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「カランカラン」
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「これは、これは、お久しぶりです。前に来られた時は顔色も悪くて心配しておりましたが、すっかり元気になられて安心しました」
「やだ、マスター。コトリはこの店は初めてよ」
「えっ、たしかに前より若返っておられますが、専務にそんな事が起こるのは不思議でもなんでもありませんし」
「あの夜にチェリー・ブロッサムの飲んでたコトリと、今のコトリは別人。今はね、立花小鳥になったから覚えといてね。それはそうと、シンガポール・スリング作ってくれる。グラスはラッフルズ・ホテルの黄色でヨロシク」
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「お待たせしました。ところでクレイエールの専務さんなのは同じですよね」
「そう、ついでに中身もコトリ、でも立花小鳥になってるから間違えないでね」
「かしこまりました」
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「ミサキちゃん、焦らない、焦らない、それよりまず乾杯しましょ」
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「とりあえず立花小鳥さんを教えて頂けますか」
「そこからにするか・・・」
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「里親に引き取られたんやど・・・」
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「でもな、がんばり屋さんやったんや」
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「ホイ、これが学生時代の写真」
「この人は本当に立花小鳥さんですか?」
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「とにかくこんなんやんか。レジのところにおったけど、おっただけでレジの回りが暗い感じがしたわ」
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「なんとなく気になって、出まかせで叔母やって名乗っといた」
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『病院代踏み倒す気か。そんな文句があるんやったら、ここで耳揃えて返してみな』
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『そこまで言うなら貸しとく、催促無しのある時払いでエエ』
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『もう一回倒れたら借金は倍になるで』
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『頼みがあるんやけど、この服、商売物やけど売れ残りで捨てなあかんねん。悪いけど始末しといてくれる』
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『ああいうバイトは見た目が大事やねん。それにこれぐらい、家庭教師一回行ったら払えるよ』
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『私が見る番です』
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『コトリはだいじょうぶだから、帰ってイイよ』
『帰るわけには参りません』
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『私の命に代えても治して見せます』
『大げさな。それにコトリは魔女なの。この体が使えなくなったら、他の体に乗り移るのよ。一緒にいたらあんたの体を使うかもしれないから、帰った方がイイよ』
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『これまで生きてきて楽しかったこと、嬉しかったことは何もありませんでした。その中でたった一つだけ感動したのは、小島さんに助けてもらったことです。それで私の生涯は十分です。この性格も直りません。それなら、せめてこの体だけでも楽しい思いをさせて下さい』
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「あれ、参ったわ。モノ言うのも億劫になっててん。それでもマンションおったら、クレイエールから追跡がくるやんか。そしたら病院に監禁状態にされてまうやん。それを避けなアカンのはわかっとってんけど、ホンマに動かれへんのよ」
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「しょうがないから、立花さんにホテルまで連れてってくれるように頼んだんよ」
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「病気も不思議なもんで、ちょっとラクになる時があるのよね。ちょっと欲出してカズ君に最後の挨拶に行っといた。まあ、ユッキーにも挨拶して教えとく意味もあったけど」
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『コトリが宿っちゃうと、立花さんは立花さんでなくなっちゃうの。ホントにわかってる。あなたをそういう目に遭わせたくないの』
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『これから、最後の一杯を飲みに行ってくる。今夜がコトリの最後の夜になるわ。飲み終わったら花時計の前に行くけど、それまでもう一度よく考えて。コトリは来て欲しくないよ』
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「来てへんと思とったんよ。来なけりゃ、そのまま死んでもエエけど、たぶんそれは出来へんから、適当に通りすがりに乗り移ったろってぐらいかな。そしたらね、おるんよね」
「だから立花さんに・・・」
「結果としてそうなってもた。コトリも初めてやった。自分から体を捧げられたんわ」
「気に入ってますか」
「気に入るように変えさせてもらった」
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「でも大事に使わせてもらうで、体だけでもイイ思いをさせるのは約束やから」
