ツーリング日和12(第5話)ドカの女

 ここは二階の船尾にあるオープンデッキの椅子席。出航風景を見送ろうぐらい。電車もそうだけどフェリーも乗っている間は退屈なところがあるのよね。観光旅行なら風景を楽しめるけどビジネス、たとえば東京までの電車になるとウンザリする時はある。

「そやからパソコン持ち込んで仕事してるやつが多いわ」

 出来るアピールの人もいるかもしれないけど、良く言えば時間の有効活用、悪く言えばヒマ潰しのとこもあるのよね。他にも本を読んでたり、雑誌を買い込んで読んでたりもあるし、

「スマホゲームが多いやん」

 その中で昔からポピュラーで今でも多いのが寝るなのよね。わたしたちも寝たって良いのだけどまだ起きたばかりだし、旅への高揚感があるからコトリとダベってる。これは二人旅だから出来る楽しい時間。

「ドカがおったな」

 ドカとはドカッティのこと。ドカッティもバイク乗りの憧れのバイク。クルマで無理やり例えればフェラーリとかランボルギーニかな。日本でも見かける事さえ少ないから存在するだけでバイク乗りなら目を引かれちゃう。

 ドカッテイと言えばパニガーレみたいなスーパースポーツが思い浮かぶと思う。フルカウルのガチガチのレーサータイプ。色も派手めな感じ。だけどフェリーで見かけたのを一目見てドカッテイと気づけたら、ちょっとした通かな。

「スクランブラーやもんな」

 スクランブラーはクラシックなヨーロピアン・スタイルで良いと思う。コンセプトとしてはカフェ・レーサーだ。

「スクランブラーかって、アーバン・モタードみたいな派手なカラーリングもあるけどナイトシフトやんか」

 都会の夜に溶け込むのがコンセプトだったかな。だからカラーもグレーが基調になった渋いもの。だから車体に書いてあるDUCATIの文字を読むまでどこのメーカーなのかわからなかった人も少なくなかったはず・

「あんなもん滅多に見いひんからな」

 わたしも実際に走っているのを見るのは初めてだもの。スペック的には800CCの七十三馬力だからムチャクチャ速いわけじゃない。これも誤解を招くな。ドカのイメージ的にスーパースポーツだから、それに比べたら程度のもの。普通には余裕で速いよ。

「速度を競うモデルやあらへんからな」

 ゆったりと言うより悠然と走るモデルかな。だから日本ではあまり見かけないのかもしれない。そういう需要はあるけど、ドカなら速く走れないと意味がないがあるぐらいかも。ブランドのイメージってあるものね。

「それもあるけど高いわ」

 百四十万円ぐらいだったかな。百四十万円は素直に高いけど、それでも普通の軽自動車程度とも言えないことも無い。だけどね、バイクにしたら高すぎる感覚があるものね。

「この辺はバイクの特徴や。セカンドカーになるわけやないからな」

 軽自動車ならセカンドカーとして使用用途は広いのよね。だけど大型バイクはとにかく日常ユースに使いにくい。どれだけ大きくとも二人乗りだし、荷物だって乗らないし、天候の影響はモロ。

「趣味としてバイクを走らせたい人に存在してるようなもんや」

 だからフェラーリとかランボルギーニの例えが出ちゃうのよね。だから走っているだけで注目されるし、持ってる人にバイク乗りが憧れのまなざしを向けてしまうのは確実にある。

「ベルスタッフやな」

 これはドカに乗ってる女のライディング・ウェア。一九二四年創業のイギリスの老舗ブランド。あのドカに良く合ってた。歳の頃は、そうだね、

「どやろ四十ぐらいちゃうか」

 四十歳とコトリは言ったけどおばさんではない。スタイルに崩れたところなんてないし、身のこなしもスマートだ。肌だって、

「ああ、あれは相当に手を入れとるわ。それだけやのうてあのメイクは素人には見えん」

 女なら誰でも化粧はするけど、その巧拙は確実にある。とくに玄人の化粧は違うのよね。玄人と言ってもあれこれいるけど、

「モデルとか女優のメイクの感じがするわ。夜の蝶ならもっと濃いやろ」

 女なら四十ぐらいって気づくけど、男からならもっと若く見えるはず。いわゆる美魔女って感じで良いかな。

「綺麗かどうかはわからんけどな」

 まず大きなレイバンのサングラスをしている。それだけじゃなく、スカーフで口許を覆ってるから顔が見えないのよ。バイク乗りがそういう格好をしているのはおかしくはないのだけど、あれじゃ美人かどうかは確認出来ないのはコトリの言う通り。

「あれって日焼け対策だけやない気がする」

 そんな感じはあった。さてだけど、これから向かう隠岐だけど歴史はそれこそで古い。だってだよ応神天皇の時に、天八現津彦命の後裔が意岐国造に任命されて始まったとなっている。

「応神天皇は神功皇后の息子やもんな。そやけど隠岐まで国造を派遣するほど勢力範囲が広かったかは疑問や」

 これは播磨風土記になるけど、応神天皇の足跡は加古川の東部に留まる感じのとこもあるのよね。それを言いだしたら神功皇后の三韓征伐なんてどうやって行ったかになるのだけど、

