529日前の話の続編

2011.2.21付

これの判決文情報が入手出来たので(出典は判例タイムズ1372号)続編とさせて頂きます。前回の話については申し訳ありませんが基本的にリンク先をお読み下さい。


出生時情報

前回のマスコミ情報では詳細が不明であった新生児の情報です。児はまず8/12に出産のためにb入院し、そこから8/13の13時頃にc病院に転院したとなっています。それでもって16:52に、

帝王切開により(胎児仮死のため),出生した(37週未満である34週6日の早産児)。出生体重は1824gであり(2500g未満である低出生体重児),アプガースコアは1分後8点,5分後8点であった(呼吸,皮膚色−1)。未熟児で,羊水混濁が高度であり,気管内挿管,吸引,酸素投与,気管内洗浄が行われた。

どうもb病院では胎児仮死が疑われた(週数とか体重も関係あるかもしれません)ためにc病院に転院し、c病院でも猶予はならないとして緊急帝王切開になったと考えられます。関西医大への母体搬送の選択は為されていなかった様で、

なお,上記出産には,被告病院のB医師(以下「B医師」という。)が立ち会い,蘇生術を実施している。

新生児科医師が出張して分娩に立ち会ったようです。16:52に出産後、関西医大に着いたのが18:10となっています。


データと経過

ここから問題のビリルビンが出てくるのですが、判決文にあるデータと経過を時系列で整理してみます。

Date Time T.bil D.bil I.bil pH pCO2 pO2 other
8/13 18:22 * * * 7.247 67.4 112.9 BS 39
18:58 2.9 0.2 2.7 * * * TP 2.3、Alb 0.8、Plt 2.8
20:19 * * * 7.256 65.8 95.9 BS 70
8/14 0:00 皮膚に黄色が認められた
7:28 9.4 * * 7.446 35.7 66.8 BS 61
8:51 9.2 0.8 8.4 * * * TP 2.4、Alb 0.7、Plt 6.1
8/15 2:15 痙攣、眼球が一点を凝視、息こらえ、両側上肢が強直性、顔面怒責、痙攣は1〜数分間に1回、1〜2秒間持続。無呼吸なし、対光反射鈍、大泉門平坦
2:36 12.0 * * * * * *
3:00 光線療法開始
6:14 11.4 2.5 8.9 * * * *
9:22 12.0 * * * * * *
8/16 9:15 11.5 * * * * * *
9:57 11.3 4.9 6.4 * * * *
8/17 7:57 10.0 * * * * * *
9:29 9.4 5.3 * * * * *
8/18 8:28 11.8 * * * * * *
9:03 11.5 8.1 3.4 * * * *


その後の症状・経過なんですが、

(8)  原告X1の8月19日以降,退院までにおける被告病院での診療経過等

  • ア 原告X1は,8月19日7時57分,総ビリルビン値が8.9であり,同日9時07分,総ビリルビン値が12.2,直接ビリルビン値が8.5(間接ビリルビン値3.7)であった(乙A1・82,2・143頁)。
  • イ 原告X1は,9月1日,オーバーラッピング手指が認められた(乙A1・135頁)。
  • ウ 原告X1は,9月2日,両上肢,手掌に緊張があり,掌握状態が持続していた。また,同日及び同月3日,左右ともモロー反射が認められた。(乙A1・137,139,141頁)。
  • エ 原告X1は,10月4日,落陽現象があり,モロー反射が出なかった(乙A1・174頁)。
  • オ 原告X1は,10月5日,ABRを受け,両側とも無反応であった(乙A1・177,298,299頁)。
  • カ 原告X1は,10月14日,先天異常の有無を調べる目的で,染色体検査(Gバンド検査)の検体採取を受けた。同月29日報告に係る結果は,異常なしであった。(乙A1・185,301〜303頁)
  • キ 原告X1は,10月25日,全身状態が良好で安定していたため,経過観察することとなって,被告病院を退院した(乙A1・193,203頁)。
(9)  原告X1のd病院及びe病院での診療経過等
  • ア 原告X1は,平成17年3月1日,被告病院でMRI検査を受けた(乙A4・28頁,7〜9)。
  • イ 原告X1は,平成17年3月8日,d病院へ紹介された(乙A4・30頁,甲A4・139,140頁)。
  • ウ 原告X1は,平成17年4月25日,d病院を受診した。
  • エ 原告X1は,以後も,d病院ないしe病院に通院し,平成18年4月5日,不随意運動のため,自力で寝返り,立位がとれないなどとして,体幹移動障害により身体障害1級に該当すると診断された(甲A1,3,4)。

