混合診療解禁論争

NATROM様

NATROM様が混合診療について最近ツイートを繰り返されております。少し拾っておくと、

time tweets
2012年11月13日 - 9:05 「逼迫している保険財政を守るため、経済的余裕の無い人にはまことに申し訳ないが、涙を飲んでやむなく混合診療を解禁すべし」ならわかるけど、混合診療解禁派であまり正直にそう言っている人はいないように思える。
混合診療を全面解禁してしまうと、効かない免疫療法とかにジャブジャブお金が使われる一方で、経済的余裕の無い人には本来保険適応となるべき治療が行きわたらなくなる。おそるべき非効率。混合診療に反対する人もいるのは当たり前だろう。
2012年11月13日 - 9:05 混合診療を全面解禁してしまうと、効かない免疫療法とかにジャブジャブお金が使われる一方で、経済的余裕の無い人には本来保険適応となるべき治療が行きわたらなくなる。おそるべき非効率。混合診療に反対する人もいるのは当たり前だろう。
2012年11月13日 - 9:07 混合診療解禁派にギリギリ同意できそうなラインは、「保険診療の代わりに自費診療という性質の医療」もしくは「効果は証明されているがあまりにも高価である医療」についてのみ、別枠で混合診療を解禁するというもの。
2012年11月13日 - 9:08 議論すべきは混合診療を解禁すべきかどうかではなく、どの範囲まで解禁するかである。


キッチリした論者の引用はさすがにラクで、引用条件を満たすのにかえって困ります。それでもツイッターの性質上、ここまでのツイートになる積み重ね部分を少し補足しておきます。言うてもすべて読んでいるかどうかはチト自信が無いのですが、NATROM様は必ずしも皆保険制度死守論者とは言えません。なんと言うか、手放しの混合医療解禁論に対する懐疑論者、危惧論者とした方が良いと見させて頂いています。その辺の意思表示が、
    議論すべきは混合診療を解禁すべきかどうかではなく、どの範囲まで解禁するかである。
ここになっていると感じます。今日はNATROM様の主張におんぶに抱っこ状態で申し訳ないのですが、このツイートも参考になります。

混合診療が解禁されても将来の保険給付が制限されることはない」という主張と、「公的保険財政は逼迫しており混合診療を解禁しないと保険財政が潰れてしまう」という主張を両立させるには、何らかの説明が必要だ。けれども、何の説明もなく両者を主張する人がけっこういる。

ここも引用条件のためにあえて補足説明を加えると、混合診療解禁派の主張と言うか反論として、皆保険派からの「保険給付範囲の制限」の危惧に対し、

    混合診療が解禁されても将来の保険給付が制限されることはない
これはよく見られます。これは流れてしまってツイートを拾えないのですが、NATROM様の一連の主張に対し
    政治家なり政府が「そうしない」と決めれば無問題
こんな意見を開陳させておられる方がおられて微笑を誘われました。私は現場の医師ですから「そうしない」の医療行政の約束がどれだけ虚しいものかはよく存じているつもりです。別に医療行政だけに限らず、多くの行政分野である時点の約束が反故にされるのはさほど珍しい話とは言えないかと存じます。ここも変わるのも必ずしも悪いというわけではありません。政治は社会情勢の変化に応じて柔軟であるべきであり、硬直した思考での運用が好ましいとは必ずしも言えません。

「そうしない」の言質も政治的な思惑によって取扱いは大きく変わります。よくあるのは制度を変えるにあたって、如何なる妥協を行っても根本を変える事に意義があるときです。そういう時には反対派の出す条件をあえて大幅に取り入れて、とにかく制度の根本を変える事を第一目標にします。制度の根本さえ変えれば、あとは時間をかけても、なし崩しに本来の目標に進んでいく手法です。