「古代でも寄子寄親関係やったんちゃうか。あれは古代ローマからあるやんか」

 パトローネスとクリエンティスね。神功皇后の時代は大親分みたいに君臨してたけど、応神天皇はそこまでなかったか、代替わりの混乱を修復して回っていたのか。そんなもの確かめようもないものね。

「天八現津彦命もはっきりせんとこがあるやんか」

 つうかわたしは知らないもの。通説では大国主命の一族とされてるけど、

「一説では建御名方神の一族つうのもある」

 建御名方神も大国主命の息子ないし孫って説があるぐらいだから出雲系で良いでしょ。もうこの辺になると完全に神話の世界で定かではないぐらいにしか言えないよ。

「そやけど隠岐最古の古墳は四世紀まで遡るし、四百基以上あるとされとるで」

 卑弥呼が三世紀の人だから、その百年後には古墳を作るぐらいの文化と勢力が隠岐にはあったことになる。

「そうとも言えるけど、古墳時代にはヤマト文化圏に入っとったも言えるで」

 だからだと思うけど令制国として最初からあるし、延々と明治維新まで続いてるものね。

「あれやろな半島や大陸から出雲に渡るのに中継点として使われたんやろな」

 半島からなら対馬、壱岐から北九州だろうけど、もし北九州を避けたいと思えば隠岐経由のルートがあったはずだもの。隠岐は小さいけど水は豊富だし、少ないながら平地もあって、

「江戸時代には一万三千石や」

 今だって二万人ぐらいは住んでるのよ。地理的には絶海の孤島だけど、見ようによっては、

「隠岐で自活は可能や」

 この辺は想像の世界だけど日本列島を目指していた渡来人が隠岐で定着してしまったのが始まりかもしれないね。この辺は船が壊れたりもあったと思うよ。

「そやから文化も高かったんやろ」

 律令政府との関係もしっかりあって、延喜式にも隠岐の鮑は何度も書かれ、当時の最高級品として扱われているのがわかるのよ。

「貢納品として鮑の量は律令時代は全国一となっとるぐらいや」

 もちろん鮑だけが貢納品じゃないけど、当時の貴族は鮑と言えば隠岐みたいなブランド品だった気がする。

「長崎の俵物にもされたからな」

 俵物とは出島での輸出品。隠岐からは干鮑、煎海鼠、干イカがかき集められて送られてるものね。今でも鮑は、

「もちろん取れるで。そやけど昔みたいなプレミアはあらへんかな」

 この辺は輸送が発達して隠岐の海産物が不利になったぐらいかもしれない。鮑も生から調理をするのが主流だから、大消費地から隠岐は遠いのよね。それでも古代貴族が愛した鮑を食べるのは楽しみだな。

「コトリもや。味は変わらんはずやからな」

 まだ見ぬ隠岐で何に出会えるだろう。

ツーリング日和12(第4話)渡海

 大山寺から県道二十四号で米子に向かう。道は良いし、向うに米子市内が見えて良い感じ。今日は宿に向かうだけだけど、皆生にしたのかな。

「それでも良かったんやが、近い方が明日に便利やろ」

 皆生も立派な温泉だけど、松江出張で温泉を利用しようとすれば皆生か玉造の二択みたいなところがあるものね。県道二十四号から国道四三一号に入り、見えて来たのがお菓子の寿城。あれは米子城の天守閣を模して作ったって聞いたけど、

「あれもおもしろうて本丸に四重櫓もあってんよ」

 四重櫓? 三重櫓ならあちこちにあるけど、天守閣以外で四重櫓は珍しいな。それも本丸にでしょ。連立とかじゃなかったの?

「四重櫓は吉川広家が天守閣として作ったんやが、後で城主になった中村一忠が別に天守閣を作ったそうや」

 その時に吉川広家の天守閣も残しちゃったから四重櫓として明治まで残っていたんだって。なんか無駄遣いにしか思えないけど、前城主の権威を凌ごうとしたんだろうな。もう一つ気になるのがどうして米子城が江戸期に存在してるのよ。

 米子は伯耆なんだけど、因幡と伯耆はどちらも鳥取藩で、因州池田氏の所領なんだよね。ごく簡単には今の鳥取県が因州池田氏の領地だったんだよ。それだったら一国一城令で廃城になるはずじゃない。

「一国一城令やけど、大名が複数の令制国を持っとる場合は、各令制国ごとに一城はありやったんや」

 この辺も原則と例外は多々あるそうだけど、取り合えず因州池田氏は因幡と伯耆を領有してるから因幡の鳥取城の他に伯耆に米子城が持つのは可能なのか。

「まあそうや。プラスアルファで言うたら池田氏は織田、豊臣、徳川の時代をこれ以上はないぐらい上手に立ち回ってるやんか。因州池田氏で言うたら、鳥取城、米子城の他に倉吉城も許されとるわ」

 なるほどね。最優秀の戦国サバイバーの成果って訳か。そりゃ池田氏は因州もあるけど、備前岡山にもあるものね。国道四三一号は皆生大橋を渡り、弓ヶ浜沿いを北上。弓ヶ浜は中海の西側の浜だよ。あれは自衛隊じゃない。

