医療崩壊史の情報募集

思いつきなんですが、医療崩壊史の年表を作ろうと考えています。記録にしてまとめておくのは大事ですからね。ボチボチ叩き台の作成にかかっているのですが、枝葉末節を含めると膨大な情報量ですし、そもそも起源をどこから始めるのかの問題もあります。私もそれなりのウォッチャーのつもりですが、すべての情報に精通している訳ではありませんし、忘れた事も多々あります。

そこで賢明なるコメンテーターの皆様へのご協力をお願いする次第です。募集情報は、

  1. 起源をどこに置くか。
  2. 年表に記載しておく重要情報(年月日入り)
断片的でも構いませんから、お寄せ頂いたら嬉しく思います。起源については意見が割れる部分も多いとは思うのですが、ある年を元年として、それ以前を紀元前とするような構成を思い描いています。それだけに元年はそれなりに象徴的な事件をおけたら好都合と考えています。

それと前もってお断りしておきますが、暫定版レベルまで完成するかどうかは不明です。情報量が増えるほど製作に手間と時間がかかりますから、最終的に挫折する可能性も多々あります。それでも暫定版ぐらいまではなんとか漕ぎ着けたいとは念じています。


情報だけ募集して、何も考えないのは手抜きですから、紀元1年問題だけちょっと考察してみます。

医療崩壊の淵源は医師数抑制政策に求めるのが妥当と考えます。これはあくまでも淵源であって、当時はある程度必要な政策と受け取られていたと言うか、極論すれば医師もほとんど無関心であったとしても良いでしょう。当時喧伝されていたのは医師過剰時代の到来であり、これに対する政策としてむしろ必要な考え方であるも多かったと思います。

これが決定された淵源は調べられる範囲で言えば、平成17年5月24日付医学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議(第1回)「医学部入学定員削減に関する答申等について(抜粋)」にあります。

○ 昭和57年7月 臨時行政調査会「行政改革に関する第3次答申」

第2部  行政改革の基本的方策
 第1章  行政施策に関する改革方策
  2  社会保障
   (2)  医療費適正化と医療保険制度の合理化等
     ウ  医療供給の合理化
       (イ)  医療従事者について、将来の需給バランスを見通しつつ、適切な養成に努める。特に、医師については過剰を招かないよう合理的な医師養成計画を樹立する。

1982年7月の臨調答申が9月に閣議決定されます。もちろんそれ以前には吉村仁氏の活躍による下地がありましたが、以後はこの方針に従って医師は常に余るの需給計画が立てられ、延々と医師数抑制政策が継続される事になります。


医療崩壊の要因の淵源はもう一つあります。医療費抑制政策です。これがどこから始まったのかが難解なのですが、実感的に重かったのは2200億円削減を5年間続けるとした政策です。これに関連した法律は平成18年(2006年)6月14日に成立した、「健康保険法等の一部を改正する法律(平成18年6月21日法律第83号)」及び「良質な医療を提供する体制の確立を図るための医療法等の一部を改正する法律(平成18年6月21日法律第84号)」と考えられています。

俗に医療制度改革法案と言われていますが、医療制度改革関連法案の淵源は、平成18年度医療制度改革関連資料では、2003年3月28日の

「健康保険法等の一部を改正する法律附則第2条第2項の規定に基づく基本方針」(医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針について)が閣議決定され、新たな高齢者医療制度の創設及び保険者の再編・統合等、医療保険制度体系に関する改革については、平成20年度に向けて実現を目指すこととし、法律改正を伴わずに実施可能なものについては順次実施に移し、法律改正を伴うものについては概ね2年後を目途に順次制度改正に着手することとされた。

ここから始まったとされています。補足資料として、札医通信 495号 20.11.20に、

2001年、小泉政権が誕生し、聖域なき構造改革という名のもとに、平成14年(2002年)から医療制度改革法案、2006年からは医療費適正化計画のもと、医療費の自然増が削減されてきました。財務省厚労省の資料によると、平成14年は診療報酬のマイナス改定もあり3000億円の削減目標がたてられ、以後、平成20年まで2200億円の自然増抑制策がとられてきました。で、そのために改定された施策は変更されていません。

2006年以前にも医療費抑制政策はあったはずなんですが、決定的な影響を及ぼし、医療崩壊に確実につながったと言う意味では2006年の医療改革関連法案は大きかった様に思います。


もう一つの淵源は新研修医制度になります。これは医師数抑制政策の関連にはなりますが、これが2004年からになります。新研修医制度が医療崩壊の主要要因であるという説は今や否定的ですが、新研修医制度により目に見える医療崩壊が顕在化したと言う点は確かにあります。

ここは考え方ですが、医師数抑制政策は新研修医制度により、カバーしきれないほどの医師不足が起こるまで医療崩壊には影響していないと言う見方は出来ます。淵源であっても直接要因とは必ずしも言えない気がしています。極論すれば新研修医制度がなければ、今の医療崩壊は先延ばしと言うか、もっとユックリした現象であった可能性は高いと考えます。

