尊厳死法案とインフォームド・コンセント

かなり以前から議論のあった尊厳死についての法案の原案が作られたそうで、さっそくと言うか予想通り賛否両論が出ています。言うまでもないですが賛成は尊厳死及び法制化を推進してきたグループで、反対は尊厳死自体に反対、もしくは法制化に反対してきたグループみたいです。賛否を考える前に出てきた法案がどんなものかを読まないと話が進まないのですが、どうやら、

これらしいようです。実は確証がないのですが、賛否双方の意見の断片に書かれている法案内容と照らし合わせても矛盾はなさそうなので、今日はこれが法案と見なして考えてみます。とりあえず文字として起します。

終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)

(趣旨)
第一条 この法律は、終末期に係る判定、患者の意思に基づく延命措置の不開始及びこれに係る免責等に関し必要な事項を定めるものとする。

(基本的理念)
第二条 終末期の医療は、延命措置を行うか否かに関する患者の意思を十分に尊重し、医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と患者及びその家族との信頼関係に基づいて行われなければならない。

(国及び地方公共団体の責務)
第三条 国及び地方公共団体は、終末期の医療について国民の理解を深めるために必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

(医師の責務)
第四条 医師は、延命措置の不開始をするに当たっては、診療上必要な注意を払うとともに、終末期にある患者又はその家族に対し、当該延命措置の不開始により生ずる事態等について必要な説明を行い、その理解を得るよう努めなければならない。

(定義)

第五条 この法律において「終末期」とは、患者が、傷病について行い得る全ての適切な治療を受けた場合であっても回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間をいう。

  1. この法律において「延命措置」とは、終末期にある患者の傷病の治癒又は疼痛等の緩和ではなく、単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置(栄養又は水分の補給のための措置を含む。)をいう。
  2. この法律において「延命措置の不開始」とは、終末期にある患者が現に行われている延命措置以外の新たな延命措置を要する状態にある場合において、当該患者の診療を担当する医師が、当該新たな延命措置を開始しないことをいう。
(終末期に係る判定)
第六条 前条第一項の判定(以下「終末期に係る判定」という。)は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う判断の一致によって、行われるものとする。

(延命措置の不開始)
第七条 医師は、患者が延命措置の不開始を希望する旨の意思を書面その他の厚生労働省令で定める方法により表示している場合(当該表示が満十五歳に達した日後にされた場合に限る。)であり、かつ、当該患者が終末期に係る判定を受けた場合には、厚生労働省令で定めるところにより、延命措置の不開始をすることができる。

(免責)
第八条 前条の規定による延命措置の不開始については、民事上、刑事上及び行政上の責任(過料に係るものを含む。)を問われないものとする。

(生命保険契約等における延命措置の不開始に伴い死亡した者の取扱い)
第九条 保険業法(平成七年法律第百五号)第二条第三項に規定する生命保険会社又は同条第八項に規定する外国生命保険会社等を相手方とする生命保険の契約その他これに類するものとして政令で定める契約における第七条の規定による延命措置の不開始に伴い死亡した者の取扱いについては、その者を自殺者と解してはならない。ただし、当該者の傷病が自殺を図ったことによるものである場合には、この限りでない。

(終末期の医療に関する啓発等)
第十条 国及び地方公共団体は、国民があらゆる機会を通じて終末期の医療に対する理解を深めることができるよう、延命措置の不開始を希望する旨の意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとする等、終末期の医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。

厚生労働省令への委任)
第十一条 この法律に定めるもののほか、この法律の実施のための手続その他この法律の施行に関し必要な事項は、厚生労働省令で定める。

附則:略

微妙な問題なので先にお断りしておきますが、いわゆるターミナル患者の診療は10年以上タッチしていません。そのため現在の医療現場でどうなっているかについての実戦的感覚は少々ずれている可能性があります。それを十分にお含み頂いた上での感想とさせて頂きます。

受け持ち患者に対して全力を尽くした後に、もうどうしようもない状態がいわゆるターミナル患者です。そういう状態になった時に医療者が考えるのは死へのランディングをどうするかです。医療現場は死に向かう患者を食い止める作業が行われますが、食い止められない患者も日常的におられるからです。

ドライ過ぎて味も素っ気もありませんが、救命出来ないの判断が出れば思考はどういう死にするかを考えるです。医療者にだって悲嘆感情はありますが、医療者が悲嘆感情に浸りきって動かないのは好ましいとは言えないからです。誰かがドライに次の段階を考えなければなりませんし、その役割は嫌でも医師を含む医療者になります。

医師だって患者の死、いやもっとシンプルに人の死を見るのは嬉しくありません。逃げて良いならいつでも逃げさせて頂きますが、そんな事を考える医療者は殆んどいないと思っています。


