老婆心

shy1221様のハイハイに便乗させて頂きます。超映画時評『玄牝 -げんぴん-』70点(100点満点中)より、

 舞台となるのは愛知県の岡崎市にある吉村医院。医院に併設した日本家屋で、妊婦たちに家事労働をさせることで安産を目指すという、自然派志向の産婦人科だ。そこで妊婦たちは、臨月になっても結構な重労働にいそしんでいる。洗濯機や掃除機に囲まれ、もはや家事が肉体労働ではなくなった現在、ぞうきんがけやマキ割りなどをおなかの大きい女性たちが平然とこなしている様子は、見る者を驚かせるだろう。

近年でこそ、(安静ではなく)運動こそが安産のキーポイントであることは常識となっているが、この医院では昔からこうした指導を行ってきた。出産時も陣痛促進剤はもちろん、会陰切開などの医療介入はほとんど行わない。

「安全性第一」がいつのまにか「母子の命さえ救えば文句はなかろう」になりかねない一般の医療施設ではおろそかにされがちな、「産む喜び」「産む快感」を味わいたい女性たちが、全国からここにやってくる。

そんなこと百も承知よという自然派マニアなあなたにも、吉村正院長の内面に迫ったこの映画は必見である。著書を読んでるだけではわからない、その苦悩と悩める姿。私にとって一番の収穫もそこであった。吉村医院マンセーな監督では、ああいうシーンは撮れなかったろう。

人間の一生は試練の連続である。その第一歩、誕生の試練すらくぐ抜けられぬような命では仕方がない。そんな価値観で、死産すら受け入れるこの病院(とそこに集まった妊婦たち)は、ごく一般の日本人の目にはどう映るだろう。安全と生を至上とする価値観に凝り固まった目では、到底理解できないかもしれない。

だから医療出産派と自然出産派の議論は、永遠にかみ合わないのが常。後者は前者を理解はできるが、前者は後者を理解できない(したがらない)。だいたいそんな感じだ。我が国の周産期死亡率の低さを見て満足しているような人々には、ここに出てくる人たちの悩みや目指すものはまず見えてこないだろう。

逆に、多少なりとも出産時の医療介入に疑問をもつ人にとって、この映画は多くの示唆と感動を与えてくれる。最大の見どころは、ある女性が幼い長男を立ち会わせる出産シーン、そして、医療介入により与えられたトラウマを打ち明けるある女性のシーンである。

映画監督には表現の自由があり、公序良俗に反しない限り、自分の信じる事、訴えたい事を映像で表現するのは認めます。この映画に批判的な医療人はテンコモリいますが、私は見ていませんし、見るつもりも金輪際ありませんから、映画自体には基本的にノーコメントです。

取り上げたいのは映画への批評です。映画批評も基本的に言論の自由があり、さらに興行的な成功のために提灯批評がしばしば行なわれる事もあるとは聞きますが、この批評がそうであるかないかは知る由もありません。ただ提灯であろうかなかろうが、公表された批評に対する批評には耐える必要があると考えます。書いたものに対する責任も言論の自由のうちだと考えます。

さてなんですが、この批評には非常に刺激的な表現が散りばめられています。舞台となっている産科医院の基本方針である自然分娩(原始分娩)礼賛がどうやら映画のベースで、これを称賛する批評のようですから、どうしても病院での管理分娩否定を趣旨とするのは理解します。そういう姿勢自体もとやかく言う気は今日はありません。

ただ生と死と言うか、死を軽く見ると感じさせる表現は非常に気になります。日本の分娩での胎児、新生児並びに母体の死亡率は非常に低くなっています。これが世界トップレベルであるのは説明の必要もありませんが、それでも死亡することはあります。母体死亡は目も当てられぬ悲劇になりますが、妊娠中の胎児の死亡や、分娩時の新生児の死亡も当事者には耐え難い悲しみになります。

医療関係者は日常的にそういう死と直面しながら仕事をしていますから、幾分慣れはあるとは言え、それでも大きな衝撃を受けますし、そのあとの家族への対応も非常に気を使います。最近では訴訟がらみの話もあってとくにとも言われていますが、それ以前に胎児や新生児とは言え、人の死と言うものの厳粛さに直面したときのマナーでもあるからです。

    「安全性第一」がいつのまにか「母子の命さえ救えば文句はなかろう」になりかねない一般の医療施設ではおろそかにされがち
この程度は批評のスタンスから寛大な医療関係者は許容します。
    「産む喜び」「産む快感」を味わいたい女性
何を書いているのかお判りになられているか疑問を持ちますが、ここも許容します。
    誕生の試練すらくぐり抜けられぬような命では仕方がない
ここは筆が走りすぎではないでしょうか。分娩時に我が子が命を落としても女性にとっては辛い経験として残ります。さらにそれ以前、妊娠中に流産となっても深い悲しみとして残ると聞いています。私は男性なので最後のところの共感が難しいとは自覚していますが、決して「じゃ、次」みたいなものではないとされます。