「ああ陸自の米子駐屯地や」

 こんなとこにあるのか。この道は中央分離帯に植栽があって、左右にも断続的に並木がある整備された道だけど、都市の道だから景色は良くないし、信号も普通にある。

「米子と境港を結ぶ幹線道路やからそんなもんやろ」

 そうなんだけどツーリングにはツマラナイよ。文句言ってもどうしようもないけどね。あくまでもちなみにだけど米子市は鳥取県で、その北側の境港市も鳥取県。弓ヶ浜あるところを弓ヶ浜半島とも呼ぶらしいけど、この半島は鳥取県なんだ。島根県は弓ヶ浜半島の根っ子の米子の西隣の安来市からになる。

「米子空港は鳥取県になるんやが、ここには空自の美保基地もあるやんか。この美保は美保関から来とるはずやが、美保関は島根県になるねん」

 どうして米子基地とか境基地にしなかったのかは不明だって。

「海軍が最初から美保海軍航空基地と名付けて建設しとるからな」

 境港市内に入って一番北側まで抜けると、これはイイじゃない。

「境水道や」

 海側が漁船の船着き場になってるみたいで、対岸の島根半島が良く見えて気持ちが良い道だ。

「あそこのサイロみたいなものがあるビルの手前を左に入るで」

 あれはフェリーターミナルだって。

「突き当たったら左や」

 この道は水木しげるロードになっていて、妖怪の銅像とかモニュメントが並んでいるそう。そんなものがあるのは水木しげるが境港市出身だから。それでもって今日の宿だけど、まるでマンションみたいだな。

「これでも温泉付きや」

 そうなんだ。入ってみると見た目通りにホテルだな。ちょっとこじゃれたビジホぐらいに言えば良いかもしれない。部屋はおもしろいな、

「畳敷きにベッドや」

 大浴場は十二階にあって露天風呂付。境港市内が一望なのは良いところかな。食事はレストランでのバイキング。さすがに魚は美味しいな。今日も良く走ったから熟睡。朝風呂に入ってから朝食バイキング。

「朝食が七時からでバイキングなのは嬉しいな」

 それはある。旅行中の朝の出発は宿の朝食時間に縛られるのよね。八時ぐらいからが多いけど、そうなると出発は早くて八時半ぐらいになっちゃうもの。それとツーリングは体力を使うから朝はしっかり食べときたいじゃない。

「別に朝だけやないやろ」

 コトリもだろうが。乗るのは昨日見たフェリーターミナルなの?

「境港から出る便は十四時十分やから七類港の九時の便に乗る」

 このホテルから十五分ぐらいだそうだけど、例の通り一時間前に行く必要があるから七時半に出発。境港から美保関に渡るには境水道大橋を渡るのだけど、たしかこの辺に有名な橋があったはず。

「ベタ踏み坂やろ。あれは境港から中海の江島に渡る江島大橋や」

 ちょっと残念だけど境水道大橋からの眺めは良いよ。境水道と境港の街が一望だものね。橋を渡り切ると島根になるのは良いのだけど、

「松江市も広すぎやろ」

 同意。美保関まで全部松江市ってなんだと思うもの。道は境水道の北岸を西に向かい、

「あの信号を右やな」

 らじゃ。港まで後三キロだけど山越えだな。けっこ長いトンネルを抜けたら下りになった。

「峠道のはずやけど、あっさりしとったな」

 ほぼ直線みたいな道だったものね。道案内もしっかりあるから、それに従っていくと港だ、海だ、日本海だ。向うに見える変なモニュメントが見える建物は、

「メテオプラザや」

 なんじゃそれ。コトリによるとフェリーターミナルでもあるけど、そこに健康ランドみたいな入浴施設と、展示場を併設した複合施設みたいなものだそう。なにが展示してあるかだけど、

「ひらっべたいモニュメントが美保隕石らしいわ」

 隕石の展示もやってるのか。見れるよね、

「九時からや」

 八時からにしやがれ、意味ないやろうが。それはそうと七類港も天然の良港みたいなとこだから北前船の時代は繁栄したはずだよね。

「どやろ。チイとはしたやろうけど、位置づけは風待ち港とか避難港やった気がするわ」

 北前船は大きく分けると松前まで目指す船と、秋田県の酒田あたりを目指すのがいたそう。途中で港にも寄るけど、

「船はどの港に入っても構わへんやんか。そやけどどうせ寄るんやったら商いが出来る港に寄りたがる」

 商いの大小は各港の購買力で決まるから、鄙びた七類に寄ったところで取引は高が知れてるってことか。

「さらに江戸も後期に向かうほど航海術も発達して地乗りから沖乗りがメインになると余計に寄らんようになったはずや」

 陸地の街道の宿場町とは違うものね。だから港ごとに船の誘致合戦まであったそうだもの。そんな事をコトリと話しているうちに乗船が始まった。バイクを停めて船室に上がったんだけど、

「これも割り切りやな」

 二時間半ほどのフェリーだから食堂設備がないのは良いとして、

「船内が雑魚寝部屋オンリーとはな」

 いわゆる椅子席がないのよね。無いこともなくて、二階の船尾側にあるのだけど、これがオープンデッキなのよ。海が荒れた時はもちろんだけど、寒くなっても使えたもんじゃない。

