ツーリング日和20(第5話)十年の後悔

「それにしてもだけど、元夫って相当な趣味だよね」

 ああそうだ。とにかくマジの性欲マシーンそのものだった。マナミだって初めての男と言うより、あのクソ野郎しか知らないけど、あれはどう考えたって普通じゃない。とにかくケダモノのようにやりたがった。

「ケダモノだって発情期以外はやらないよ」

 だよな。良く性欲の強すぎるのを馬に例えたりするけど、馬だって発情期以外はやらないはず。考えてみれば年がら年中発情できるのは人間だけかもしれない。あのクソ夫の性欲レベルは年中発情している馬ぐらいだろう。

 そりゃ、もう狂ったようにやりたがった。やりたがったじゃなく、やりまくられた。あの性欲力と言うか、体力だけは尋常じゃなかったな。性欲オリンピックがあったら余裕でメダル候補だろ。

「そんなに・・・」

 あれは実際にやられてみないと実感できないと思うよ。

「モテたの」

 うんにゃ。マナミだって他人の事を言えないけど、あのクソ野郎がモテるとは思えないな。

「まさかの童貞と処女の組み合わせ」

 マナミは初めてだったけど、あのクソ野郎は違うと思う。それぐらいはわかるよ。だけどその相手が素人だけだったかどうかは疑問だな。少なくとも全員が素人じゃないだろ。その辺は確認できなかったけど、

「素人じゃないって買ってたの」

 そんな気がする。プロならカネさえ払えば出来るじゃない。だけどさぁ、逆に言えばカネがないと出来ないじゃない。女を買うって安いとは言えないはずなんだ。だからマナミが恋人になれば、

「安上がりに無限にやれる」

 そんな感じはあったかな。ああいうのを貪るようにって言うのじゃないのかな。他で例えればユーチューブ漫画なんかで出て来る食い尽くし系だろ。それにマナミもヴァージンだったじゃない。男って処女が大好きだから異常に燃えるって言うでしょ。

「どうしてあんなに処女が好きなのかなぁ」

 あれこれ理由は書かれているけど、雪が積もってるところに最初に足跡を残せるぐらいじゃないの。とにかく他に男を知らないからイチからすべて教え込めるのも楽しいらしいよ。

「会社の新人教育を面倒がる男は多いのにね」

 あははは、そうだよね。あれになるときっと違うんだろ。その辺はそんなものだとしかぐらいにしかわからないけど、あのクソ野郎は桁外れの異常な性欲をマナミに炸裂させまくりやがった。

 ああそうだよ、それをあのクソ野郎の愛だと思い込んでたし、あのクソ野郎に感じるようになるのも嬉しかった。女と男の関係だって初体験だから、そういうものだって頭から信じて疑わなかったもの。

 求められたら応じるのが当然だし、それこそが相手を満足させ喜ばせるすべてだってね。誰にだって黒歴史の一つぐらいあるだろ。

「恋は盲目ってやつ?」

 それもあるけど少し違うかな。その辺は自信がないけど、とにかく苦心惨憺してやっと捕まえた恋人じゃない。逃がしてなるものかが大きかった。

「それにしてもだけど・・・」

 あれがあのクソ男の性格なのか、どこかで仕入れた情報なのかはわからないけど、変態趣味は確実にあった。

「SMもありそうじゃない」

 あったらさすがに結婚してなかったな。あれだけ激しかったけどオモチャすら出て来なかった。これは素直にそういう趣味がなかったでも良いと思うけど、ひょっとしたらオモチャを使う時間も惜しかったのかもしれない。

 それでもSM系じゃなかったけど変態趣味はあったな。あれはSMというより羞恥系になるのかな。あのクソ野郎はトンデモないところでやるのが好きだったんだ。一種の露出狂で良い気がする。不貞行為の決定打になったラブホの行為もそうだ。

 あのクソ野郎は、わざわざラブホの窓を開けやがるんだよ。あんなとこを開けるなんて信じられるか。それだけでも相当なものだけど、開けた窓際にマナミを立たせるんだ。それもだぞ、そうしておいて後ろから突っ込みやがるんだ。

 あんなところであんなところをだぞ。誰かに見られそうと言うか、見た奴は絶対にいたはずだ。だって突っ込まれたからって終わりじゃない。そこからガンガン突きまくってくる。それもフィニッシュするまでだ。

 言っとくが一回限りとか、たまにじゃないぞ。ホテルでは毎回だ。それもあの性欲マシーンが一発なんかで終わるはずがないだろうが。きっと今だって変わっていないと思ったからあの作戦を提案したんだよ。

「他には?」

 トイレも好きだった。それもレストランのトイレだ。大きなレストランなら男女は別だろうけど、小さところなら男女共用じゃない。そこに連れ込まれてやられるってことだ。

「それって食事もしてるよね」

 ああデートの食事だよ。食事が終わればまるでセットとかコースみたいにやられたよ。あのクソ野郎が座ってマナミが腰を下ろすんだけど、それもあんなところであんなところへのドッキングだよ。もうわかると思うけどフィニッシュしてくれないと終わらないから、必死で腰を振ったものさ。

「だったらクルマでも・・・」

 あるに決まってるだろ。ドライブデートのお決まりみたいなもの。それも人目がないところならまだしも、観光地の駐車場でやらかしやがる。まあ駐車場なんて乗り降りしかしないところだから、必ずしも気づかれるものじゃないけど、何度か不審に思って覗かれた人と目が合って参ったもの。

「じゃあ、アオカンも」

 やるのはやった。けどさぁ、冬は寒いじゃない。春秋だって日によっては夜は冷え込むのよね。だったら夏って事になりそうなものだけど、今度は藪蚊に襲われる。だから三回ぐらいで終わってくれた。

「そんな相手を・・・」

 言うな。愛してしまった。わかってるよ。サヤカから見たら反吐が出そうなハズレ男だろう。マナミの夢はあれこれ変わったけど、最終的には平凡な結婚だ。だけど、だけどだよ、それさえハードルが途轍もなく高かった。

