研修医と僻地医療

昨日の話の蛇足の延長戦。

たった2年で何でも出来そうな幻想だけ振りまく新研修医制度。内科、外科、産婦人科、小児科、救急と一人前の医師でさえ手強い診療科を2年で駆け足で回って、これが習得できると考えている医者はまずいません。この制度発足時には現在のように産科危機が世間に喧伝されていたわけではなく、表向きの最大の焦点は小児科及び一般の救急に広く対応できる医者を養成するという趣旨だったと記憶しています。

私は市井の町医者なので実地の指導には当然縁がないので、現場で指導に当たっている旧友の言を借りたいと思います。「たった2ヶ月で小児科がひと通り出来る?、小児科をバカにするな」との事です。私もそう思います。指導内容も聞いたことがあるのですが、小児診療の基礎中の基礎である小児薬用量まで研修が進むかと聞いてみると、「行くはずないやろ、先生なら教えられるか?、たった2ヶ月で!」。では何をしているかとさらに聞いてみると、「実際に手で触れるポリクリ(臨床実習)」と一刀両断でした。

誤解ないように言っておきますが、旧友は私なんかより遥かに小児医療に熱いハートを持っており、常に厳しい最前線で戦っています。私がこのブログで書いている現場の実相は、私が経験したものはもちろんですが、彼の話を無断で(ゴメンナサイ)引用している部分もかなりあります。指導に関しても、私は教え下手の見切りが異常に早いという指導者にはあまりに不適格であるのに較べ、彼は親身であり、やる気がなかったり、小生意気な研修医であってもなんとか小児科医のハートを伝えようとトコトン頑張る優秀な小児科指導医です。

その彼をもってしても2ヶ月ではなんにもしようが無いということです。医療というものは当然膨大な基礎知識を要します。そのために医学部教育があり、知識量が医師たるに相応しいかをチェックするために国家試験があります。だから医師免許を持っているものは医師が出来る程度の医学的基礎知識を持っている証明にはなります。ただし基礎知識を持っているというだけです。それだけでは殆ど何も出来ないに等しいという事です。

卒後研修はその知識を実戦に使えるように高める事が一つです。もう一つは知識を実戦に使えるようにすることです。実戦はペーパー試験と違います。ペーパー試験はあらかじめ解答が用意されており、その答えが導かれるように設問が散りばめてあります。ところが実戦ではペーパー試験で当たり前のように書いてある○○徴候を自分で見つけださなければなりません。また検査も必要なものを自分で設定し、その異常値をこれも自分で見つけ出さなければなりません。最大の違いはペーパー試験では後で「なんやそうやったんか」で済みますが、実戦では場合によっては命に関わる判断となります。

この知識を実戦に使えるようにするのは並大抵のものではありません。私は語学が得意ではないので敢えて例に取りますが、単語の数や文法は熟知しており、文章を読んだり、またある程度書く事ぐらいまでは出来ても、相手の言葉を聞き取り、それに対し自分の考えを会話で主張するのは別問題であるのに似ていると考えています。

医学部は言語で例えると、単語や文法を習得し、せいぜい初歩的な文章が書ける程度の知識を覚える場です。卒後研修はこれを自由に会話できるように能力を鍛える場と考えています。会話する相手は綺麗に相手にわかりやすいように話してくれる人ばかりではありません。話下手であったり、スラングが強かったり、十分に表現できない人など十人十色です。そういう人々との会話が自由にこなせるようになるには、ひたすら経験です。診療科が違えば言語は異なります。近い言語体系のところもあれば、日本語と英語ぐらい差があるところもあります。

これをたった2年の間に内科、外科、小児科、産婦人科、救急と5つの分野で習得できると考える人は、医者の能力をあまりに過信していると思います。ほとんどの医者はこのうち一つ、ましてや内科や外科になるとその分野の中でさらに細分化されている一分野を10年以上もの年月を傾けて習得しているのです。単一診療科と思われている小児科でさえそうで、私もひと通りは習得はしましたが、それでもギリギリの新生児や、糖尿病などの内分泌疾患、先天性の心奇形、小児精神医学の分野となればある水準を越えるとお手上げです。

どうも僻地や地方の医者不足解消の切り札に、研修医期間を終えたばかりの医者の活用を考える動きがあります。曰く彼らはこれらの分野の技能を十分修得したはずだと。言ったら悪いですが、この構想にも先の大戦の悪例が想起されます。先の大戦で戦局が悪化し戦力を消耗させた指導部では、狂気の作戦である特攻に活路を見出そうとしました。ところが特攻させるにも搭乗員の不足が慢性化したため、促成栽培で飛行機の操縦が出来る程度のパイロットを養成し、旧式機体での特攻作戦を展開しました。

その作戦の発想、戦術的評価、さらにはもたらした結末がどんなものであったかを人々は忘れたのでしょうか。計算高いといわれる現在の研修医の中にも非常に志が高い者がいます。僻地や地域医療に情熱を傾けたいと考えている者も確かにいます。しかし我々は医療の先達として、技量のが十分でないものを一人立ちさせて実戦に放り込むのを阻止すべきだと考えています。十全の能力を磨いた後でなければ、彼らはその志とは裏腹に大いなる挫折を味合うのは必至だからです。

そうは力んでみても、卒後研修の中核を担う中堅層にも医療崩壊の影は忍び寄っています。このままでは大戦末期の狂気の特攻作戦が、この平和な平成の世の医療現場で行なわれるかもしれません。絶対どこか間違っていると私は思わざるを得ないのですが・・・。