ターミナル前(救命期)とターミナル段階(終末期)の治療の差は、患者の状況にもよりますが、

    救命期:患者のQOLを犠牲にしても救命を目指す
    終末期:治療効果より患者のQOLを優先する
大雑把にはこういう方針転換が行われます。さて常に問題になるのは患者のQOLにはどの範囲まで含まれるかです。もちろん衰弱による合併感染等の治療は行われますし、法案にもあるような疼痛緩和処置等も積極的に行います。そういうものは患者のQOLに直結すると考えるからです。

私が勤務医時代に経験したレベルで問題になったのは、本当に死が近づいた時の蘇生処置、もっと具体的には心マッサージと挿管処置です。つまり呼吸や心拍まで落ちてきた患者に対し、心マッサージ(もちろんその後の昇圧剤等の一連の処置を含む)で叩き起こし、呼吸に関してはレスピレーターまで動員して延命処置を図るかです。

私は小児科医ですから対象は子供が多かったのですが、徹底したそれこそ1分1秒でもを望まれた親もおられましたし、逆に最後は安らかに何もしない選択を望まれた方もおられました。


さて法案を読むとQOLとしての延命処置はもう少し広い範囲を想定しているようです。

    この法律において「延命措置」とは、終末期にある患者の傷病の治癒又は疼痛等の緩和ではなく、単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置(栄養又は水分の補給のための措置を含む。)をいう。
「栄養又は水分の補給のための措置を含む」とは自分で食事を取れなくなった患者へのIVHとか点滴の中止も含むようです。私はそこまでの延命処置の制限を経験した事がないのですが、成人領域ではしばしば問題となるとされます。私は栄養や水分の補給をIVHや点滴と狭く捉えましたが、いわゆる胃瘻への移行問題も含んでいると考えた方が良いのかもしれません。

この辺が私の経験不足なんですが、心持ち近い経験として高カロリー輸液をやめて電解質輸液に切り替えるぐらいなら見た事があります。上司の受け持ち患者でしたが、水分も絞ってのターミナル管理です。私はヘタレですから、そこまで踏み込んだ事はありませんが、現場、とくに成人の高齢者医療の現場では日常的だと聞いた事もあります。

そういう現状を法律として追認する案ぐらいとまず私は感じました。



さてさてなんですが、法案を読みながら素朴な疑問が出てきました。治療に関して医療者と患者が十分なインフォームド・コンセント(IC)を行なうのは常識です。これは救命期に対する治療でももちろんですが、ターミナル期の患者でも同様であるはずです。救命期の治療であってもICなしで医療者が独善的な治療が行なえる時代は終わったはずです。(本当の生死に関る救急の場合は除く)

救命期であっても医療者が提示する最善の治療を選択しない自由が患者にあります。極端な話、治療拒否を行う患者もおられるはずで、そこまでいかなくとも「あれはしたくない」と患者が明快に意志を示せば、医療者は基本的にその意志を尊重せざるを得なくなります。わかりやすい例なら、エホバ信者への輸血問題(今どうなってるのだろう?)があります。

それと同様にターミナル期であっても「これをしたくない」と患者が明快に意思表示を行なえば、やはり医療者はその意志を尊重と言うか、守るのが前提ではないでしょうか。法案に謳われている延命処置の中止ですが、

    終末期の医療は、延命措置を行うか否かに関する患者の意思を十分に尊重し、医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と患者及びその家族との信頼関係に基づいて行われなければならない。
ここはICと解釈しても差し支えないと考えますが、こういう法案が必要と言う事は、患者や家族が延命措置の拒否を明快に意思表示しても、これを無視して治療を行わなければならないと解釈すべきになります。なおかつ、そうしなければ刑事・民事の責任問題を医療者が問われると。


個人的にその辺のところの関係の整理がどうもつきにくいと感じています。やはり考え方として救命期と終末期ではICの位置付けが変わってくると考えるべきなのかもしれません。現実的には救命期には患者本人の意志がはっきりしていて、これを尊重すると見ます。一方で終末期になると、患者の意志よりも家族の意志が強くなるです。とくに死亡後になると患者本人は不在になりますから、遺族の意志だけとなりトラブルのタネになるです。

患者本人からすれば、終末期においては治療の選択枝について患者本人の意向の尊重が低下し、家族の意向が強く尊重されるです。これをあくまでも患者本人の意向を尊重される様に法律でサポートするです。だからわざわざ法律として成立させる必要があるぐらいの理解で宜しいのでしょうか。法案提出の理由と言うのも書かれていまして、

終末期の医療において患者の意思が尊重されるようにするため.終末期に係る判定、患者の意思に基づく延命措置の不開始及びこれに係る免責等に関し必要な事項を定める必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

ここに書いてある

    終末期の医療において患者の意思が尊重
患者の意志の尊重を阻むものが「誰」であるかの解釈で法案の読み方が変わるのかも知れません。正直なところ、自分の解釈にはちょっと自信がありません。賛否も含めて色んな解釈(先々の事も含めて)があるようで、今日は法律原案だけで見ていますので御了解下さい。