医療のday after tomorrowは

昨日は医師不足を認める日が医療崩壊のターニングポイントになるというお話でしたが、今日はday after tomorrowをもう少し考えてみたいと思います。

その日以降と以前の違いは医師が足りないと言う大前提です。現在は足りているという大前提で政策運用が行なわれているので、足りないところは偏在として「どっか」から補充するプランを考えたり、足りているから24時間365日コンビニ病院の実現を目指すと言う計画が平然と行なわれますが、足りないとなると考え方はまったく変わります。

医師が足りない医療では「医療供給量<医療需要量」の関係になり、政策の主眼は医療需要をいかに押さえ込むかになります。誰でもまず考えつくのは予防による需要量の減少ですが、予防による需要減少効果は幾多の研究により非常に限定的とされます。それでも有効とされる物もありますが、減少効果は統計上の誤差範囲を越えるか越えないか程度以上のものは期待できないのが実情です。日本は戦乱に疲弊した国では無いと言う事です。

そうなれば人為的な受診制限が行われる事になります。医療が必要であってもそう簡単には受診できないシステムです。人為的で代表的なものは、

  • 負担費用の増大
  • 受診システムに関門を設ける
こんな事をすれば救える命も救えなくなると悲鳴をあげる方もおられるでしょうが、日本以外では常識の医療体制です。

負担費用の増大はアメリカが一つの典型です。この方式は経済諮問会議に参加している財界人が導入に血眼になっているものですが、医療保険の主体をまず民間保険に移行させる事が第一歩です。その上で公的保険でカバーする領域を極力狭くした上でそれを基本治療とし、それ以上の治療は自費負担すなわち民間保険で賄うのが狙いです。

民間保険さえ加入していれば負担は増えるが従来と同じ治療を受けられるかと言えばそうはいきません。民間保険は一種類ではなく、松竹梅ではありませんが、払う金額によって行なわれる治療が変わります。さらに主体が民間保険会社ですから、民間保険会社と契約した医療機関で無いと保険が使えません。

さらに医師が足りないが前提ですから、受診の優先度も民間保険契約によって変わります。松>竹>梅>>>公的保険の関係です。それでも医師が足りないのだからいくら松保険でも受診が簡単にはできないのは同じではないかの意見もあるでしょうが、松ともなれば公的保険治療分もカバーしてしまうものになります。どういう事かと言えば、松保険は民間保険のみによる自費治療で、松保険加入者しか受診できない事になるからです。

松保険契約医療機関では松保険加入者と自費で払える患者しか受診できないのです。そんな高額な保険料もしくは自費負担を払える人は当然のように少なく、そういう人たちはスムーズに医療を受ける事ができます。また自費診療は価格は自由設定ですから、医療機関も少人数で十分利潤が上げられる価格設定を行ないますから経営も安泰で、患者に存分の治療を行える事になり、優秀な医師もたくさん集まってきます。

後の竹、梅、公的と下るとどうなるかは想像がつくと思いますが、公的保険だけでは限定的な公的医療機関のみに受診は制限されるため、受診するだけで長時間の待ち時間が必要となります。長時間とは5時間とか6時間程度の短時間ではありません。少なくとも日数単位のお話になります。ここでも医師が足りないのが大前提ですから、1日の受診数は厳しく制限され、それを越えるものは容赦なく翌日回しにされます。

やっと受診にたどりついても治療には非常に厳しい制限がなされています。言っては悪いですが、ある程度以上の程度の病気には事実上何もできない事になります。軽症ならなおさらで、これだけ時間をかけても診察だけで終わりで、なにも治療されないなんて事が当たり前になります。またこんな治療制限の厳しいところでは医師は存分に腕を揮えないため、優秀な者は民間保険契約病院に流れて行きます。

これは別に作り話を書いているわけではなく、現在のアメリカ医療の光と影を簡単に書いているだけです。それでも命に関わる重症で治療が必要になればどうなるか。まず公的保険範囲であれば治療はしますが、それで無理なら死にます。公的保険以上の自費治療を行なって治療されればどうなるかですが、その分の医療費の取立てが厳しく行なわれます。アメリカの破産者の多くが医療費に起因するのは有名な話です。取り立てもドライで債権化して転売してでも取り立てられます。

今日は長くなったのでイギリス型の受診システムに関門の話は後日に回したいと思いますが、今の日本の常識とは全く違う医療が展開される事になります。これは必ずしもアメリカが非常識だと言うわけではなく、日本が非常識な医療を構築していたのです。ある意味、やや極端ですがアメリカのほうが常識的なシステムです。

今朝は静かな話題を書いているのですが、書きながら思う事は「正しかった」医療政策は何であったのだろうと言う事です。日本は世界の医療の非常識である「access、cost、quallity」を並立させたシステムを構築しました。構築はしましたが、磐石という訳でなく、とくにaccessにアキレス腱を持っていたといえます。このaccessを確保するため医師は超人的な努力を積み重ねてきました。それで奇跡が実現したのですが、超人的な努力による基盤は非常に脆いと言う事です。

脆い基盤を支えるためには、緩やかでもcostをかけていく事と、accessを徐々に制限する事であったはずです。この二つの調節により、accessを支える脆い基盤が崩壊しないように細心の注意が必要であったのです。ところが医療政策は全く逆の事を行っています。言うまでも無くゴマの油を搾り取るような医療費削減政策と、無分別な24時間365日コンビニ医療の達成政策です。これだけの事を行なわれたら脆い基盤は必ず崩壊しますし、現に崩壊しつつあり、崩壊の度合いもPONRを越えました。

日本が失ったものは非常に大きく、まさに致命的な失政の産物と言えます。