医療崩壊の序曲3

何か序曲と書いているわりにはだんだん交響曲の雰囲気になって来ているのですが、今日も平和なネタが見つからないので続きを。今日のお話はこれまで書いてきたことと重複する部分も多いののですが、ネタが無い時ですので笑ってお許しを。

医局人事システムは弊害もありましたが、歴史が長いだけあって巧妙に医師を縛り付ける工夫がなされていたと思います。まず病院は医師の安定供給と引き換えに人事権を医局に委ねてしまう。ほとんどの病院が医局に人事権を委ねた結果、勤務医の人事権は医局に掌握されてしまう。医局からの派遣病院も様々で給与待遇その他もろもろであったので、自然にランクが出来る。条件の良い病院に勤めるためには医師は医局に忠誠を誓う必要が生じた。

忠誠の中には大学院に進学して無給で働き、博士号を取るというのもありますし、自分の嗜好とは別に教授のための研究に従事すると言うのもあります。勤務条件の悪い病院にも不平一つこぼさず赴任するというのもあります。医局サイドもそういう勤務評定を記録して、条件の悪い病院のお勤めが終われば次にそれなりの病院に配属したり、学位への有形無形の配慮などが織り交ざっていたのが医局支配であったかと思います。えらそうなことを書きましたが、私自身は医局人事なるものには1回しか遭遇していない当時では珍しい経歴なので、あくまでも聞き書きの範疇です。

おそらく現勤務医の大多数にとっては、医局人事はそれこそ神代の昔からあったシステムで、不合理な面があろうとも、神聖にして不可侵なものであると無条件に尊重していた事と思います。尊重していたこそ、どんな条件の悪い病院への転属命令でも諾々と従い、従いながら「ここで頑張ったら次は認めてくれるだろう」と健気な精勤を行なっていたと考えます。

世間では超勤月100時間は過重労働だそうです。ところがある程度以下の労働条件の病院ではその程度なら「楽な月」と感じられるところが数え切れないぐらいあります。と言うかそんな楽な病院を探すほうが難しいんじゃないでしょうか。そんな条件で働かされても医者はただ「医局の命令だからしかたがない」で現場を支えてきたと言えます。

医局潰しのキャンペインにより権威が徐々に落ちても医局人事は続いていました。医師免許をとっても、医者は医局にでも入らない限り研修する場は事実上ほとんど無く、また医局以外に勤務先を斡旋する機関が存在しなかったからです。ところが新研修医制度で研修医が医局に2年間供給されなくなったことで、医局の地位が劇的に低下する事になります。

手持ちの医師が増えず、また開業や定年で減少し、大学での指導医確保のために人手が割かれると、派遣病院が維持しきれなくなったのです。無い袖は振れないという奴です。無い袖が触れなくなると医師と医局の力関係も変化します。従来は「イヤなら君の勤務先は無い」という脅し文句に医師は震え上がりましたが、貴重な人手でですから、医者の意思を尊重せざるを得なくなったのです。

医者は高度の使命感は持っていますが、しょせん人の子、勤務条件の良い病院と悪い病院のどちらも選択できるなら、ほとんどの医者は良い方を選びます。医局もまた悪いところまで医者を派遣できるほど人手は無く、医局人事が及ぶ範囲自体がドンドン狭くなります。また派遣病院との力関係も変化します。医局が十分な医師供給を保証できなくなったので有力病院は独自ルートで医者の確保に走ります。かつてはそんな背信行為をやれば医局員総引き揚げと言う脅しで阻止していたのですが、医師供給能力を失った医局にはそれを行なう力が既に失われつつあるのです。

長々と書きましたが、長年にわたり医師の研修就職斡旋システムとして君臨してきた医局システムは崩壊寸前です。今後も復活する可能性は低く、むしろ衰退の方向に行きそうだと考えます。これによる地方医療の崩壊現象は前兆よりも確かな兆候を示しています。

医局システムの衰退による地方の医師不足は病院の縮小、閉鎖と言う事態が現実化して初めて問題化しつつあります。条件の悪い病院から医者が逃げ出し始めたのです。ここには医局縮小の影響も濃厚に影を落としており、地方病院を逃げ出しても、医者の足らない医局は残されたテリトリーに即座に斡旋できます。それを見ている他の医者は転属命令に従いません。

