第1部一の谷編:カンパリ飲んで源氏軍出陣

    「カランカラン」
カウベルが鳴って彼女が来ました。カンパリはイタリア産のちょっと苦みのあるリキュールです。出て来たのは私はネグロニ。これはジン、カンパリ、ホワイトベルモットを氷を入れたグラスに注いだカクテルです。彼女の方はアメリカーナ。カンパリにスウィート・ベルモットを入れて炭酸水で割って軽くステアしレモンの果皮を絞れば完成です。アメリカーナはカンパリでなくビター・ベルモットを使う方がオリジナルとなっていますが、今日はカンパリにしたようです。どちらもほろ苦いカクテルなんですが、これを飲んでいると彼女らしき人物がふと頭に浮かびました。微妙に違うというか、私の記憶自体が曖昧すぎるのもエエとこなんですが、
    「一年の時、一緒やったよねぇ」
    「違うよ。一緒やったのは二年の時。忘れたん」
あれ? ちゃうんか。その後も思い浮かんだ人物を想定して話をしてみましたが、結論として別人で良さそうです。それが確認できるとカンパリの苦味がもっと強くなった気がします。一体、彼女は誰なんだ。ただこれだけ会って話していると、どうも覚えがある気がするのです。女性は化粧や服装でイメージががらりと変わる事がありますから、高校時代の彼女と今の彼女はきっとかなり違っているのだろうぐらいの理由はすぐに付けられるもの、どうしても思い出したい気持ちは強まるばかりです。

あれかなぁ、高校時代はパッとしない地味で目立たないタイプだったのが、社会人になって大変身は良く聞く話です。たしか彼女の勤務先は神戸でも大手のアパレルメーカーと言っていましたから、ファッションセンスは嫌でも磨かれるはずです。思い出せない理由は捻くり出せても肝心の彼女が誰かで壁に当たります。ホント毎度毎度同じところをグルグル回っています。それと、これも失敗の一つなのですが、最初に知っているフリをしたばっかりに名前も聞きそびれました。電話番号は聞いたので連絡は出来るのですが、名前を知らないので少々どころじゃなく不便です。

    「一の谷の前に宇治川があるけど、義経は鎌倉をいつ出発したの」
    「これがなかなか難しいというか、とりあえず九条兼実玉葉が参考になると思うんや

    日付 内容
    閏10/22 また聞く、頼朝の使い伊勢の国に来たりと雖も、謀叛の儀に 非ず。先日宣旨に云く、東海・東山道等の庄土、不服の輩有らば、頼朝に触れ沙汰を致すべしと。仍ってその宣旨を施行せんが為、且つは国中に仰せ知らしめんが為、使者を遣わす所なりと
    11/2 その替わり九郎御曹司(誰人や、尋ね聞くべし)を出立し、すでに上洛せしむと
    11/4 伝聞、頼朝の上洛決定止めをはんぬ。代官入京なり。今朝と。今日布和関に着くと
    11/7 頼朝代官今日江州に着くと。その勢僅かに五六百騎と。忽ち合戦の儀を存ぜず、ただ物を院に供さんが為の使と。次官親能(廣季子)並びに頼朝弟(九郎)等上洛すと
    11/10 伝聞、頼朝使供物に於いては江州に着きをはんぬ。九郎猶近江に在ると
    12/1 伝聞、去る二十一日院の北面に候する下臈二人(公友なり)伊勢の国に到り、乱逆の次第を頼朝代官(九郎、並びに齋院次官親能等なり)に告示す。即ち飛脚を差し頼朝の許に遣わす。彼の帰来を待ち、命に随い入京すべし。当時九郎の勢、僅かに五百騎。その外伊勢の国人等多く相従うと。また和泉の守信兼同じく以て合力すと

