リンドウ先輩:運命の練習試合

 試合当日は快晴、絶好の野球日和になりました。試合は午後二時からですが、やっぱり丸久工業は強そうです。あれから少し調べたのですが、今年の丸久工業は秋季大会こそ不振でしたが、春からは上向きのようで、練習試合でも強豪相手に健闘しているようです。試合前の練習を見ても、やはりうちとは動きが一段も二段も違う気がします。エースナンバーを付けたピッチャーの球もうちの古城君より上にしか見えません。それよりなにより部員が多い。

 高校野球では地方大会が二十人、甲子園で十八人ですが、今日は地方大会ルールに準じて二十人でやることになっています。もっとも十一人しかいないうちに取っては変わらないと言えば変わらないのですが、やっぱり羨ましい。他にもベンチ入りしていない部員がいっぱいいるし。

 ギャラリーは予想以上に来てくれています。応援団というかファンクラブ連合が二十人ぐらい、後は笑うしかないですが加納志織の追っかけが二十人ぐらい。でもその他も十人ぐらい来ています。あのサッカー部の交渉相手のマネージャーも来ています。でも、どう探したってユウジの姿が見えません。あの野郎、スッポカシやがったな。

 試合はうちがホームと言う事で後攻。そうそう試合用ユニフォームもなんとかそろえました。先発はもちろん古城君。なかなか好調のようで、エラーとヒットを許したもののなんとかゼロ点で抑えてスタートです。ただ、いきなり懸念された穴のセカンドのエラーが出て気が重いところです。

 相手の先発はエースナンバーじゃなく、控えの十一番のピッチャーが先発のようです。控えと言っても、最近の高校野球で上位を狙うチームは複数の先発投手を抱えますから、エースに較べて格段に落ちるとは限りません。ウチは格段に落ちて欲しいと願っていましたが、アッサリ三者凡退。一番の冬月君も、三番の秋葉君も凡退させられてしまいました。攻撃の方もうちの懸念で、駿介監督はとりあえず守備強化に時間を費やしていて打撃まで手が回っていなかったからです。まあ、あんな狭いところでまともな打撃練習まで出来なかったのもありますけどね。

 今日の試合のカギを握るのは古城君のピッチングです。これがすべてといって良いぐらいです。これしか相手にまともに通用する戦力はなく、ゲームプランは古城君が耐えしのいでいる間に、なんとか点を拾って逃げ切るしかありません。古城君自体は好調でしたが、まあバックが足を引っ張る、引っ張る。毎回安打ならぬ、毎回エラーでピンチの連続です。セカンドの大丸君は覚悟の上でしたが、夏海君や春川君もエラーです。駿介監督は、

    「まだ試合勘が戻ってないし、硬式にもまだ慣れてへんから、あれぐらいはしょうがないわ」
 それでも、これで一年生ピッチャーの古城君にリズムに乗れとは酷なお話です。もう私は祈るしかありませんでした。ただでも格上の相手に対し、ザル守備と貧打のバックで立ち向かうわけですから、どれだけの重圧がかかっている事かと想像するだけも震えが来そうです。

 古城君は耐えるピッチングを続けました。エラーとヒットで毎回のように得点圏にランナーを背負う苦しすぎる展開です。それでも二回、三回、四回となんとかゼロで抑えました。四回なんか二死満塁で放たれた打球が三遊間を抜けたと思ったのですが、ショートの冬月君が横っ飛びでライナー性の打球をキャッチしてくれて、辛うじて切り抜けています。

 踏ん張る古城君を援護したいところですが、ヒットは夏海君のポテンヒット一本だけ。バントで二塁に送る戦術を取りたいところですが失敗です。どうやったらあのピッチャーから点が拾えるかわからないってところです。

 その古城君が限界に達したのが五回。球数は既に八十球を越えています。ここまで一つも許してなかったフォア・ボールも出し、そこにエラーが重なってついに無死一・三塁。古城君が肩で息をしているのがわかります。駿介監督が動きます。動くと言っても打てる手は一枚だけで、ファーストの春川君をマウンドに送り、古城君は一塁に交代しかありません。駿介監督が動き出したその時です。

