純情ラプソディ:第63話 カスミンへの相談

 達也の甘さにあきれ返ったヒロコは、カスミンにすべてを打ち明けて相談したんだ。カスミンなら信用できるし、理由はわからないけど一番良いアドバイスをしてくれそうな気がしたから。

「梅園先輩は良く見てたね」
「なにがですか」
「早瀬君の本質を」

 うっ、そうかもしれない。達也は良い人だけど、その良さは性格の甘さから出てるんだ。あれぐらい性格が甘くても普通は問題にならないのよね。言い方は悪いかもしれないけど、いわゆる優しい人で済んじゃうもの。

 優しい人が悪いわけじゃない。ヒロコだって達也がごくごく普通の家の人なら満足するし、喜んで結婚してる。だけど達也は申し訳ないけど普通の人として暮らせないんだよ。背負ってるものが多すぎるんだ。

 達也に求められるのは冷酷さと非情さ。優しさもあっても良いけど甘さは不要。それも命取りになるほど不要。本当に早瀬グループを率いたいのなら、一切の甘さを捨て去らないといけない。

 それなのに達也は甘い、根っ子から甘い。あれは生まれ持ったコアのような性格だよ。ポチになってご主人様に尽くし、気に入ってもらえて尻尾を振るのが喜びのポチ。そう、達也の本質はポチだ。それもだよ、カルタ会でポチやってくれた藤原君や柳瀬君に比べてもずっと本物のポチだ。

 藤原君や柳瀬君は、あれだけの男気があるのに、あえて愛する人にポチが必要だからポチをやったんだ。それに比べると達也は裏も表もない正真正銘のポチとしか思えない。

「藤原君と柳瀬君を一括りに出来ないよ。藤原君は雛野先輩には、ああするのが良いと考えてポチをしたけど、相手が変わればもっと男らしい態度に変わるはず」

 なるほど。ヒロコもそんな気してきた。

「柳瀬君はそうでなく尽くしたいタイプだと思うよ。尽くす事によって相手の愛を得ようとするぐらいかな。どちらかと言えば早瀬君に近いポチだよ」

 言われてみればそうかも。ポチって世話好きの一類型ぐらいだし。

「先輩たちがポチって呼んでしまったからイメージが悪いけど、ポチだって適材適所だよ。だって梅園先輩は柳瀬君を選んだじゃない。あれは自分の相手にポチがもっとも相応しいと判断したからよ」

 他にいなかっただけとも言えるけど、柳瀬君以外では梅園先輩のお相手は無理だろうな。梅園先輩もそれを感じたのは同意。デコボコと言うかハチャメチャにも見えるけど、あれぐらいお似合いのカップルはいないかもしれない。

 雛野先輩はどうだろう。藤原君にも魅かれてはいたよね。でも雛野先輩は藤原君のポチじゃなく、藤原君の強さに魅かれていた気がする。雛野先輩はたぶんだけど、今でもレイプ事件の心の傷は残ってるはずなのよね。そんなもの一生消えるはずないじゃない。

 だから力強く守ってくれて、頼れる人を求めてるのじゃないのかな。そこでどうしても片岡君に魅かれる心が抑えきれなかった気がする。ここも、もし片岡君がいなかったら藤原君を選んでいたと思うもの。

 そうなると問題はヒロコになる。ヒロコが選んでしまった達也はポチ。ヒロコなりに慎重に選んだつもりだし、ポチでも本来は問題なかったはず。でも達也には余計なものを背負ってた。これはヒロコの選択ミス、というより完全にミスマッチだ。

「それは考え過ぎよ。たとえばだよ、このままでは早瀬君は早瀬グループを継げない可能性もあるでしょ。そうなれば早瀬君の評価はガラッと変わるじゃない」

 それはある。

「あれぐらいの器量なら、上手くいけば部長ぐらいは無理か・・・頑張って課長で、現実的には係長ぐらいだったら夢じゃないよ」

 カスミンも厳しいな。でもそこなのよね。ヒロコが夫に求めるのは地位とか財産じゃない。ヒロコを愛してくれて、家庭を守れる人。万年ヒラ社員だって構わないし、係長にでもなってくれたら大喜びぐらい。

 達也はそれが出来る人って思ってた。いや達也なら出来るはず。出来るからヒロコは達也を選んだんだよ。そうやって平凡な家庭を一緒に築けるって。なのにだよ、あんな余計なオマケがテンコモリあるなんて。やっぱり達也は間違い、

