地方交付税

5/23付読売新聞社説より一部引用、

肝心なのは、交付税のスリム化を進め地方の財政規律を高めることだ。

 国と地方の財政事情を比べれば、地方の方が余裕があるのは明白だ。にもかかわらず地方側は、より一層の交付税の拡充や税源移譲などを求めている。

 だが、ここは、地方側に適切な負担を求め、より深刻な国の財政の改善を優先すべきである。国の財政が立ち行かなければ、地方財政の自立もあり得ないことを、銘記しなければならない。

 財政の健全度を測る基礎的財政収支でみると、今年度予算で国は約11兆円の赤字であるのに対し、地方は4.4兆円の黒字だ。バブル崩壊後、国の基礎的収支の赤字は一時、20兆円に達した。ようやく半減したが、黒字にはほど遠い。

 逆に地方側は一時期を除いて、黒字基調を維持しており、今後は黒字幅が拡大する見通しとなっている。

 こうした状況から、財務相の諮問機関である財政制度等審議会は、交付税の法定率を引き下げるよう提言した。

ごくごく素直に読めば国は大赤字で苦しんでいるのに、地方は黒字でウハウハだ、従って国から地方へ恵んでやっている交付税は減らしてしまえ。とでもこの社説は力説しているように感じます。一見この社説は正論を述べているように読めますが、どうにも実感との乖離が強すぎて、いくら読んでも「なるほど」と思い難いところがあります。

いろいろありますがまず財政健全さを国と地方の二元論で書いているところに違和感を感じます。たしかに国は一つです。一方で地方は何千と言う自治体に分かれた集団です。自治体ごとに当然財政状況は著しく異なり、景気回復の恩恵で財政に余裕が出来ているところもあるでしょうが、そんな恩恵に授かっていない地域、そもそも景気云々どころか過疎に苦しんで八方ふさがりになっている自治体の方が遥かに多く、数で言えば大部分と言っても良いかと思います。

別格的な東京、豊田のように世界的な超優良企業があるところと、他の高齢化、過疎、地場産業の衰退をどうしようもない地域を一緒にして「地方」とくくる主張の粗さに驚かされます。地方財政の黒字は、一部の大幅黒字自治体が収支を見た目上良くしているだけで、ほとんどの自治体の財政事情は交付金が歳入の半分以上であるところばかりです。

貧すれば鈍すの話どおり、交付金に頼らない黒字自治体では独自の課税さえ可能です。赤字企業への外形課税しかり、一時話題になった銀行税然りです。ところがほとんどの地方自治体ではそんなものは夢物語です。そもそも体力を消耗しきっている地場産業にこれ以上の課税を行なう余地などありません。さらに言えば課税する企業すら乏しく、住民税さえ十分払える人口構成ではなく、むしろ高齢者医療に地方財政の主を傾けざるを得ない地域も珍しくもありません。

また交付税のシステムですが、当該自治体の税収の不足分を補うのが基本構造です。貧しい自治体が無理やり増税して税収が増えても、増えた分だけ交付金は減額されるため、自治体としては住民の不評を買って増税しても収入増にはつながらないものです。つまり「勝ち組」自治体はますます潤い、「負け組」自治体はなにをしてもどうしようもないのが実態です。

「勝ち組」自治体は社説の主張するとおり、交付金の減額に耐える事は可能でしょうし、そもそも交付金など不要の自治体では関係すらありません。「負け組」自治体は交付金の減額は財政規模の縮小に直結します。縮小ならまだやっていけそうなニュアンスが残りますが、赤字転落や赤字幅のさらなる増大に直結すると言えます。

社説の主張では地方の財政規律を謳っていますが、それが地方の努力で可能な地域の方が数えるほどで、ほとんどは逆さに振っても鼻血もでないところばかりです。そういう個々の事情をすべて知らん顔して「地方」と括ってしまう粗雑な感覚に驚かされます。

世相は冷たい方向へのみ振れている様な気がします。格差社会は政府のお墨付で公認されています。格差は住んでいる所だけで生じるという事です。貧しい自治体に住んでいれば、財政規律を盾にバンバン増税するのが正しいと主張しているわけです。3割自治と揶揄されているところは、交付税削減分を住民税に転嫁する事が善だと主張しているわけです。そんな貧しい自治体に住んでいる自己責任であると断定しているわけです。産業も無く、人口構成が高齢化している地域は、そんな所に住んでいる罰として重税に喘ぐのが正しい社会のあり方であると言っているのと同じです。そんな自治体はどうしたらよいか、ドンドン合併して体力をつけろと言うのが結論のようです。

もうひとつこの社説の奇々怪々なところは、国の財政赤字の責任についてはまったく触れていないところです。国の財政赤字は無謬の政治が行なわれた末の致し方ない結果というのでしょうか。それに対し地方の黒字は種々の事情があるにせよ、黒字のためにはそれなりの努力があり、その成果を全く認めていないということです。この社説の趣旨を逆手に取れば、地方は財政規律に努力せず黒字さえ出さなければ交付税削減の話は出ないことになります。健全黒字財政を達成した自治体のせいで、構造的赤字自治体を締め上げよという事のようです。

たしか「努力したものは報われる」から格差社会は容認するという世論がかなりあったと思います。努力して黒字化すればそれを削減し、道連れにどうしようもないギリギリの運営をしている自治体をさらに追い詰めるのが正しい政策なのでしょうか。繁栄を謳歌している東京の本社の一室で書いている社説子には、そんな努力しない地方はどうでも良い事なのでしょう。

地方の時代とかをマスコミも含めてキャンペインしていたように思います。地方の時代とは富める地方に住むものはその繁栄を享受し、貧しい地方に住むものは重税に喘ぎながら不十分な行政サービスを耐え忍べという事のようです。日本国民であるから、日本のどこに住んでもほぼ公平のサービスを受けるべきだとの考えは、格差社会の中、正しくない主張と化してきている日本の荒涼さに寒気がしています。