ツーリング日和20(第14話)金鑵城

 ありえないと思っていた連絡が秋野先生からあったのには腰が抜けるほどビックリした。誰かの悪戯だと思ったもの。内容はマスツーへのお誘いだ。どうしようか悩んだけど、どう考えたって乗らない手はないだろ。

 待ち合わせをしたのだけど、本当に来てくれるのかドキドキしながら言ったもの。ドキドキし過ぎて一時間前に行ってしまった。早く行ったからって、早く会えるわけじゃないけど、秋野先生相手に遅刻は論外だろ。秋野先生は待ち合わせ時刻の十五分前に来てくれたのだけど、

「お待たせして申し訳ありません」

 そんな事なんかない。まだ待ち合わせ時刻の十五分も前だし、早く来たのはこっちの勝手だ。今日のマスツーだけどインカムも仕込んでる。出発前に調整して、

「調子は良さそうですね」

 バッチリだ。今日行くのは金鑵城らしいけど、聞いたことがないな。

「どうしても仕事がらみになるので申し訳ありません」

 いえいえトンデモございませんだ。秋野先生の仕事にお付き合いできるだけでも光栄だもの。それと歴史だって嫌いじゃない。歴女じゃないけど興味はある。嫌いなのは歴史のテストだ。

 どうやって行くのかと思ったけどまずは新神戸トンネルか。箕谷から呑吐ダムの湖畔の道を走り抜けて御坂だ。信号のところに御坂神社があるけど行ったことはない。そこから三木の方に向かうのだけど、志染中学の先の信号で右折か。

 この信号のところにうどん屋があるのだけど、あそこって美味しいのかな。だいぶ前からあるけどお世辞にも綺麗とか、立派な店じゃないのだけど潰れてないものな。もちろん行ったことはない。

 この道はネスタリゾートの前を通るのだけど、ここは行ったことがある。あそこはマナミの時に成人式の会場だったんだ。でも不便だったな。だってクルマじゃないと行けないじゃない。

 それにあの頃はグリーンピアだったけど、スポーツレジャー施設みたいなところじゃない。あんなとこに晴れ着で行ってどうするのかと思ったもの。この辺は当時の幹事と言うか実行委員の考えがあったみたいで、

『普段着で参加しよう』

 あの頃は成人式が華美すぎるって声があったのよね。それに実行委員が乗っかったのか、市の意向があったのかはわからないけどとにかくここが成人式会場だったんだ。だけどさぁ、成人式の晴れ着って見栄とは言い切れない部分があると思うんだよ。

 北九州市とかはそうかもしれないけど、この辺だったら大人の晴れ着と言うか正装を整えるって意義もあると思うんだよね。男子のスーツなんてそうだろ。女子の着物は微妙なところもあるけど、あれだって結婚式とかの正装に使う事だってあるじゃない。

 そりゃ、そのたびにレンタルにすれば良いようなものだし、成人式だってレンタルで参加してるのはいるけど、日本人なら振袖の一枚ぐらい持っていたって良いと思う。まあ、着るのが大変だから普通は実家のタンスの肥やしになるのは否定しないけどね。

「そういう機会でもないと着る事もありませんよね」

 そういうこと。成人式だってある種の伝統行事だし、その時には晴れ着なのが風習だと思ってる。済んだことだからもう良いけどね。さてとネスタリゾートを過ぎたら突き当たって左か。

 星陽中学が見えて来たけど廃校になったのに驚いた。少子化の影響なんだろうけど、統合先が三木中だそうなんだ。あんなとこまでどうやって通うんだろうな。バスもあるけど不便だし、自転車で通うにも結構な距離だもの。

 豊地の交差点に出て来たけど、えっ、左に行くの? てっきり右に曲がって桃坂ぐらいからだと思ってた。となると三木まで出るのかな。そう思ってたら八雲神社のところに入るのかよ。金鑵城ってそんなところにあるのかな。

 この道は丘越えのワインディングだ。丘を越えたらまた左に行くのか。もうどこ走ってるかわかんないよ。えっ、こっちに入るのか。なんかゴルフ場があるぞ。ゴルフはやらないから良くわからないけど、なんかややこしいな。

 と思ってたら国道一七五号バイパスだ。それも越えるのか。小野の市役所があってイオンがあるってことはあの辺だ。これも通り過ぎてまた田んぼの道になったけど、この調子なら前に見える山と言うか丘に行きそうだ。

 やっぱりそうなったけど、丘を登るとここは知ってるぞ。子どもの頃にブドウ狩りに来たことあったはず。てなことを思ってたら加西市だ、

「右に入ります」

 えっ、こんなとこ。夢の森公園ってなってるけど、今日行くのは城跡のはずなんだけどなぁ。でも入ったのは公園の駐車場。ちゃんと自動販売機もあってトイレも整備してあるよ。でも城跡はどこだ。

「あそこです」

 あれなの。木の柵みたいなのが見えるけど、あれが城跡だって。お城ってさ、石垣があって、白い壁があって、櫓があってじゃないの。歩いていくと空堀みたいなのに橋がかかってるけど、

「ここは城跡と言っても中世の山城ですから」

 なんかお城っていうより、そうだな、西部劇に出てくるような砦って感じだ。でもよく整備されていて、

「見晴らしも良いでしょう」

 うん、これは一望って感じだ。当時の物見櫓みたいなものも復元されていた。そっか、そっか、こういう感じからマナミも知っているお城に発達していったかもだ。ここには土塁も残ってるけど、これが石垣になり、木の柵が壁になり、掘っ立て柱の物見櫓が白壁の櫓、さらに天守閣になったのかもしれない。

 秋野先生も興味深そうにあれこれ見て回ってるのだけど、どうも一番興味があるのがこの城の名前みたいなんだ。えらい難しい漢字なんだけどあれは、

『かなつるべじょう』

 こう読むんだよ。そいでもって、

『つるべ = 釣瓶』

 これで良いみたいだ。これにちなんだ井戸の復元みたいなものもあるもの。金釣瓶っていうぐらいだから黄金の釣瓶でもあったのかな。

「秀吉でもそこまでしないと思います」

 それもそうだ。秋野先生がいうには、金属の桶を使っていたんじゃなかと考えてるみたい。当時の井戸から水を汲み上げる方法は時代劇で見たことがある。たしか上から水桶を放り込んで、ロープで引っ張り上げてたはずだ。