ではでは保険給付制限の範囲について「そうしない」に対する真の意図はどこにあるかです。これも隠されもせずに公然と主張されていますが、

    公的保険財政は逼迫しており混合診療を解禁しないと保険財政が潰れてしまう
公的保険財政の逼迫の救済が目標であるなら、公的保険からの支払い、つまり保険給付範囲の制限を行わないと混合診療解禁の意味が乏しくなるのは自明です。主張としては相反すると思うのですが、NATROM様の指摘通り、この2つを並列で主張される解禁論者が存在する事は私も認めます。ほいじゃ、2つが並列した時にどちらが本音かと言うと、考えるまでもなく保険財政問題となります。

そもそも論で言えば、保険財政問題がなければ混合診療解禁論が大きな勢力を持つはずがなく、方向性としては保険適用の早期拡大論に向かうはずだからです。つまりと言うほど気張るほどの結論ではありませんが、

  • 「そうしない」は制度変更のために詭弁に過ぎない
  • 保険財政のために大幅な給付制限は必然として行われる
そういう保険給付が大幅に制限されていく状況が患者の立場(私だっていつかは患者になる)としてどうかが議論の出発点になります。


医療費増大自体は本来は歓迎される

医療費の問題は幾つか誤解があると思っていますが、医療費自体が増大する事は政府も財界も誰も反対しておりません。むしろ産業として大きく育って欲しいです。どれぐらいの規模までとりあえず大きくなって欲しいですが、。2007/12/7付けキャリアブレインに2007/12.6の参議院厚生労働委員会での西島英利議員の発言が紹介されています。

西島議員は、日本医師会の常任理事時代、規制改革・民間開放推進会議の前進である総合規制改革会議にヒアリングに呼ばれ、会議後の記者会見で宮内義彦座長(オリックス社長)が「医療産業というのは100兆円になる。どうして医師会の先生方は反対するのか」と発言したことを紹介

宮内氏は同じ頃に「医療費が足りなければ家を売ると言う選択もある」と言われた事で有名ですが、当時の試算で皆保険制度から混合診療に移行したら100兆円規模の医療市場が誕生すると試算されていたのが確認できます。2005年当時の国民医療費が33兆円。2010年度でも37兆円ですから約3倍に膨れ上がるです。ここも100兆円が上限と言うより、「とりあえず100兆円」はすぐに成長すると私は受け取っています。


医療市場の拡大のための条件

ちと単純なマクロの話ですが、医療保険は大雑把には勤労世代が高齢者世代の医療費を支払っています。そいでもって勤労世代が高齢化すれば次の勤労世代が支払う順送りシステムです。現在の状況は高齢者世代が膨れ上がる一方で、勤労世代がやせ細る状況になっており、順送りで支えるには負担感が増し、さらに当分この状況は続くです。

医療市場を膨らますには資金流入が必要です。カネがなければ市場は膨らまないです。皆保険体制下では資金の供給源は公的保険と国庫補助です。しかしどちらも現状ではそうそう増やすわけにはいかないです。増やそうとすればそれこその政治問題になります。原稿の皆保険体制では医療費は拡大でなく、抑制の方向に資金不足から必然的に動くです。現実にそうなっています。

混合診療導入の意義は、大きくしたい医療市場に新たな資金源を設けることにあると私は見ています。皆保険体制での公的保険の資金供給の枷を外してしまいたいです。新たな資金源が流入さえすれば医療市場はその分だけ自然に膨らむと言うところです。新たな資金供給が豊富に供給されれば、国庫補助も不要となり、四苦八苦状態の公的保険財政の逼迫からも逃れられるです。


公的保険と私的保険はどっちが安いか

ここも話を単純化しますが、「医療費 = 保険料」と見なします。現在は公的保険にのみ保険料を支払っていますが、混合診療になれば私的保険にも支払が必要になります。財界の試算ではザッと公的保険料の2倍以上を見積もっています。これはまず必ずそうなると見て良いと考えています。そうするつもりがマンマンだからこそ、宮内氏は100兆円を口にし、それによる収益に算盤を弾いているわけです。

