次回作の紹介

 紹介文としては、

 あれこれ将来に夢見ていたマナミが最後につかんだ夢は平凡な結婚。やっとつかんだと思ったのですが結果は最悪。修羅場の離婚騒動の末にバツイチ。独身に戻ったマナミはツーリング小説に影響されバイク女子を目指します。


 苦心惨憺して小型免許を取り、出かけたツーリング先に出会ったイケメンに心が動きます。ただなんとその相手はマナミをバイク女子にした作者だったのです。


 不思議に好意を持たれツーリングを重ねます。ただマナミにはバツイチ以外にもコンプレックスがテンコモリありました。そんなマナミを後押しする友人のサヤカ。二人の恋の行方はどうなるのか。

 ツーリングのサイドストーリーに恋愛要素があるというより、恋愛小説のサイドストーリーとしてツーリングがあるになっているのは御愛嬌です。

 類型としては容姿にコンプレックスを抱えるヒロインが、自分と釣り合いが取れなさそうな相手に恋するお話です。ありきたりと言うか、恋愛小説に新たな類型を生み出すほどの才能にはまったく恵まれていませんから、そこは安定のテレフォンパンチとあきらめて下さい。

 ツーリング部分はかなりリアルに基づいています。リアルに基づいたがために行動半径が狭くなっていますが、モンキーで動ける範囲の限界です。そうそう、目新しいところに行けるものではないのはご容赦ください。

夢の秘湯の旅

 ツーリング日和シリーズは、一応ツーリング小説のつもりです。で、初期設定として購入予定だったモンキーでツーリングをさせています。納車が20ヵ月もかかったのが予定外でしたが、モンキーですから基本は御近所ツーリングにしようと考えていました。

 出発地も神戸にしていますから、県内ツーリングをさせる予定で、県内なら一泊二日でほぼどこでも行けるはずだぐらいの目論見でした。

 小説ですからお泊りツーリングもさせる気が最初からありましたが、ここで最大の誤算が生じます。お泊りさせるなら秘湯の旅にしようです。あくまでもイメージですが、山の中を走って行ってたどり着く秘湯にツーリングさせてやろうです。

 兵庫県ですが温泉の数は決して少なくないはずです。有名どころなら有馬、城崎、湯村ぐらいは全国的にもメジャーな方のはずです。数だけなら結構な数はあります。ですが秘湯となると・・・困り果ててしまったのです。秘湯の定義はあるようで、ないようなものですが、個人的には、

  1. 開湯伝説があるぐらい由緒がある
  2. 一軒宿とまでいかなくて鄙びている
  3. 行くのが少々ディープである
 行くのがディープと言っても、歩いて一日がかりみたいなところはツーリング小説では使えません。使えないと言うかジャンルが違います。せいぜい道が狭いとか、険しい程度で、あくまでもバイクで行ける前提です。

 そうですね、クルマで行くのは少々大変ぐらいです。クルマよりバイクの方が基本的にそういう道に強いはずですから、そういうところぐらい・・・と思ったら本当に無いのです。

 そりゃ、秘湯って言うぐらいですから、そう簡単に見つからないと言われそうですが、情報社会の物凄さは県内どころか、日本中の温泉の情報を網羅していますし、ユーチューバーブームで、こんなところまでってぐらい体験動画が溢れています。

 それでも県内には殆どどころか、まったくに近いほど見つからず、シリーズの早いうちから県外への長距離ツーリングを目指さざるを得なくなっています。県外への長距離ツーリングはシリーズが長期化すれば必至ではあったのですが、もうちょっと県内ツーリングを重ねてからが本来の目論見でした。

 やっとこさモンキーが手に入ってリアルツーリングになっても基本的に変わりません。私が見つけた範囲で言えば、

  • 播磨・・・武田尾
  • 丹波・・・籠坊
  • 但馬・・・浜坂
 これぐらいでしょうか。ですがどれも秘湯とするには少々無理があります。他にはないかと冬の間にあれこれ探していたのですが、丹波に国領温泉を見つけました。

 国領温泉も由緒がありそうな温泉で、戦前には湯治場として栄え10軒以上も温泉宿があったとか。その最後の生き残りが一軒宿として健在のようです。秘湯の条件はそこまでは満たしているのですがロケーションが・・・