医療費抑制政策も病院経営を悪化させましたが、働いている勤務医自体への影響が深刻だったかと言えば、必ずしもそうだと言いにくいところがあります。新研修医制度の影響は、単独での決定打ではなく、それまでの伏線に対する最後の藁、PONRに驀進させる引き金の位置付けです。ただ医療崩壊紀元1年と位置付けるなら時期としては無視できないところです。


簡単に整理しますが、医療崩壊紀元1年説の候補として、

    1982年説・・・医師数抑制政策が閣議決定された
    2006年説・・・医療改革関連法案が成立し、2200億円の機械的医療費抑制政策がスタートした
    2004年説・・・新研修医制度により現場の目に見える医師不足が顕在化した
個人的には2004年ないし2006年、とくに2006年説を取りたいと考えています。理由は・・・はっきり言えば情報収集の問題があります。時代を遡れば遡るほど情報収集が困難になります。個人でやるには2006年ぐらいが限界で、1982年なんて事にすれば、それだけで作成は困難と言うか不可能に近くなります。「お前のブログのカバー範囲だろ」と言われればそれまでですが、2006年には福島大野病院事件も起こっており、象徴的な年であるのも間違い無いからです。

2006年より前の時代も無視するわけではなく、構成として

医療崩壊前史のスタートとしてあえて挙げれば1982年みたいな構想です。それと注釈ですが、紀元0年は置きません。2006年説なら2006年が紀元1年であり、2005年は紀元前1年です。異論は当然あるでしょうが、私としては半分以上、いやほぼ決定に独断ですがしたいと考えています。

2006年説の補強としては、2004年の新研修医制度は後に大きな影響を残しましたが、当時の感覚として「2年遅れで医局に研修医は戻る」があったかと思います。そのため人手不足を耐えしのぎながら、ひたすら3年目に希望をつないでいたかと考えています。ところが現実は突然後期研修なるものが打ち出され、さらに医局への回帰現象は乏しく、このまま人手不足状態は固定化されると愕然としたのが2006年であったかと考えています。

医療訴訟も福島大野病院事件以前にも重要なものはありましたが、多くの臨床医が「明日は我が身」と震え上がり、震え上がっただけではなく積極的な行動に出始めたのが2006年であったとも考えています。それ以前は限定的な情報で「苦しい」はありましたが、苦しさを公言する事さえ憚られる空気がネットでさえあったと感じています。大きなターニングポイントとして紀元1年は2006年がもっとも相応しいと考えています。


もう一つ年表の構成です。製作上の問題と、見易さの問題から、基本的に三部構成にしようと考えています。三部は、

  1. 医療政策上の動き
  2. 医療事件の動き
  3. その他
とりあえず自分のブログをひっくり返して目ぼしい出来事を拾ってみました。




































































































































































































2006年(医療崩壊紀元6年)
医療政策 医療事件 その他
1月
  • 開業する医師への僻地経験義務が提案される
  • 救命病院の機能分化案が提案される
* *
2月
  • 知事が公立・公的病院に僻地医療の支援を命じる権限を付与の提案

  • 福島大野病院事件が報道される。片岡康夫次席検事の「経験もないのに、いちかばちかでやってもらっては困る」発言
*
3月
  • 予算員会で「(医師は)あくまで総数は足りていて、偏在の問題と認識している」


  • 産婦人科医志望研修医4割減のニュース
  • 日本外科学会で立ち去り型サポタージュの特別講演が行なわれる
4月
  • 第3者評価機関モデル事業1号報告される

*
5月
  • 三重で医学部5年次卒業の地域限定免許の特区の提案がなされる
*
6月
  • 日米投資イニシアティブ報告書(2006年版)
*
  • とりごろうblog炎上
7月
* *
8月
  • 医学部定員の地域枠の提案がなされる(新医師確保総合対策)
  • 医療事故調の設置の検討が正式に決まる

  • 堀病院事件(内診問題)が起こる

  • 尾鷲の浜口文夫市議による「3000万円出せば大学病院の助教授が飛んでくる」発言
9月
  • 無過失補償制度の設立を厚労省が検討開始


  • 日医が後期研修医の僻地義務化を提言
10月 *

  • 日刊スポーツ井上真記者の「恥を知れ」記事
  • おおたわ史絵の「おおたわけ」テレビ発言
11月 *
  • 奈良救急事件(五條病院)が話題になる
  • 桑名事件の報道
*
12月 *
  • 岡山IVH事件が話題になる
  • 千葉亀田事件が報道される
*
2007年(医療崩壊紀元7年)
1月 *

2月
  • ICUに専任医を置く提案
  • 無過失保証制度を医療機能評価機構が運営が判明

*
3月
  • 地域医療支援中央会議の設立決まる
  • 柳沢厚労相(当時)が不足でなく偏在と予算委員会で答弁
  • 安倍総理(当時)が医師確保対策に100億円を力説
  • 医師不足対策のための医療法の改正
  • 平成18年度地域医療対策委員会中間報告書で後期研修医の僻地義務化提唱される