県や市の陳情を受けた厚生労働省が対策を打ち出します。公的病院(県立病院、日赤、済生会など)の医師の知事命令による僻地勤務協力義務化です。すごい通達でして、まず医者の誰もがすぐに考えたのは公的病院も人は足りてないことです。ましてや他の医療機関に派遣するほど医者は余っていません。もう一つはこれらの指定された病院からの逃亡です。全国必ずしもそうではないかもしれませんが、民間病院より公立病院に勤務するほうが格が上だと見なされていました。ところがとくに県立病院などでは財政難から給与カットがすすみ、昔ほど歓迎される職場でなくなりつつあります。そこに僻地診療の協力義務化が強行されると、いる理由はなくなります。

公的病院の僻地診療協力義務を嫌って医者がある程度逃げ出すと、有力公的病院も容易に定員割れの状態になります。下手すると業務縮小も余儀なくされます。そんな状態で協力義務と言っても無い袖は振れない状態が来るのも見えているような気がします。目先の利く医師は妙な義務を背負わせられない民間有力病院に逃げて行きます。

どうにもこうにも妙な状況に陥りつつあります。医者の数自体は決して足りていないわけではないのですが、いないところには本当に寄り付かなくなる状況が現実化しています。そうなった原因は時代の趨勢もある程度あるのでしょうが、かなり人為的な影響があるんじゃないかと思ってしまいます。

  • 医局人事システムを懸命になって潰したが、これに代わる人事システムの構築についてはまるで無関心であった。
      今から考えれば医者と言う自尊心の塊みたいな人種に、有無を言わせず命令を下せる権威は必要悪であったような気がしています。無くなってしまえば医者は自分の勤めたい職場を自分の意思で当然のように探す事になります。こういう事態を医局人事を潰そうとする時に想定していなかったとすれば底なしの能無しです。慌てて義務化やら、医師の派遣社員を認めるみたいな姑息な案を出したり、ドクターバンク的な制度を泥縄で作っていますが、どの制度も行き先が僻地病院であったり、勤務条件の悪いところばかりでは寄っては来ませんし、現実に寄り付いていません。

      そもそも医局制度の権威の根源は、そこに属さないと勤務先がなくなると言う恐怖心であり、そこに忠誠を尽くしているとそれなりの見返りが期待できたからです。現在のお手盛り案では、条件の悪い病院への片道切符であり、そんなところに喜んで応募しようとする医者は少なく、また実際勤務しても医局人事のように、ここを耐え抜いたら良い事もあると期待できないので、あっさり辞職してしまう可能性は非常に大だと思います。

      医局制度に代わる人事システムはどう作っても無理があります。法的にあまり強制すれば、それこそ訴訟沙汰になります。せめて公的病院だけでも縛り上げようとしていますが、そうすれば民間有力病院にドンドン逃げて行きます。今の事態を招いたのは医局人事を潰した時から想定され、それの代替システムになんの考慮も払わなかった当局の自業自得でしょう。
  • 新研修医制度の弊害
      理想は高邁ですが、実際には懸念された弊害のみが噴出しています。そもそも2年間で、内科、外科、産婦人科、救急がひと通り身につくなんて事は、医療関係者は誰も信じていませんでした。そんな簡単に臨床技術が身につくのなら、私も含めてこんなに苦労していません。基本的な臨床技術が身についていない研修医にたいした仕事は任せられませんし、研修に来た診療科をする気がない者に、いくら教えてもザルで水を汲むようなものです。

      結局お客様状態で、ポリクリに毛の生えたようなものを2年やっても、ものの役にはあまり立ちません。一方でこの制度のお蔭で、研修医は実際の臨床の現場の物凄さを身をもって知る事になります。研修医が専攻科を来める理由には、「この診療科の医者になるためにはどんなに大変でもがんばる」とまで考える確信派と、「なんとなくおもしろうそう」の興味派がいます。確信派の連中でも現場を見れば動揺するかもしれません。興味派の連中に至っては怖気を奮って逃げ出します。その結果がメジャー診療科の希望者の減少、小児科や産婦人科の志望者の激減につながっています。