「ここもそうだったと考えていますが、その水桶が金属製だったはずです」

 まずだけど当時は金属製の水桶なんてなかったはずだけど、鋳物だから技術的には作れたはずだとしてた。だけど、

「金属と言っても鉄か青銅ぐらいでしょうから水に強いと言えないかと」

 鉄なら錆びるだろうし、青銅なら・・・どうなるんだろう。どっちにしても水桶に使うには贅沢品だったのは理解した。そもそも重そうだものね。それでも使っていたから城の名前になったのだろうけど、

「そこも妙だと思いませんか」

 城の名前の由来はあれこれあるだろうけど、戦争の拠点みたいなところじゃない。だったら金釣瓶ってしたからには、なんらかの軍事的とか政治的なアピールの意味があると考えるのか。でもさぁ、水桶を金属製にしたって強そうな感じなんてないじゃないの。

 それが武器になるわけじゃないし、金属製だからって井戸水の汲み上げ効率が良くなると思えないよ。防御兵器と考えても何に使うって言うのよ。

「その通りだと思います。だからまず考えたのは富力のアピールです」

 富力って経済力とか、ぶっちゃけお金持ちアピールだよね。なるほど、他では使うなんて考えもしない金属製の水桶を使うぐらいリッチだってアピールか。それも無いとは言えないけど無理あるな。

「もう一つは武力の誇示と言うか、戦功の宣伝ぐらいです」

 なんだそれって思ったけど、戦利品の活用って意味か。たとえばだけど、どこかの城を攻め取った時に、その城に金属製の桶があったとするじゃない。その存在が有名だったとして、それを奪い取って井戸の水汲みに使ってるぐらいか。

 でもさぁ、でもさぁ、それだったらそれで、それにまつわるお話がセットであるはずよ。だってだって、その金属製の水桶が有名じゃないとならないじゃない。それとそれを持ってる大名が強いとか、大きいとかだよ。そこに勝って、奪い取ったからこそ名前が轟くはずじゃないの。そんな話はあるのかな。

「見つかりませんでした」

 この辺はそういう話と言うか伝承が消えてしまった可能性もあるとしてた。どうみたって大名とか言っても小さそうだし、元の城主は滅ばされたってなってるからね。なんだかんだと言って残ったのが金鑵城の名前だけみたいだもの。

 でも話として面白かった。そういう目の付けどころもあるのかって思ったもの。言われてみれば不思議な城の名前だもの。そんな名前になったのはなんらかのドラマがあるはずだよね。

「歴史はですね、わからないところの方が多いですし、わからないところをあれこれ考えるのが楽しいと思っています。それを事実として立証しようとするのが専門家ですが、あれこれと勝手な想像を膨らませるのが歴史オタクです」

 上手いこと言うな。学校での授業が詰まらなかったのはまさにそこの気がする。だって歴史なんて考えるものじゃなくて、覚えるだけの教科だったじゃない。過去の歴史を知るという意味では嫌いじゃなかったけど、テストになったら暗記量の競い合いだけだったもの。

「どんな教科でも基礎知識は丸暗記になりますが、高校ぐらいまででしたら丸暗記しかしならないですよね」

 その通りだ。勉強自体が嫌いだったのは置いとかせてもらうけど。歴史だってこういう応用部分があれば楽しいじゃない。

「マナミさんも嫌いじゃなくて嬉しいです」

 わぁ~い、褒められちゃった。

ツーリング日和20(第13話)まさかの人

 男は一流企業のエリートだったようだ。いわゆる同期の出世頭で、期待のホープとか、次代を背負うとされてたぐらいかな。イメージだけはマナミでも出来る。

「あの頃は出世レースに血道を挙げてたのですが・・・」

 この辺は会社によって変わるのだろうけど、出世とは椅子取りゲームみたいなものだ。だって誰もが座れるわけじゃないもの。たとえばだよ、社長の椅子なんて一つしかないものね。

「出世もある段階からは様々な要素が絡んできます」

 たとえば同期前後に飛びぬけて優秀なのがいたとしたら、そいつが出世の壁になるのか。それだけじゃなく、社内派閥まで出てくるのか。まるで島耕作の世界だな。

「近いと言えば近かったのかもしれません。重役クラスになると社長の座を巡る争いになりますからね」

 だからある時期になると、どの派閥に属するかの選択が迫られるみたいだ。副社長派とか、専務派とか、常務派みたいな色分けなんだろうな。でもこの選択を失敗すれば、

「親カメがこけたら子カメも転ぶの世界になります」

 それはそれでシビアな世界だ。それとどの派閥を選ぶかは、

「それこそ若手の頃にお世話になったとか、大きなプロジェクトを一緒に成し遂げたなんてのはあります」

 人脈ってやつだろうな。トップを目指す連中はそうやって子分を増やして派閥を作るぐらいで良さそうだ。マナミの勤めたてたような小さな会社じゃ想像もしにくいけど、

「色々あったのですが専務の娘と見合いさせられて結婚です」

 出たぁ、政略結婚だ。話には聞くけどその実行者と話すのは初めてかも。でどうだったの、やっぱり愛のない結婚だったとか。

「経緯はともかく温かい家庭を望みました。父親を中学の時に亡くしましたからね」

 えっ、えぇぇぇ、そうなると中学からは母子家庭だよね。

「それでも大学まで進ませてもらって感謝しています」

 頑張ったんだ。

「高校までは部活していたのでバイトで家計も支えなかった親不孝者です。それなのに東京の大学に進学して下宿でしたから、それぐらいは当然です」

 そういうけど特待生になって奨学金で進学して、バイトして生活費も学費もすべて賄っていた苦学生じゃない。

「大学を卒業したらボクが支えてやるって意気込んでいたのですが・・・」

 お母さんは体が弱かったみたいで、

「母には苦労をかけたと思っています。社会人になって間もなく亡くなってしまいました」

 サラッと話してるけどお父さんが亡くなった後は大変だったはず。きっとお母さんは優秀な息子にすべてを懸けてたんじゃないかな。それに応えようとしてこの男も頑張ったで良いはずだ。

