産科医の黄昏と医療の崩壊

データが残る中で最も古い記録は明治32年のものです。明治32年と言うと西暦で言うと1899年にあたり実に19世紀のデータです。当時はまだ周産期死亡率の集計が無いため、新生児死亡率(生後28日以内の死亡率)で見てみると1000人当たり77.9人の死亡となっています。実に10人1人弱は死亡していた事になります。この数字は大正期の後半になってようやく漸減傾向を示し始めますが、戦後の昭和22年(1947年)でも1000人当たり31.4人もいます。その後は確実に減少していき、最新データでは実に1000人当たり1.6人まで減少しています。

妊娠22週以降の死産数を加えた周産期死亡率は昭和54年(1979年)からデータが残りますが、これも1000人当たり21.6人から現在では5.5人まで減少しています。胸を張っていえる世界トップクラスの成績です。これを上回る成績を出している国は残念ながらデータの正確さ信用性にやや難点があり、実質世界一であるといっても良いでしょう。もちろん産科医のみの功績ではなく小児科医や外科医もも多分に貢献している部分もありますが、大部分は産科医の功績であることはもちろんです。

明治大正期と現在では、生活環境や栄養状態、医療環境などは現在と比較にならないものですが、粗くまとめると分娩が助産婦(産婆)時代から産科時代に変化したのが大きな要因であると素直に読み取れます。産婦人科で出産する事が常識となり、それとともに産科医が分娩に伴う危険因子の克服に努力し進歩した賜物であるという事です。新生児死亡率は実に100分の1に減少しており、周産期死亡率も30年余りの間に1/4に減少しています。

また新生児死亡率の一番古いデータである明治22年ですが、当時の生活環境は東京などの一部都市圏を除き、大部分の地方では江戸時代と分娩環境は変わっているとは考えられず、助産婦(産婆)だけの分娩時代では10人に1人以上は死んでいた事は間違いありません。おそらくはもっと死亡率が高かった事は容易に推定されます。また新生児だけではなく、妊婦、産婦の死亡率も段違いに高かったのも間違いありません。

まさしく産科医療の輝かしい成績です。この産科医療が絶滅の危機に瀕しています。昔は命懸けが常識であった妊娠分娩が安全な物になり、安全な物になりすぎた結果、「うまくいかないものはすべて医療ミス」の常識が横行しすぎているからです。横行しすぎた結果、産科医の生涯訴訟率は40%を越えるものになっています。もちろんその中には本当の医療ミスも含まれているでしょうが、医療サイドからすれば不可抗力としか言いようの無いものが多数含まれています。

産科の事はすごく詳しいわけではありませんが、現在の進んだ妊娠分娩管理に於ても把握しきれない突発事態が起こる事があります。それを出来る限り防ぐために種々の方策が採られていますが、それでも確実に一定頻度で起こります。それもほとんどは前触れも無く突然発生し、発生すればごく短時間のうちに対処しないと母体及び胎児の生死に関わるような事態です。

事後ではいくらでも足らなかった部分を指摘するのは容易です。事後に指摘された点を十分に監視し、万全の準備をしていれば助かったかもしれません。助かるんだったら何故しないかの反論がすぐに出るかもしれませんが、すべての妊娠出産で考えられるあらゆる事態に対処した対策を少子化時代とはいえ100万人を越える妊婦に施そうと思えば、膨大な人手と莫大な費用を必要とします。

福島の産婦人科医逮捕の件でもそうです。問題となった癒着胎盤の診断ですが、一般的に行なわれる超音波診断程度では診断不可能であると産科の専門家が口をそろえて証言します。また報道では前置胎盤にのみ癒着胎盤がおこるような解説が見られますが、そんな事は無く前置胎盤の方が頻度が高いが、他の部位への胎盤付着でも起こりうるものとされています。

造影MRIで診断がつく事があるとの意見も一部見られますが、造影MRIでも「見つかる事がある」程度で、見つからなかったから無いとはもちろん言えません。またすべての妊婦に造影MRIをするかという問題もあります。

たとえが適切でないかもしれませんが、飛行機が飛行中に隕石が衝突して墜落したら、これを「隕石の落下を予想しないのが悪い」と断罪できないのに近い印象を持っています。隕石の落下はやろうと思えば予想できますし、予防も可能です。それこそ地球の周囲にビッシリ監視衛星を張り巡らし、地球に落下する可能性のある隕石を見つけたらミサイルで撃ち落としたら可能です。

