リンドウ先輩:合宿

 駿介監督の強化計画とは合宿なんや。短期間で守備と打撃を少しでもレベルアップするには一番効率的なのは間違いないのはわかる。ただ駿介監督も悪いと言ってたけど、持ち出したのが二回戦直後なんよね、これが。駿介監督の腹案では七月十七日の三回戦まで一週間あるから、そこに組みたいとの希望なんや。一日でも長い方が良いとは言われたものの、さすがに二回戦の翌日から組めるわけでもなしやねん。

 一番安上がりにしたければ学校でやればエエんやけど、期末試験こそ終わってるものの、まだ夏休みじゃないんやよね。つまりって程やあらへんけど昼間は授業もあるんよ。体育の授業は水泳やからグランドは使えるものの、校内合宿で授業をサボるのはあんまりヨロシクないんよね。

 レフト工業のグランドもアテにしとったんやけど、大事な試合があるから貸すのは無理やと言われたら退き下がるしかなかってん。その代わり練習試合の約束は取り付けといた。そうなるとどこかでグランド借りて、宿も確保してのホンマもんの合宿をせんとアカンのやけど、とにかくカネがあらへん。

 そう、うちの野球部に相変わらずないもの、カネの問題やねん。ウチもあれこれは動いてる。予選開始にあたって校長に直談判したけど、今年度の部活動費の分配は既に終わっており、野球部に回すカネはないと突っぱねられてもた。なんとか粘ってポケットマネーから一万円をせしめたのが精一杯ちゅうところ。

 そこでOBに奉加帳を回そうかと思たんやけど、OB会自体がないのよね。かつては『あったらしい』痕跡みたいなものは見つけたけど、休眠状態と言うかもう何十年も活動してないみたいで完全に幽霊団体。仕方があらへんから、部室に残されていた埃だらけの部員名簿と大格闘の末になんとか立ち上げたんやけど人が集まらん、集まらん。やっとこさ、たまたま近所に住んでいた十人ってところ。とにかく伝統的に弱小すぎてウチが甲子園って力説しても、

    「へぇ、今年の予選は甲子園も使うのか」
 ただ駿介監督を知ってる人もいて、それならヒョットして予選のクジ運に恵まれたら一回ぐらい勝てるかもの話で盛り上がるありさま。それでも無理やり五万円はかき集めた。ただOB会に関しては予選でもうちょっと勝ち上がったら、他のOBにも連絡もしてくれるって言うてくれたし、そうなったら奉加帳を回せそうぐらいの感触はありそうってところかな。

 そうやって予選前にかきあつめた六万円だって、豊岡まで二回戦をやりに行ったら、もう苦しくなるのよね。だって豊岡行って帰るだけで七千円ぐらい必要やってん。これは部員に出してもらったし、弁当も持参にしてもろたけど、せめてオヤツと飲み物代ぐらいは部費から出したら、一万五千円ぐらい飛んで行ってもた。

 合宿組むとなったら、また父兄に負担を求めなきゃいけないんだけど、いきなり明日から行くから、全額実費で結構なカネ寄越せっていうたら、そらもめるやろな。四泊五日で泊まって飯食うだけで五万はぐらいはいるし、練習グランドの確保だけでも別途になるから七万とか八万、下手すりゃ十万いうたら、ウチの親父でもエエ顔せんと思う。そんな時にユウジと駿介監督が長い時間話しとってん。そこにフォア・シーズンズの四人も加わって、さらにウチも呼ばれて行ってみると、

    「カオル、ロック研閉めたんや」
    「えっ」
    「中に色々あったけど、もういらんから売ったわ」
    「えっ、えっ」
    「カオルからも言うてくれ、受け取ってくれって」
    「えっ、えっ、えっ」
 ウチに百万の札束を渡してユウジたちは練習に行ってまいました。
    「駿介監督、いいんですか」
    「良くない。でも、受け取る事に決めた」
    「どういうことですか」
    「オレも甲子園に行きたいんや」
 グランドからユウジの陽気な声が聞こえます。
    「キャプテン、今日は死んでもらうで」
    「殺せるもんなら、殺してみい」
 ここのところユウジは大丸キャプテンのレベルアップに懸命なの。
    カオルちゃん、緊急強化合宿や」
    「はい」
    「この百万円、絶対に死に金にさせへんからな」
 ここからはGMたるウチの出番です。まずその足で校長室に、
    「また竜胆君かね。校長に話を持ってくるにも順序があるだろう」
 そうボヤかれましたやんけど、実は手順はちゃんと踏んでるんや。ただ、もう何回もやってるもんで、顧問の名前だけの教師にしろ、担任教師にしろ、学年主任にしろ、教頭先生にしろウチの顔を見た瞬間に、
    「校長室に行け」
 これで即答になってる。ケチ付けて粘っても無駄なことを身に沁みて理解してもらえてるみたい。今回の交渉目的は七月十二日から七月十六日までの四泊五日の校外合宿許可と、水曜から金曜まで野球部が学校を休む許可。校長はこういう合宿は事前に計画書を提出した上で許可を得るもので、明日からよろしくなんてものじゃないとか、合宿計画書自体が白紙同然である点を渋ったんやけど、もうあきらめ顔で、
    「天下無敵の竜胆君にはかなわない」
 あとは合宿場の確保、グランドの確保やけど、今回のウチには見た事もないようなカネがあるんや。これでなんとか出来なければGM失格やんか。突然で戸惑う保護者も説き伏せて緊急強化合宿がスタート。
    「ええとこやんか」
 部員がちょっとビックリしてたんやけど、急だったのでここしか取れず、来るまで心配やってんけど少しは満足してもらって良かった。宿もグランドもバッチリになったから、駿介監督の指導も熱が入ってる。守備練習に必要なものにノッカーがあるんや。ノックも技術が必要やけど、駿介監督一人ではいくら頑張っても打てる数に限界があるやんか。