「等級分けが細かいけど、二等、特別二等、一等まで絨毯敷きの雑魚寝部屋やもんな」

 特等以上になってようやく個室でベッド付きだものね。見ようによっては、

「ひたすら寝るに特化やな」

 乗りなれてる人は、トットとスペースを確保して寝ようとしてぐらい。観光客より日常の足に重きを置いてるんだろうな。だから経営が成り立ってるとも言えるかも。

ツーリング日和12(第3話)蒜山から大山

 朝はこの宿のもう一つの名物風呂である立湯に。これは鍵湯より湯船は小さいけど、

「なるほど座って入れんな」

 ここも湯船の底から温泉が湧いて来るお風呂なのだけど深いのよ。百二十センチとなってたからプール並。

「昭和の銭湯並みに深いな」

 昭和やそれ以前の銭湯は深かったのよね。あれも理由があって、入浴客を早く帰らすためだとか。座り込まれると長風呂になるからだと聞いたことがある。それぐらい繁盛していた傍証にもなるけどね。

 朝食は八時半から。これは旅館の朝食のデラックス版よね。もう一回念を押しておくけど料理は美味しいよ。この地域のキャラが立ってなかったのが惜しかった。出発はノンビリ九時半も回ってから。

「昼飯の関係や」

 まずは国道百七十九号を北上。これがそのまま国道四八二号になる。道はやがて西に向いていく。この辺が人形峠か。ここには日本唯一のウラン鉱山があったのよね。ウランの発掘量は八十四トンだったらしいけど、輸入ウランとの競合に負けて閉山。

「日本で無理して掘らんでもエエぐらいやろ」

 そんな感じかな。ウラン採掘は環境汚染とセットみたいなものだし、人形峠も後始末が大変だったみたい。

「あそこの真庭市って書いてあるとこ右に入るで」

 この辺は県境が入り混じってるところで、人形峠のあたりでいったん鳥取県に入り、ここで岡山県に入り直した事になるから、岡山県の看板も立ってるよ。この辺はもう高原気分の道路だね。

「ああそうや。気持ちエエやんか」

 曲がった道は県道三二五号だけど再び国道四八二号と合流。ちょっと近道した感じ。ちょっと狭めだったけど走りやすい道だった。国道に戻ると道路案内が出て来た。道の駅蒜山高原、蒜山ジャージーランド、塩釜の冷泉、蒜山郷土博物館。この道を真っすぐでOKだ。

「ちょっとストップ」

 どうしたの。間違いようが無いところじゃない。

「いや・・・」

 なるほどコトリは国道じゃなく県道四二二号を走りたのか。でもさぁ、ナビにある道はなかったような。

「いや、これもナビの罠やで。その手前の道のはずや」

 そう言えばあったけど。引き返して入ったらセンターラインのない道。間違ったんじゃないの?

「いや蒜山高原スポーツ公園があるから正解や」

 そうみたい。急に二車線になったものね。向うに見えるのは大山だ!

「あれは蒜山やろ」

 大山と蒜山はお隣さん同士みたいな位置関係なんだよね。

「お隣さんというか一体やろ。大山の南にある上蒜山、中蒜山、下蒜山の麓に広がっとるんが蒜山高原や」

 あの辺の山がそうなんだろ。だったら大山はあの向こうだな。それにしても気持ちが良すぎる道じゃない。高原のなだらかな起伏があって、左右は開けて、雄大な山が見えるんだもの。

「岡山でも屈指のツーリングコースになってるわ」

 コトリがこの道にこだわったのは良くわかる。こんなところが関西にもあったんだね。

「北海道と較べたらあかんで。あそこは桁外れや」

 まあね。それでも西の軽井沢とするのはわかる気がする。

「軽井沢いうよりキャベツロードやないか」

 嬬恋ね。キャベツが植わってたらそう見えそう。それにしても左右に広がってるのは牧草地かな、それ以前の原野みたいなのもあるけど、適当に木が生えているのが内地の道かもね。

「その内地いうのはやめた方がエエぞ」

 たしかに。いつの時代の人間かと思われちゃいそう。

「ジャージーランド入るで」

 らじゃ。着いた、着いた。なかなかオシャレじゃないの。ジャージーランドとしているのは、蒜山高原が日本一のジャージー牛の飼育をしてるから。

「ホルスタインやったら北海道やろ」

 たぶんね。ジャージー牛はホルスタインに較べて搾乳量は三分の二程度だけど、その代わりに濃いってなってるかな。それに日本の乳牛は百四十万頭ぐらいるのだけど、ジャージー牛は一万頭ぐらいしかいなくて、そのうち二千頭が蒜山高原にいるのだそう。

「朝ソフトや」

 それは無理があるって。とか言いながら蒜山ジャージー百%プレミアムソフトクリームをさっそく。色から違うよ。

「白やのうてうっすらやけど黄色や」

 蒜山高原で食べてるのを差し引いても美味しいよ。

「あれも食べとかなあかんで」

 蒜山やきそばだ! これの特徴は、

「タレやろな」

 蒜山高原では味噌だれベースのタレが作るのが昭和三十年代にブームになり、ジンギスカンにも使われていたんだけど、焼きそばにも使われたみたいなんだ。ますや食堂ってところで、このタレを使って売り出したのが蒜山やきそばの始まりになってる。