批評には、この文章に引き続いて、

    そんな価値観で、死産すら受け入れるこの病院(とそこに集まった妊婦たち)
としていますが、本当に「誕生の試練すらくぐ抜けられぬような命では仕方がない」なんて思っているのでしょうか。いや分娩前、もっと正確には我が子が実際に死ぬまではそう思っていても、死んでからも集まった妊婦たちはそう思っているかに疑問を感じます。まあ、ここについては実際にそうである妊婦の経験談も読んだことがあるので、集まっている妊婦と言うか、分娩まで至った妊婦はそうなっているかもしれません。

今日のテーマは老婆心ですから、そういう例外的な妊婦以外の普通の感情の女性に対して、配慮が相当足らない様に感じてなりません。時と場合によっては大失言として取り扱われても、さして不思議ではないと思います。この批評が時と場合によるかどうかは個人的には微妙と思っています。

    医療出産派と自然出産派の議論は、永遠にかみ合わないのが常
ここは今日の趣旨からすると触れる必要が乏しい部分かもしれませんが、永遠にかみ合わないわけではありません。これは医療側の意見ですが、自然出産をされたいと言うのなら、それこそ個人の自由です。医療者としては自然出産へのリスクは説明するのが義務ですから啓蒙として行ないますが、これを止める権利はありません。

自然出産をリスクを押してもやりたいというのなら「どうぞ」です。ただし土壇場で医療に頼られると非常に困ると言う事です。産科医療の余裕のなさは説明する必要もありませんが、ギリギリで回している現場に「自然出産じゃ無理なのでよろしく」と駆け込まれるのは迷惑以外の何者でもないと言う事です。批評家の言う医療分娩で少しでも安全に出産したいと努力されている方への支障になるからです。

自然出産派と称する人々は、最後に病院に駆け込むというオプションを常に持ってのものであることを、どれだけ自覚しているのか、かねがね不思議です。それは映画の題材となった産科医院でも無茶苦茶有名です。周囲の医療分娩派の病院の莫大な犠牲の上に、この産科医院が成立している贅沢さを理解しているのでしょうか。

その一点を解消すれば、医療分娩派と自然分娩派は議論すら不要になります。接点がなくなるからです。最後の駆け込み寺に医療分娩派の医療を必要している事が、議論のすべてと言っても良いと思っています。まあ、こんな難しい話をこの映画評論家にするだけ無駄かもしれません。次の個所も連動しています。

    我が国の周産期死亡率の低さを見て満足しているような人々には、ここに出てくる人たちの悩みや目指すものはまず見えてこないだろう
産科と言う医療の存続に悲鳴を上げ続けている現状で、周産期死亡率を支えている努力を冷笑するのは、それでも良しとしましょう。その産科医院及びそこに集まる妊婦が何を目指すのも勝手ですが、頼むからスタンド・アローンでやってくれと言う事です。周囲に甚大な迷惑をかけながら成立している存在を賛美するのは如何なものかと言う事です。

それと周産期死亡率が悪化すれば、この批評家は言わないかもしれませんが、それ以外の有象無象の評論家が大バッシングを行うのも自明の事です。産科医も数字のためだけに働いているわけではありませんが、この数字は絶大な努力の結果の表れでもあります。もっとも、この数字が産科医を逆に苦しめている皮肉については今日は置いておきます。


それと子供への愛情は産み方ではありません。母乳やミルクの問題でもありません。帝王切開か否かでもありません。そんな事で我が子への愛情が左右されるのなら、父親の立場がありません。父親は母親とまったく違う立場であるとは言え、我が子の健やかな成長を願う親としての立場は同じです。父親は母親の様に妊娠・分娩と言う過程を経ていませんが、我が子への愛情は母親に劣ると思っていません。

子育ては出産がゴールではありません。出産はようやくのスタート地点に過ぎないと言う事です。スタートしない事には出発しないのが子育てです。そして長いのは分娩までの道のりではなく、子供の成長の過程です。大袈裟に言えば自分が死ぬまで責任を感じ続けながら続く、長い、長いマラソンのようなものです。マラソンと言うよりトライアスロンみたいなものかもしれません。

私は小児科医であり、この評論家の言う医療出産派ではありますが、子供がどんな手段を尽くしてでも人生のスタートを切らしてやろうと考えるのが正義と思っています。スタートしない限り、子供の人生レースは始まらないからです。自分の考えを押し付ける気はありませんが、

    誕生の試練すらくぐり抜けられぬような命では仕方がない
どうしてもこれに大きな違和感を感じざるを得ませんし、私のような医療関係者以外でも大きな違和感を持った人間が多いんじゃないかと思っています。たかが映画批評に目くじらを立てるのもどうかなんですが、あくまでも老婆心から御心配させて頂きます。