    寿永二年は十月と十一月の間に閏一〇月があるんで、ちょっと注意が必要やねんけど、十一月上旬には伊勢から近江に関東源氏軍が来ている感じがするんや」
    「これも読みにくいなぁ」
    「そうやと思うけど、これの原文は漢文やから我慢して」
    「それなら我慢する。えっと、とりあえず義経が出てくるね。あたりまえやけど兼実も『誰やねん』としてるけど。でも十一月四日に布和関って関ヶ原あたりにいるって書いといて、十二月一日に伊勢にいるってどういうこと」
    玉葉の記事は伝聞やからしゃ〜ない部分もあると思てるけど、これは東山道を進む範頼と、東海道を進む義経の動きが混同されている気がするんや」
    「な〜るほど、そういう前提で読めばなんとなくわかる気がする」
    「だって貢納を集めるにしろ、軍勢を集めるにしろ、二手に分けた方が効率がエエやん。それと運んでいるのは貢納だけやなく、自分たちの兵糧もあると思てる」
    「そうよね、京都で兵糧調達をやったら義仲の二の舞ですもんね」
    「そういうこと」
東山道を範頼が、東海道義経が進んで来たのは間違いないと考えていますが、早かったのは義経の感触があります。玉葉の記録でも義経の名はあっても範頼は出てきません。この辺は伊勢を頼朝が重視したためかもしれません。伊勢は平家の母国ともいえるところで、義仲戦後は対平家戦が控えていますから、ここをしっかり押さえておきたいの意図ぐらいでしょうか。ただなんですが、頼朝が範頼より義経の能力を認めてのものかどうかは疑問符が付きます。だって一の谷は愚か、宇治川だってまだ戦う前の段階だからです。
    「でもこれと一の谷がどういう関係があるの」
    「前から疑問やってんけど、宇治川の合戦やるやん」
    「義仲が負けるよね」
    「そうやねんけど、その後に一の谷になるねん」
    「そりゃそうやけど」
    「関東源氏軍が宇治川だけやるつもりだったのか、一の谷もセットでやる予定だったのかやねん」
    「それは・・・セットなんちゃうん」
    「そうは思うけど証拠が欲しいねん。つうのも平家と決戦するんやったら、平家が一の谷にいないと出来ないわけやん」
    「源氏に水軍いないから、屋島で決戦なんてやりようもないもんね」
    「一の谷がセットなんやったら、宇治川の前に平家が一の谷に進出しているだけじゃなく、平家との決戦の了承を鎌倉にいる頼朝に取っておかないとあかんと思うんや」
    「たしかに。現地で独断で戦うには平家は大きすぎる相手やもんね」
    「とりあえず延慶本にはこう書いてあるんや、

    木曽うたれぬときこえければ、平家さぬきやしまをこぎいでつつ、つのくにとはりまとのさかひなる、なにはいちのたにといふところにぞこもりける。

    読める?」

    「読みにくい」

    「これからは出来るだけ漢字に置き換えるね

    木曽討たれぬと聞こえければ、平家讃岐屋島を漕ぎ出でつつ、津の国と播磨の境なる、難波一の谷と云うところにぞ籠りける

    こんな感じ」

    「義仲が討死したのを聞いたから、平家は屋島から船に乗って摂津と播磨の国境付近にある難波一の谷に入ったぐらいやね」

    「そういうこと、義仲が討たれたのが一月二〇日やねんけど、それを聞いて平家が一の谷進出を決めたんやったら、一の谷セットが成立せえへん」

    「一の谷セットってどっかの定食屋みたい」

    「定食屋は置いといて、宇治川のそれなりに前の時点で平家は一の谷に進出しとかないと話しが合わないんや」

    「なにが言いたいかわかった。範頼や義経の上洛が間違いないの情報が入った時点で義仲との決戦は決定事項になるから、それに乗じて平家は一の谷に進出したってストーリーね」

    「そういうこと、関東源氏軍もそれを知って鎌倉の頼朝に連絡を取って宇治川後の一の谷戦を決定していたぐらいやねん」

    「でも宇治川後に動いた可能性は無いの、たしか一の谷への出陣は二月四日じゃなかったっけ」

    「範頼と義経の出陣はそうだと書いてあるけど、源氏軍は違うんや」

    「どういうこと」

    「まず延慶本からやけど、

    廿九日、九郎義経いつしか平家征伐の為に西国へ下向。

    一月二九日に義経は一の谷に向かったって書いてある。この辺の経過は吾妻鏡玉葉の方が面白くて、

    • 壽永三年正月小廿九日己未。關東兩將爲征平氏。率軍兵赴西國。悉以今日出京云々。・・・(吾妻鏡
    • 今日已下向(去廿六日出門)・・・(一月一九日付玉葉



    まず吾妻鏡の方やけど『悉以今日出京』は一月二九日にそろって京都を出陣したって意味じゃなく、一月二九日に出陣が終わったぐらいの意味になるねん。玉葉はもっとわかりやすくて、一月二六日から出陣が始まって一月二九日に出陣が完了して源氏軍が京都からいなくなったぐらいになるんや。つまりやけど、