「高原キャベツと親鳥のかしわが特徴やそうや」

 さらに横手の焼そばを参考に目玉焼きを乗せ、福神漬けを添えたあさぜん焼きそばだとか、スパイシーなよるぜん焼きそばも登場したのだとか。とりあえず屋台で、

「目玉焼きが乗っとるから、あさぜん焼きそばやな」

 さすがB級グルメの雄だな。ここから土産物だ。蒜山のプリン、チーズ、パンナコッタ、レアイチーズケーキ、ヨーグルトにバター。全部ジャージーだからレアもののはず。

「そろそろ行けるで」

 朝を遅めに出て、ここで時間を潰していたのはレストランの開店待ちのため。食べたのは、

「チーズフォンデュ・プレミアムコース」

 二人前からだからコトリと二人で楽しんだ。蒜山の雄大な景色も楽しんで出発だ。目指すは蒜山大山スカイラインだ。この道も中国地方で屈指のツーリングコースとされてるところなんだ。

 ここもかつては有料道路だったのだけど一九八三年に無料になってる。おりこう、おりこう。全長は十一・六キロだけど、このカーブの度にある減速帯が玉にキズだ。かつては走り屋が多かったか、

「ガードレールに突っ込むやつが多かってんやろな」

 ジャージー牧場から十五分もしないうちに鬼女台展望所。ここからは蒜山高原が見下ろせるのと、

「あれが大山や」

 大山は標高一七二九メートルで中国地方の最高峰。別名伯耆富士とも呼ばれるけど、特徴としては山頂部付近に木が生えていない禿山になってるとこかな。蒜山が千百~千二百メートルぐらいだから頭一つ抜け出してる感じだ。

 ちなみに蒜山高原は標高五百から六百メートルぐらいで、高さで言えば丹生山とか帝釈山ぐらいだよ。

「そんなマイナーな山を比較に出してもわかるか!」

 だったら生駒山ぐらいをたとえに出しとく。この鬼女台展望所で標高八百メートルぐらいで、スカイラインの終点で九百メートルぐらいだって。蒜山高原からの標高差にして五百メートルぐらいだから厳しい峠道というより、なだらかに登って行くイメージが強いかな。

「そんなにヘアピンもないもんな」

 蒜山大山スカイラインはそのまま大山環状道路に接続しているんだよね。この道路はその名の通り大山をグルっと一周回る道だけど、

「一周回るのはパスや」

 コトリが調べた限りでは見晴らしがイマイチらしい。そのせいか左に曲がって鍵掛峠へ。ここから見える大山も素晴らしいじゃない。

「一番のビュースポットともされとるらしいわ」

 大山も見る角度によって表情が変わるそうだけど、南壁では最良のスポットらしい。大山の雄姿を堪能してから出発。十五分ぐらいで大山寺橋を渡ると今度は石畳みの道。これは参道よね。

「そや、大山寺の門前町や」

 大山も信仰の山だけどその中心地がこの大山寺になるそう。開基は養老二年となってるから西暦なら七一八年で奈良時代になるのか。古いのは古いけど神代って訳じゃないんだな。門前町も宿坊があったりしてそれなりに賑わってるけど、そうだね、金毘羅さんに較べると寂しいかな。

「清水寺の見過ぎじゃ」

 あははは。門前町と言うとあのクラスが頭に浮かぶのが関西人だものね。この大山寺だけど神仏習合も良いところのお寺で、天台宗とはなってるけど、大山権現が御本尊なんだよね。

 大山寺から七百メートルぐらい石段を登り詰めると大神山神社奥宮。ここは明治の神仏分離で独立した格好になってるけど、こっちはこっちで本家を名乗っているのは微笑ましいかな。

 主祭神は大己貴神、つまりは大国主命。国引き神話の時に縄をかけたのが大山とされてるそう。奥宮は本殿・幣殿・拝殿が一体化していて、それに長廊がT字型に付く変わった形だ。内部はデラックス。東照宮風と言えばイメージできるかな。

ツーリング日和12(第2話)津山

 津山は岡山第三の都市で人口は十万人。岡山県北部と言うか、美作の中心都市。シンボルになる津山城に来てる。

「久しぶりやな」

 クレイエールの昭和の社内旅行以来だものね。あの時はわたしは湯原温泉だったけど、

「コトリは湯郷やった」

 井倉洞、満奇洞をセットにするのが定番だったかな。ちょうど中国道が出来たから関西からでもお手軽に来れるぐらいでなってた感覚だったはず。

「コトリもそんな感じやった」

 まだまだ貧しい時代で社内豪華旅行が売りに出来たし、

「農協ツアーも元気いっぱいやったな」

 農協ツアーが国内だけでなく、海外にも旅行にしてたのなんてどれぐらいの人が覚えてるのだろう。農協ツアーに代表されるけど、当時は旅行と言えば団体旅行だったもの。そんなことはともかく、立派な城よね。

「津山城を築いた森氏も、後を継いだ越前松平氏も治世の評判は良うあらへんけど、これだけの城を築いて城下町を整備したから今の津山があるぐらいは言えるやろ」

 明治の廃城令で建物は跡形も無くなってるけど、天守閣には有名な伝説がある。津山城の天守閣は四重五階建てなんだけど、復元図を見ればわかるけど四重目が不自然な造りになってるのよね。これは五重の天守は宜しくないの幕府の命令があって、大急ぎで四重目の屋根瓦をぶっ壊して、