 そんなもの見ればわかるだろ。これでも生まれ時から付きあってるからな。どこからどう見ても一円ブスだ。一円ブスって意味を知ってるか。一円しか価値がないじゃないぞ、これ以上崩せないぐらいブサイクって意味なんだよ。

 クソ姑からも言われまくったし、遺伝だとまで抜かしやがった。そこまで侮辱されても言い返せなかったぐらいだ。だってどう見たって遺伝だろうが。親父はマントヒヒだし、お袋だって高校のときのあだ名はミタだぞ。

 ミタって家政婦のミタのミタだ。あれを演じてるのは男だぞ。それも男のように背が高いって理由ですらない。お袋もチビだったからな。ミタってあだ名の由来は、それぐらい色気もクソも無かったって事なんだ。

「ちょっと落ち着いてよ」

 落ち着いてるって。だからあのクソ野郎で満足した。あれでも男だ。こんなチャンスは二度と巡ってくるものか。露出狂ぐらい我慢できる範疇だ。あれぐらいは我慢しないと男なんて捕まえられないのがマナミだ。

 露出狂がしたいなら合わせる以外にないだろうが。やりまくりたくないなら、満足するまでやらせる以外にどうしろって言うんだよ。望まれたらどこでもなんでも開いたよ。それ以外に何ができるって言うんだ。

 五年も耐えたのだってそうだよ。次が無いからに決まってるだろ。それだけしか価値がない女だってこと。それでもね、やっぱり後悔はしてる。そこまでする価値がない男だったのはサヤカの言う通りだもの。

 この十年なにやってたんだろうね。ハズレ男に血道を挙げまくり、気が付いたらもう三十四歳だ。いや、三十五歳だって足音を立てて近づいて来てる。

「四捨五入したらアラフォーだ」

 うるさいわ。サヤカだってそれは同じだろうが。それでも無理やりでも良く言えば一通りの経験だけは出来た。ロストバージンだって出来たし、あれで感じることも出来たし、イクとこまで行けたもの。

 さらに言えば妊娠だって出来たし、結婚も出来たし、子どもだって産めた。ついでに離婚までのフルコースだ。それが黒歴史になったのは運命だろ。しょせんは望んだらいけない夢だったのさ。

「そんなことがあるものか!」

 ビックリした。突然大きな声で怒鳴るなよな。

「マナミはそんな女じゃない。それで終わるはずがないだろ。もっともっと幸せになれるはず、いやならなきゃいけない女だ。マナミの不幸はハズレ男に入れ込んだからだけ。それぐらいの失敗は誰にでも起こりうることだ」

 誰にでも起こりうるのは否定しない。結婚して夫婦になるってまさに異次元ワールドだった。そもそも相手の男がハズレかアタリなんか夫婦にならないとわからない部分が多すぎると思ったもの。

 もちろん夫婦になって付いてくる余計なオマケもね。ありゃ、オマケと言うより、ガンみたいなものだ。ガンには悪性と良性があるって聞いた事があるけど、良性だって無い方が良いぐらいかな。悪性だったら目も当てられないと言うより死ぬよ。

 結婚なんてクジ引きみたいなものだってよくわかった。そのクジがアタリかどうかは夫婦という逃げ場を封じられた立場にされてやっとわかるみたいなもの。マナミ与えられたクジは生まれて来てたった一本だけ。

 ようやくありついたクジに飛びついて大喜びで引いたら大ハズレだったのは参った参った。もっともそんな一本クジだってもう引く事すらないな。

「マナミが引いた結婚クジは大ハズレだったけど、そもそも三分の一はハズレだ」

 三組に一組が離婚するからね。

「残りの二本だってアタリって訳じゃないだろうが」

 醒めきった夫婦関係を惰性で維持してるところも多いらしいよね。そういうところが熟年離婚とか、老年離婚をするのだろうけど。

「それより何よりマナミには新しいクジを引く事が出来るのよ。それはバツイチ女のみが引けるクジだ。そうよ、マナミはバツイチから幸せを掴むシンデレラストーリーを経験する義務がある」

 あのね、それってどこに書いてある義務なんだよ。

「どこにも書いてないならペン貸して。この壁に書いとく」

 そんなところに書くな!

ツーリング日和20(第4話)作戦決行

 あっちはこちらが離婚のための準備に入ってるなんて夢にも思ってないから作戦はサクサク進んでくれた。クソ姑への作戦は暴言の録音だ。よりインパクトがある方が良いはずだから軽くだけ煽ったら、

「こりゃ、凄いですね」

 一週間もあればザクザク獲れまくってくれた。弁護によれば必要にして十分で質も申し分がないとか。質って言葉にちょっと引っかかったけど、表現として他に言い様がないかもね。これでクソ姑対策はOKだ。

 問題はクソ夫の方だ。それでも油断し切っているし、マナミを見下しきっているから尻尾なんて丸見え状態と同じだ。ピンポイントで決定的な証拠が手に入ってくれた。しっかしまあ、よくこんだけやってるよ。

 でもやるか。クソ夫には浮気三昧出来る秘密がある。秘密は大げさだけどマナミの両親は高速のトンネル事故で亡くなってるじゃない。だからその時の賠償金はあるし、少ないけど遺産だってある。それをだよ、

「嫁の財産は夫の財産であり、この家の財産だ。嫁には無用のものだ」

 神経衰弱状態だったからロクロク抵抗も出来ずに取り上げられちゃったんだよね。これでクソ姑は贅沢三昧していたし、クソ夫は浮気三昧に耽っていたんだ。あのクソ夫が軍資金も無しに浮気なんか出来るはずがないからな。それを聞いたサヤカは怖いぐらいの顔をして、

「そんなものは奪い返す」

 弁護士もそう出来るって言ってた。少々時間がかかったけどいよいよ宣戦布告だ。弁護士を連れて離婚宣言をしてやった。まるで鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしてたな。きっとあいつらにしたら飼い犬に手を噛まれたぐらいなんだろう。