MRIも含めた画像診断の結果ですが、

 診察に当たったF医師(以下「F医師」という。)は,持参の同年3月1日撮影に係るMRI(前記ア)において,両側淡蒼球全体がT2強調像で高信号を呈しており,典型的な核黄疸の像であることなどから,高度難聴を合併したアテトーゼ型の脳性麻痺であると判断した。なお,同MRIにおいて,その他には,重度の脳性麻痺や言語発達の遅滞の原因となり得る所見は認められない。また,原告X1は,いまだ頸定がなかった。

核黄疸の診断が下されております。


訴訟の焦点

構図的にはわりと単純で、

  1. 結果として核黄疸になっている
  2. 核黄疸が発症する前に光線療法を行なう機会があった
  3. 光線療法を行っていれば核黄疸は回避できたか(確率は高度の蓋然性)
結果は裁判所として事実認定されています。残念ながら核黄疸になった患者を担当した経験がありませんし、d病院の画像診断の妥当性も現物のMRIもないので、今日は裁判所の事実認定を医学的にも認める前提として話を進めます。ここについての医学的議論は自由ですが、ここで引っかかると話が進み難いのでそうさせて頂きます。

もう一つ、回避の可能性、訴訟用語で言う因果関係ですが、これも議論のあるところかもしれませんが、後述しますが私はアリと判断します。ただし、私も新生児の最前線治療の経験は大昔レベルですから、最近の知見についての情報があれば大いに歓迎します。そいでもって、この後は光線療法を行うべきであったか否かに話を絞ります。ここについても、私の古い古い経験が元なので、新しい情報が出ていれば是非提供お願いします。


光線療法の適用

光線療法を行なう機会も一点に絞られます。8/14の7:28及び8:51のビリルビン値が出た時点の担当医の判断です。ここも当時の関西医大NICUの慣行なのか、検査は2回がセットになっているようです。最初は速報をNICUに備え付けの検査でT.bilのみ行い、同時に検査室でD.bilなどを行っていると見ましたが、どうやらそうでないようです。と言うのも問題の/14の7:28及び8:51の担当医の判断にこうあります。

 B医師は,総ビリルビン値が村田の基準を満たしていない,数値の低下が見られるなどと考え,光線療法の絶対的適応はないが,今後の経過で必要となり得ると判断し,C医師(以下「C医師」という。)に引き継いだ(ただし,B医師は,その後もしばらく診療を行っている。)。

エ C医師は,8月14日11時頃,原告X1を診察した。C医師は,原告X1の総ビリルビン値が,同日7時28分に9.4,同日8時51分に9.2と低下していること,可視黄疸がなかったことなどから,光線療法の適応はないと判断した。(乙A1・46頁)

読めばわかるように

    ビリルビン値が,同日7時28分に9.4,同日8時51分に9.2と低下していること
同じ検体であればNICUの測定機と、検査室の測定器の誤差と見るはずです。そうでなく1時間半程度の検査値の変動と担当医は見ており、そうなれば別の検体による検査結果と受け取るのが妥当かと考えられます。でもって、この2つの採血は7:28のものが生後約14.5時間、8:51のものが約16時間、つまりは生後24時間以内のデータになります。


当時の関西医大の光線療法の適否は村田の基準となっています。有り難いことに、判決文に関西医大が当時(2004年)採用していた村田の基準がキッチリ書いてありましたので引用します。

こういう表が基本にあった上でさらに判断基準の条件が加わります。

(注1)日齢、出生体重から基準線を超えたときに光線療法を開始する。
(注2)下記の核黄疸発症の危険因子がある場合には1段低い基準線を超えたときに光線療法を考慮する。

  1. 周産期仮死(5分後アプガースコア<3)
  2. 呼吸窮迫(PaO2≦40mmHgが2時間以上持続)
  3. アシドーシス(pH≦7.15)
  4. 低体温(直腸温<35℃が1時間以上持続)
  5. 低蛋白血症(血清蛋白≦4.0g/dlまたは血清アルブミン≦2.5g/dl)
  6. 低血糖
  7. 溶血
  8. 敗血症を含む中枢神経系の異常徴候