『あれは屋根ではなく庇だから、五重ではなく四重である』

 強弁というより詭弁で押し切ったからだそう。たっぷり賄賂も贈ったと思うけどね。それとだけど津山城の規模も大きいのよね。城内の建物の数が七十七棟あったそうだけど、これは広島城や姫路城よりも多かったんだって、

「無用の長物やねんけどな」

 結果的にはね。海内無双とまでされた大坂城が落ちてから本格的な籠城戦なんてあったかな。

「戊辰戦争の会津城と西南の役の熊本城ぐらいやろ」

 そんな気がする。それでも大名の見栄と言うか当時のトレンドで立派な城は作られたのよね。

「観光資源になっとるからエエやんか」

 そうなるか。この津山のグルメだけど、これがちょっと変わっていて牛肉なんだよ。江戸時代は肉食が原則として禁止されてたけど、彦根と津山は肉食文化があったそうなんだ。そずり鍋とか、

「干し肉はお土産に出来るな」

 津山での干し肉の食べ方だけど、そのままかじりつくには固すぎるから薄くスライスするんだけど、これを焼いて食べると美味しいそう。

「他にもホルモンうどんとか、デミカツ丼とか、煮凝りとか、普通に焼肉とかしゃぶしゃぶとか」

 津山には牛馬市が立っていたからそうなったとも言われてるけど、どうして肉食が定着したかはよくわからないみたいだ。だって牛馬市なんか日本中であるものね。さて今日の宿だけど、

「近いで」

 津山から国道一七九号を北上。津山市街はさすがに交通量はあったけど、北上するにつれて空いて来てる。空いてきたら信号も少なくなって快適だ。トンネルを抜けると後1キロって表示が出てるな。

「国道下りるで」

 あそこだな。この辺から温泉街のはずだけどまだ普通の田舎町だよ。橋を渡ったけど、道は三方向になってるじゃない。

「左に行くで」

 曲がったらあった。へぇ、これはなかなか風情があるじゃない。玄関の唐破風もサマになってる和風旅館だ。昭和二年に建てられた登録有形文化財とは嬉しいね。玄関も赤絨毯がハマってる感じがする。全八室で泊まる部屋は八畳でトイレ付き。二人で泊まるには余裕の広さだ。

「まず風呂やな」

 ここの名物の鍵湯に。湯船の底がおもしろいよ。自然の川底を活かしてるんだって。

「底から温泉が湧いてるんやて」

 イイね、イイね。これこそ温泉の原型だよ。お湯はまさに透き通る感じ。神戸からのツーリングの疲れが癒されていく。やっぱり温泉は最高。これが楽しみで走ってるところもあるものね。

 ここもお食事処だけどシックだけどテーブルに椅子になってるな。これはこれで悪くない。さてお品書きがあるけど、これは、

「美味しいけど・・・」

 一品、一品に不満はないけど、

「瀬戸内産のヒラメとシマアジ、境港のシロイカか・・・」

 宮崎の一ノ瀬川の天然アユだものね。

「う~ん、鱧鍋に宮崎牛の和風ステーキねぇ」

 美味しいのよ。味には不満はなけど、こういう献立って神戸でも食べれるのよね。やっぱりさ、美作って山国じゃない。山の中で海の幸に舌鼓を打つってどうしてもね。

「根本的には山の幸の方が難しいもんな」

 だと思う。山の幸で思い浮かぶのはキノコだとか、野草だとか、特産品の野菜にならざるを得ないとこがある。メインになる魚だって、

「岩魚か鮎、あとは鯉ぐらいか」

 モズク蟹とか鱒もあるだろうけどバリエーションは小さくなるものね。

「後はジビエやが・・・」

 猪、鹿、鴨ぐらいは思い浮かぶけど、これも安定して取れないと出しようがない。奥津温泉だって冬になれば牡丹鍋ぐらいは出ると思うけど、

「津山には特産品は、あんまりなさそうやねんよな」

 津山は牛肉食は特徴ではあるけど、津山牛みたいなブランド牛は確立していると言い難い。だから出されてるのは宮崎牛だものね。でもさぁ、でもさぁ、奥津温泉みたいな山奥の温泉だから、もう少し山の幸を頑張って欲しかったかな。

「無いものねだりと言われそうや」

 まあそこになっちゃうのはわかる。地産地消って簡単に言うけど、地産で賄えるかどうかはなにがどれだけ獲れるかで左右される。とくにこういう旅館料理は売り物になるような特産品とか、名産品がないと苦しくなるもの。

「旅する者は贅沢やからな」

 だって、だって、休みをやっとこさ確保して泊った宿じゃない。この情緒にマッチした料理を食べたいじゃない。

「コトリもそうや。やっぱり海の幸がラクやな。そやけど酒はいけるで」

 それはわたしも。酒造好適米と言えば山田錦が横綱みたいなものだけど、雄町で造った地酒はなかなかよ。この雄町も伝説的な酒米で、安政六年に大山参拝の時に持ち帰った二本の穂から出来上がったそう。