 これからと言う時にお母さんも亡くなってしまったけど、その遺志を継いでエリートコースを驀進してたんだろう。底辺からの這い上がり物語みたいなものじゃない。

「まあ、それはありましたね」

 その専務の娘だけど、まず美人は美人だったみたい。ヘチャムクレを押し付けられたわけじゃなかったみたいだけど、

「どうにもヒステリー体質でして・・・」

 聞いていると半端なヒステリーじゃなくて、そこまでなら病気じゃないかな。さらにみたいな話だけど、何かがあれば実家を持ち出してマウントを取ろうとするタイプだったのか。

「随分言われましたよ」

 それ以上は笑って話さなかったけど、

「そうそう子どもがいない話もしましたが、あれも参りました。検査したら種無しだったんですよ」

 そうなるとなおさらみたいな状態に。だからと言って離婚なんてすれば、

「ヘタレだったと笑って下さい。そんな事をすれば出世レースから落伍しますし、良くて閑職に左遷。たいていはクビと言うか自主退職に追い込まれますからね」

 やっぱりそうなるのか。ここまで苦労して這い上がって来たんだものね。出世のために冷え冷えとした家庭を維持してたのだけど、

「あれも計算外みたいなみたいなものです」

 えっ、えっ、あの関空の飛行機事故に専務夫妻が巻き込まれたのか。言われてみれば、そんな会社の重役の名前が出ていた気がする。着陸時のトラブルで機体は炎上して死者が多数出たやつだ。専務の家は資産家だったらしいけど遺産は、

「一人娘である妻が相続しています」

 他に行き場所がないものね。

「後から思えばみたいなものですが、あの頃から妻はさらにおかしくなっていました。両親の突然の死亡のせいだと思ってはいたのですが・・・」

 ある日に倒れたそう。病院に担ぎ込まれたのだけど、

「手の付けようがないぐらいの脳腫瘍でした」

 三か月もたなかったのか。でもそうなると、

「妻の遺産を受け継ぐのはボクだけです。もっとも社内にも居場所が無くなってましたけどね」

 この辺も良くわからないけど、専務の娘と結婚したぐらいだから、この男が専務派の後継者だったのかもしれない。だけどまだ若かったと言うか、

「さすがに次の次の次ぐらいでしょう。もっともそんな先の事は誰にもわかりません」

 結果で言えば専務派はなくなってしまったのか。そうなれば無派閥になるのだけど、無派閥じゃ、

「冷や飯しかありません」

 だから会社を辞めたみたいだ。でも遺産はガッポリじゃない。

「少ないとは言いませんが、短期間に二回も遺産相続をしたものですから・・・」

 ああ、相続税にガッポリ持っていかれてしまうのか。あれも色んな計算があるらしいけど、

「大雑把にいうと一回の相続で半分以上なくなりますから、残ったのは四分の一ぐらいです」

 それでもかなりの額で良さそうだけど、今はどうしてるの。

「ライターです」

 ダンヒルとかカルチェとかデュポンとか、

「そっちじゃなくて書く方です」

 こうやってあちこち見て回りながら、紀行文見たいなものを書いてるのか。なかなか優雅な仕事だな。うん、ちょっと待て。バナナイエローのモンキーに乗ってそういう仕事をしてる有名人を知ってるぞ。まさか、まさかと思うけど、

「よくご存じですね」

 名刺をもらったけど秋野瞬じゃないの。ビックリしたなんてものじゃないよ。こんな有名人と話していたんだ。それにしてもだけど、

「脱サラですよ」

 それはそうだけど脱サラでちょっと成功したってレベルじゃないもの。でも正体がわかってしまうとなんて呼ぼう。やっぱり秋野先生だよね、

「先生なんてやめてください。瞬で良いですよ」

 ちなみにペンネームでなくて本名だって。だけどさ、瞬なんて呼べるわけないじゃないの。そもそも年上だし、こっちは無名のバツイチ女だ。身分が違うよ。身分は変か。住んでる世界が違い過ぎる。

「まあライターの世界も特殊と言えば特殊ですからね」

 そういう意味じゃない。それにしても気さくだな。

「普通のサラリーマンでしたからね」

 どこがだ。ガチガチのエリートサラリーマンだろうが。大会社の社長だって夢じゃなかったぐらいだ。

「あの世界はやっぱり肌に合わなかったと思います。人間模様を書くのは好きですが、その渦中で生きていくのは疲れました」

 それはわかる気がする。政略結婚だってそのままみたいな世界だし、冷え切った夫婦関係だって出世のためには離婚すら許さないものね。この際だから聞いてやれ。再婚は考えていないのかって。

「さすがにね。少なくともあんな結婚生活はもうコリゴリです。それに種無しまでわかってしまいましたから無理でしょう」

 種無しでも秋野瞬ならいくらでも集まって来るって、

「そういうのはもう良いです。それでも、もし再婚するなら、心がホッとするような人が良いですね」

 そうなるだろうね。いずれにしてもマナミの眼は間違っていなかった。まさに飛び切りのイイ男だった。見た目は渋いし、ダンディだし、インテリジェンスも高い。そのうえカネも十分に持っている。

 だって遺産だけでもタップリありそうなのに、売れっ子の小説家でもあるんだよ。言うまでもないけど死別したから独身だし、コブも付いていない。種無しなのもマナミには無関係だ。

 残念なのは飛び切り過ぎたところだ。世の中は釣り合いがどうしてもあるものね。それから神戸までマスツーさせてもらって帰ったんだ。連絡先も交換はさせてもらったけど、これきりだろうな。

 突撃したいけど、さすがにね。こっちだって身の程ぐらいは心得てるつもり。でももったいなかったな。せめて著書にサインでもしてもらったら良かった。とは言うものの、そのために本屋を探して立ち寄るなんて出来なかったもの。

ツーリング日和20(第12話)福住

 ちょっとだけときめいた蕎麦屋だったけどもう会えないだろうな。まずだけどあの男が次に目指すのは九分九厘篠山だ。ここからならそうなるはずだ。だから再会を目指して篠山に向かうのはありだけど、まず篠山で再会できるかはある。

 そんなに大きな街ではないけど、それなりの規模はあるからね。それに再会したって既婚者ならアウトだ。不倫とか略奪愛は趣味じぇねえ。ぐたぐた考えずにもともとの目的地に行こう。今日は篠山じゃなくて福住だからね。

 最近は古い街並みに人気が出てるじゃない。昔から有名なのは飛騨高山とか、馬籠とか妻籠だけど、それ以外も売り出しているところがあるんだよ。福住もその一つかな。ここも宿場町で昔の風情が楽しめるってなってるんだ。

