医者と患者の距離2

まず医者と患者の距離がどう考えても不適切になったのは、医者と患者の関係のみに起きている事でしょうか。つまり医療界にのみに起きている限定的な現象なのか、そうでないのかをまず考える必要があります。これはどう考えても医療界のみに起きている限定的な現象とは思われません。

医療と言えども社会の一部です。社会の動きに連動して存在していて当然ですし、社会の動きが医療に大きな影響を及ぼしているのも当然です。よく社会の縮図と言う表現が用いられますが、医療と言うファクターがかかろうとも、現在の社会状況を投影していると考えます。つまり医者と患者の距離が不適切になったのは現在社会の縮図を表しているのでは無いかという事です。

現在の社会が理想的な社会であるかどうかです。まずもって悪いだけの世界ではありません。それなりに豊かですし、貧しいものも、恵まれない者がいるのは間違いありませんが、見渡す限りの貧民窟が拡がるような社会ではありません。治安も悪くなっているという声もありますが、少なくとも夜間に女性が一人歩きをしていて襲われたら事件として報道されるぐらいには保たれています。どこかの国のようにそういう行為自体が非常識と呼ばれるほど悪化していません。

それでは誰もが満足して生活をおくり、将来に希望をもって生きている社会かと言うと必ずしもそうはいえません。むしろ誰もが漠然ではあるでしょうが、大きな不安や不満を抱え、それが解消していく社会というより、増大している社会になって行っていると感じているのではないでしょうか。つまり当面の日々の生活には困らないにしろ、10年先、20年先にバラ色の夢を持つ社会とは言い難いという事です。

社会が漠然たる不安を持つ原因を説明するのにいくつものキーワードが提示されています。去年からの流行語である「勝ち組、負け組」とか「格差社会」なんてのは端的に表現したものではないかと考えます。こんな言葉が流行し、それを誰もが日常生活にごく普通に使い、それが日常用語として定着しているのは、人々がその言葉で表されている状態を肌身で痛感しているからだと考えます。

社会の流れは種々の要素が複雑に絡み合って動いていきます。複雑すぎてかえって当事者にはわかりにくく、多くの場合、流れが決定的になってから初めて自覚する事がほとんどです。はっきり自覚するのは遅れますが、その気配は早くから察してはいます。社会変化の影響は社会におけるポジションで早くから強い影響を受けるところもあり、やや遅れて影響を受け始めるところもあります。早い遅いはあっても、ある一定の割合以上に影響が拡がった時に流行語として表出すると考えます。

「子供は大人社会を映す鏡である」とは言い古された言葉ですが、今でもこれは通用する言葉であると考えます。子供は外からの影響を敏感に感じ取ります。感じ取った上で悪い方の影響をより強く反映します。悪いというのはあまり適切な表現ではないかと思いますので、より特徴的なと言い換えた方が相応しいでしょう。

大人の社会では社会の流れがかなり変わってきても、それ以前の流れの影響も強く、冬から春の季節の変化のように三寒四温の状態となり、一見どちらの流れがこれからの主流になるか判断がつきにくい事があります。ところが子供の社会では主流になる流れを鋭敏に嗅ぎ分ける能力をもっており、的確に反映していると考えます。つまり子供社会で起こっている現象は確実にこれからの社会状況の本流になるという事です。

    ゴメンナサイ、今日の本論はここまでです。書いてはいるのですが、まだまだ言いたい事が完全にまとめきれていません。意見がまだフワフワとしたガスのような状態で、これを結晶化して抽出するにはもう少し時間が必要です。ですのでこの後は今日の話の蛇足です。

子供社会の現象は大人社会の明日の主流になる社会現象の反映であると私は考えます。ところが教育関係者はそうは思ってないようです。つまり子供社会が乱れるから、そんな子供社会で育った子供が社会を乱すという考えです。だから教育さえしっかりさせて「正しい教育」を行なえば教育の力で社会は矯正されるという考えです。この辺は卵が先か、鶏が先かの議論に一見似ています。

どちらが正しいか。もちろん一概には言えません。たとえば教育が独裁国家並みの強力な統制の下に、洗脳教育的なものを行なえば、教育により社会変革は可能だとは考えます。こういう考えをもつ教育関係者は今でも根強くいます。さすがに洗脳教育とはあからさまに言いませんが、教育改革と称して制度をいじりまわすのは、基本的にこの思想がベースである事は間違いありません。

しかし一番の根っこを考えると、子供社会が乱れるから大人社会が乱れるという考えは無理があります。子供社会は自分の力だけでは簡単には変化しません。大人社会の影響を無防備に受けて変化すると考えるのが自然です。つまり大人社会の乱れが子供社会で増幅されて、成人する頃には新世代の確固とした流れとして現れてくると考える方が妥当です。

社会の大きな流れになっているものを一遍の教育でそうそう食い止められるものではありません。大人社会であっても、流れが出来上がってしまうと誰もこれを止めることが出来ないのです。「これはおかしい」といくら識者と称する人間が力説し、主張しようとも流れてしまうと抵抗できないのが世の流れです。

戦前の日本が第二次大戦になだれ込んだ経過は、現在から見るとまことに摩訶不思議です。戦前でもこのままでは日本は破滅するとして活動しようとした人間は少なくありません。少なくありませんが一度出来上がった流れの前には、世論はこれを排斥し、流れを助長する人間の声ばかりが響き渡ることになります。社会の主流に沿った意見は流れに乗って勢いは嵩にかかり、一方で流れを押し止め、変えようとする意見は土石流に押し流されるように消え去ります。

こういう構図は戦前だけの特殊状況ではなく、現在の日本でも基本的に当てはまります。日本だけではなく世界中どこでも同じようなものだと考えています。医療の問題も根源的にはこの辺から考える必要があると私は考えています。

どうにもこうにも町医者の手に負えるような問題とはどんどん思えなくなってきました。つづきを書くのは辛いな〜。。。