ここで冷ややかに考えると、皆保険による公的保険料を増大させるのと、混合診療で私的保険を増大させるのであれば「どっちが安くなる」かです。公的保険の運用は現行の状況が示しています。どうしても増大する医療費に対し、保険料を上げる事さえ政治問題化します。つまり値上げをするにも目一杯の抑制が自然にかかるです。医療費の公定価格もまた同様です。

一方で私的保険となるととりあえずの目標が100兆円ですから、ある意味青天井で保険料が上ります。医療保険の怖いところは、他の保険に較べても生命に直接関るものであり、生き延びたければ払えのプレッシャーが自然にかかるわけです。財政問題がありますから、公的保険給付は縮小に向かうのは必然であり、縮小された給付範囲では医療に不安を嫌でも覚える構図です。マスコミも頑張るでしょうし。

ここも単純化すれば、

    皆保険・・・・・医療費抑制政策が続く
    混合診療・・・医療費増大商法が展開される
皆保険体制を維持しても保険料の増大は必至ですが、混合診療による私的保険が作り出す負担より軽くなる見方は出来ます。つまりは皆保険体制の方が安上がりになるの見通しです。


医療への市場原理

皆保険体制下の医療と混合診療体制下の医療では医療経営で大きな違いが出てきます。皆保険体制では言うまでもなく公定価格体制であり、誰を診療しても基本的に水揚げは同じです。ところが混合診療となれば、私的保険部分を多く使う方が経営にプラスになります。先々は別にして、混合診療が導入されてしばらくはそうなる商法が取られると見ます。

医療も一皮剥けば商売ですから、収益の多い部門を伸ばし、不採算部門を整理するのは必然の傾向として現れます。その時にも皆保険と混合診療の差も出てきます。私的保険市場の急拡大は予想されるところですが、公的保険のように誰でも入れるわけではありません。払える人が入れるだけで、なおかつ保険内容も保険料によって大きく差が出来ます。

医療機関も経営の面から私的保険の加入者が多い地域に集中し、公的保険だけとか、私的保険でも貧弱なレベルしか持たない者が多いところからは撤退する事になります。撤退と言うか経営が成立しなくなるとしても良いかもしれません。カネの切れ目が縁の切れ目であり、命の切れ目が「当たり前」になるだろうです。


医療機関の本音

なにか日医が混合診療に反対しているので、皆保険制度はよほど医師にとって美味しい部分があると信じ込まれている方は少なくないようです。皆保険制度もメリットは確かにあり、ある種の護送船団方式ですから、経営にある程度無頓着な医師でも診療所経営がやりやすいはあります。実際は相当煩雑ですが、少なくとも価格競争とは無縁ですから、その点に神経を尖らせる必要がないのは結構なメリットだとは思っています。

ただしメリットはそれぐらいです。医療も経営ですから、医療のパイが膨らまない事には経営自体が成り行かなくなります。混合診療が導入され、医療のパイが膨らめば当然取り分が増える期待が出てきます。公定価格による護送船団方式から離れるので、当然のように競争が激化しますが、これに自信がある医療経営者は混合診療もウエルカムです。競争の発生のデメリットにより、パイが膨らむメリットを重視と言うわけです。

問題のレベルはなんとなくですが、皆保険と混合診療の2択と言うより、混合診療に進むのは既定路線で、その中でどれぐらい現在の皆保険体制を守れるかになっている気がします。NATROM様が懸念されているのもアメリカ式の強烈な直輸入によるデメリットを懸念され、混合診療を導入するにしても、強い制限付きのもので行うべきだぐらいの主張に受け取っています。

ただなんですが、一度皆保険体制の枷を取り払ってしまえば、少々の条件をつけても滔々と100兆円市場に流されるだろうの観測を持っています。なんつうても財界は強力です。

もっとも人間はすぐに慣れますから、混合診療も導入すれば案外誰もがアッサリあきらめて順応するかもしれません。一つだけ注意しておいて欲しいのは一度混合診療に流れればまず皆保険医療には逆戻りできない事です。世の中はそんなものだと言う事なので、良く良く考えてもらっても宜しいかと思っています。