尊厳死法案・現場からの論点整理

尊厳死法案とインフォームド・コンセントで行われた議論をまとめてみます。


設計理念

法案は終末期医療のあり方について決めようとしているのは間違いありません。そうするためには、終末期とはどんな状態であるかをシミュレーションする必要があります。ところがシミュレーションされた終末期はかなり限定された病態を指しています。適用されそうな病態としては比較的緩やかに病状が進行し、救命期の治療がある時点で明瞭に終了し、そこから終末期治療にステージが移るようなものです。

具体的には末期癌とかALSなら適用は可能だろうみたいな意見が出ています。ここについては尊厳死法案推進派内にも異論が多く、あえて狭い範囲の病態の終末期を想定したとの情報もあります。政治ですから様々な妥協の上の最大公約数を掬い上げたのは理解しないといけないかもしれません。

理解はするのですが、狭い範囲の終末期病態を想定しているにも関らず、法案の適用範囲は網羅的であることです。どこにも適用範囲が書かれていないので、すべての終末期に適用されてしまう点です。ここは大きな欠点であるの指摘が多く出ています。

終末期は病態によって多彩であり、それこそケース・バイ・ケースでの対応が求められます。狭い病態を想定しているが故に、それ以外の病態で適用すると現場的に様々な矛盾点が生じてしまう懸念が大であると言う事です。網羅的に終末期治療に被さる性質があるにも関らず、汎用性が非常に乏しい点が問題であるの意見が大勢を占めています。


延命治療の「不開始」

第5条3項に定義されている、

この法律において「延命措置の不開始」とは、終末期にある患者が現に行われている延命措置以外の新たな延命措置を要する状態にある場合において、当該患者の診療を担当する医師が、当該新たな延命措置を開始しないことをいう。

ここも仄聞するところによると、包括的な「延命医療の中止」についての合意が難航し、範囲を狭めて「延命措置の不開始」と限定した経緯があるとされます。法案をよく読む必要があるのですが、

    終末期にある患者が現に行われている延命措置以外の新たな延命措置
これについてのみの「不開始」の規定です。つまり延命医療の「不開始」について法案に基づく手続きを終える前に行なわれている延命医療については、これを継続するです。この手続き前の延命措置についての内容も曖昧模糊としていてるの指摘も多々あります。救命期治療から終末期治療への移行については、クリアカットに変わるものばかりではなく、むしろシームレスに継続されるものが実際には多々あるです。

点滴やIVHの内容についてもそうで、終末期医療であっても病状の変化に応じて内容は変わります。内容が変わる事により延命措置に結びついているのか、終末期医療の範疇なのかの境界も常に曖昧模糊としたものがテンコモリあると言う事です。


延命、天寿、縮命

第5条2項なんですが、

この法律において「延命措置」とは、終末期にある患者の傷病の治癒又は疼痛等の緩和ではなく、単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置(栄養又は水分の補給のための措置を含む。)をいう。

ここも考えようによっては非常に難しいものを要求している面があって、延命措置を「不開始」にするとはしていますが、縮命は宜しくないです。もちろん故意による縮命は殺人になるのですが、天寿を単に延ばすような措置は「不開始」にするも現場的には複雑です。そう分類できるものもあれば、終末期医療と渾然一体となっているものも多数あります。

純粋に天寿だけと言うのなら、それこそ何もしないになります。医療はたとえ終末期であっても延命する部分は多分に含まれています。終末期医療の主眼は患者のQOLの維持であると言っても、判断は病状により様々だと言う事です。法案に具体的に書かれている、

    栄養又は水分の補給のための措置を含む
終末期医療に移行したとしても、ある時点では栄養補給がQOLのためにあった方が良い時もあります。ではこれがいつから不要になるかなんてものは神のみぞ知るです。法に規定すると言うのはある面で杓子定規にもなり、かえって現場を制約してしまうです。医師如きに人の天寿など図りようがありません。また医療とは自然の摂理による天寿を不自然に操作しているものでもあるからです。

元から不自然に延ばしているものを「不開始」にしたらどこからが「縮命」になるのか、また「延命」になるのかまで医師は判りようがないと言う事です。医師は日々の診療の中で経験を積み重ねて自らの境界線を持ってはいますが、境界線は一律に誰でもわかるようなものには出来ず、また終末期患者によっても千変万化するのは当たり前の事です。

現在は臨機応変で対応していますが、法律の縛りと言うのは臨機応変の融通性を縛り上げる側面が濃厚にあり、現在の法案ではかえって現場を苦しめるだけの懸念の声は単なる危惧とは言えないと思います。もっと現実的には法案に謳う「単なる延命措置」と「必要な終末期医療」の判断を誤れば、容易に訴訟沙汰になるのも嫌なところです。

もっとも法律がなくともトラブルは今でも起こっています。しかし法律が出来てもトラブルがどれほど抑制できるかは・・・わかりません。


第七条問題

条文は、

医師は、患者が延命措置の不開始を希望する旨の意思を書面その他の厚生労働省令で定める方法により表示している場合(当該表示が満十五歳に達した日後にされた場合に限る。)であり、かつ、当該患者が終末期に係る判定を受けた場合には、厚生労働省令で定めるところにより、延命措置の不開始をすることができる。

延命措置の不開始は正式の手続きを経たもののみに求めるとしているものです。法としては当然そうなるのですが、そういう風に投網を被せると、今度は尊厳死法の適用を受けなかった患者には常にフルマックスの治療が必要になるとの解釈につながっていきます。法案は民事・刑事の免責まで触れていますが、免責対象になるのは正しい手続きを踏み、正しく法の趣旨に従って終末期医療を行なった時のみです。

それ以外についてはどうなるかの懸念です。尊厳死法の手続きを経ていないのに治療がフルマックスでなければ、これを違法とするの解釈が出てきてもおかしくありません。終末期と言っても病状は様々で、上記したように救命期との境目はシームレスである事も多々あります。また時間経過も短い事も多々あります。さらにはとくに非癌疾患であれば、それまでの経緯の積み重ねにより判断は様々に分かれます。

厚労省の大方針により、とくに高齢者医療は在宅に強力にシフトしていますが、在宅の看取りについても尊厳死法の網が被さってきます。つまりは常にフルマックスでないと尊厳死法違反で罪に問われる可能性が出てくるです。


練り直しに一票

尊厳死法反対グループは、この法案により必要な医療が制約されることを懸念する意見が見られます。一方で現場医師の実感としては、必要な医療よりも終末期医療に対する柔軟性や裁量部分が制約されることを懸念する声が出ています。最大の欠点はやはり限定された病態を念頭に置いた法案にも関らず、これを幅広く投網的に適用してしまう点であると感じます。たとえば尊厳死法の手続きが行なわれていない患者にはどうなるかが不明な点です。

この法案で適用できない、適用し難い終末期患者は現場的は多々あります。法案を素直に読むと適用外はフルマックスです。適用外はフルマックスしか法の運用を考えていないとすれば、成立後に及ぼす影響は小さくないと懸念されます。適用する疾患・病態の幅を狭くするか、汎用性を考えたものにするかの練り直しは必要そうに感じます。