  • 神奈川帝王切開賠償訴訟一審判決
  • 長崎除細動事件
  • 国立循環器病センターのICU医師一斉退職
*
4月


  • 医師等資格確認検索の鬼籍ぶりが話題に
5月
  • 47都道府県ごとに年5人程度、全国で約250人の僻地枠が決まる
  • メタボ検診導入
  • 緊急医師確保対策発表

  • m3事件が起こる
  • 和歌山呼吸器外し事件

  • 旧毎日の「もっと腕を磨き、もっと汗をかけ」社説
6月 *

  • 柏原の運動が成果を示す
7月
  • 日本脳炎「蚊に刺されるな」対策行なわれる

  • 八戸縫合糸訴訟
*
8月
  • 麻疹排除計画発表される
  • 交代勤務制に補助金(モデル事業)

  • 宮崎医大心臓病児採血死事件
  • 徳島乳房温存術訴訟が話題になる
  • 奈良死産救急事件

  • 産経の「痛みをこらえるこらえる患者をたらい回しにする行為は許されない」主張
9月

  • 奈良死産救急事件に対し奈良医大が当直日誌を公表
  • 千葉西総合病院の院長ブログが炎上(△先生)

  • 埼玉県知事、面積比では医師は足りていると主張
10月
*
  • 奈良の会議で厚労官僚が「奈良の産科医は足りている」と発言
11月
  • 診療報酬削減3.6%決定のニュース

  • 奈良救急不搬送事件
  • 混合診療解禁訴訟
  • 福島宣言(救急搬送「問答無用」システム)
  • 大阪患者公園置き去り事件
*
12月 *
  • 姫路宣言(救急問題)を巡るドタバタ
  • はしか感染死訴訟
  • この年もタミフルの異常問題で混乱
*
2008年(医療崩壊紀元8年)
1月
  • 地域医療計画で救急患者をすべて受け入れるが明記される

  • 名古屋宣言

  • 全医連決起集会
3月
  • 5分ルールが表面化する

  • 京都心タンポナーゼ訴訟
  • 学校検診側弯症訴訟

4月


5月
  • 事故調法案原案流出

  • 静岡胎盤早期剥離事件
  • 札幌産科救急紛争報道される
  • 福島VBAC訴訟判決文公開
  • 佐賀好生館時間外賃金不払い問題

  • 自殺報道問題
6月 * *
  • 厚労省と保団連の5分ルールバトル
7月
  • 増田総務大臣による消防法改正発言
  • 厚労省が7ヶ所の産科医緊急派遣に悪戦苦闘
* *
8月 *

9月 *
  • 銚子市立総合病院の閉院問題が始まる
*
10月 *

11月
  • 二階経済産業相(当時)の「忙しいだの、人が足りないのだと言うのは言い訳に過ぎない」発言
* *
12月 * *
2009年(医療崩壊紀元9年)
1月 *
  • 東大リンデロン事件判決
  • 尼崎医療生協病院事件
  • 町田市民病院騒動

  • CBニュース削除事件(勝村久司氏関連記事)
2月

  • 伊丹救急搬送事件
  • 鳥取事変(救急教授電撃辞任)
  • 宮崎県立延岡病院(宮崎大とのバトル)
  • 都立駒込病院当直偽装疑惑
  • 広島事変(小児科医大量辞職)
  • 横浜市救急医療センター (指定管理者を巡る騒動)
*
3月 *
  • ティアラ鎌倉院長電撃辞職
  • 札幌2歳児硬膜下血腫救急問題
  • 愛育・日赤事件
  • 東京女子医大事件二審勝訴
*
4月

  • 奈良産科医時間外訴訟一審判決

  • 奈良産科医時間外訴訟判決に対し被告の荒井奈良県知事は「条例で決められた事をいかんと司法が判断できるのか」発言
5月 * *
  • 新型インフルエンザ神戸で発見
  • インフルエンザ報道による被害続出
6月 *
*
7月

*
9月
  • 未収金対策モデル事業決定
* *
10月 * *
12月
* *
2010年(医療崩壊紀元10年)
1月
  • 地域医療再生計画に係る有識者会議
* *
2月

  • 鳴門病院循環器医大量辞職事件
*
3月
  • 診療所の24時間対応加算決定


4月
*
  • 日医会長が原中氏に交替
6月 *
  • 夕張問題
  • 国頭村立東部へき地診療所問題
*
7月

*
8月
  • 厚労省が地域医療支援センター構想を打ち出す

  • 奈良救急不搬送事件が和解

9月 *
*


とりあえず叩き台ぐらいは必要ですから、参考にしてください。しかしやってみると猛烈に面倒な作業で吐き気がしそうでした。見直してみてとりあえず気がついたのは、診療報酬改訂の事項が抜けてますね。あれはパーツで話題にしたので、全体はあんまり書いてなかったのかもしれません。抜けている事は幾つか目に付くのですが、叩き台ですからこんなものでよいでしょう。

それと構想通りに出来上がったら、ブログとは別にHPに仕立てて掲示しておくつもりです。つうかHPの下書きも出来上がっています。御協力宜しくお願いします。