 そのまま家も出たよ。とりあえずって言ってサヤカがマンスリーマンションを手配してくれたのはありがたかった。そこから離婚交渉に入ったのだけど、やはり一筋縄では行かなかった。あっちも弁護士を立てて来やがったんだ。カネが絡むとそうなるみたいだな。相手の弁護士なんだけど、

「アバランチ先生ですか・・・」

 妙な名前の弁護士だな。日本人じゃないのかなと思ったけど、SNSで有名らしくて、アバランチはハンドルネームで良いみたいだ。サヤカも知ってるみたいでこっちの弁護士に、

「アバランチ如きに負けたら承知しないからね」

 こっちの狙いはやはり短期決戦。そうできるように準備をしてるからね。狙いはクソ夫による有責離婚で慰謝料ゲットだから、天王山はどうやってクソ夫に浮気を認めさせるかになる。ちなみに浮気は法律用語で不貞行為と言うらしい。

 あっちだって弁護士まで立ててるから不貞行為は認めないで対抗してくるはずだ。おそらくスマホとかのデータは消してしまってるはず。他もあれば可能な限り消すなり、隠すなり、処分しているはずだ。そんな事は想定済みだからまずはラブホ写真を喰らわせた。

「いつの間に・・・」

 そんなものクソ夫が能天気だからに決まってるだろうが。これで決まったかと思ったのだけど、まさか、まさかのクロスカウンターを持ち出しやがった。性交不同意契約書だ。あんなもの本当に持ち出すとは魂消たもの。

 だけどね。それへの対策だって出来てるんだ。そうモロ動画だ。いやぁ、良く撮れてるよ。音声こそ録れてないけど、ピントもばっちりで励んでる顔もくっきりハッキリだ。まさしくダブルクロスでお返しだ。

 いくら性交不同意契約書を振りかざそうが、その契約を履行してなかったらタダの紙切れだ。これは効いたみたいでアバランチ弁護士もやられたって顔になってたぐらい。モロ動画にさらなるカンターなんて出来るはずがないだろ。

 ここからはさらなる追い打ちだ。クソ姑の暴言による精神的被害の話になったけど逆上してたな。まさか自分に飛び火すると思ってなかったみたいだもの。

「あれは嫁への躾です。感謝してもらっても良いぐらいだ」

 ヒステリックに喚いてたけど、暴言の録音を流してやったら黙り込んでくれた。マナミの遺産や亡くなった両親の賠償金の返還も了承させて、あとの細々したことは弁護士の仕事だ。これで完勝と言いたかったけど、

「あれで良かったのですか」
「そうよ、草の根を分けても探し出し、根こそぎ毟り取らないと」

 なんとなんと、夜逃げしやがったのだよ。なんかアバランチ弁護士の差し金の気もしたけど、もしそうなら伝説のトリプルクロスだ。でも、もうそれで良い気になっちゃったの。あいつらはほぼ破滅したようなもののはず。

 マナミも安月給だったけどクソ夫も安月給だ。舅は死んでるし、マナミも退職していたから収入はクソ夫の安月給のみだ。あいつらが贅沢三昧、浮気三昧出来た軍資金だったマナミの両親の遺産も交通事故の賠償金だってもう殆ど残ってないはずだ。

 もうちょっと言えば、貧乏人があぶく銭を手にしたら歯止めが利かなくなる。一度覚えた贅沢は忘れられないぐらいだ。だから多くもない貯金も使い果たしていてもおかしくないし、借金すらあるかもしれない。

 夜逃げの時に家も売り払ってるけど、あれだってどれだけになったかは疑問だ。一軒家ではあったけど、建物はボロかったし敷地も狭い。なによりクルマも入れない行き止まりの路地の奥の立地だ。それを夜逃げの時に叩き売ったようなものだからしれてるはず。さらに言えば夜逃げと同時に元クソ夫も失業だ。

「もう一撃で破滅に追い込めたのに」

 離婚の慰謝料と両親からの遺産、さらに両親の交通事故の賠償金なんて払おうと思ったら、

「だから闇金に借金させて、マグロ漁船とか、ベーリング海のカニとか、中国の汚染地帯の清浄作業を択ばせる手筈も進めてたのに」

 それ怖いって。サヤカなら本気でやりそうだもの。

「それに子どもだって一緒に連れ去られてるじゃない」

 親権も取れたのだけど持ち逃げされた。あれももう良いかって気になってる。だってだよ、マナミの血も入ってるけどクソ夫とクソ姑の血も入ってやがるんだ。

「そう言うけどマナミは・・・」

 それは言うな。息子はクソ姑に完全に取り込まれてた。だってだよ、クソ姑をお母さんと呼び、マナミは嫁だった。息子の頭の中では嫁とは母でもなんでもなく、同居人どころか家政婦、いやなにをやっても良い奴隷ぐらいになってたんだ。クソ姑の尻馬に乗って罵るのは日常だし、殴ったり蹴ったりもそうだ。

「でもでも・・・」

 さすがに心が冷えた。無理やり取り返して母子関係にする自信がなかったかな。もちろんわかってるよ。諸悪の根源はクソ姑だし、息子だってまだ四歳だ。

「だから力づくでも」

 息子は文字通り命を懸けて産んだ子だ。なんだかんだあっても我が子なんだ。だからあえてこのままにしておく。最後の情けだ。もちろんクソ夫や、クソ姑のためでない我が子への情けだ。

 息子だって成長する。そしたら、いつの日かこの離婚の真相を知る日だって来るかもしれない。その時に母の最後の思いを知ってくれたら嬉しいな。無理かな。逆に心の底から恨まれるかもね。それだって受け止める覚悟ぐらいはある。

「マナミ・・・」

 慰謝料は浮気相手からも取れるのだけど、あのクソ夫、ロクな女を相手にしてなくて、慰謝料請求送ったらみんな逃げて雲隠れしてしまいやがった。あれが民事の限界だって弁護士さんは言ってたな。

