だけで食べるよりイイ男が入ってる方が美味しくなるに決まってるじゃない」

 宿が一緒ならそうなるよね。ゆったりお風呂に使ったら夕食。星野君は、

    「お邪魔させてもらいます」
    「待ってた、待ってた、まずはカンパイよ」
 今日の宿が民宿なのはちょっとビックリしたけど、どこか懐かしい感じがしてる。料理だって、昨日や一昨日の凝った料理に較べると素朴だけど、どこかホッとする感じ。こういう宿も昔は良く使ってた。いやあの頃だったらむしろ贅沢だったぐらい。

 駆け出しのころはとにかくカネがなかったし、依頼料も格安。仕事も選ぶどころじゃなかったものね。オフィス加納って格好良く付けてたけど、安アパートの一室が住居兼事務所。スタッフと言っても、物好きにも弟子入りしてきたのにアシスタントやってもらってたんだ。

 でもこういう仕事じゃない。どうしたってクルマがいるから、中古のオンボロ軽ワゴンを無理算段して買って撮影に出かけてた。仕事も可能な限り日帰りにしたけど、どうしてもがあったものね。豪華なホテルを横目で見ながらコンビニで買ったお握り持ち込みで素泊まり。夜になると二人で、

    『いつか仕事を選べるようになりたいね』
    『先生なら成れます。その時は大撮影隊を組んで豪華ホテルに泊まりましょう』
 あの頃が一番熱かったかもしれないわ。夢を語って、翌日の撮影スケジュールを検討して張り切って出かけたものね。依頼料以上のイイ仕事をしてクライアントをギャフンと言わせてやるんだって。

 やっと朝夕の食事が付いている宿に泊れたときは、なにか凄く贅沢してる気分になったものよ。あの頃のスタッフは本当に同志って感じだったもの。なんとかオフィス加納を大きくするんだって、そのためにはイイ写真を撮るんだって。

 幸いブレークしてくれて、わりと早いうちにちゃんとした事務所も構えられ、スタッフも増えてくれたんだ。宿のランクも上がって行ったけど、それでも素泊まりから二食付きになった感動に較べる小さかったよ。

 この仲間意識を持ちたいは形だけは最後まで続いてた。取材旅行では同じランクの部屋に泊り、同じ食事にしてた。なんか美談みたいに取り上げられたこともあったけど、そうじゃないんだ、あれは一緒に熱くなりたいだけだったんだ。

 そういえば、初めて食事付で泊った宿も、こんな感じの民宿だった気がする。今でも覚えてるけど、貧乏写真家って知ったら励ましてくれて、

    『サービス、サービス』

 こういってあれこれしてくれて感動したものね。オマケに朝出る時にさ、

    『お弁当だよ、立派になったらお返ししてね』

 こうやって持たせてくれた弁当をアシさんと感謝しながら食べたのは良く覚えてる。あんなに美味しかったお弁当はなかったと思ってるぐらい。あの民宿は良く使わせてもらって、名が売れてからお返ししようとしたけど、

    『うちは商売。施しは受けない』

 じゃあ、最初のサービスはどうなのよって言い返したんだけど、

    『あれは上客を取り込むのための商法で施しやあらへん』
 頑固なところはあったけどイイ人だったしお世話にもなったわ。でも大将も女将さんも亡くなちゃって、今は跡形もなくなってた。わたしも八十歳だものね。


 食事をしながら星野君の撮った写真をチラチラ見てた。へぇ、結構やるじゃん。ちょっと地味だけど基本はしっかりしてると思うわ。地味なのは個性ってしてもイイわ。そうねぇ、ホッとするというか、温かみが出てるって感じがするもの。こういう写真は嫌いじゃないわ。

 最近の写真はロー画像からあれこれ細工が出来過ぎるから、そっちの方の加工技術に走っちゃうのが多いのよね。でもそういう連中はやっぱり大成しないよ。カメラはシャッターを押す瞬間が勝負なのよ。

 そういう意味でやたらと連写に頼る連中もどうかと思ってる。ま、この辺はわたしがフィルム時代上がりだから一概には言えないとは思うけど、星野君の写真はイイ味出てると思うわ。

    「星野君は写真が好きそうね」
    「ええ、いちおうプロ目指してます」
    「どこかのスタジオに勤めてるの」

 聞くと勤めていた時期もあったようだけど、

    「生活が厳しくて」

 だろうね。全部がそうだとは言わないけど、スタジオ勤務って徒弟制度みたいなところが多いのよね。下手すりゃほとんど無給でコキ使って、なんにも教えないところも珍しいとは言えないもの。

    「今はどうしてるの」
    「実家の手伝いしながら、コツコツと独学でやってます」
 とにかく写真の世界は厳しいのよね。だってさ、今どきのカメラはシャッターさえ押せばピント・バッチリのが撮れるし、デジタルだから撮ったその場で確認出来ちゃうし、それこそ何度でも撮り直しが出来ちゃうのよ。枚数制限だって無いようなものだし。