 篠山市街を遠くに見ながら東に東に走ってく。思ってたより遠いな。ナビで十二キロぐらいなんだけどな。突き当たったら右に曲がって、なんか案内が出てるぞ。伝統的建築物保存地区は左となってるから、ローソンがある信号を左に曲がったら良さそうだ。

 えっとえっと、右側に見えてるのが福住の宿場町のはずだから、どこかから右に入らないといけないはずだけど、ここを右に入れってなってるから曲がってみよう。左側にえらい年代物の倉庫みたいなものがあるけど農協の倉庫って書いてあるな。

 どっかにバイクを停めたいのだけど、こんな案内板があるぐらいだから駐車場もセットになってるはず。そりゃ、バイクだし、モンキーだからどこでも停めれるようなものだけど、出来れば駐車場なり駐輪場が良いんだよね。

 突き当たったところが宿場町を通る道のはずだけど、なんにも案内が無いな。とりあえず左に曲がってみるか。古い家もあるけど、新しい家も混じってるな。それはともかく停めるところをどうしようか。

 おっ、あそこにえらいクラシックな郵便ポストがあるじゃないか。それも茶色の板塀の前ってイイじゃない。あそこにモンキー並べて撮ったら絵になるぞ。インスタやってないけどインスタ映えするはず。

 写真の前にスマホのナビを確認しておこう。ここが福住の宿場町なのは間違いないはずだけど、そのどの辺なのか、バイクをどの辺に駐車できるかさっぱりわからないんだよね。でもさぁ、スマホって思うんだけど昼間の明るいところって見にくいんだよね。えっと、えっと、現在地は・・・

「どうされました」

 また声をかけられたけど、この声ってもしかして・・・やっぱりそうだ。あの男も福住に来てたんだ。駐車場を探してるって答えたんだけど、

「だったらこの裏ですよ」

 ホントだ。黄色のモンキーの隣に停めさせてもらって、

「一緒に行きましょうか」

 行く行く。このままホテルだって行きます。男は下調べもしっかりしていたみたいで、

「中心地と言うか、見どころは西側みたいです」

 福住って宿場町だけど、篠山から近いのよね。

「篠山から三里ってところでしょうか」

 おいおい里ってなんだよ。昔の距離のことのはずだけど、たしか一里は四キロぐらいだったはず。篠山から十二キロぐらいだから合ってるのは合ってるみたいだけど、

「よくご存じですね。だから篠山から三時間ぐらいになります」

 はぁ、どういう計算でなぜわかる。一里が四キロなのは間違いじゃないそうだけど、長さは地形によって変わるって初耳だ。そりゃ、昔の事だから長い距離を正確に測るのは難しいとは思うけど、

「あれって成人男性が一日で歩ける距離を十里としたものなのです」

 だったら昔の人は一日に四十キロも歩いていたと言うのかよ。

「それはあくまでも平地でのことです。たとえば東海道なら・・・」

 江戸から京都まで五十三次じゃない。これは宿場町のことだから五十三日かかると思ってた。だって江戸から京都だぞ。二か月ぐらいはかかるはずじゃない。でも実際は二週間ぐらいだったらしい。でもって江戸から東京まで五百キロぐらいだそうだから、えっと、えっと、

「一日に三十キロ強ぐらいになります」

 ただこれはあくまでも現代の距離換算だから、里でいうと百二十四里八丁ってえらい細かいな。

「だいたい九里ぐらいになります」

 十里になっていないのは、その日の歩いた都合の宿場町の関係があったり、どこだったかな、橋が無いから人足に背負ってもらう川があったり、

「海路もありますからね」

 桑名で焼き蛤を食べるやつだ。それに二週間も歩くのだから、早めに休憩にして休んだ日だってあったはず。

「他には日の長さもあると思います」

 なるほど! 冬は夜明けが遅くて、日が落ちるのが早いものね。なるほどホントに十里も歩いてたんだ。だから篠山から三時間ってことになるのか。それはわかったけど、だったら篠山から近すぎるじゃないの。

「この辺は様々なのですが、城下町と宿場町は別のことがあります」

 江戸時代と言えば天下泰平みたいなものだけど、それでも他国からの来訪者には警戒してたのか。あれだな、公儀隠密がその大名の陰謀を暴くってやつだろ。

「薩摩飛脚なんてそうでしょう」

 飛脚って江戸時代の郵便屋さんのことだよね。

「薩摩はとくに厳しくて他国からの侵入者はシャットアウト状態だったそうです」

 そこをかいくぐって侵入に成功したらお手柄だけど、見つかれば捕まってスパイとして首を切られたっていうの。

「だから行ったきりで帰らない人の事を薩摩飛脚と呼ばれるようになったそうですよ」

 この男は本物だ。歴史に詳しい人は単なる歴史オタクの場合もあるけど、知識人の教養と言うらしいからね。

「いえいえ単なる歴史好きで歴史オタクです」

 本物の歴史オタクが自分でオタクって言うはずがない。そんな話をしていると福住の中心街に入って来たみたいだ。だいぶ感じが良くなってきてるけど、

「そう簡単に高山になりませんよ」

 だよね。だってここはちゃんと人が住んでるし、住んでたら建て替えだってするよ。高山クラスに仕上げるには時間と投資と規制が必要なはず。もっとも行ったことないけどね。それでもこれはこれで悪くないし、来て見るだけの価値はあると思う。

「良かったらお茶でもしませんか」

 来たぁ、お茶への誘いだ。もちろんOKだ。ここも古民家だけど薪焼きピザとジェラートの店なのか。お蕎麦を食べたばっかりだからピザはもう良いけどジェラートは楽しみだ。なににしようかな。自家製ゆずジュースに無添加ジェラートにしてみよう。

 そこから待望のおしゃべりタイムだ。なにより確認したいのは既婚者かどうかだ。既婚者ならそこで話が終わりだものね。でもどうやって切り出そうか。エエイ、ここはストレート勝負だ。

「今日はお一人みたいですが、奥様は?」

 さてなんと答える。さあ、さあ、さあだ。

「バツイチじゃありませんが、今は一人身です」

 えっ、どういうことだ。結論は独身で良いと思うけど、

「もう亡くなって五年になります」

 なるほど離婚じゃなくて死別だからバツイチじゃないのか。だったらお子さんは、

「出来なかったですね」

 奥さんとは死別してコブも無しか。これでなんとかスタートラインに立てたぞ。ただそこからの話はマナミの想像を超えると言うか、そんな世界が本当にあるんだみたいなものだった。