「山田錦や五百万石の親みたいなもんや」

 大山にあった元がどうなった気になるところだけど、消えちゃったんだろうな。

「たぶんな。そやけど雄町の発見で日本酒の味は格段に向上したはずや」

 米があれば酒は造れるけど、山田錦や五百万石、雄町でない米とは差があるはず。もっとも使った米までわかる人間は、

「マイぐらいやろ、あいつやったら精米率どころか酵母までわかりよるわ」

 ついでに言ったらどこの水かもね。色々言ったけど静かで良い旅館だ。

ツーリング日和12(第1話)西へ

 ポーアイからどこにツーリングに出かけようと思っても、まず立ちはだかるのが神戸市街になる。そういうところに住んでるからになるのだけど、いかにして神戸市街をスンナリ抜けるかがツーリング初日の課題かな。

「今日は港島トンネルから山麓バイパスで行くで」

 六甲山トンネルにしなかったのか。山麓バイパスは新神戸から白川に抜けるバイパス。そうだね、西神ニュータウンから神戸市街へのバイパスぐらいに思えば良いかもしれない。ちなみに新神戸トンネルと入り口は同じで、

「左に入るで」

 途中から道が分かれてる。通行料金は驚異の二十円。安いにのは嬉しいけど料金所が面倒なのよね。原付にETCなんかないからポケットに突っ込んである小銭を引っ張り出すのだけど、グローブをしたままだと出しにくくて困るのよ。二十円ならタダにしろと思っちゃうもの。

 山麓バイパスは神戸の西側の市街を避けてくれて、旧西神戸有料道路に接続してくれる。旧西神戸有料道路からも四車線の道が西神中央まで続いている。ラッシュ時さえ外せば交通量こそ多いもののスムーズに走れる事が多いかな。

 西神中央でニュータウンが終わると国道一七五号を横切って神出の田園地帯の道を走り上荘橋を目指す。加古川を渡らないといけないからね。橋を渡って権現湖沿いを北上する県道七十九号もあるけど、

「加西に出る県道四十三号で行くで」

 今日はこっちだろうな。県道四十三号を北上すると山陽道を潜って加西市内に入って行くのだけど、丸山総合公園のところで県道二十三号に合流してくれる。この県道二十三号に入るのが今朝の一つのポイントなんだよね。六甲山トンネル越えでも、吉川から社に抜けて行けば同じぐらいで着くのだけど、

「気分転換もあるけど、あっちはチトややこしい」

 今日はこれで正解だと思う。

「ひと休みにしょ」

 ここは和菓子屋だな。葡萄のブッセは美味しそうだな。コトリはイチゴのブッセにしたね。なるほどイートインコーナーもあって、ここで食べるとお茶とワラビ餅が出て来るのか。

「かしわ餅も食べようや」

 ここのかしわ餅は面白いな。漉し餡の白いのと粒餡のよもぎ餅があるんだな。よもぎ餅の粒餡はなかなかじゃない。トイレ休憩も済ませて、そろそろ九時半か。加西からは中国道沿いに西に、西に。福崎、夢前、山崎と抜けていくのだけど、のじぎく県も広いよ。まだ県内だものね。

「お昼は?」
「平福の予定や」

 平福まで行ってもまだのじぎく県だもの。

「次の信号左や」

 地名じゃなくて国道三七三号って書いてあるのがなんともだね。走るのは県道四四三号か。曲がったらいきなり道が狭くなったじゃない。それも山に進むにつれて一車線半も怪しいよ。

 まあ路面はそこそこだし、カーブもそんなにキツクはないけどクルマじゃ走りたくない険道だよこれ。幸い十分ぐらいで二車線の道に戻ってくれた。また狭くなったけど行き先表示の国道三七三号に入り鳥取道を潜って道の駅平福へ。

「お昼にしょうか」

 珍しく二人そろって鹿コロッケ定食にして昼休憩。

「利神城も登ってみたいが無理やな」

 さすがにね。平福もかつては宿場町、さらには水運の中心地として栄えた街でかつての雰囲気を残しているけど、今日はパス。まだまだ先が長いもの。

「ナビで一時間程になっとるけど、とりあえず険道っぽい」

 コトリによるとガチの険道じゃないそうだけど、一車線半から狭いとこでは一車線の道が続くのが県道一六一号だそう。

「国道四二九号まで抜けたら津山までは心配ないはずや」

 へ、へぇ~い。走ってみると道幅が狭い分は気を使うけど、登りがキツイわけじゃなく、カーブも緩やか。クルマも少ないからバイク乗りには楽しい方の道じゃないかな。一車線の細い道の途中についにあったぞ。

「やっと岡山県に入ったで」

 高速使ったらもっとお手軽なんだけど、これは小型の下道ツーリングだから仕方がない。これはこれでツーリングの醍醐味を味わえてるけどね。

「そやで、なんか遠くに来たって感じがエエやんか」

 わたしもそう思う。旅の醍醐味の感じ方は色々あるけど、見ず知らずの土地に足を踏み入れる感覚が好き。これは近場のツーリングでもそれなりに味わえるけど、何時間も走ってたどり着く感じはたまらないものがあるのよね。

