ドクター・キリコへの需要

別紙1−1(医科診療報酬点数表)(PDF:1879KB) をさすがに気になって読んでいたのですが、正直なところ長すぎて読みきれません。毎度の事ながら注につぐ注で反吐が出そうな感じです。それでもパラパラと読んでいると面白そうなところが「たまたま」目に付きました。

A108 有床診療所入院基本料(1日につき)と言う項目です。とりあえず入院基本料は日数とか病床区分によりいろいろあるのですが、一律で11点上っています。何故に一律なのか、なぜに11点なのかよく判りませんが、下がっているより上っている方が宜しいかと思います。そこはともかく、注の追加があります。

注2

当該患者が他の保険医療機関から転院してきた者であって、当該他の保険医療機関において区分番号A238−3に掲げる新生児特定集中治療室退院調整加算を算定したものである場合には、重症児(者)受入連携加算として、入院初日に限り2,000点を所定点数に加算する。

有床診療所がNICUあがりの重症児を入院させたら入院日に2000点加算だそうです。重症児と言っても状態はさまざまでしょうが、NICU上がりの重症児を受け入れられるような有床診療所が日本に何ヶ所あるか「ふと」考えた次第です。個人的には見たことも聞いた事もありません。少ないでしょうが、きっとどこかにあるんでしょうねぇ。


NICUあがりの重症児受け入れは、それでもこれまで努力していた所へのものとまだ理解しますが、次の注の追加はちょっと注目です。

注7

別に厚生労働大臣が定める施設基準に適合しているものとして地方厚生局長等に届け出た診療所である保険医療機関において、入院している患者を、当該入院の日から30日以内に看取った場合には、看取り加算として、1,000点(在宅療養支援診療所の場合には2,000点)を所定点数に加算する。

いわゆる看取り加算で良いと思うのですが、なんとなく引っかかります。

    当該入院の日から30日以内に看取った場合
注釈するまでもないですが「看取り = 患者死亡」です。実は同じ加算(重症児入院も)がA109 有床診療所療養病床入院基本料(1日につき)にもあります。在宅医療でも類似の看取り加算がありましたが、少し趣きが違う様に感じます。在宅看取りの場合は、在宅で治療を行った上で病院や施設で死亡にならず、家で死亡を迎えさせた事に対する報酬です。

在宅看取りでは、そこに政策誘導を行うことにより施設負担の軽減及び医療費背削減を狙うと同時に「自宅で最後を迎える事が国民は望んでいる」の大義があります。それとここは重要ですが、在宅医療に当たる医師も基本姿勢として患者の状態を少しでも良いものにしようです。結果としての在宅医療日数の長期化が様々な意味で好ましいかどうかの問題はさておくとしても、様々手を尽くした後に訪れる結果が在宅見取りです。


これまでも様々な不自然な政策誘導が医療では平気で行なわれてきています。それでも建前であっても大義は「患者は良くする」ものです。理屈不要、問答無用の各種の日数制限も建前上の大義は「その日数で良くなる」であったと解釈しています。これに対し有床診療所での看取り加算の定義は違和感がどうしても残ります。

これも建前論的な意見にはなりますが、入院は治療に必要な日数が行なわれます。入院での医師の及び医療機関の基本姿勢はやはり「良くしよう」です。言うまでもなく治療の甲斐なく病院で死亡に至る患者はたくさんいますが、入院して治療に当たる時には「なんとか良くしよう」が暗黙の前提と私は考えています。

どうにもこの有床診療所の看取り加算は、そういう暗黙の前提と大きく乖離しているような気がしてなりません。言ったら悪いですが、入院後に治療に努力して長く生き過ぎるのは好ましくないの政策誘導に感じてしまうのです。

入院する患者と言っても正直様々で、これは治せる患者、これはこのまま看取りになるぐらいは医師ならわかります。もちろんグレーゾーンがあったり、見込み違いが良い意味でも、悪い意味でもあるのが医療です。だからこそ基本姿勢は「良くする」です。「良くする」にもまた様々な意味があって、治癒させて退院させるもありますが、看取り方向に傾いてもせめて1日でも長くもあります。