 そこで駿介監督は内野のノックに専念し、外野はユウジが担当になってん。ユウジにノックが出来るかって? そんなもの朝飯前やん。駿介監督でさえ舌を巻くノックの雨を降らせとったわ。いや、あれは雨でなくて嵐かもしれへん。一遍に二個ずつなんてなんで打てるんや。

 打撃強化も課題やねん。ユウジ、古城君、春川君も投げとったけど、ピッチング・マシーンも動員されてるねん。これは駿介監督とウチでレフト工業の社長に直談判して借りてきたもの。運ぶためのトラックまでタダで借りだしたった。練習は夜が明ける前から宿の庭で始まり、暗くなってボールが見えなくなるまでグランドで行われ、夜も素振りやらを延々とやってます。さすがにやり過ぎじゃないかと心配して駿介監督に聞いたんですが、

    カオルちゃんの言うことは正しいし、効率的にはイマイチの部分もあるんや。そやけど、夏の予選に間に合わせるにはこれしかないんよ」
 ウチの見てる限りやけど内野の大穴のセカンドの大丸キャプテンも、その穴が少しづつ小さくなってる気はする。夏海君、冬月君、春川君は往年の野球で鳴らした方のフォア・シーズンズの動きに近づいてる気もする。打撃の方も少しはマシになってるみたいで。夏海君がスタンドに放り込むのを見て私がキャーキャーはしゃいでたら秋葉君が、
    「リンドウさん、オレのも見といてや」
 負けじとばかりにスタンドに放り込んでくれた。大丸君まで
    「リンドウさん、見ていて下さい」
 バッティング練習の時ぐらいバットにボールを当てろよと思ったけど、意欲と気合だけは認めてやることにした。大丸君はともかく次の試合は期待できるかも。

 とにかくユウジが入っているだけで他のメンバーの目の色が変わってる気がするのよね。ユウジが投げ続ける限り、甲子園は夢じゃないからやと思てる。駿介監督もそう考えているはずや。合宿の途中にはレフト工業野球部控え組との練習試合も組まれ取ったんやけど、これにもユウジの快投が光っとった。試合は古城君が打たれて負けちゃいましたけど。

    「駿介監督、勝てるんじゃ」
    「相手によるけどな。それでも、やっぱり守備と打撃はこれ以上はどうしようもない」
    「みんな上手くなってますよ」
    「後一年、いや半年あればなぁ」
 駿介叔父が魔術師って呼ばれた理由が初めてわかった気がするねん。駿介叔父が実質的に指導を始めたのはフォア・シーズンズの四人が入った文化祭明けからやんか。その時のメンバーはヘッポコ野球部の生き残りが四人、一年生が三人、実績は十分とはいえ二年のブランクがあるフォア・シーズンズてな寄せ集めもエエとこのメンバーやってんやん。そこからたった二か月ぐらいで、とにもかくにもここまでレベルアップさせてるのよね。これが後半年もあったら、強豪校に引けを取らないチームに仕上がっているはずやん。
    カオルちゃん、ここだけの話やけど去年からやってたら絶対やった」
    「駿介叔父さん、これだけでもウチは十分や。あの正月の時のことを思たら夢みたいやんか。みんな頑張ってくれたもんね」
 駿介叔父には『十分や』と言いながら、半年あればの話に無念さもあるねん。とは言うものの、正月の時点でも無理やったのはよう知ってるから、こればっかりはどうしようもあらへんわ。だってさ、去年の春からGMやったとしても、フォア・シーズンズの四人を去年の時点で口説き落とすのは難しかったやろし、駿介叔父さんが監督就任の条件にしていたピッチャーだって獲得は難しかっとしか言いようがあらへんもん。

 そうなったら駿介叔父さんは監督になっていなかったかもしれへんし、なってなかったらこんなチームにも絶対になってないもんね。ユウジだって去年なら助っ人やってくれたかに全然自信ないもの。とにかくこの夏にすべてをかけるしかないのよ。このメンバーの、この戦力で甲子園を目指そう。