医療崩壊の序曲2

昨日はベスパ話で一休みしましたが、また重い話を書きます。

従来の医者の人事、就職システムは「悪名高い」とされる医局システムです。名前だけ知っていてよくご存じない方もおられるかもしれないので、ごく簡単に説明しておきます。医者は国家試験に合格したなら自分の専攻科を決めます。内科とか外科とかです。その内科とか外科とかを研修するのに大学の診療科(医局)に所属する事が普通だったのです。良く言えば大学は卒後研修も引き受けていたと言えます。

一方で病院側ですが医療経営のためには医者が必要です。医者の安定確保のために多数の所属医師を抱える医局に人材派遣を依存する事になります。この関係は医者を派遣する医局が、病院のポストを実質医局の支配下においていました。この関係がどんどん拡大していき、国公立の病院及び私立でも有力な病院のほとんどが医局の人事権の下に置かれることになりました。

有力な病院のポストのほとんどが医局の人事権の下に置かれた結果、医師が勤務医として就職するには医局に所属する事が必要条件となってしまったのです。つまり医局に逆らえば有力病院への就職は不可能で、せいぜい場末の独立系病院しか就職先がなくなっていたといえます。そのため医師は医局の命令には服す以外に勤務医として生きる道は無く、どんな僻地の病院への転属命令でも逆らえば就職先が無くなるため黙々と服していた構図です。いわゆる白い巨塔的世界です。

えらく封建的な世界でしたが、これに批判が高まります。「民主的で無く、医者の意思を無視している」との批判です。たしかに人事は常に公明正大とは言えない面も多く、教授が変わればその教授につながる医師は栄転し、非主流派の医師は左遷冷や飯が当たり前でしたから、いきおい教授選は権力闘争の場と化し、勝敗は教授個人のみだけではなく、それを支持した医者全員の将来を左右するものになっていました。

封建的な医局支配に批判が強まり、厚生労働省の音頭もあり、またそれの尻馬に乗ったマスコミの煽りもあり、医局の人事権は徐々に弱体化していました。弱体化の成果はこれまで有無を言わせぬ絶対であった人事命令がある程度医師の要望も取り入れる方向で現れていました。それでも市中病院は医師の供給先を医局に頼る基本構造は強固として残っていましたし、研修医もほとんどは医局に入局するのも普通に存続していました。

ところが弱体化しつつあった医局の人事権にさらに強烈なパンチがとびます。スーパーローテート方式による新研修制度の発足です。この制度では研修医は卒業と同時に専攻科を決める必要が無くなったのです。さらに新制度から2年間は医局人事システムに新しい人材が供給されなくなったのです。たしかに新卒のぺーぺーは役には立たないのですが、半年ぐらい鍛えれば使い走りぐらいは出来るようになり、1年ぐらいすれば半人前も行かないですが、それなりに計算できる戦力ぐらいにはなります。それが2年間途絶したのです。

それと新研修制度では研修医を指導する医師も多数必要としたため、大学病院に医者を引き上げざるを得ず、研修医の供給が無くなり、新たに必要なベテラン、中堅医師の指導医需要が誕生すると、とくに末端の最前線の医療現場で医師不足が深刻化することになります。それでも現場医師は耐えていました。2年すればまた研修医が入局し、苦しい現場も一息つけるだろうと。それだけを楽しみに耐えていたといえば言いすぎでしょうか。

ところが新研修制度1期生の研修が今春に終わるのですが、医療の現場を見て回った研修医の動向に「意外」な動きが表面化したのです。これは「意外」ではないかもしれません、むしろそうなるのが自然だからです。研修医は医局を必ずしも目指さないのです。研修医たちにとって医局はそれ以前の医師の様に絶対の存在ではなくなったのです。

目先の利く市中病院は新研修制度により医局が医者不足から十分な人材供給を出来なくなるのに危機感を感じていました。そのため自前で研修医を受け入れ優遇し、そのまま自分のところに抱え込む戦略を展開したのです。義務の2年間終了後も引き続き研修、就職させる戦略です。これが功を奏し研修医が医局に従来のように集まらなくなったのです。

また研修期間に専攻を決めればよいところから過酷な現場を避ける研修医が続出しました。小児科でも当初志望していたもののうち半分ぐらいは逃げました。産婦人科はもっと悲惨ですし、いわゆる内科や外科などのメジャー科も程度は違えど同様です。