「そやな。とくに泊りやったら帰りを気にせんと先に、先に行けるもんな」

 旅ってワクワクするのだけど、帰路ってやっぱり物寂しいもの。日帰りだったらお昼を食べたらもう帰るになってくるものね。

「そんなとこあるもんな。日が傾き出すと気ぜわしゅうなるし」

 泊り、とくに何泊も重ねる旅はちょっとした冒険気分になるのよね。でもあんなところ良く見つけたね。

「タマタマやけど、神戸からでもコトリらのバイクやったら近くて遠いわ」

 高速使えたら深夜に出発して昼頃に到着出来るみたいだけど、小型じゃそうはいかない。

「その分、寄り道増えて楽しいやん」

 岡山と言えば桃太郎になるけど、今走っているのは同じ岡山でも美作だから関係ないか。

「おいおい、ユッキーらしくあらへんな。美作も吉備やで」

 あっ、そうだった。吉備も古代王権の地。この辺は歴史の彼方に消えてしまっている部分もあるけど、ヤマト王権と並立した王権として筑紫、出雲、そして吉備があるのは常識よね。

「吉備は持統三年に備前、備中、備後に三分割されて、さらに和銅二年に備前から美作が分割されてるからな」

 古代吉備王国は現在の岡山県を中心に成立していて、東側は加古川まで勢力を広げていたともされてるんだっけ、

「その辺は播磨には出雲も勢力を伸ばしていたはずやから、なんとも言えんとこが残るんやけどな」

 播磨の古称は針間なのよね。この国名の由来として、姫路平野に流れ込むのは揖保川、夢前川、市川があるけど、とくに揖保川の上流域に原初の播磨が成立したからとされている。その傍証として播磨一之宮は揖保川の上流にある伊和神社なのよね。

「伊和神社の祭神は大己貴神やんか。伊和大神とも国堅大神とも呼ばれるけど出雲系や。ついでに言うたら雌岡山の神出の由来も出雲系や」

 コトリは吉備は播磨西部に進出していたとは見てるけど、千種川の流域までじゃないかと考えているよう。千種川は揖保川のさらに西側を流れていて、平福や佐用を通り赤穂から瀬戸内海に流れている川だよ。

「吉備と言えば鉄やんか。千種鉄は関係しとると思うで」

 その辺は本当に歴史の霞の彼方なんだよね。話は戻すけど桃太郎が征伐に行った鬼ヶ島はどこなの?

「通説では女木島やけど・・・」

 女木島は高松の北側にある島で、鬼の本拠らしく鬼ヶ島大洞窟もあるのよね。

「他にも島やあらへんけど鬼が城の説もあるわ。そやけど女木島は遠い気がするし、鬼が城はそもそも島やあらへん」

 桃太郎はお伽噺だけどこれを史実を踏まえた伝承とすると、誰かが敵対豪族を滅ぼした話になるはずだけど、

「そういうこっちゃ。女木島まで岡山から遠征軍を送り込むのやったら、高松に勢力を広げてるはずや」

 そうなるはず。女木島まで進出して高松に行かないのは不自然過ぎる。それに吉備は古代王権の地だけど讃岐が支配下にあったとか、吉備に対抗する勢力が存在した話も残っていないもの。

「讃岐も古いとこやけど、桃太郎伝説の頃は未開の地やったんかもしれん」

 讃岐だって奈良時代末期には空海を産み出すほどの文化の高さがあったけど、古代王権が成立するほどの古さはなかったとして良い気がする。

「そやからもっとスケールの小さいというか、現実的なスケールの話やと思うとる」

 隣接勢力の併呑ってやつね。コトリはどこだと考えてるの。

「児島や。あそこも古代は島やったやんか」

 あっ、吉備の穴海か。古代の岡山の南部は海だったのよね。だから児島は完全に島。それも児島を抑えられると吉備は瀬戸内海に出られない地形だ。

「児島を本拠地とする豪族がおって、交易で富を蓄えとったと見たいとこや。吉備はこれを併呑して海の利権も手に入れた伝説ちゃうやろか」

 もっともだけど桃太郎伝説自体も吉備王権の話なのか、吉備を併呑したヤマト王権の話なのかもはっきりしないとこがあるのよね。ヤマト王権の話とすれば、追いつめられた吉備王権の最後の拠点が児島だったとも見れてしまう。

「ああそうや。その辺はゴッチャになっとるかもしれん。吉備が児島を征服した話もあったけど、ヤマトが吉備の残党を掃討した話もあったかもしれん。両方の話が一つになって桃太郎伝説になったかもな」

 吉備もそうだけど古代の文献記録が残ってないのよね。あったかもしれないけど、古事記や日本書紀が成立した頃にヤマト王権に没収され、失われてしまったぐらいしか言えないもの。

「古事記や日本書紀は世界に誇れる歴史書や。とにもかくにも残ったからな。そやけど勝者の歴史書やねん。もっとも敗者の歴史書なんか、それこそ滅多にあらへんけどな」

 ヤマト王権が勝ち残った理由さえ不明だものね。

「後付けの理由はいくらでも建てられるけど、それこその人物史的なものの気がするわ。合戦の帰趨で国の命運は変わるからな」

 古代ペルシャがマケドニアに滅ぼされたようなものかも。国の規模だけなら古代ペルシャの方が強大だったはずだけど、アレキサンダー大王が一人でインドまで攻め取ってしまったもんね。

 そういうことは歴史ではしばしばあるし、古代エレギオンみたいなとこに住んでたからリアルタイムで見てるもの。というか、国が興隆する時に稀代の英雄が出現するのも歴史だよ。

「あえて言うたら吉備は豊かやったんやろ。豊かな国の兵より、貧しい国の兵の方が強いからな」