 刑事なら警察が探してくれるけど、民事なら自分で探さないといけない。裁判所だって支払い命令みたいなものは出してくれるけど、人探しまではやってくれないもの。すべてを放り出されて逃げられたらお手上げって感じかな。

「その代償ぐらいはあるけど」

 逃げたって支払いが消える訳じゃない。元になったクソ夫だってロクなところに再就職なんか出来るものか。まあ、ノコノコ顔なんか出そうものなら支払いを請求されるだけだから、二度と会うことはないのがこっちのメリットかもしれない。

「離婚したってストーカーになるのは多いらしいからね」

 これも弁護士さんから聞いた話だけど、泥沼状態で離婚したのに復縁に執念を燃やすのが多いんだって。そんなに復縁したいのなら、そもそも離婚になるような事をやらなきゃ良いのに。そういう連中の心理は理解を越えるよ。


 あ~あ、離婚こそ出来たけどまさに痛み分けになっちゃったな。なんにも取れなかったから、サヤカに用立ててもらった弁護士費用もすぐには返せなくなっちゃった。

「あんなもの誰が返してくれなんて言うものか。本当は返してなんか欲しくないけど、それじゃ、マナミが嫌がるのは知ってるから十年先にしとく」

 それはいくらなんでも、

「じゃあ、五十年先だ。文句は聞かないから」

 ありがと。ありがたく受け取らせてもらう。五十年も待たせる気はないけどね。

ツーリング日和20(第3話)離婚大作戦

 それから日を改めてマナミに連れられて弁護士事務所に相談に行ったのだけど、

「わかりました。ですがそれには作戦が必要です」

 離婚するだけなら離婚届を役所にすれば終わりだけど、あれはクソ夫のサインが必要だし、狙っているのはクソ夫が有責の離婚だ。そりゃ、浮気してるからね。その証拠だってクソ夫のスマホにたんまりある。

「それでは証拠として弱くなります」

 どういう事か聞いたら、相手から慰謝料まで取るのなら半端な覚悟じゃ無理みたい。

「離婚訴訟になっても勝てるだけの準備と思って下さい」

 つまりは訴訟並みの準備と気構えがいるんだって、

「そうですね、言葉の戦争に勝たなければなりません」

 おカネがかかるとそこまでになるのか。とにかくなんでもありの世界になるらしくて、あっちだって弁護士を立てて来るぐらいは当たり前で、法にさえ触れなければいかなる手段も平気で使うらしい、

「スマホのデータぐらいはすぐに無かった物にされます」

 データを消去されても復活させる方法はあったはず、

「それをするにはそのスマホを手に入れる必要があります。これは本人の同意がないと出来ません」

 そんなぁ、と思ったけどこれは民事だって言うのよ。民事に対して刑事があるけど、そっちなら警察に強制力が生じるらしいけど。民事は同格の個人同士が争うからそういう強制力はないそうなんだ。

 それだったら、えっと、えっと、目に見える証拠と言えば・・・そうだラブホの写真だ。浮気調査の定番中の定番だ。

「それは必要ですからぜひ欲しいところです。自分で撮られますか」

そんな探偵みたいなことは無理だよ。

「ならばこちらで興信所を手配させて頂きます」

 それからクソ夫の行動パターンとか聞かれた。興信所って調査期間で費用が変わるらしいから、なるべくピンポイントで依頼する方が安くなるんだって。それなら怪しい日とか時間帯はだいたいわかる。よっしゃ、これで勝ったぞ。そしたら弁護士は少し難しそうな顔をしたんだ。

「これは出来るならばですが・・・」

 げっ、そこまでは難しいんじゃない。そりゃ、モロにやってる動画あれば決定的だろうけど、ラブホ写真じゃ足りないの?

「本来と言うか、これまでなら十分ですし、離婚訴訟までになれば認められるはずなのですが・・・」

 そこからの話は奇々怪々というか、そこまでやるのかって話だった。不同意性交罪って出来たじゃない。あれは女がいついかなる時点でもやりたくないって言えば中止に出来る法律で、それを無視してやればレイプになる。

「それぐらいの理解でもよろしいかと」

 女にとってはありがたそうな法律なんだけど、これを悪用すると言うか、逆手に取るのがいるそうなんだ。つまりラブホに入っても性交に不同意だったから行為は存在しないぐらいだそう。

 言われてみれば、その気で入っても気が変わることだってあるはずよね。あくまでもたとえばだよ、部屋に入った途端にロープとかムチとか持ち出されたりしたら、そんなもの逃げるしかないじゃない。

 格好良く言えばラブホ内でも法は当たり前のように適用されるってことだ。そりゃ、そうよね、いくらラブホがやるところと言っても、入れば問答無用でやられまくる治外法権の聖域じゃないはずだ。

 だけどラブホだよ、ラブホ。入って出てきて、性交に不同意になりましたなんて通用するのかよ、そもそもだよ、中でやってるか、やってないかなんてわかんないじゃない。口先一つで無かったことに出来るのだったら、浮気だって、不倫だってやり放題になるじゃないの。

「その通りなのですが、そこに一工夫加えて来ます」

 一工夫ってなんだと聞いたら、なんとだよ、性交不同意契約書みたいなものを出して来るって言うのよ。そういう契約を交わしてラブホに入ってるから、本来というか、建前である休憩をしただけだって主張するんだって。

 あのねぇ、口先よりマシかもしれないけど、そんなもの紙切れ一枚に過ぎないし、さらに言えば後から作ったものかもしれないじゃない。それより何より、やってない証拠なんてどこにあるって言うのよ。

「私に怒らないで下さい。ただこの戦術の巧妙なところは、立証する立場を入れ替えてしまうところにあります」

 はぁ、何を言いたいかわからんぞ。それでも説明を聞いてなんとなくわかって来た。浮気の証拠にラブホ写真は定番だけど、これまでだって、やっていないと主張したのはいたそうなんだ。それに対して、