    「おいカオル、お前の依頼受けたるわ」
 振り返ると、いつのまにかユウジがユニフォームを着こんで立っています。
    「カネはないよ」
    「カネ以外で払うって言うたよな」
 あのときの話はウチの体で払うやけど
    「YESかNOかって聞いてるんや」
 一度は覚悟を決めたんやし、ここを抑えられるのはユウジしかおらへん。とにもかくにも、気まぐれのユウジがここまで乗り気になっているのは断れへん。断ったら二度と引き受けてくれんのは間違いない。ええい、ファースト・キスなりバージンなり好きなもん持ってけ。
    「後払いよ」
    「もちろんや、成功報酬やからな」
 ユウジは駿介監督のところに行きなにやら話しています。駿介監督はキャッチャーの秋葉君を呼び寄せなにやら指示を出し、秋葉君は春川君になにか耳打ちしています。試合が再開されると敬遠での満塁策です。そこで駿介監督が、
    「ピッチャー交代、水橋。春川はファーストに、古城はベンチに」
 三年ぶりに見るユウジの投球です。ユウジがいかに凄いかは知っていますが、高校に入ってからは野球の助っ人をやるのは見たことがありません。というか、ユウジが野球をやっているのを見たのはあの中三の夏の一イニングだけなんです。ユウジの投球ホームは三年前と変わっています。セットポジションからクイックモーションで豪快に投げ込みます。
    「ストライク」
 丸久工業の三番打者が呆気に取られるスピードボールです。私も手に汗をビッショリかいて、固唾を飲んで見守っています。頑張れユウジ、アンタしかもう他はいないんだから、ここでユウジが打たれたらウチの甲子園の夢は消えてなくなるんだよ。ユウジが仕事を引き受けたんやから絶対やと思いたいところですが、もう祈るばかりです。二球目も一球目同様に鮮やかなスピードボールがミットに吸い込まれます。バッターはピクリとも動けず
    「タイム」
 ネクスト・バッターズ・サークルに戻り、すべり止めをグリップに吹き付け、二、三度素振りをくれてからバッターボックスに入ります。ユウジのスピードボールはさらに唸りをあげてホームプレートを通り抜け、バットは完全に振り遅れて三振です。完璧助っ人のユウジは変わっていませんでした。四番打者も、五番打者も三球三振。絶体絶命の危機をユウジはアッサリと片づけてしまったのです。ウチの目は涙でどうしようもなくなりました。

 ベンチに帰ったユウジは駿介監督と何やら話しています。駿介監督はちょっと嫌がってるようでしたが、最後にポンと肩を叩いていかにも『任せた』って感じでした。ちょっと嫌な予感が走ります。まさかユウジは駿介監督と追加報酬の約束を迫ってるんじゃないかって。

 六回からのユウジの投球はガラリと変わりました。フォーム的には三年前のキャッチボール投法に似ていますが、投げる球は五回の目の覚めるようなスピードボールではなくハエが止まるようなスローボール主体です。

 これが絶妙なコントロールで投じられます。さすがに丸久工業の打者は当てることは出来ますが、タイミングが合いにくいのか凡打の山が築かれます。ただ情けないことにうちの守備陣はこれでもかのエラーを繰り返します。時にヒットも出て塁上を賑わすのですが、そこまでになればあのスピードボールで片づけてしまいます。

 まさかと思うのですが、ユウジは味方に守備練習をさせてるのでしょうか。どうしてもそうとしか見えないのです。だってエラーが出ても顔色一つ変えないのです。ということは、そういう投球をする許可をユウジは駿介監督に求めていたって事とか。こんな大事な試合なのにと一瞬思いましたが、ユウジがやれると思うなら絶対にやれます。もうユウジが投げる限り、丸久工業に点は入らないってことなのです。

 こうなると一点がどうしても欲しい。一点あれば今日のユウジなら絶対に守ってくれるはずです。丸久工業もうちなんかに負けると恥と思ったのか、エースをリリーフに投入してきました。

 先発のボールも速かったですが、エースはもっと早いんです。そのうえ切れ味鋭いカーブもありました。守備でくたびれ果ててるうちの打線では到底打てそうに思えません。延長戦になればユウジのスタミナが心配です。ユウジだけでなく他のナインの疲労も心配です。

 九回表もユウジは丸久工業打線を定番の失策を交えながらも丁寧に料理して、九回裏ツーアウトからユウジの打席。一球目を軽々と振り抜き、ボールは外野フェンスを遥かに越えて行きます。サヨナラホームランです。勝ったんです。うちの野球部がついに勝ったのです。ベンチも、ギャラリーの観客席も大騒ぎです。

 試合終了後に学校に帰りました。勝ったものの疲労困憊でこれ以上の練習なんて出来る状態ではなかったのです。さすがの駿介監督も

    「今日はよくやった」
 これだけ言って解散になりました。みんなは勝利の余韻に浸りながら帰路についていました。甲子園への関門をまた一つ突破したってところです。課題は山積みなのは間違いありませんが、今日のところはとにかく勝ったことに満足しています。