ツーリング日和20(第11話)蕎麦屋の出会い

 バイクのツーリングは走るのがとにかく楽しいし、実際に走るだけのツーリングをしている人もいるぐらい。とはいえ、ツーリングだって目的地を普通は設定する。どこそこに行こうとか、そこで何かを見るとかだ。

 そんな中でお昼ご飯をどうするかも出てくる。別に弁当を持って出かけようじゃないけど、どこで何を食べるかだ。たいした事なさそうに思うかもしれないけど、案外気を遣うところでもあるんだよ。

 こっちは客なんだからどの店に入って何を食べても良さそうなものだけど、こればっかりは自分がバイク女子だと意識してしまうところがある。というよりマナミのキャラなんだろうけどね。

 やっぱり女だからTPOは気になるんだよ。まずは服装だ。バイクだからバイクに乗る用の服装になるのだけど、これがなかなかゴツイんだよね。この辺はどうしたって男性ライダーの方が多いからそうなってるところはあるとは思ってる。

 たとえばライディングジャケット。これは教習所の時に買った。というのも技能講習を受ける時にはプロテクターの着用が求められたんだ。どうせ必要だからと思ってプロテクター入りのジャケットを買ったんだけど、

「お、重い」

 重いだけでなく胸や、肘や、背中のプロテクターがゴツゴツする。なんか防弾チョッキとか、それこそ鎧でも着てる気になったぐらい。ホントは膝のプロテクターもあった方が良いそうだけど、これ以上はちょっとだ。だから延々と検討中にしてる。

 とはいえ、それ着てバイクに乗ってるから、その格好で店に入らないといけない。置いとくとこないものね。さらにだけど靴だってゴツイ。そりゃ、ヒールやパンプスでMT車なんかに乗れるものか。これもそれ用の靴を買ったけど、やっぱりゴツイのよね。

 バイク乗りなら当たり前の格好だけど、レディとしてそんな格好で店に入るとなると考えてしまうところはあるのよね。まだまだ女は捨ててないもの。サヤカにも相談したことがあるけど、

「そらそうよ」

 サヤカは岡田監督かよ。ひょっとしたら、それを開き直れるのが本物のバイク女子かもしれないけど、どうなんだろう。

「それだったら髪型もよね」

 うん。それもある。メット被るから、どんなに頑張ってもメットを被ってましたって髪型になっちゃんだよ。

「映画みたいにメットを取ったら、さらさらのロングヘアーになって、髪をかき上げるだけでセットはOKになりそうにないものね」

 そうなるかと期待してたんだけど、なるはずもなかった。つまりはレディとしたら、あんまり嬉しくない状態で店に入ることになってしまう。

「そうなると入れる店が限られてくるよね」

 ここにさらにの問題が出てくる。入る時はお一人様なんだ。お一人様だって歓迎ってところもあるそうだけど、やはり一人は寂しいよ。寂しいは置いといてもとくに混んでる時は気を遣ってしまう。

「そうなるよね。例えば行列が出来てて、順番が来た時に四人席とかだったら嫌だよ」

 バイクならファミレスぐらいも良さそうだけど、休日のお昼だったりすれば周囲が家族連ればかりなのも嬉しくないな。

「会社のお昼休憩の外食とは雰囲気が違うよね」

 あんまり気にすると食いはぐれるから、それはもっと困るじゃない。だから走りながら適当に店を探すのじゃなく、事前に探しておいて、そこを目指して走るようにしてる。

「その方が美味しいものにありつける可能性が上がるはず」

 それ重要だ。不味かったら昼飯代をドブに捨てるようなものだもの。そういう事で目指しているのは篠山のお蕎麦屋さんだ。お蕎麦屋さんなら恰好はそれほどウルサクないはずだし、お一人様だってあんまり目立たないと思うんだ。

 篠山、さらにその奥ぐらいにお蕎麦屋さんが増えてるのはツーリングをやり始めて知ったんだ。情報源はユーチューブだけどね。ただ増えてると言っても、出石みたいに軒をならべてる感じじゃない。つうか出石が異常だろ。

 今日はその中でも自然薯庵を目指してる。ここも何時ごろに店に到着するかも考えておいた方が良いと思う。開店前は論外だけど、お昼時になんか行ったら行列必至なんだよ。これもユーチューブの影響はありそうな気はしてる。

 マナミだって情報をユーチューブから取ってるけど、取ってるのはマナミだけじゃない。とにかくユーチューブが網羅してる情報量はまさにビックらものとして良いと思う。ドライブ物やツーリング物だけでも数えきれないぐらいあるけど、ああいうものって基本はシリーズ物になるじゃない。

 シリーズとなれば回数を重ねれば重ねるほどディープになっていく。これはグルメ物だって同じだ。そうなるとこれまで地元の、それも知る人ぞ知る名店だったのが、かなりの人が知って、

「どうせ行くなら、あそこにしよう」

 こうなってる気がしてる。証拠ってほどじゃないけど、滝野のラーメン屋さんがそうなってた。ここも誤解がないように言っとくけど老舗だし、昔から播州ラーメンの代表格とされてきた店なんだ。

 マナミも子どもの時から何度か連れてきてもらってるけど、バイクに乗り始めてから久しぶりに食べに行ったんだ。混んでるらしいの情報ぐらいは知ってたから開店の十一時狙いで走って行った。

 着いたのが十時四十五分ぐらいだったのは御愛嬌だったけど、目を丸く九しそうになったもの。だってその時点でもう二十人ぐらい並んでたんだよ。ここまで来て食べない手はないから列に並んだのだけど、開店時間に向かって列はどんどん伸びて行った。

 開店となりラーメンを食べたし、昔と変わらず美味しいと思ったけど、店を出てまたビックリした。まだ十一時半ぐらいなのに大行列だったもの。あれを見て、そうそうは食べに来れないと思ったよ。

 だから今日の自然薯庵も開店の十一時狙いで走ってる。店の位置は前に篠山に来た時に看板をちらっと見たし、マップでも十分に確認してる。デカンショ街道に入ってそろそろのはずだけど、あったあった、あそこを入るはずだ。

