因幡にツーリングに出かける予定を考えた時にムックしたお話です。これは大国主命が白兎を助ける話ですが、これは古事記の記録が最古です。ですが確認すると気になるところがあります。冒頭部のところですがまず原文です。
此大國主神之兄弟、八十神坐。然皆國者、避於大國主神。所以避者、其八十神、各有欲婚稻羽之八上比賣之心、共行稻羽時、於大穴牟遲神負帒、爲從者率往
これをwikipediaでは田辺聖子氏の現代語訳として、
大穴牟遲神(おおなむぢのかみ=大国主神)は八十神(やそがみ=兄弟)から嫌われていた。八十神は、稲羽の八上比賣(やがみひめ)に求婚したいと思い、稲羽(いなば)に出掛けた時、大穴牟遲神に袋を持たせ、従者のように引き連れた
イメージとして兄弟神に嫌われていた大国主命は、兄弟神が因幡の八上姫に求婚に行く時の荷物持ちの従者にされていたぐらいで良いかと思います。これはこれで話の筋が通るのですが、問題なのは、
ここの部分を大正から昭和にかけて活躍し、万葉集、古事記の研究で日本学士院賞を受賞された武田祐吉氏は、
しかし國は皆大國主の命にお讓り申しました。
どうも問題をさらに絞ると『避』の解釈の様で、田辺聖子氏は『避ける』と取り、武田祐吉氏は『避りし』としているで良さそうです。他の読み下しでは『避りき』ともありましたが、『避りし』も『避りき』も『譲る』になるそうなのです。
どうも武田氏の解釈の方が学会的に大勢の感触がありますが、武田氏の解釈にすると理解が難しくなるのは、
ここの解釈は大穴牟遲神が袋を負い、従者となったになります。ここなのですが、田辺氏も武田氏も、いやもっと広く、
こうしています。これは基本的に同意なのですが、国を譲られたはずの大国主命がどうして従者になっているのかが出てきます。そこでみたいな解釈ですが、古事記の原文では国を譲られたのは大国主命とし、従者になったのは大穴牟遲神と分けて書いてあります。
ここも古事記では後段に根の国での大穴牟遲神が須佐之男命から大国主命になるの話が出てはくるのですが、それでもですが国を大国主命に譲った兄弟が八上姫の求婚に向かう話が始まりです。つまりって程の話じゃありませんが時系列的には、
- 大国主命の兄弟は国を譲る
- 譲った兄弟は八上姫への求婚のために因幡に行く
- 大国主命の兄弟の従者が大穴牟遲神である
古事記にはわざわざ兄弟が国を譲ったのは因幡の八上姫への求婚のためとしています。 だから力業として大国主命と大穴牟遲神は別人と解釈すべきかと考えた次第です。大国主命は出雲王ですが、大穴牟遲神はその息子ぐらいの解釈です。ここはもう一歩進めて、
つまり大国主命は出雲王の総称ないし称号じゃなかったかです。そう考えると、話の筋が通りやすくなります。八十神と原文にある兄弟神は現出雲王の兄弟であり、大穴牟遲神は現出雲王の息子ぐらいです。
大穴牟遲神は叔父さんたちの八上姫への求婚旅行の従者をさせられたぐらいになります。それならあり得るかみたいな感じです。ならばみたいな話をあれこれ展開させたのですが、あまりにも与太話なのでこの辺にさせて頂きます。