    1. 一月二〇日に義仲が近江の粟津で討死
    2. 平家の一の谷進出を聞いた源氏が一月二六日から京都を出陣


    こんなに早く情報が伝わった上に、即時に動けるもんやないやろ。インターネットどころかテレビも電話も無い時代やねんから。鎌倉の頼朝との打ち合わせというか書状の往復が1週間で出来るとは思えへん。日程の進み方からし宇治川前からセット定食だったと思う」

    「エビフライ定食?」

    「いや、本日のサービス定食」

    「だったらカニクリームコロッケ定食」

    「なんで?」

    「今日のお昼」

    「なるほど」

    「いわれてみればそうやなぁ。宇治川の合戦の六日後に一の谷に動いたんやったら、最初から義仲の次は平家って決めていたんじゃないと動かれへんよねぇ。」

    「関東源氏軍の上洛の動きに合わせて平家も動いていて、関東源氏軍も動いていたぐらいで結論しても良いと思てる」

    「なかなかの情報戦ね」

    “改札の向こう側、人ごみに消えていく、後姿、目で追った、離れたくなくて”
こんなフレーズが頭の中でリフレインしながらお見送り。駅の時点で電車が違うのでこうなっちゃいます。もう彼女自身に聞くのは不可能な状況になってますから、ここは搦手からいくしかありません。彼女と話していて思いついたヒントがあります。聞く限り彼女の高校時代の交友関係と私の交友関係はかなりズレがあるのですが、それでも共通の友人が存在することが確認できます。同じ高校で同じクラスにいたのですからいても不思議ないのですが、そいつに聞いてみる手です。小中高と同期で中学のクラス会をやった時に再開した旧友なのですが、ネックは旧友が女性であること。少々敷居が高いのですが、彼女に直接聞くより遥かにマシと腹を括って電話します。
    「久しぶり」
    「いやぁ、ホンと久しぶりやねぇ」
ひとしきり近況報告してから本題に入ります。
    「・・・って知ってる?」
    「そんだけじゃ、わからへんな」
そりゃそうで、名前も知らない同級生を思い出せってのに無理があります。それでもこの手がかりを失えば彼女を知る者はいないことになるので、ヒントになりそうなものを思いつくだけ並べて見たら、
    「思い出した!、三年の時に一緒やったかな」
    「どんな子」
    「どんなって、コトリちゃんやん」
    「えっっっ、コトリちゃんって、あの天使のコトリちゃん?」
    「天使って・・・でも男子はそう呼んでたみたいやね」
天使のコトリちゃんとは小島知江。私と違って常にクラスの中心にいて、友達が自然に集まってくる人気者でした。これは男性も女性も関係なく、なんとなく一緒にいたいと感じさせ、一緒にいるだけで楽しくなってしまうような魅力の女性です。ただ当時の私はそういうところと遠い場所にいまして、そんなコトリちゃんを横目で見ていたぐらいで、完全に縁遠い人と割り切っていました。まあ苦手の体育会系女子ばかりではなく、もっと苦手の体育会系男子もコトリちゃんの回りに群がっていましたから、完全に敬遠していました。そうやってあまりにも縁遠くて敬遠していたものですから、いつしかすっかり忘れてしまっていたようです。
    「まさかコトリちゃんと付き合ってるの?」
    「そんなわけないやろ」
旧友は色々聞きたそうでしたが、なんとか追求を振りきって電話を切りました。というか彼女がコトリちゃんとつながった瞬間に電流が走り、次に天高く舞い上がってしまい旧友との電話どころでなくなってしまったというところです。あの天使のコトリちゃんと二人でお酒を飲んで、二人でハイキングに行ってるのがどうしたって現実のものに思えないのです。もし夢なら永遠に醒めて欲しくない。