『じゃあ、やっていない証拠を出せ』

 これで話は終わりだったぐらいで良さそうだ。だけど性交不同意契約書みたいなものを出されると、

『じゃあ、やっていた証拠を出せ』

 こういう展開に持ち込まれてしまう事があるらしい。なんて悪知恵だ。だけど、だけど、そんな屁理屈が通じるなら、やっぱりラブホは浮気と不倫の聖域になっちゃうじゃないの。

「もちろんこれは離婚交渉段階のお話で、離婚訴訟になればまず認められません。少なくとも私の知る限り、裁判例として認められたものはなかったはずです」

 うん、やっぱり正義が勝つに決まってる。離婚訴訟になれば負けるのがわかってるなら、それこそ無駄な悪足掻きだ。

「そうなのですが、それが本当の狙いのケースもあります」

 頭がこんがらがりそうだけど、弁護士だってタダではやってくれないって事か。離婚交渉から離婚調停、さらに離婚訴訟までになれば長期化するし、それにつれて弁護士費用も積み上がって行く。

 弁護士報酬のシステムもややこしそうだけど、たとえ離婚訴訟で勝ち、慰謝料を分捕れたとしても、そこから弁護士費用を差っ引けば、

「慰謝料とか財産分与の金額に依りますが、最悪の場合は持ち出しになります」

 牛歩戦術と言うか兵糧攻めみたいなもので、たとえ勝っても実りがない状態に持ち込んで有利な条件で和解に持ち込むって言うのかよ。そんな事が許されて良いのかよ。責任者出て来い。

「だからこれは言葉による戦争なのです。勝つための手段は選んではいけないのです」

 殺伐とした世界だ。それでもモロ動画があれば有利になるのは理解したけど、あんなものどうやって撮るんだよ。あれって秘め事だし、あんなものを公開でやらかすアホなんて・・・そこで閃いた。

「それならチャンスはありそうです。ただそうなると興信所の費用も高くなりますが宜しいでしょうか」

 そこでサヤカが口を挟んだ。

「撮れるまでやりなさい。撮れなかったら覚悟しておくこと」

 おいおい費用がって思ったけど反論なんか出来ないぐらいのサヤカの気迫だった。ここはサヤカに頼らせてもらおう。

「それと・・・」

 へぇ、あのクソ姑からも搾り取れるところがあるのか。これは離婚交渉にも有利な材料になるのだな。ぶっちゃけ慰謝料を増やせる交渉材料ぐらいの理解で良さそうだ。日記でも良いらしいけど、そんなもの書いてないし、日記なんて小学校の夏休みの宿題が最後だ。

 あんなものよく毎日書けるものだ。日記が無くてもこの作戦で証拠を集めたら余裕で代わりになるのなら、

「マナミ、頼んだわよ」

 言われるまでもない。息の根まで止めてやる。これまでの恨みを思い知れ。気合が入って来た。

ツーリング日和20(第2話)覚醒

 結婚って恋人関係とは違うのもすぐにわかったかな。恋人関係って見ようによっては当人だけの世界だ。同棲までになれば少しは違うけど、基本はそうで良いはず。だけど結婚となると余計なオマケが付いてくるのはすぐに思い知らされた。

 大昔ほどじゃないにしろ、夫婦になれば夫の親族が親戚になる。とくに夫の両親の存在は大きくなる。夫にしたら実の親だから結びつきはそりゃ深いし、大きいもの。この辺はマナミも親との関係がそうだから理解は出来る。

 だけどね、この義理の母親、姑って呼ばれる存在は時に厄介極まるものになるのは聞いたことぐらいはあった。もちろん全員がそうじゃないし、そうでない姑の方がきっと多いはずだ。だけどどっちに当たるかはロシアンルーレットの世界じゃないかな。

 夫にもフラグの兆候だけはあった。一人息子なんだよね。とはいえ、この少子化の時代だから、一昔前みたいに長男を避けていたら選択肢は狭くなるじゃない。ましてやあれだけ捕まえにかかってようやくゲット出来たぐらいだもの。

 結婚までの経緯も喜ばれていないのは丸わかり。これは仕方がないかも。とにかく出来ちゃっただし、絶対に産むって頑張った結果だもの。あれを大歓迎しろは無理があるものね。それでも結婚までしたのだから、そんなものは帳消しになると無邪気に思い込んでたところは確実にあった。

 そりゃ、なんだかんだと言っても姑だって結婚を認めてるもの。マナミだって姑とは上手くやろうと思ってた。別に喧嘩したい相手でもないもの。新居は義実家の近くだった。これはお互いの仕事場の関係もあったからそんなものだぐらいに思ってた。

 だけどね、距離が近いと姑はすぐに突撃してくるのもわかってしまった。つうか連日みたいにすぐになった。それでも仲よくしようとはしたのよ。姑だって最初は喧嘩腰じゃなかったもの。

 ただ妙なこだわりがあった。出来ちゃった婚だから出産までカウントダウンに入ってるようなものだけど、出産と言うか、出産法にとにかくウルサイんだ。まずマナミが産科にかかってるのが気に入らなかった。

「あんなところで産むなんて自然の摂理に反します」

 はぁ、てな主張だったけど、あの時は角を立てたくなかったから、姑御紹介の助産院に変わった。マナミにしたら大丈夫かいなってところだったけど、それで姑の機嫌が良くなるなら、まあエッかぐらいだったのは白状しとく。

 でね、妊娠週数が深まった時に事件が起こったんだ。出血が止まらなくなったんだよ。助産師はあれこれやってたけどお手上げになったみたいで、産科に行かされた。そこであれこれ検査したら産科医の顔色が変わっていたのをよく覚えてる。

「すぐに中央病院に搬送します」

 救急車が呼ばれて市内でも一番クラスのところに緊急入院になった。緊急入院どころか、そのまま緊急手術になったんだよ。たしか前置なんたらと言ってたと思うけど、

「母子ともに危険です。最悪のケースもありえます」

 手術中は麻酔で寝てたから後から聞いた話だけど、手術室はまさに血まみれの修羅場だったそう。マナミの出血がどうしても止まらず、あらゆる手段を総動員したぐらいで良いと思う。お医者さんたちが大奮闘してくれて、母子ともに無事だったのは感謝してる。

