医療費削減のめざすもの

医療危機の発生の淵源を探ればすべて医療費削減に行き着きます。表面的な事象の原因を手繰っていけば、どの方向からアプローチしても最後は予算不足に帰着します。危機の原因は複層的で重層的ですが、結局は予算不足の壁にすべてぶち当たります。予算不足という表現が生々しすぎるというのなら、国の医療政策という表現でよいかもしれません。国の医療政策はいろんな表現をしていますが、飾りをむしりとれば「医療費削減」です。

医療費削減もどこを削減したいかといえば国が税金から支出する部分です。そこを減らすことだけが最大の関心事です。もちろん目的は財政赤字解消のためです。国の負担はどれほどかと言えば約8兆円です。これを極力減らしたい、できればゼロにしたいのが基本政策です。これだけでも巨額のものですが、ここに首相の茶坊主が集まる経済諮問会議なるものがあり、ここに集まる財界人の思惑としてついでに保険料のうち事業者負担分を減らしたいというのもあります。これがどれほどのものかといえば、6兆6千億円ほどです。

これらの数字は平成15年度のものなんですが、国が減らしたい国庫負担と財界人が減らしたい事業者負担をあわせると約14兆6千億円。医療費総額約31兆5千億円のおおよそ半分です。もしこれらがゼロになれば医療費は個人の保険料、個人の自己負担分、地方の負担分のみとなります。どうも最終的な狙いはそういうところに医療を誘導したいと見ます。

とはいえ医療費が半分になってしまったら瞬時に日本の医療は灰燼に帰します。それはさすがにしたくありません。また公的カバーが外れれば経済人にとって今度は医療が金の卵を産む雌鶏に変わります。政府と財界人の思惑はこの路線に従ってのものになります。財界人が隠すことも無く繰り返している混合診療の導入です。

国庫負担と事業主負担を削減すれば現在の医療は行なえません。そうなれば困るのはもちろん患者です。患者が困って下手に国民的世論にでも発展すれば政府が転覆します。財界人も配下の医療産業が軒並み倒産の危機に瀕することになります。まさか医療費が削減された分だけ薬剤費や材料費を下げるなんて事は考えもしていないからです。だから減らした分は自費診療として患者負担にしたくてしかたがないのです。つまり混合診療の大々的な導入です。

国庫負担と事業主負担を減らした分をすべて自費診療に転換すれば、患者への最低限の医療は確保できそうですし、財界人が死守したい医療産業も安泰です。そして財界人が喉から手が出るほど欲しい、自費負担分への私的医療保険の導入に大きく道が開かれます。これはかなり大きな市場です。14兆6千億円すべてが市場化しなくとも10兆円程度でも巨大な利権の巣窟になります。

一旦私的保険の道が開かれると政府と財界にとっての医療費削減は打ち出の小槌を手に入れたようなものです。公的保険分がカバーする領域をドンドン狭め、私的保険分がカバーする領域を飛躍的に拡大させることは自由自在となります。私的保険分を拡大すればするほど政府の財政負担は軽くなり、財界は軽くなった分だけ市場が拡大する関係になるため笑いが止まらないことになります。

でもってこの構図を少し冷静に分析したいと思います。まず大前提として医療水準を確保するにはそれにふさわしい医療費が必要であるということです。日本の医療費は先進国中既に最低レベルですから、今より削減するのは不可能です。問題はどうやって負担するかです。まず現状の枠組みですが、

  • 公的保険・・・個人の保険料+事業主負担
  • 公費負担・・・国+地方
  • 窓口負担
となっています。これが現在の医療政策が目指す究極の枠組みに変更されればどうなるか、
  • 公的保険・・・個人の保険料
  • 私的保険・・・個人が任意に契約する保険会社
  • 窓口負担
現在の負担方式なのですが、公費負担とはすなわち歳入からです。歳入には税金もありますし、その他収入も含まれます。税金も個人が納めるものと法人が納めるものがあります。公的保険の個人と事業主の負担は6:4ぐらいです。しごく大雑把に分類すれば公的保険と公的負担の約半分がまわり回って個人負担と考えればよいかと思います。残り半分は企業が負担しているとも解釈できます。ところが私的保険が全面的に導入された混合診療体制下では全額個人負担です。企業は負担が消えるだけではなく新たな私的保険市場で大もうけできます。

それと当然といえば当然なんですが、公的保険と違い私的保険では契約により医療サービスに差が生じます。高い保険料の私的保険のほうがより高い医療サービスが受けられ、安ければ医療サービスが低下します。ましてや私的保険はあくまでも任意ですから、経済状態により加入できなければ、公的保険での約半分の医療サービスしか受けられなくなります。ここで私的保険が現在の公的保険のように一律の保険料で一律の医療サービスを提供したのでは旨みが無いからです。

そういう世界になっても医者は困らないといえば困りません。すごく醒めた見方ですが、医療を商売として考えれば、医師が提供した医療に対する報酬さえ確保できれば、誰が払おうとも支障は無いといえるからです。困るのは治療をするための方法が保険の種類によって制限されることです。現状も公的保険の制限により治療に制限はありますが、99%は保険枠内で治療可能です。ところが混合診療となれば、みすみす助けられる病気でさえ指をくわえて助けられない患者が急増するのは確実です。

医者はある意味専門バカです。経営感覚に優れている医者であっても、最優先するのは患者の治療であり、治療のために赤字が生じることに良心の痛みを感じることはありません。つまり医者の仕事の揺るがない第一義は患者治療であり、それが何より優先するということです。やれば治せるのに、それをせずに悪くなることは許されないことなんです。そういう感覚が医者の倫理観であり、使命感と言い表しても良いと考えます。

医療水準を保つためにはそれ相応の費用が必要です。それをどうやって負担するかが本当の問題です。現在の医療費削減政策の胡散臭さの根源は、たんに公的負担を減らすことではないのです。諮問会議の主要メンバーたる財界人の利益が最優先に織り込まれていると事なんです。表向きは財政赤字の解消という錦の御旗を掲げていますが、その旗の影で財界の負担を大幅に減らし、さらに自らの利益を確保しようと虎視眈眈と狙っています。最後に負担をすべて押し付けられるのは個人です。

現在の政界に大きな顔で影響力を誇っている人物にオリックスの宮内会長がいます。この人の発言が週刊東洋経済/2002.1.26号の記事に掲載されています。

    「金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう。」
この言葉が示すとおりの医療を着々と構築しています。医者として私は反対です。ただ医者である私だけが反対してもなんの影響力もありません。患者である皆様がそういう世界が望ましいか、望ましくないかを考えて頂く時期だと考えます。政府や財界はウハウハのお花畑を夢見ていますし、我々現場の医療者は焼野原の惨状を頭に描いています。どちらが正しい未来予想図であるか、なにが望ましい世界であるかを考えてください。皆様が「おかしい」と声を上げない限り、医者の抵抗だけでは粛々と事態は進むことだけは間違いありません。