 店はあそこみたいだけど、駐車場はどこなんだ。なるほど、道路を挟んだこちら側に停めれば良さそうだ。どこに停めようかな。どこに停めても良いようなものだけど、バイクだから端っこの方が良いよな。あそこに何台か停まってるから、並べて停めさせてもらうか。

 店は古民家威風じゃなく古民家そのままで良さそうだ。茅葺屋根はどうしてるんだろう。あれを葺き替えるのは半端な金額じゃないはずだものな。さて、ここで靴を脱いで下駄箱に入れて、案内されたのは大きなテーブル席だ。

 お一人様だからそうなるか。へぇ、掘り炬燵みたいになってるからありがたいよ。だってさ、和室で座るとなると女は正座じゃない。そりゃ、胡坐をかいたら逮捕されるわけじゃないけど、レディだからね。

 メニューはシンプルだな。ざるそばと、やまいもそばと、天ぷら蕎麦だけで大盛りにするかどうかなのか。ここは店名が自然薯庵だからやまいもそばだろ。大盛りにしてやろ。お茶は黒豆茶って言ってたな。たしかに普通のお茶とはちょっと違う。

 後は出来上がるのを待つだけだけど、隣の男はバイク乗りだな。そんなもの見ただけでわかるよ。年の頃はマナミより少し上かな。それでも四十前なんじゃないかな。そんなことを思っていたら、

「どこから来られました?」

 声をかけられた。あっちもマナミがバイク乗りだってわかるよね。こうやって声を掛けられやすいのもバイク乗りの特徴かな。もちろん誰彼かまわずじゃないけど、そうだなクルマ乗りより多いと思う。

 バイク乗りと言えばどうしたって暴走族のイメージが強いけど、あんな連中、今はどれだけ残ってるのだろ。マンガとか映画とかにはまだ登場してるから絶滅はしていないと思うけど、最後に見たのはいつだったかって思うぐらい。

 この辺は地域差もあると思うけど、子どもの時のような勢いはもうない気がする。とくに昼間に見かけるのは、ごく普通のツーリングだ。これが走ってみると案外多いのだよね。クルマに比べれば遥かに少ないけど、気の良さそうな連中が多い気がする。

 それにマナーだって悪くない。そりゃ、変なのもいるよ。それはどこの世界だって同じだ。だけどね、バイク乗りってどこかに少数派の自覚があると思ってる。だから仲間を大切にすると言うか、同志愛みたいなものを感じることがあるもの。

 隠す必要もないから神戸からだって素直に答えたよ。その男も神戸からみたいだけど、話してみて少し驚いた。駐車場の時から気になってたのだけどモンキーがいたんだよ。モンキーはあれだけ納車を待たさせるぐらい人気はあるのに、滅多に見ないのよね。

 それに乗っているのがこの男だったんだ。そこからどれだけ待たされかの話題で盛り上がっちゃった。

「ボクの時はそこまでじゃなかったですけど」

 その男の乗っているモンキーはバナナイエローなんだ。これはちょっとだけ羨ましかった。モンキーもモデルチェンジがあるのだけど、五速化された時に黄色がなくなったんだよね。だから仕方がないから赤にしてる。

「また復活しましたよね」

 そうなのよ。黄色が復活しただけなく、スイングアームにも黄色が塗装されるのまで復活してる。そういう変遷があるから見ただけでどの時代のモンキーかは見ただけでわかるんだよ。

「でもそれだけ待たされれば・・・」

 待っているうちに黄色が復活するのは知っていたし、オーダーを黄色に変更しようかどうかは真剣に悩んだんだ。でもさぁ、そんなオーダー変更をやったらまた納車がさらに延び兼ねないじゃない。

「予約がリセットになって後回しにされかねませんよね」

 そうなのよ。だからそのまま赤にした。あれだって気に入っているんだよ。

「前のカラーは男性ウケを狙っていたと思います」

 そんな気がする。モンキーは手に入れるだけで大変なバイクだけどそれでも人気色はある。一番人気は黒だそうなんだ。だから少しでも早く手に入れたいのなら赤にしろって記事まであったもの。

 もちろん色なんて純粋に好みだけど、女が黒とかグレーに飛びつかないだろ。どうせ乗るのならポップな色が良いはずじゃない。あれかなぁ、最初の黄色ってそんなに人気がなかったのかな。

「そこまではわかりませんけど、滅多に出会わないのは間違いありません」

 そんなことを話しているうちに蕎麦が来たから堪能した。これは悪くないと思う。いや素直に美味しいよ。男の方が先に来てたから、先に蕎麦が来て、先に出て行った。食べ終わればそうするのは当然だけど、なんかもったいないことをした気になってしまったんだ。

 はっきり言う、好みだ。アイドルみたいなイケメンじゃないけど、整った顔立ちなんだ。女だってね、男を見る時は見た目が九割だ。これにイチャモン付けるのいるけど、見た目で惹かれずにどうやって興味や関心が湧くって言うんだよ。

 だけどね、この歳になると他のエッセンスの比重が大きくなる。男だってそうかもしれないけど、女の方が早くて大きいと思ってる。わかりやすいものなら年収だ。これに連動して社会的地位なんてのもある。ぶっちゃけカネだ。

 そりゃ、カネカネって言いまくると品がないし、引かれるとは思うけど、カネが無いとなんにも出来ないのも真理だ。離婚の時だってカネがないからあの家から離れられないは確実にあったもの。だから助けてくれたサヤカにあれだけ感謝してるんだ。

 バイクだってそうだ。バイクを買うのも、バイクウェアを整えるのも、免許を取るのだってカネがなきゃ出来ないじゃない。それを言えばガソリンも入れられないし、蕎麦屋にだって入れない。

 男と女の間で一番重要なのは愛なのは間違いないけど、愛だけがすべてと思えるのは高校生ぐらいまでだろ。あの頃なら親が養ってくれるし、カネってどうやって稼ぐかの実感もないからな。

 そういう点でもなんだかカネも持ってそうだ。財布の中身とか給料の明細表を見たわけじゃないけど、カネ持ってるやつはわかるもんだよ。ごく単純には服とか、持ち物とかだ。昔から靴を見ればその人がわかるって言うじゃないか。

 それより何より余裕があるんだよ。それは態度にも口ぶりにも出てくる。それはカネの使い方でも出てくる。派手にカネを使うじゃないよ。本当の金持ちって無駄カネを使わないと言うか、使わないのがごく自然に出来る人だと思ってる。