 だけどね、緊急手術は乗り越えられたけど、マナミの産後は良くなかった。これもあれこれ説明はあったけど、要約すると術後トラブルのオンパレードだったで良さそうだ。だって再手術まであったもの。

 なんだかんだでマナミの入院は三か月になったんだ。子どもの方はあれだけの修羅場だったけど軽症だったみたいで先に退院してた。それは良かったのだけどマナミが入院している間に姑はクソ姑になり、夫はクソ夫になりやがったのはわかっていった。まずやられたのは、

「お母さんと同居するからね」

 これは相談じゃなく通告、それも事後通告だったんだ。だって既に新居を引き払い、クソ夫と子どもはクソ姑と同居してるんだもの。ちなみに舅は結婚の一年前に死んでるよ。

「お母さんも一人で寂しかったし、マナミの状態じゃ子育てだって出来ないだろ」

 うむむむ。体調は退院こそスケジュールに乗ってるけどガタガタだった。こんな状態で子育てするのはハードなのは理解するけど、だからと言って相談もなしに同居を事後通告はないだろうが。

 モヤモヤがテンコモリだったけど、退院しても行き先がそこしかないから義実家に行ったよ。医者からは退院してもくれぐれも養生してくれって念を押されたけど、義実家はそんなところじゃなかったんだ。いきなりかまされたのが、

「ああなってしまったのは、最初から助産院にかかってなかったからだ」

 違うでしょうが。あの助産師が前置なんたらを見逃したからだ。

「だから帝王切開になってしまった。あんなもので産んだら母親失格」

 どこから産んだって変わりはないし、あの前置なんたらで自然分娩なんてやらかしたら母子ともに死んでたと医者も言ってたじゃないか。それぐらいはクソ姑も一緒に説明を聞いていたはずだけど、そんなもの都合よく忘れる人だってこと。

 そこからは絵に描いたような嫁イビリの暴風雨が吹き荒れた。嫁イビリのメカニズムというか、クソ姑の不抜の信念みたいな論拠だけど、姑は問答無用で嫁より立場が上がある。それも姑が女王様ぐらいで、嫁は下女ぐらいの差だ。だからだと思うけど情けも容赦もあったものじゃなかった。

 そこで反撃としたかったけど、とにかく体調がガタガタなんだよ。こういう時ってメンタルも大事のはずだけど、あれだけ嫁イビリ、嫌味、さらには暴言の嵐の中ではこっちの気力が萎え果ててしまった。

 ああいうのを心が折れるって言うのかもしれない。言われるがまま、やられるがままのサンドバック状態にされてしまったもの。なんか夢遊病状態だったし、いっそ死んでしまいたいぐらいは頭に浮かんだけど、自殺するにも気力がいるのだけはわかったかも。

 あの頃のマナミは死にたいぐらいは思ったけど、死ぬ気力さえ奪われていた感じだったものね。そんな状態だから仕事も辞めざるを得なかったけど、辞めたら辞めたで、

「穀潰しに食わせてやってるんだから死ぬほど感謝しなさい」

 これぐらいは朝の挨拶ぐらいで言われまくられてた。そんな状態で五年も過ごしたのは今でも信じられないぐらいだよ。それでも五年もすれば体力は戻って来てた。そんな時にマナミを目覚めさせる事件が起こった。

 クソ夫のスマホはロックがかかっているのだけど、トイレに行く時に開いたままで行きやがった。みるとゲーム途中だったみたいだ。そこで前から気になっていたものを確認してやった。

 あははは、出るわ、出るわだ。生々しいやり取りはもちろんだけど、モロの画像どころか動画まで撮っていやがった。だよな、浮気をやっていないはずがあるものか。だって結婚してからパーフェクトレスだぞ。

 この時に心の底から怒りが湧いてくるのがわかった。怒りってすんごいパワーだってよくわかったもの。そこでやっとこさ、

「離婚してやる!」

 こっちに頭が回ってくれた。だけどね、そっちになかなか頭が回らなかった理由もあったんだ。離婚を考えた時の常套手段で実家に帰るってあるじゃない。なんだかんだと言っても一番信用できて、頼もしい援軍じゃない。その実家なんだけど既に消滅してたんだ。

 あれは結婚三年目だったけど、旅行に出かけた両親が高速道路のトンネルで事故に巻き込まれてそろって天国に行っちゃったんだ。ニュースにもなったけど、トンネル内で火災が発生して死者多数ってやつ。

 両親がいなければ親戚を頼る手もあるけど、マナミも一人娘だし、叔父さんや叔母さんだって遠方も良いところ。そのうえ理由は良く知らないけど両親と仲がすこぶる付で悪かった。祖父母も同上だ。

 だけどさ、さすがに一人で戦って離婚するのは大変過ぎる。そこで思いついたのはサヤカだった。サヤカは家が近所だったし、保育園から小学校まで同じの幼馴染だ。もっとも中学からは別だったからその点に自信が無かったけど、とにかく連絡してみた。

 連絡先が昔のままで変わってなくて助かった。変わっていたらどうやって探し出すかで途方に暮れそうだったもの。サヤカと電話がやっとこさ繋がってくれて、あれこれ事情を話しかけたのだけど、

「とにかく会って話を聞く」

 ファミレスで待ち合わせして話したのだけど、

「離婚しかない。それもタダの離婚で済ませるものか。目にもの見せてやる」

 烈火の如きってあんな感じかもしれない。あんなに怒っているサヤカを初めて見たかもしれない。サヤカはそこからすぐさま弁護士に連絡を取ってくれた。よくそんな知り合いがいるものだ。そうそう、弁護士となると費用が気になったのだけど、