これらの研修医の動向は2年間人手不足に苦しみながら最前線の現場で耐えていた医師たちに少なからぬ影響を及ぼし始めています。まず確実なのは現在の状況は良化する可能性は薄く、悪化する可能性が高いこと。さらにもうひとつわかった事は研修医でさえ自分の意思で条件の良い病院を選んで就職していることです。研修医が青田刈りで優遇されるのなら、中堅医以上ならもっと優遇される事は間違いないことです。

まだ彼らは雪崩を打つところまで動いてはいません。しかし彼らも医局人事権が地に落ちた事をすでに熟知しました。それがまず現れ始めたのが地方僻地病院からの医者の引き上げです。医局自体に医者がいないのですから、そもそもこれまでの派遣病院を維持できないのです。維持できないとなれば条件の悪い病院から撤退し、有力病院に集約するのは当然です。人事権の衰えは地方僻地病院で噴出し始めています。

研修医の供給が減る事が確実になれば、僻地病院だけではなくある程度の中核病院にも波及してきています。一定人数以上の医師が配属され、最低限の人間的な仕事(医者レベルで!)が出来るのでなければ、医者が寄り付かなくなっています。たとえ医局がカビの生えた人事権をもう一度振りかざしても医者は承諾せず、自分で就職先を探して医局から逃げ去ります。

市中病院も従来は医局人事に逆らって自前の医師確保などをすれば医局からの強烈なシッペ返しがあったのですが、医局にそんな力がなくなれば、大手を広げて医師を自前で探し確保します。病院同士の医師争奪戦になれば、大都市の大病院が必然的に絶対有利な位置を占めます。相対的に地方病院は医師の枯渇に苦しむ事になります。もうすでに苦しみ、縮小、閉鎖を余儀なくされている病院がボツボツと現れています。

数年の間は医師の売り手市場が続くと見ます。状況を敏感に感じ取った医師はさっさと条件の良い病院を自分で探し、売り込み就職します。「地域のため」として残った医師も歯が欠けるように人手が減れば、義侠心から支えた現場もやがて限界となり崩壊の道筋をたどる事になります。地方になればなるほどこれは早期に現れ、ひとつの病院の崩壊が周囲の病院の連鎖崩壊を呼び起こす事になります。

ここまで書いた事はべつにアングラ情報をかき集めたものではなく、ごく表面的な事象をなぞっただけです。もっと言えば医局制度の弱体化の時からささやかれ、新研修制度の施行の時から懸念されていた事がついに出てきただけの事です。

医者は早くから不安を抱いていました。今や深刻と言って良いかもしれません。とくに地方医療を支えてきた医者は明日はどうなるかと固唾を呑んで形勢を見ている状態といっても良いかもしれません。もう一歩でもこの情勢が悪化すればいつでも雪崩を打つような不安心理が、多数ではありませんが、確実に育っているところです。まだ総崩れに至っていないのは、それでも残っている医局への信頼感です。

今後どうなるかはなってみないと分かりませんが、医者サイドの深刻さに較べて地方行政サイドの危機感の無さは驚くほどです。漫然と医局からの医師供給に頼り切っていた地方病院では、医局からの派遣打ち切りに右往左往しています。医局制度はマスコミを始めとして世論が寄ってたかって潰しているのですが、それに代わる新しい人事システムは存在していません。無力化しているのに医局に頼る、医局人事であってこそやむなく来たような悪条件であるのに公募で集めようとする、あげくは県や国に陳情となります。

私は今から何年かは混乱の時代が来ると予想しています、医局という人事システムの重石が取れた医者は自らの意思で就職する病院を選びます。大都市の設備人員の整った病院には人気が集まります。逆に条件の悪い病院は医師を招聘するのにかなりの高待遇が必要となります。つまり医者が就職先を選ぶのは資本主義の法則に従う事になります。起こる結果は今よりも幾層倍もひどくなる医者の偏在です。

尾鷲市民病院が産婦人科医を一人招聘するのに5000万以上を費やしたのが話題になりました。現在はこれを突飛な例として扱っていますが、そこまでしても医者が来ないことさえ今後は予想されます。

もうすぐ4月、どの程度の事がおこるか心配です。