 日帰りで見に行ける範囲なので春のツーリング予定に入れています。今どきはかなりの情報を集められますが、やはり現地に行かないと最後のところはわからないものです。小説ネタに繋がってくれるのを期待しています。

因幡の白兎

 因幡にツーリングに出かける予定を考えた時にムックしたお話です。これは大国主命が白兎を助ける話ですが、これは古事記の記録が最古です。ですが確認すると気になるところがあります。冒頭部のところですがまず原文です。

此大國主神之兄弟、八十神坐。然皆國者、避於大國主神。所以避者、其八十神、各有欲婚稻羽之八上比賣之心、共行稻羽時、於大穴牟遲神負帒、爲從者率往

 これをwikipediaでは田辺聖子氏の現代語訳として、

大穴牟遲神(おおなむぢのかみ=大国主神)は八十神(やそがみ=兄弟)から嫌われていた。八十神は、稲羽の八上比賣(やがみひめ)に求婚したいと思い、稲羽(いなば)に出掛けた時、大穴牟遲神に袋を持たせ、従者のように引き連れた

 イメージとして兄弟神に嫌われていた大国主命は、兄弟神が因幡の八上姫に求婚に行く時の荷物持ちの従者にされていたぐらいで良いかと思います。これはこれで話の筋が通るのですが、問題なのは、

    然皆國者、避於大國主神
 ここの部分を大正から昭和にかけて活躍し、万葉集、古事記の研究で日本学士院賞を受賞された武田祐吉氏は、

しかし國は皆大國主の命にお讓り申しました。

 どうも問題をさらに絞ると『避』の解釈の様で、田辺聖子氏は『避ける』と取り、武田祐吉氏は『避りし』としているで良さそうです。他の読み下しでは『避りき』ともありましたが、『避りし』も『避りき』も『譲る』になるそうなのです。

 どうも武田氏の解釈の方が学会的に大勢の感触がありますが、武田氏の解釈にすると理解が難しくなるのは、

    於大穴牟遲神負帒、爲從者率往
 ここの解釈は大穴牟遲神が袋を負い、従者となったになります。ここなのですが、田辺氏も武田氏も、いやもっと広く、
    大穴牟遲神 = 大国主命
 こうしています。これは基本的に同意なのですが、国を譲られたはずの大国主命がどうして従者になっているのかが出てきます。そこでみたいな解釈ですが、古事記の原文では国を譲られたのは大国主命とし、従者になったのは大穴牟遲神と分けて書いてあります。

 ここも古事記では後段に根の国での大穴牟遲神が須佐之男命から大国主命になるの話が出てはくるのですが、それでもですが国を大国主命に譲った兄弟が八上姫の求婚に向かう話が始まりです。つまりって程の話じゃありませんが時系列的には、

  1. 大国主命の兄弟は国を譲る
  2. 譲った兄弟は八上姫への求婚のために因幡に行く
  3. 大国主命の兄弟の従者が大穴牟遲神である
 古事記にはわざわざ兄弟が国を譲ったのは因幡の八上姫への求婚のためとしています。 だから力業として大国主命と大穴牟遲神は別人と解釈すべきかと考えた次第です。大国主命は出雲王ですが、大穴牟遲神はその息子ぐらいの解釈です。ここはもう一歩進めて、
    出雲王 = 大国主命
 つまり大国主命は出雲王の総称ないし称号じゃなかったかです。そう考えると、話の筋が通りやすくなります。八十神と原文にある兄弟神は現出雲王の兄弟であり、大穴牟遲神は現出雲王の息子ぐらいです。

 大穴牟遲神は叔父さんたちの八上姫への求婚旅行の従者をさせられたぐらいになります。それならあり得るかみたいな感じです。ならばみたいな話をあれこれ展開させたのですが、あまりにも与太話なのでこの辺にさせて頂きます。