1日でも長くもまた煩雑な話が様々にありますが、少なくとも勝手に見切って手を抜くは医師の倫理に基本的に反します。ましてや加算目当てに手心を加えていくなんて事は許されざる事になります。


もちろん今度の有床診療所看取り加算も建前上は、たまたま入院から30日以内に患者が死亡したら加算を付けると言うだけで、どこにも「入院させたからには30日以内に看取らないといけない」にはなっていません。だから倫理上は何の問題もないとされれば、それまでの話です。それでも入院患者の早期死亡に報償を付けると言うのは人の心を歪ませるような気がしてなりません。

とは言うものの、今回の政策誘導が直ちにキリコ的な世界に人を誘うかと言えば、その可能性は乏しいとは思います。この「注7」ですが、これだけを読む限りとくに年齢制限や疾患による制限もありませんから、いかなる入院患者でも入院日から30日以内に看取ったら1000点の加算が付く事になります。つう事はNICUあがりの重症児であっても同様です。それでも在宅支援診療所をかねていて、さらにNICUあがりの重症児を入院させて条件を満たしたとしても、

  1. 入院日に2000点
  2. 退院日に2000点
合計4000点に過ぎません。NICU上がりの重症児でなければ、2000点ですし、在宅支援診療所でなければ1000点です。この程度でキリコをやろうとは普通は思わないとは考えます。

仮定として今回の政策誘導によりキリコを積極的に志したの試算を考えても無理があります。入院日数を3日とし、すべて4000点が19床でならどうなるかです。かなり非現実的な設定ですが、目一杯フル回転すれば190人が可能にはなります。そこまでは非現実的であっても難しいとして150人と考えると

  1. 4000点なら600万円
  2. 3000点なら450万円
  3. 1000点なら150万円
毎月毎月、150人のNICU上がりの重症児を集めてキリコ処理しても600万円です。現実的にはどんなに頑張っても100万円まで届かせるのは難しいです。さらにキリコ行為は発覚すれば身の破滅になります。キリコ行為は数を重ねるほど発覚の危険が高まり、保険診療と言う足を残す手法では、リスクの高さに較べてリターンが乏しすぎてごく一部のスイーツな認識な医師以外はアホらしくて手も出さないです。



ちょっと見方を変えてみます。この看取り料がたとえ10000点になっても、キリコ行為に手を出すのはスイーツな認識の医師だけで、若干増える程度のものと思います。せいぜい入院をギリギリまで遅らせて、早期看取りの報償を効率よく集めようぐらいが関の山です。その程度の意図的な操作なら問題は生じません。

真のドクター・キリコならそもそも保険診療の枠内で活動しないと言う事です。真のドクター・キリコが自由診療に徹するのは、報酬の大きさもありますが、依頼者を共犯関係にする事による口封じの意味もあります。自由診療であれば依頼者を自由に選べますから、裏切りそうな依頼者なら契約を結ぶ必要はなく、むしろそれを見抜く眼力が仕事のポイントになります。

ここで問題は現在の医療政策はドクターキリコの温床を育んでいます。潜在需要あるところに新たな供給が生まれるのが経済原則です。今回の政策誘導が保険診療でのキリコを生み出す可能性は低いですが、自由診療の真のドクター・キリコに導く呼び水になる可能性は・・・やはり乏しいですね。


ドクター・キリコの発生や存在は医療界のタブーです。BJや赤ひげはまだ認めてもキリコはタブーなのは医師としての倫理です。タブーであるが故にその存在は地下に潜ります。もしキリコを発生させたり存在させたくないのなら、キリコを取り締まるのではなく、キリコへの潜在需要を発生させないことです。

2月9日はドクター・キリコの生みの親である手塚治虫の命日でした。手塚が健在ならキリコにどんな活躍の場を与えたのだろうと思っています。