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「学生生活はどうでしたか」
「まさかイタ文やらされて、ミサキちゃんの後輩になるとはおもわへんかった」
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「ホンマは港都大狙とってんよ。もう一遍エレギオンに行きたかったんや」
「じゃあ、天城教授のところ」
「歴女やし」
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「じゃあ、予定通り港都大に入っていたらクレイエールに戻って来なかったとか」
「アハハハ、バレたか」
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「まあ、今回はアカンかったけど、次もあるこっちゃし」
「勘弁してくださいよ」
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「立花さんと入れ替わって大学に行かれて困りませんでしたか」
「最初はな。これも港都大は下見しとってんけど、初めてやったからどこに大学があるかを探すところから始まったぐらいやねん」
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「それとイジメられとったんも良くわかった。大学でもイジメあるんやな。ありゃ辛いやろ。たぶんやられ放題やったんちゃうんかな。コトリも行ったら、いきなりコーヒーかけれたもん。あんなことばっかりされたら、生きててもイヤになった気持ちもわかった気がする」
「コトリ専務はどうされたのですか」
「あははは、女神をイジメたらそりゃ、大変よ」
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「でもこの体も気に入ってとこあるねん」
「どこですか?」
「名前がコトリなのが最高」
コトリ専務の体調の悪化はあの夏頃にはハッキリしていました。それでもフラフラで倒れられた重役会議まで勤務を続けています。あれは、自らの死期を知りながらわざとそうしたはずです。本当に次の宿主を物色するつもりなら、遅くとも夏頃に始めたはずだからです。
ではなぜそうしたかになりますが、コトリ専務は神としての自殺を図ったとしか考えようがありません。そう、次の宿主を探す時間と体力を自ら潰されたのです。病院を三日で逃げ出した理由も同じで、入院していると看護師や女医がおり、宿主とする誘惑を断ち切れないと判断したからで間違いないはずです。
立花さんとの出会いは大筋ではウソをついていないと思います。ただ、最後の方ではかなりのウソが混じっているはずです。退職届を出した日に一度はマンションに帰られているのはスマホが玄関にあったので間違いないでしょう。ではあの日のどの時点で立花さんに会ったかは不明です。
不明と言えば立花さんの下宿に行ったのも怪しいところです。立花さんの下宿が広かったとは到底思えませんから、ミサキはホテルに行った可能性の方が高いと思っています。立花さんにとってコトリ専務は恩人ですから一生懸命介抱したのはホントだと思います。ただ、体を捧げる話は怪しいと思っています。せいぜい生きている楽しみがないぐらいの話を広げただけの気がしています。
コトリ専務の最後の時の話もウソがたくさん混じっています。これはコトリ専務の油断と思いますが、あのバーでチェリー・ブロッサムを飲まれた夜に亡くなっていないのです。亡くなったのはその次の夜です。つまりバーでチェリー・ブロッサム飲んだ夜はホテルに帰っているはずです。
コトリ専務が花時計前を選んだ理由も思い出しました。コトリ専務が山本先生と過ごされた楽しい思い出の中でも、一番じゃないかと思われる婚前旅行の時の待ち合わせ場所が花時計前なのです。旅行に出かけるにはエライ不便な場所と思ったのですがコトリ専務は、
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『カズ君もそう言うたんやけど、あそこで記念写真をどうしても撮りたかってん』
あの夜にコトリ専務が死期を悟ったのは間違いありません。悟ったからこそ花時計前を死に場所に選んだのです。コトリ専務は適当に通りがかりの女性を宿主に選ぶと言っていたのもウソです。夜も遅くなれば花時計前を通る人は殆どいません。ましてや若い女性なんて滅多にいません。本気で通りがかりで選ぶのなら三ノ宮駅なり、北野坂、東門のあたりを目指すはずです。
あそこで山本先生との楽しい思い出に耽りながら人としても、神としても死のうとした最大の証拠は、山本先生から贈られた婚約指輪をしっかりと握りしめていたからです。でもコトリ専務は人はともかく神として死ねなかったのです。
立花さんはコトリ専務がホテルから抜け出したのを知り追いかけて来たんだと思います。立花さんの姿を見た時にコトリ専務は誘惑に負けたのだと思います。これも前にチラッとだけ聞かされた事があります。
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『どうもやねんけど、神として自殺しようとしても、どう頑張っても出来へんねん』
人を宿主とするというのは、宿主とした人の人格を奪う行為です。ユッキーさんのように移り変われるのならともかく、コトリ専務は宿れば終生です。そんな行為にコトリ専務はいつしか耐えがたい苦痛を感じている気がしています。だから今回も生き延びてしまったことを恥じて後悔し、せめてもの照れ隠しに『捧げられた』話を創作しただけでなく、それを無理やりにでも信じ込もうとしているとミサキは思っています。
でも、でも、ミサキは女神です。それもエレギオンの女神であり、次座の女神から分身した女神です。ミサキには今回のコトリ専務の再生ではっきりわかったのです。次座の女神と三座・四座の女神の関係は仲間でも友達でもなく、姉妹ですらなく、紛れもなく親子なのです。そう母である次座の女神は何者に代えがたい存在なのです。
コトリ専務の話にあれだけのウソが混じり込んでいるのは、親として、いや母として神の汚い面を出来るだけ知らせまいとしたと思っています。ミサキもシノブ常務も記憶を受け継ぐ能力を封じられていますから、死ねば女神の記憶はリセットされます。そこまでの間だけ、ウソを信じてもらえば効果は十分と考えられたと思います。
ミサキもいつまで生きているかはわかりませんが、長生きしても今から五十年も人として生きていられるとは思えません。ミサキの人としての寿命が尽きた時にコトリ専務は新たな別れをまた経験されることになります。今回、結局クレイエールに戻ってきた理由もそんな二人の娘を最後まで見守ってやりたい親心です。その誘惑に今回の再生でも勝てなかったのが本当の真相だと思います。