 さらにだよ、撮って来た写真はバリバリに加工できちゃうのよねぇ。フィルム時代からすると夢みたいだし、それだけ時代が変わったんだけど、それだけ競争もまた激しいってこと。インスタなんて見てごらんよ、テンコモリ出てるじゃない。

 そんな世界で成功するには個性なのよ。自分しか撮れない世界を撮れるのが成功の秘訣。でもこれが大変なのよね。わたしもいっぱい弟子がいたけど、それなりに成功してメシを食えてるのはほんの一握り。技術は教えられてもプラス・アルファは自分で身に付けないといけなんだよ。

 でも、星野君には何かあるかもしれない。もっともだけど、何かありそうな弟子はたくさんいたけど、それを物にするのが最大の難関。ここを突破できるかどうかは本人の努力と運次第。

    「こんどコンクールに応募するのです」
    「へぇ、今日はそのための撮影だったの?」
    「いえ、作品は既に送ってあります」
    「なんていうコンクール」

 ここで星野君は胸を張って、

    「加納賞に応募しました」

 あちゃ、わたしが作ったやつじゃない。

    「でもあそこは厳しいって聞くけど」
    「だからこそ入選でも出来れば道が開けると思ってます」

 まあ、そうなんだけど。狙いとしては新人の登竜門って位置づけ。審査は厳しくて、これも自分でやってたんだけど、入選レベルは一流の技術とプラス・アルファの可能性を持ってる者だけにしてた。審査が厳しいかわりに、入選すればそれだけで独立できるぐらいの評価はされたし、有名スタジオからもたくさん声がかかるのよ。

    「でも残念なことが一つ」
    「どうしたの」
    「審査委員長の加納志織先生が御高齢のためか欠席されてるみたいで・・・」

 そうなのよ。カズ君が再発してからはずっと欠席。審査委員長もやめたかったんだけど、慰留されて名前だけ残してる状態。運営からは手を引いてる。

    「そのせいか、加納賞の評価が・・・」

 ありゃ、どうなってるんだろう。ずっと引きこもり状態で知らないんだけど。

    「ところであなたは加納先生によく似てますね」

 まあ本人だから、

    「でも加納志織も八十ぐらいだったはずよ」
    「それは知っていますが、若いころはきっとこんな感じだったんじゃないかって」
    「それは、ありがとう」

 そこから、

    「撮って、撮って」

 の嵐が殺到。星野君とのツーショットが欲しいっていうものだから、カメラ係も復活。ええい、ヤケクソじゃ、なんぼでも撮ってやる。やっとこさ一段落し、星野君も部屋に戻ってから香坂さんが真面目くさった顔で、

    「社長も、副社長も夜這いは構いませんが」
    「しないわよ、失礼な。夜這いは男がするもので、女がやったらはしたないわよ」
    「そうやでミサキちゃん、今日あったばっかりやで。いきなり行ったら、そんな女って見られてまうやんか。コトリは淫乱ちゃうからな」

 なんちゅう会話よ。これがエレギオンのトップ同士がする会話かよ。

    「くれぐれも夜這いをされても応じませんように」
    「それは無理よ。夜這いに応じるのはマナーでしょうが」

 マナーじゃないと思うけど。コトリちゃんまで、

    「そうやそうや、独身者の自由恋愛を止める権利はミサキちゃんにもないはずよ」

 そしたら香坂さんは、

    「こんな狭いところに五人で寝るのですよ。夜這いで燃えられたら安眠妨害です」

 たしかにそうだ。お隣で燃えられたら迷惑なだけだものね。お布団も敷かれて、

    「シオリ、星野君の腕はどう」
    「悪くないよ。でも加納賞はハードル高いよ」
    「ああ、クレイエール記念ホールでやるやつね」

 ユッキーはなにか考えてるようだったけど、いきなり言いだしたのが、

    「そうだシオリ、抜け駆けは許さないから」
    「なによ抜け駆けって」
    「だってミサキちゃんの注意はわたしとコトリだけで、シオリは入っていないじゃないの」
    「当たり前でしょ。夜這いなんかするわけないじゃないの」

 そしたらコトリちゃんが、

    「そう言って、いっつも最後にさらっていくやんか」
    「いっつもじゃないよ、あの時だけじゃない」
    「あの時だけでも十分やんか」
    「そうよそうよ」

 ユッキーが尻馬に乗った瞬間にコトリちゃんは強烈な切り返し、

    「ユッキー、なにが『そうよそうよ』やねん。コトリとシオリちゃんが火花散らしてる真っ最中に、トンビみたいに飛んできて油揚げさらったんは、どこの誰やねん」
    「それは油断していたコトリとシオリが悪い」
    「なにを」

 そしたら香坂さんが、

    「シャラップ。ミサキもシノブ専務もそろそろ寝たいのです。そんな行きたきゃ、三人で襲ってきてください。では朝までごゆっくり」
 香坂さんはいつもの事だけど立場強いよな。それと『なるほど』だけど、これぐらいのことがしょっちゅう起るから少々の事では気にもならないのかも。それでも、さすがに夜はぐっすり寝ました。やっぱ疲れた。それにしてもあの二人、夜這いやってるのかな。わたしは行ってないよ、誘われたけど。