      たしか人手不足の小児科、産婦人科、救急の志望者を増やすために「現場を見たら志望者が増えるだろう」的な話があった気がします。今時の研修医はそんなに志が高いのかと疑問を持っていましたが、当然といえば当然結果です。そんな結果が明らかに出ているにもかかわらず、僻地医療の医師不足が問題化してくると「僻地医療を研修プログラムに入れよう」との案が出ているそうです。今度も「僻地医療の現場を見れば志望者が増えるだろう」との事のようです。猿でももう少し学習能力があると思うのですが、どうもそれ以下と判断せざるを得ません。

      今年の研修医のアンケートでかなりの高率で「僻地医療に言っても良い」との返答があったそうです。マスコミはその点だけを強くとらえて報道していますが、研修医は誰も無条件でとは言っていません。僻地に行くならそれなりの待遇と給与を要求しています。また年限も2〜3年程度の想定です。極めて妥当な感覚の返答だと思います。

      いずれにしても一旦作った制度ですから面子にかけても当分続くでしょうし、続く限りはますます激務の診療科を志望する研修医は、坂道を転げ落ちるように減る事だけは間違いないでしょう。
  • 理不尽な医療訴訟の増加
      医療ミスはよくありません。医療ミスが断罪されるのは当然でしょう。ところが現在の医療訴訟は、結果からミスがあるかどうかをすべて判断する傾向が年々強くなっています。ある病気の治療である検査が必要であった時、必要性を説明して拒否され、悪い結果がもたらされた時には、医者の説明が悪いと断罪されます。もちろん患者の拒否を無視して検査すればこれも断罪されます。

      たとえ同意書を取り、署名捺印してもらっても患者サイドから後で「説明がよく分からなかった」「そのように受け取っていない」との申し立てがあれば、「医者の説明が悪い」でこれもまた断罪されます。もちろん事前に説明できていない、ごく稀に起こる突発事態が起こったときにも、結果が悪ければ「医者が悪いです」。福島の産婦人科逮捕事件では、突然の大出血(20ℓ!)で生死の境の患者の懸命の救急処置中であっても、その間に家族に説明が無かった事が悪かったように語られます。では説明すれば良かったかと言えば、その間に患者の容態が悪くなればもっと非難されます。

      正直なところ「どうしたらエエねん」とボヤくしかないような訴訟の地雷原を医者は歩いているようなものです。どの診療科でもある程度の危険性はありますが、産科は猛烈に危ないですし、小児科も非常に危険な診療科です。外科系で手術を伴うならば、これもまた非常に危険です。内科も内視鏡やカテをすれば怖いですし、麻酔科も塀の上を目を閉じて歩いているようなものです。

      小児科も人の事を言えませんが、産科が先に絶滅しそうです。相次ぐ医療訴訟で現場のモチベーションも下がりつつあります。希望者が激減していますので、若い医師の層が先細りです。産科医がいなければ助産婦がいるという意見がありますが、助産婦も医師の承認の名義がいりますから、そんな怖いところに名義も貸す医師はすぐにいなくなります。本当にそんなに遠くない将来に、産科も助産婦もいない分娩が普通になるかもしれません。

      それよりも医者自体になるものが激減する可能性があります。あまりにもリスクが高すぎるという事です。つまり医者になれるぐらいの才能があるのなら、弁護士にでもなって医者相手に訴訟をした方が安全に生活できるからです。現に医者が病院を辞めて法科大学院に通い、弁護士を目指しているものが出てきています。医療の崩壊を食い止めるには、医療事故と医療ミスを明瞭に区別する必要があるのですが、その方面には厚生労働省は極めて不熱心です。おそらく現場の医師のモチベーションの低下など全く耳に入っていないのでしょう。
ぶつぶつ書き並べましたが、ここでボヤいてもなんら変わるわけも無く、虚しさだけがこみ上げています。せめて神社にお参りに行って、お札でももらって、地雷を踏み抜かないように祈る生活を続けましょう。