さてですが7:28はT.bil 9.4であり、8:51はT.bil 9.2です。村田の基準はグラフから読み取るようですが、日齢1の時点で出生時体重1824gでT.bil 8.0が光線療法の開始基準になります。7:28も8:51もまだ日齢0であり、グラフを見ればお判りのように、破線にはなっていますが光線療法開始基準はT.bil 8.0よりさらに低いと考えるのが常識です。

さらに呼吸窮迫は、出生時から2時間以上は確実に続いています。この呼吸窮迫状態がいつ改善したかは不明ですが、8/13 20:19までは確実に続いているです。8/14 8:51の時点では改善が確認されていますが、考え方として新生児黄疸を増悪させていたと取りたいところです。もう一つ、低蛋白血症は8/14 8:51の時点で確実に存在します。そうなると村田の基準では「1段低い基準線を超えたとき」に該当する状態とするのが妥当です。

であるならば、日齢1の光線療法適用基準はT.bil 5.0になります。ここで前回も触れましたが、光線療法の適用は積極的に行うのが原則です。適用基準以下でも基準に近ければ施行するのは現場的には珍しくも、なんとも無い話です。これは光線療法の害が非常に少ないのに較べて、核黄疸まではともかく交換輸血の適用基準に達するのを少しでも防ぎたいです。手間とリスクが桁違いだからです。あえて事実をまとめると、

  1. 生後14.5時間でT.bil 9.4、16時間で9.2である。
  2. 当時の村田の基準の日齢1日(生後24時間)の光線療法適用基準はT.bil 8.0である。
  3. 当時の村田の基準の「1段低い基準線」の適用条件のうち低蛋白血症は確実に満たしている。
  4. 当時の村田の基準の「1段低い基準線」の日齢1日の光線療法適用基準はT.bil 5.0である。
正直なところ光線療法の開始をあえて躊躇う理由がどうしても思いつきません。出生時体重1824gで考えても適用ラインは超えていると見るべきでしょうし、「1段低い基準線」と考えれば大至急レベルどころか、交換輸血を心配しても良さそうなレベルにも見えます。2004年時点の村田の基準での交換輸血がどのレベルであったのかの情報が確認できなかったのですが、村田の基準は2006年に一部改変されています。48時間以内のところだけ引用しておけば、


出生体重 <24時間 <48時間
光線/交輸 光線/交輸
<1000g 4/8 5/10
1000-1249g 5/10 6/12
1250-1499g 6/10 7/12
1500-1999g 7/12 8/15
2000-2299g 8/12 10/18
2300-2499g 9/12 12/18
>2500g 10/12 14/18
これは事件後の村田の2006年基準ですからあくまでも参考ですが、改訂前もある程度近い基準で交換輸血の適用があったとすれば、光線療法を行わない理由を考える方がむしろ大変かと思います。なぜに当時の担当医が1人だけではなく2人も関与しながら光線療法を行わなかったかの理由ですが、

原告らは,村田の基準においては,出生当日である8月13日が日齢0日,その翌日である同月14日が日齢1日であると主張する。

これは強弁と言うより詭弁に聞こえます。新生児治療に従事する医師が主張するようなものとは思いにくいです(もっとも主張したのは医師ではなく代理人かもしれませんが・・・)。実はこの主張であっても実は厳しくて、日齢1日であっても出生児体重1824gの1日目時点のT.bilは8.0、2日目時点で10.0です。これに2004年当時の「1段低い基準線」が加われば、T.bli 7.0です。

わからんなぁ。当時の新生児医療とか、関西医大の新生児科内の見解とか治療方針で「可能な限り光線療法は回避する」でもあったんでしょうか。そうでも考えないと行わなかった理由が思いつかないと言うところです。まあ、日齢での適用は当時の関西医大NICUの慣行であったのかもしれません。


それでも不運

不運とは一番に核黄疸になられた患児であり、ついでに担当医です。と言うのは、それでもT.bilは9.4ないし9.2です。痙攣症状出現後の生後33.5時間後のT.bilでも12.0です。この時点であっても数値上は光線療法適用基準は満たしていても、交換輸血適用ラインに達するか達しないか程度です。こういう低濃度での核黄疸発症は非常に少ないからです。