「尻の毛まで毟り取ってやるから心配無用」

 おお怖い。

ツーリング日和20(第1話)マナミの夢

 マナミだって夢を持っていた。子ども時代だけどね。アイドルになるとか、スポーツ選手になるとか、デザイナーになるなんてあったんだよ。でもさぁ、小学校ぐらいでもそういう夢は段々と萎んで行ってしまったかな。

 だってさ、歌は上手くないし、運動は人並みも良いところ、絵を描かせても下手っぴなのは嫌でもわからされてしまう。上手いやつはホントに上手いもの。そこでさ、一念発起とか、石の上にも三年みたいなスーパー努力するのもあったかもしれないけど、あははは、トットとあきらめた。

 中学になる頃には、漠然と一流会社に入って、バリバリのキャリアウーマンになるんだぐらいに変わっていた。これももっと単純にはいつの日か社長になって大金持ちになってやるぐらいかな。

 そうなると勉強をバリバリやらないといけないのだけど、勉強も好きじゃなかったんだ。だって面白くないじゃない。テレビも見たいし、マンガだって読みたいし、ゲームだってやりたいのに、それを全部我慢して勉強にひたすら打ち込むってマゾじゃないかと思ったもの。

 そうこうしているうちに人生の最初のフルイ分けがやってきた。それが来るのはさすがに中学生だから意識はあった。あったけど、それが何を意味するかはわかっていなかった気がする。何があったかってか、そんなもの高校受験に決まってる。

 あれってね、どれだけ中学生までに勉強したかのフルイ分けで良いと思うんだ。これは全国どこでも似たようなものだと思うけど、成績順に進学できる高校が綺麗に分けられてしまう。マナミが住んでいたところは中途半端な田舎だったから、私立に行くのは信じられないぐらいの秀才か、救いようのない連中の受け皿って感じだったんだ。

 いわゆる一番手校は旧制中学からの伝統校。全国的には無名だけど、この辺だったらそこの卒業生って言うだけで一目置かれるぐらいの高校だ。この辺は地域差が大きいはずだけど、うちの地元ではどこの大学を出たかより、どこの高校を出たかの方が重く見られるところがあるのよね。

 二番手校は旧制高等女学校からの伝統校らしい。らしいと言うのは一番手校よりガクッと落ちるのよね。どれぐらいの差かだけど、話に聞いただけだけど一番手校はとにかく国公立を目指すらしい。私立なんて、

『行きたければご自由に』

 そんな扱いだとか。でもって二番手校はそこのトップクラスがなんとか関関同立に入れるかどうかって話だった。これも現役では難しく浪人してやっととか、現実には産近甲龍狙えるかどうかとかなんとか。

 マナミだって一番手校はサッサとあきらめたけど、せめて二番手校ぐらいはと思ってたのよ。それでもハードルは高すぎた。そんなレベルじゃなくて辛うじて三番手校に入れたぐらい。

 三番手校はニュータウンが作られて人口急増期があった時に作られた新設校。新しいだけあって校舎は綺麗だったし、設備も悪くなかったと思う。学食もちゃんとあったものね。だけどそこから大学進学を目指すと当たり前だけで二番手校のさらに下になる。

 というかさ、あの頃なら七割以上は高卒就職組だったもの。残りの三割の進学組だって半分ぐらいは専門学校組で、さらに残りの半分の半分は短大組って感じ。正確な数は知らないけどだいたいそんな感じだった。

 わかるかな。高校進学の時点で進学できる大学どころか、大学に進学できるかどうかも決まってしまうのよ。マナミの高校からだって四大に進学するのはいたけど、言うまでもないけど二番手校以下。というか進路実績見ても、

『そんな大学があったっけ?』

 そんなところばっかり。もちろんそこからだって逆転はあり得るよ。いわゆるドラゴン桜の世界だ。そんな世界があの高校に起こるはずもなかったな。ドラゴン桜的な世界は夢ではあるけど、あれはあれで設定に相当な無理があると思ってる。

 勉強ってやっぱり地道な積み重ねであることぐらいはマナミで良くわかった。そりゃ、人の半分とか、下手すりゃ一割ぐらいの勉強で出来ちゃうのもいるかもしれないけど、そういう連中だってちゃんと中学でも成績を残してるってこと。

 マナミの入ったような三番手校に来る連中に共通しているのは、勉強が嫌いというより、遊ぶのを我慢して地道に努力するのが嫌いで良いと思う。だからドラゴン桜なんて起こればビックラ仰天になる理屈だ。

 勉強が出来ると頭が良いのは同じ意味でないって言う人はいる。それだってわかるところはあるけど、勉強に限らず努力できない人は世の中では評価されないぐらいかな。だから高校進学の結果もそれを表しているぐらいの気がする。

 こんな事は社会人になってから思ったことだけど、高校の時はひたすら現実を受け入れてたかな。まず一流会社に入ってバリバリのキャリアウーマンになるのは無理だろうって。だってさ、高校進学の時点で一流大学に入るのは不可能になってるじゃない。

 それ以前にコツコツとか地道に頑張るのは向いてないとあきらめてた。それが出来てたらこんな高校に入ってるはずないじゃない。それより何より、もうやり直しは出来ないし、する気もなかった。

 そうなると人生設計が変わってくる。一発逆転があるとしたら結婚だって。いわゆる玉の輿に乗るだよ。そしたらセレブの仲間入りが出来るだろうし、社長夫人だって夢じゃないもの。これだってその手の小説や、マンガや、ドラマはいくらでも転がってる。

 そういう目で見ればやはり大学に行きたくなった。だって玉の輿に乗るには、玉の輿を用意できる男を見つけ、捕まえないと出来ないじゃない。こんな高校にいるわけないし、高卒で地元に就職したって見つかるはずがないものね。

 そんな男を見つけ、捕まえ、玉の輿に乗るには都会に出ないと始まらない。都会の大学生なってこそ出会いがあるはずなんだ。だから大学進学を頼み込んだんだ。どれだけ親が理解してたかはわからないけど大学進学は認めてくれた。

 大学受験は大変だった。もっともドラゴン桜は起こっていない。マナミがなんとか潜り込めたのは三明大だ。あんな高校から入れるぐらいだから、そういう大学だ。取り柄は神戸市街にあることかな。