 さっき持ち物を見るって言ったけど、金張りのロレックスなんて持っているのは好みじゃない。それはそれで持ってるだろうし、それに目を付ける女だっているだろうが、本当の金持ちのオシャレとか小物に凝るのはそんなレベルじゃない。

 たとえばだぞ、あくまでもたとえばだけ、良く見るとヴァシュロン・コンスタンチンだったみたいな感じだ。それも金張りじゃなくスティールで、そうだなオーヴァーシーズのパッと見だったら普通の腕時計に見えるやつ。

 さらに言えば何年も何年も使い込まれてたらなお良い。それだけの高級腕時計を性能の良い道具ぐらいに扱ってる感じかな。だってだって、スティールのオーヴァーシーズは消費税まで含めたら四百万ぐらいしてたはずだもの。もっともあの男はシチズンだったけどね。

 そんな事はともかくあの男は合格だ。せっかく声をかけてくれたのにあれだけで終わりにするのはむちゃくちゃ惜しい気がする。とはいえやっぱりあれで終わりだろうな。残念ながらハントされたとは思えないもの。

 あれはあくまでもバイク乗り同士の挨拶みたいなものに過ぎないね。本気のハントなら、あの続きがあるはずだろ。たいした続きじゃないけどバイク乗りなら普通に出てくるセリフだ。

「どこに行かれますか」

 これだって『こんにちは』程度の重みだけどハント要素が入ってくれば変わってくる。な~に話は単純だ、ここからマスツーしようだ。そりゃ、今日中にホテルでドッキングはないにしろ、連絡先を交換して次に繋げるぐらいの段取りだ。

 もしされてたら乗ってた。ありがちな手順みたいなものだけど、目的地なりでお茶して、もっと相手を知ろうだ。気に入ったら次に繋げて行くんだよ。もっともマナミの容姿とかは月まで打ち上げておくとして、それ以前の大問題がある。

 簡単な話だよ、あの男もソロツーなのは確認したけど、ソロツーだから独身って訳じゃない。あの歳の、あれだけの男なら既婚者である確率が高いどころじゃない。ツーリングだって、奥さんが付き合わないのは珍しくもない。つうか、モンキーはタンデムすらできないからね。

ツーリング日和20(第10話)納車だ!

 サヤカに免許が取れたって報告したら、

「やっとなの。もうあきらめたかと思ってた」

 うるさいわ。どれだけ苦労したと思ってるんだ。これこそ血と涙と汗の結晶だ。

「血も流したってことは、転んだの?」

 うっ、急制動でやらかした。結構痛かったし、擦りむいた。これでモンキーが納車されたらバイク女子の出来上がりなんだけど、あれだけ教習所に時間がかかったのにまだなんだ。半年なんて余裕で過ぎ、

「もう来ないんじゃない?」

 サヤカにさんざん言われながら待ち続けていたら、それこそ忘れそうになった頃にバイク屋から連絡があった。あんまり遅いから忘れられてるのじゃないかって不安になって、時々だけど催促には行ってたものね。催促したって来るものじゃないけど、こっちは忘れてないぞのアピールぐらいだ。勇んでバイク屋に受け取りに行ったのだけど、素直な感想は、

「ちっさいな」

 買うのを決めた時にも見てるのだけど、この辺は教習車がCB125Fだったのもあると思う。この教習車ってCB125Rを教習用に改造したものだけど大きいのよ。だって全長だけで二メートルだ。

 二メートルと言っても実感ないと思うけど、CB125Rの兄貴分のCB250Rと同じぐらいあるのよね。なんであんなドでかいバイクを教習車にしてるんだろ。お蔭で引き起こしの時に地獄を経験させられた。

 それに比べるとモンキーは百七十センチぐらいしかない。三十センチも短いからちっちゃく見えた。デザイン的にも大きく見せようって感じじゃない気もするな。一通り操作方法の説明を聞いて受け取りスタートだ。

 ここからは慣らし運転になる。慣らし運転も今のバイクなら不要の意見もあるみたいだけど、マナミの場合はまずモンキーに馴染まないと先に進まないのよ。それ以前に教習所以来のバイクだから不安はテンコモリ。

 発進こそエンストしなかったけど、そこから先はギッコンバッタン状態になってしまった。そうなるのは教習所を卒業したばかりの初心者なのもあるけど、それよりモンキーのクセを体で覚えないといけない。

 AT車だってあるだろうけど、MT車のクセは遥かに強いんだ。クラッチだけでも同じメーカーでも車種が変われば違うのがMT車だ。とりあえずモンキーのクラッチはかなり遠い気がする。遠いから半クラも遠い気がするだけでなく狭い気がする。

 シフトもギア比の設定が違うのよね。カタログに数値は書いてあるけど、あんなもの見たってわかるものか。どの速度でそのシフトにするかは体で覚えるしかないのがバイクだ。これだって加速するときは割と簡単だけど減速するときは難しいのよ。

 それとメーターだって違う。デザインの違いは当然だけど、表示される情報量がCB125Fに比べるとプアなんだよ。一番の違いはタコメーターとシフトインジケーターがないこと。だって教習所の時はそれ見てクラッチ合わせとか、シフトチェンジやってたもの。

 タコメーターとシフトインジケーターはバイク屋にも相談に行ったんだ。どうしても欲しければカスタムとして取り付けるのは出来るとは言ってくれた。そうそう、時計も無いからこれも欲しかった。

 でもね、当たり前だけどタダじゃない。工賃も含めると結構なお値段になるんだ。工賃を節約するために自分で付ける人もいるけど動画を見ただけであきらめた。あんなもの出来る訳がないだろうが。そしたら店員さんが、

「タコとかシフトインジケーターなんか見るのは最初だけでっせ。すぐに音と感覚で出来るようになりまっさかい」

 簡単に言うな! とは言うものの財布と相談してあきらめた。それでも慣れって怖いもので、乗ってるうちにそれなりにわかる気がするようにはなってくれた。今だって欲しい気は残ってるけど財布には勝てないものね。

 財布と言えば、他にカスタムしたいところがあったんだよね。バイクってね、とにかく荷物が載らない乗り物なんだよ。クルマならポルシェだってトランクがあったり、助手席とかあるじゃない。でもバイクにはない。