私が従事したNICUでは村田の基準は使われていませんでした。当時の基準は手許から失われてしまったので、1991年に改訂されたものを参考までに示します。

出生体重 <24時間 <48時間 <72時間 <96時間 <120時間 >5日
P/ET P/ET P/ET P/ET P/ET P/ET
<1000g 5/8 6/10 6/12 8/12 8/15 10/15
<1500g 6/10 8/12 8/15 10/15 10/18 12/18
<2500g 8/10 10/15 12/18 15/20 15/20 15/20
≧2500g 10/12 12/18 15/20 18/22 18/25 18/25


これに加えてアンバウンド・ビリルビン(UB)の基準も併用され、

出生体重 光線療法 交換輸血
<1500g 0.3 0.8
≧1500g 0.6 1.0


それほど大幅に変更されていなかったはずなのですが、もし私が担当であれば機械的に光線療法を行っているのは間違いありません。上述した通り、光線療法の適用は基準を超えれば無条件だからです。そいでもって核黄疸症状が出現したのは生後33.5時間ぐらいです。この表の基準であれば、生後24時間でも、48時間でも交換輸血のラインにさえ達していない事になるからです。

ただ判決文にもあったのですが、低濃度で新生児黄疸であっても核黄疸の発症の可能性は少ないですがありえます。そのため当時の村田の基準でも「1段低い基準線」の条件を設けていたと考えます。この低濃度の核黄疸発症因子として注目されたのがアンバウンド・ビリルビン(UB)だと当時教えられました。

研修のローテ程度の経験で半年しか従事していないので、エラそうな事が言える知識も経験もありませんが、私の覚えている限り、UBだけで光線療法にしろ、交換輸血に至った症例があった記憶がありません。確率としてはそれぐらい低いと思っています。今回はタマタマそういう状態だったと推測するぐらいしか、他に説明が思いつきません。


判決は妥当と考えます

必要な部分を表にしておきます。

Date Time T.bil 時齢
8/13 16:52 出生 0:00
18:58 2.9 2:06
8/14 7:28 9.4 14:36
8:51 9.2 15:59
8/15 2:15 痙攣 33:23
2:36 12.0 33:34


今回の核黄疸は低濃度で発症しています。低濃度で発症する原因として、UB高値説を上げました。8/13に出生した児のT.bilチェックを翌朝に行ったのはまず妥当です。この時点までは高度の黄疸症状はなかったのは事実として良いかと思います。また合わせて他の中枢神経系の症状(核黄疸を疑わせる症状)もなかったとしても良いかと判断します。

8/14の時点のT.bilは、関西医大が当時用いていた村田の基準でも光線療法の適用を満たすのは上述した通りです。8/14の7:28の時点から光線療法を行っていれば18時間53分、8:51の時点なら17時間24分の光線療法を患児の痙攣発症までに行えた事になります。それだけの時間の光線療法を行っていれば、核黄疸発症を防げた可能性があるかと言われれば、あってもおかしくないと考えます。

もし判決が8/14の朝の時点で光線療法を行い、それでも核黄疸が発症したので交換輸血の必要を求めたり、8/14の朝の時点で交換輸血を求めたのであれば立派なJBMなります。しかし判決が求めたのは光線療法だけであり、判決通り光線療法を行っておれば核黄疸の発症を防げた可能性が高いも、「それは言い過ぎ」とも思いにくいところがあります。


蛇足の感想

どうしても担当医の判断が不可思議なんですが、なんとなく他の重症患者の処置に追いまくられて、この患児への対応が疎かになったぐらいは考えられます。患児は8/14朝の時点で、もっとも懸念された呼吸状態が改善しています。担当医の心理として、「とりあえずヤマは越えた」です。そこにもっと切羽詰った患者がいる、ないし運び込まれてくれば関心の順位が嫌でも低下するです。

あれって不思議なもので、潮の満ち退きののように、重症患者が来る時はなぜか殺到します。ちょうどそんな時期にあたり、T.bil値を軽視ないし失念してしまったです。だからと言って許されるものではありません。ただ潮が満ちる状態、つまり次から次に「これでもか」の手強い患者が運び込まれ、治療している方が死にそうになった記憶がふと甦ったので蛇足の感想として付け加えておきます。

この感想は判決とはまったく別次元の労働問題ですから、担当医を擁護するものとは無関係と御了解下さい。