 無事大学デビューを果たしたものの、ここでも学歴の壁は厳然としてあった。だってだよ、合コンしたって集まってくるのは、同類クラスの学生ばっかり。それでもコネとツテを駆使して有名大学生が集まる合コンにも顔を出したけど自己紹介の時点でアウトみたいなものだった。

 こんな調子じゃ玉の輿に乗るのも夢のまた夢じゃない。そこでまた方針転換をした。玉の輿でなくても結婚しようって。愛する男と結婚して家庭を持ち、子どもを産み、育て、最後に孫を可愛がりながら人生を終わろうだ。

 最初の夢は小さく小さくなったけど、これだって女の夢だし、女の幸せだろうが。こんな夢を聞いたら噛みついてくるフェミ連中はいるけど、どんな夢を持とうがマナミの自由だ。もっともトドの詰まりが男を捕まえるになったのは御愛嬌だ。

 だけど学生の間は捕まえられなかった。この時点で学生結婚の夢は潰えたことになる。もっとも無理して学生結婚なんてする気はさすがになかったけどね。だから就活に励んだ。ここだって、これまでの積み重ねがモロに出た。

 名の通った一流会社なんてたぶん書類審査で秒殺の門前払い状態だったで良いと思う。でもってなんとか入り込めたのが神戸の小さな会社の事務職だったものね。そんな会社だったから男を捕まえるのがまた難しくなったのもすぐに悟ったぐらい。このままじゃ、行かず後家のお局様になるしかないって覚悟したもの。

 そしたらついに出会いがあった。あれも合コンだったけど、男と連絡先の交換に漕ぎつけ、デートして、ついに交際の申し入れを受けたんだ。これは絶対に手放してはならないと思ったもの。

 相手の男だけど、マナミとドッコイドッコイぐらいの会社員。同い年だ。容姿は・・・あれなら許容範囲内だし、どこをどう見ても男だ。とにかく、ここまで男がどれだけ捕まえにくいかは身に染みて知っていたから次は無いと思い込んでたよ。

 交際はやがて深い関係になり、なんとか同棲まで持ち込むのに成功した。同棲まで来れば次は結婚のはずだけど、ここからがなかなか進んでくれなかった。この辺は経済状態もあったのは間違いない。どっちも安月給だったからね。

 それと男と交際して初めてわかったようなものだけど、交際期間が長くなるのも良し悪しだって。この辺は一人しか知らないから言い切れないけど、長くなれば愛情は深まるとは言い切れないと感じたんだ。はっきり言うと男がマナミに飽きている感触もあったぐらいだった。

 これも一人しか知らないから最後のところはわからないのだけど、恋人関係から結婚に進むには途轍もないエネルギーが必要そうだった。それって交際中に高まった愛情の熱度になりそうだけど、すぐに臨界点に達するカップルとそうでないカップルぐらいはありそうだと思った。

 とは言うものの、もう交際は五年目に突入している。出会ったのが二十四歳の時だからいわゆるアラサーにもなってしまってるじゃない。今さら次を見つけて乗り換えるのは大変過ぎるし、出来る自信もない。


 困ってたら事件が起こったんだ。なんとなんと出来ちゃったんだよ。一応避妊はしてたけど、まあ、出来たって不思議ないかも。その辺は相手の男も心当たりがないとは言えないところで、少なくとも浮気みたいな話にはならなかった。

 そうなるとどうするかだ。どうするかだって、このまま出来ちゃった婚にするか、堕ろすかの二択しかないんだけどね。マナミは頭から産む一択だった。堕ろすのは嫌だったし、出来ちゃった婚だってウェルカムだ。つうかそれをひたすら目指した。

 話合いはひたすら長引いた。当事者の二人だけでなくお互いの両親も巻き込んでの話合いになっていった。でね、そうこうしているうちについについにタイムアウトになってしまったんだ。

 これも妊娠してから知ったようなものだけど、一口に堕ろすと言ってもいつでも出来る訳じゃない。とりあえず母体である女への負担が変わってくる。妊娠十二週、いわゆる三か月までなら、子宮に引っ付いている胎児を吸い出すだけで済むらしい。

 だけどね、この時期に堕ろすのは即座の決断が必要で良さそうだ。妊娠してるかどうかは薬局で売ってる検査で出来るけど、あれで妊娠がわかるのは五週目ぐらいになるそう。これだって常に妊娠を意識していれば五週でわかるかもしれないけど、マナミの場合はもっと遅かった。

 それと検査で妊娠がわかっても即座に堕ろすにはならない。普通は産科を受診して確認するじゃない。これでも仕事があるからすぐに受診できるわけじゃなし、まだ独身の妊娠だから産科を受診するのもハードルがあったか感じかな。

 それでも自分の腹を見てるとヤバイと思って決心して受診したら十二週なんかとっくに過ぎてた。妊娠十二週を越えると胎児ががっちり引っ付きだすから、吸い出せなくなり掻把と言って掻き出すのも必要って説明だった。違いは良くわからなかったけど、それだけ体への負担が大きいぐらいだろう。

 この辺は体への負担だけでなく、女の心理も変わると思う。妊娠が進めば進むほど、いわゆる母性が強くなると思う。我が子って意識として良いよ。マナミはそうなってたもの。我が子を殺したくないって気持ちが強くなってたんだ。

 でもって堕ろせる限界が二十一週だ。堕ろすか堕ろさないかの最終決定権は女にある。当たり前か。どんなに相手の男が望もうとも女が同意しない限り堕ろせないんだよ。二十二週に入った瞬間に男はあきらめたで良いと思う。

 粘り勝ちだ。バタバタあったけど出来ちゃった婚に雪崩れこめた。ささやかだったけど、腹ボテ結婚式も挙げた。後は子どもを産んで、育ててのコースに入るだけだと思ってた。だいぶ小さくなって、変形もしたけどマナミの夢が花開くはずだったんだ。