ついに起訴

福島の産婦人科医師逮捕事件はついに起訴されました。日本では逮捕されれば99%起訴されるそうで、加藤医師もついにそれを免れ得なかったのが残念です。なんどもリンクしていますが、ある産婦人科医のひとりごとに詳細が掲載されていますのでよろしければご一読ください。

昨日のエントリーやコメントにも書いたのですが、現在の医療裁判は結果から罪を決めてかかるような傾向が極めて著明です。つまり死亡したから医者が悪いの大前提です。死者が出たからには絶対にそこにミスは間違いなくあり、ミスを犯したのは医者であり、医者に罪を負わせなくてはならないと。

本当にミスを犯した医者は罰せられてしかるべしです。ところがそうでないものまですべてミスとして糾弾されます。たとえば列車事故に較べても医者への扱いの差は如実です。尼崎の脱線事故では、冷静に見れば主因は運転手の速度超過です。少なくとも運転手が速度超過していなければ事故は起こらなかったと言えます。もちろん後の調査により、速度超過の誘因となった厳しい労務管理、過密なダイヤ編成、速度超過をコントロールするATSの不備などが挙げられ、運転手もミスをしたがそのミスを起す要因をJRは作り、またミスを防ぐ設備整備も怠ったと厳しく断罪されています。

ところが医療ではすべて医師個人の責任になることがほとんどです。今回の福島の事件でも診療体制、設備人員不備の責任は一言も触れられていません。ようするにヒューマンエラーを呼び起こすような環境は全く無かったという事です。年間200件の分娩を行い、一人医長で24時間365日働かされる環境はまったく問題が無いということです。それだけの勤務環境でもミスを誘引する環境ではなく、またミスを防ぐ十分なバックアップがあったとしている不可解さに茫然とします。

もちろん加藤医師なみの勤務環境に耐え忍んでいる医者は数え切れないぐらいいます。ただしそれは望ましい環境ではなく異常な環境なのです。本来ならとうの昔に問題化して抜本改正されなければならない環境なのです。医者は患者の命を左右する職業です。大きな判断ミスは患者の生命に関わる事です。しかし医者だって人間ですから神のようにいつも正しい判断を下せる訳ではないのです。防ぎきれないヒューマンエラーを少しでも減らすためには当然のように余裕のある環境がある事が大前提です。

間違っても前日一睡もせずに翌日の診療に従事する事が余裕のある環境とは言えません。休日も出勤しなければならないような環境もまた然りです。勤務時間外でもいつ何時呼び出しが起こるかわからないオンコールも余裕を奪い取ります。どう考えても一人でこなすには過重な仕事量も良いはずがありません。

人間は24時間働けるようにはなっていません。ましてやそんな状態で高度の判断を間違いなく下し続ける事が出来るわけではありません。しかしそんな環境で働いている医師が、医学的には事故としか考える余地も無い事で断罪される状態に、もうウンザリしてきているのです。恵まれない環境の中、高い使命感で医療を支える事はまったく評価されず、その中で事故があればすべて犯罪として断罪する事に嬉々とする社会に絶望し始めたと言えます。

医者はこれまでの「医者叩き」にほとんど反論してきませんでした。反論しないので社会は医者を袋叩きにして良い存在とみなしているようです。どんなに叩いても叩き足りない存在として認識しているようです。これまではそれでも医者は耐えてきました。しかしいつまでも耐えていると思うと大間違いです。医者の反発は静かに始まっています。

医者の反発はプラカードを掲げてのデモ行進などしません。これまで過酷な勤務環境をまったく改善せず放置されていた病院からの離散です。医者もそんな環境で患者のためにと思い、滅私奉公していた精神が日本中でポキポキと折れ始めているのです。これがどれだけ怖ろしい結果をもたらすかは私には容易に想像できます。一般の方にはまだまったく実感がないことでしょうが、遠からず身をもって経験されることになるでしょう。

医療関係者以外の方にはどこにでもある「医療ミス」事件でしょうが、医者にとっては今回の逮捕だけでも衝撃的であり、起訴は深刻な影響を拡げています。これが有罪となろうものなら、冗談ではなく医者の全国ストライキとか、保険診療からの総撤退なんて動きにつながってもたいして不思議はありません。それぐらいの大事件だと医者は受け止めています。

春を思わせる爽やかな天気の下で書いているのに、書けば書くほど心は厳寒の状態になっていく今朝でした。