二つの因幡街道

 岡山県にモンキーの轍を刻めたので、目指せ次は鳥取県です。兵庫県から鳥取県を目指すには、

  1. 豊岡まで北上して但馬漁火ラインを西に向かう
  2. 和田山まで北上して国道9号を西に
  3. 大原宿から国道372号をさらに北上
  4. 山崎から国道29号を北上して戸倉峠を越える
 高速が走れませんからこの4ルートぐらいが思い浮かびますが、1.~3.は日帰りでは無理です。少なくとも私では無理です。そうなると消去法で戸倉峠越えになります。戸倉峠を越えればとにもかくにも鳥取です。

 戸倉峠を越えて若桜ぐらいまでなら日帰りでたぶん走れるはず。あくまでも机上の計画ですが、波賀までは2回行ったことがありますから、たぶん行けるはずです。

 鳥取と言うか因幡へのルートは冬の間にあれこれ考えてはいたのですが、地図的には隣の県ですが、ひたすら遠いのが実感です。そりゃ、瀬戸内海から日本海まで横断するようなものだからです。

 昔はどうだったかですが、3.のルートを鳥取藩が参勤交代ルートに使い因幡街道として名を遺しています。大原宿で見た本陣が当時の栄華を忍ばせてくれます。

 因幡街道の成立も古すぎて杳としてわからない部分が多々ありますが、どうも美作が令制国として備前から分離した時に、山陽道の飾西宿あたりから津山に向かう美作支道が官道として整備されたからのようです。

 美作道の佐用から北上して鳥取を目指すルートが因幡街道の始まりの様で、平安期の官人がこの道を使い国司に就任した記録が残されています。

 だったら古代から播磨と因幡を繋ぐ街道としてずっと重視されていたかと言うと疑問符が残ります。あくまでも私が調べた範囲ですが、佐用経由の因幡街道は鳥取藩が参勤交代のために再活用した感じがします。

 ならば因幡から播磨に向かうメインルートはどこだったかになりますが、鳥取から若桜に向かい戸倉峠を越えて山崎に向かう国道29号線ルートです。こちらも因幡街道と呼ばれるようです。明治以降の扱いも国道からしてわかりやすくて、

  • 山崎経由の因幡街道・・・国道29号
  • 佐用経由の因幡街道・・・国道372号
 国道29号は明治に最初に国道整備として必要として認められた路線なのです。今は鳥取道が出来たので国道29号も閑散としていますが、かつては鳥取県と兵庫県を結ぶ主要幹線道路として重視されていたはずです。

 山崎経由の因幡街道の成立はそれこそ神代の時代に遡ると考えています。ただ戸倉峠に挑戦するとなると雪が心配ですから、五月に入ってからかな。 

春が来たからツーリング

 冬の間は通勤だけで凍えるような思いをしていましたが、暖かくなったので冬の間にプランしていたツーリングに先週末にGoです。

 新神戸トンネルを潜り、呑吐ダムの湖畔を走り抜け、ネスタリゾートの前を通り、豊地から桃坂を越え国道175号バイパスに。そこから、

    国道372号 → 県道371号 → 県道24号 → 県道23号
 これで加西を越え、福崎を越え、夢前を越え、安富で国道29号に入り山崎へ。山崎から県道53号、さらに県道154号で三日月に。ここには乃井野陣屋があり記念撮影。ちなみに手前の方の屋根付きの部分が月見櫓で、これは奇跡的にオリジナルがあれこれあった末に残っていたものです。
 三日月から国道179号で佐用に行き、佐用から国道373号で北上。当初は平福までの予定でしたが、予定より早かったので
    県道161号 → 岡山県道5号
 これで大原宿まで足を伸ばしてみました。足を伸ばしたのは大原宿を見たかったのもありますが、これで、
    岡山県にモンキーの轍を刻めた
 京都府に続いて2つ目の他府県です。写っているのは大原宿本陣です。
 大原宿から国道179号で平福に戻り有名なスポットを撮影し、
 生きて帰って来れました。往復290kmで燃費は66km。ロングツーリングをするとこうなるのですが、まだタンクには1リットルぐらい残っているお化け燃費です。もっとも220kmぐらいから燃料切れの警告灯が点滅するので気色悪いものです。

 曇り空が殆どでしたが、案外だったのは里のソメイヨシノはちらほら程度でしたが、山の桜が結構咲いていました。思わぬ花見になりました。山桜の方が遅いと思っていましたが、早咲きの品種だったのでしょうか。