 スクーターになればメットケースもあるけどモンキーにはあるはずも無い。そうなると荷物を載せたければリュックを背負うぐらいしか手が無くなる。実際にもリュックを背負って乗ってる人もいるもの。

 さらにみたいな話だけどバイクに乗る時にはメットを被るじゃない。バイクを停めて休憩とかする時にメットをどうするかの問題は大きいのよ。メットホルダーもあるけど使いにくいし、使ったってバイクにぶら下げてるだけじゃないの。

 バイクを離れている間に盗まれたり悪戯されても嫌だし、とはいえ持って歩くには大荷物過ぎる。だからスクーターのようなメットケースが欲しくなったんだ。そんなものあるのかって、それがあるんだよ。

 これもスクーターなら良く付けてるリアのボックスだ。このボックスについても賛否両論はあるんだよね。反対派の意見はシンプルで、

『格好が悪くなる』

 その通りだと思う。通勤とか買い物用のスクーターならともかく、見た目九割のバイクだものね。一方の賛成派の意見はやたらと説得力があった。

『一度付けたら手放せなくなる』

 それぐらい実用性があるってことだ。これもバイク屋に相談したんだけど、タコメーターとシフトインジケーター時とは対応が違った。前向きだったってこと。大きさはメットを入れられてプラスアルファぐらいだと言ったら、カタログをあれこれ見て選んでくれた。

 付けたのは大きめのリアボックスとボックスを載せるためのリアキャリアだ。それなりのお値段はしたけど満足してる。乗り降りが少しやりにくくなったけど、これは便利だし実用性も高い。雨具だって入っちゃうもの。

 スタイルは・・・悪くないと思う。ちょっと大きめのリアボックスが小さいモンキーに微妙にミスマッチなところが気に入ってる。たしかに使い出すと手放せなくなるのは実感させてもらった。まあ、ボックスが気に入らない人は付けなければ良いだけだものね。


 そうこうしているうちに慣らし運転の目標の五百キロになりオイルとフィルターの交換だ。あんまり慣らし運転になってなかったかもしれないけど、こっちはだいぶ馴染んでくれてる。

 そうだそうだ時計も付けた。これもカスタムパーツまで売ってるけど、一番安くてお手軽なものにした。みんな大好きチーカシを巻き付けるだ。だけどね一筋縄では行かなかったんだ。

 ハンドルの真ん中ぐらいに巻き付けたら一丁上がりだと思ってたけど、ハンドルって人間の腕に比べたら細いのよ。あんなに細いと時計バンドじゃ無理だった。だからあるサイトを参考にして工作を加えてみた。

 時計バンドは穴で長さを調整するのだけど、そんなんじゃダメだからマジックテープを貼り付けた。それもそのままじゃ長すぎるからハサミで切って長さを調節したんだ。チーカシだから出来たと思ったもの。

 だけどさ、それでもまだ不十分だったんだ。時計の本体の裏は平らなんだけど、そこがバンドで締めても不安定だし、そのままじゃ振動で傷が付きそうなんだ。だから時計の裏に隙間防ぎ用のテープを貼り付けてやった。

 クッションみたいになるから、締める時にも良いはずだと思ったらその通りになってくれた。バイクで使うから完全防水の時計が良いとは思ったけど、チーカシだって五気圧の防水だし、とにかくあのカシオの製品だからもっと機能が良いはず。

 付けた感想はグッドだ。時間を見るだけなら腕に巻いても良さそうなものだけど、実際に乗る時はグローブも付けるし、さらにライディングジャケットも着込むから見にくいのよね。さすがに夜は見にくいけど昼間しか走る気がないからノー・プロブレムだ。

 時計ってあれば便利なのよね。時刻を見れるのは当たり前だけど、休憩時間を取る時の目安にもなってくれる。これも実際に走ってみてわかったんだけど、バイクって疲れるんだよ。マナミの場合は肩、とくに左肩が凝ってくる。腰と尻は案外だいじょうぶなんだけどね。

 最初の頃は走らせるのが楽しくて休憩なしで走り回っていたのだけど、やっぱり肩が痛んでくるのよ。長時間になると尻だって痛くなる。これを防ぐ方法はシンプルで休憩すること。

 マナミなら一時間に一回ぐらいかな。これをやるとやらないでは大違いなんだ。その時に便利なのが時計だ。バイクを走らせてると楽しくて時間を忘れそうになるのだけど、時計を見てそろそろ休憩ぐらいにしてる感じかな。

 というか、それぐらいの時間になれば積極的に休憩場所を探すとした方が良いと思う。多いのはコンビニかな。ジュース休憩って感じだけど、トイレだって借りれるじゃない。生理的欲求をどこでするかも女の子には重要過ぎる問題だからね。

 だってだって男だったら、最悪どこでも出来るじゃない。マナーの問題はさておきとしてもだ。だけど女がそんな事が出来るものか。さらに言えば薄汚れた公衆便所も可能な限り避けないもの。

 トイレ問題は女には大きいんだよ。だから郊外型のスーパーとかドラッグストア的なところも使うことがある。そういうところなら駐車場は広いし、トイレだって完備してるもの。できるだけ何かを買うようにはしてるけどね。

 トイレ問題と言えば嫌な運動が拡がってる。LGBTQってやつ。あれも何をしたいのかよくわかんない運動なんだけど、トイレで言えば男が性自認たらで、

『女だ!』

 こう言いさえすれば女性用トイレに入らせろなんだ。理由はそう言いさえすれば女扱いされるのが権利だってさ。権利どころか、そうされないと虐待とかなんとか頑張ってる運動家がいるのよね。

 女が性自認たらで男性用トイレに入っても男はそんなに困らない気がするけど、男が性自認たらで女性用トイレに侵入されたたら女は困るなんてものじゃない。そんな男がいたら入れないし、入って来られてもギョッとするどころの話じゃない。

 今のところ幸いそんなのに出会った事ないけど、あんな運動が拡がったらますますトイレ問題に困るじゃないの。ホント世の中、変な事をやりたがるのが多すぎると思うもの。なに考えてるんだとしか思えないもの。

 そんな事はともかく、モンキーにもだいぶ慣れてきたから、バイク女子の本領を発揮したくなってきた。そう、ロングツーリングだ。さすがにお泊り付きはまだとしても、日帰りで出来るだけ走ってみたいんだ。それをやるために免許も取り、モンキーを買ったんだもの。