現在の日本の医療はそれに近い事を要求され、出来なければ罪人としていとも簡単に断罪され社会的に抹殺されます。産科だけではありません。すべての診療科で程度の違いこそあれ、それに近いものが要求されています。それでも膨大な人手と費用をかけれるのならまだしも、設備も人員も乏しい中、何万分の1の稀な発見不可能な病気を見つけ出す事が要求されているのです。しかも病気がある人だけを間違いなく見つけ出す神に等しい能力をです。その能力をもたないものは医者でないと。

医療への要求は厳しさを増しすぎているような気がします。建前は日本全国どこでも同じ水準の医療を行なえる様に整備する事です。東京のど真ん中でも、離島であっても同じものをです。そうなるほうが望ましいですし、そうなって欲しいとは思います。ただし現実は悲しいかなそうではありません。それでも医者は与えられた環境で最善を尽くします。最善を尽くしても設備人員で結果に差が出るのは否定できません。

今回の福島の事件でも、たとえば東京の設備人員の整った施設で発生したら救命できたかもしれません。これは産科の専門家の人々も証言しています。でも起こったのは福島のそれも僻地です。起こった場所により出来うる医療の限界は自ずから決まります。ところがどんな地方であっても、日本最高水準の診断と治療技術をもっているところと比較して「手落ち」であると断罪されるなら、全国に点在するほとんどの医療機関での診療は不可能となります。

マンガの世界の超人的な医者である、ブラックジャックスーパードクターKでも、最低限の設備人員がないと救命できないものは救命できません。マンガの世界であるゆえに荒唐無稽のシチュエーションで奇跡の腕を振るいますが、それでも限界があります。私たち平凡な医者はブラックジャックに遠く及びません。ところが現実に求められる能力はそれと同等かそれ以上のものを要求され、それを行なえなければブタ箱に放り込めの意見が少なくない世界に恐怖しています。

これまでも医療ミス報道は多々ありました。医者から見ても明らかに杜撰なミスもあれば、逆にあまりにも理不尽なものもありました。それでも医者は他山の石として医療に従事してきました。ただし今回の事件は医療関係者以外には理解し難いかもしれませんが、医者にとって一線を越えた理不尽さがあります。既に残念ながら起訴まで事件は進行しましたが、これが有罪となろうものなら怖ろしい事態が起こる事が容易に想像がつきます。

もし今回の事件が有罪となった時に医師への十字架は

    たとえ医学的に予期できない突発的な合併症であっても、起こる頻度がわずかでもあるのなら予期しない医者がすべて悪い。
もしこれが判例として常識となるなら、この条件を満たせる医者がこの世の中に存在するかどうかも疑問です。もちろん私もそうです。この司法判断の前では、すべての医者は医師免許を返上する以外の道がなくなります。そんな能力を持つ者のみしか医者が出来ないのであれば、誰も医者にはなれません。すなわち日本の医療は滅びます。

今回の事件での医者の怒りの大きさはなかなか理解してもらえないかもしれませんが、産科だけではなく他の診療科の医師たちも横断的に反応している事です。また勤務医だけではなく開業医も広く巻き込んでのものが驚くべき事です。医者は一匹狼的なところが強く、他の病院、他の診療科への関心はきわめて低いのです。それが短期間のうちに、学会や医師会の音頭ではなく、自主的に抗議の声が巻き起こりつつある事に本当の意味の危機感を共有していると思ってもらえれば幸いです。

医者の間では過激な意見が飛び交っています。現場からの意見ですから、うねりは強烈です。産婦人科医の間では司法が「安全」と認定する分娩を明示しない限り、すべての病院での分娩は中止するよう学会が勧告を出すべきだとの意見も過激さを増しています。学会幹部が社会の混乱に配慮して玉虫色の収拾を図ったなら、それに対する反発や混乱がいつでも巻き起こります。もちろん産婦人科だけではなく、他の診療科の危機感も同じです。

皆様には御実感頂ける方が必ずしも多くないかもしれませんが、医者は今回の事件を超弩級の大事件と身震いし、ここで負けるようなら明日の日本の医療は無いとまで考えています。なにぶんどうしても専門用語が飛び交う世界で、読まれても共鳴できないところが多々あるとは思いますが、医者が本気で怒っている事件とぐらいは御理解いただければ幸いです。