「だけどね。ヒロコの好みはやはり早瀬君で良いはずよ。そうじゃなくちゃ、ヒロコだってあそこまで踏み込まなかったはずじゃない。まだ十九歳だったから、焦って無理に捨てる必要はなかったし、ヒロコだってこの人なら付いていけると思ったからでしょ」

 それも否定できない。あれこれ考えたけど達也を愛してるのは間違い無いもの。でもこのままじゃ、達也は大変なことになっちゃうとしか思えない。

「月夜野社長のメッセージだけど、よく考えてごらん。月夜野社長が早瀬君をどう評価した上であのメッセージにしたかだよ。あの人が考えもなしに、あれだけのメッセージをすると思う?」

 言われてみれば、達也が甘い人間であることぐらい知ってるはず。ぶっちゃけ、達也は早瀬の総帥として失格の烙印を押してるはずの人。あれだけの人だから、そこに私情の余地など挟まないし、挟まないからあれだけの地位を築き上げてる。

 それなのに何故か達也をお払い箱にせず、後継者のお墨付を与えてる。これは、おかしすぎる。達也への惻隠の情を働かせるとしても早瀬の総帥失格が前提だから、達也なりに就ける地位にして面目と生活の保障を与える程度だよ。

「ヒロコもシビアだね。でも良く見てるのはさすがだわ。その歳で自分の愛する人をそこまで冷静に評価できる人はそうはいないよ」

 そんなの丸見えじゃない。だったら、だったら、どうして達也を早瀬の総帥として月夜野社長は認めちゃったのよ。

「そこだけど、早瀬君が後継者である条件はヒロコとの結婚よ」
「そこがわかりにくいんだけど」
「あら簡単よ。夫婦って二人で一つなのよ。早瀬君単独では失格だけど、ヒロコとペアになれば合格点って意味しかないじゃない」

 二人なら合格点? でもヒロコがなるのは達也夫人。

「あのねぇ、セレブの嫁になったからと言って、社交界でチャラチャラして、旦那の性欲を満たして、子どもを産んで育てるだけが仕事じゃないの。旦那と一体となって仕事を支えるのも大事な役割よ」

 それはそうだけど、

「これはヒロコに悪いと思うけど、ヒロコは平凡な家庭の主婦は無理よ。そうしたい夢はあるのを知ってるけど、それでは満足できない才能がありすぎるの。だからこそ、月夜野社長があんなに高い評価をヒロコに与えたのよ」

 これが月夜野社長以外ならお世辞にしかならないけど、あのメッセージはそうとしか受け取れないか。

「夫婦はお互いに足りないところを補うものでしょ。早瀬君には足りないところがあるけど、ヒロコなら十分に埋められると見られてるのよ。それも早瀬グループを任せられる程にね」

 そこまで買われてるなら相手は達也じゃなくとも、

「なに言ってるのよ。そんなことを出来るのはヒロコが愛し、尽くしたいと思う相手だけ。ヒロコが選んだのは早瀬君でしょ。別に男なら誰でも良いと思ったわけじゃないでしょ」

 うぅ、そこの部分はその通り。

「男と女の組み合わせなんてそんなもの。スペックで組み合わせてるのじゃなくて、相性と愛で組み合わせが起こるのよ。いくらヒロコの才能に相応しいスペックを持つ男がいても、愛情無しで結婚なんか出来ないよ。したって、すぐに別れるだけ」

 達也、やっぱり愛してる。

「ヒロコが悩んでいるのは早瀬君が後継者になれないこと」

 だって達也はそうなると決めてるんだもの。

「だったら話は単純じゃない。早瀬君はヒロコと結婚さえすれば後継者になれるじゃない」
「でも、肝心の資質が達也には・・・」
「それも問題ないと月夜野社長は認めてるじゃない、これ以上の誰の保証が欲しいの? 道は示されてるじゃない。ヒロコは自分の愛する人と一緒になって進んで行けば良いだけよ」

 ヒロコの進む道には達也がいて欲しい。それはもう疑いもない。ヒロコは達也にも進みたい道に進んで欲しい。ヒロコが達也と同じ道を進めば、達也の道も本当に開くの。冷静に考えれば答えはNOだけど、月夜野社長はなぜか可能としてる。

 でもカスミンの言葉には不思議な説得力がある。説得力と言うより逆らえない何かがある。なんだろ、この感触。こんな人は初めての気がする。まるでヒロコの将来をお見通しで話してる気がしてきた。

 それと何とも言えない威圧感さえ感じる。同い年の友だちなのに、ずっと、ずっと年上の人と話してるような。それも単に年上じゃなくて、ずっと目上、ヒロコなんかじゃまともに口が利けないような人と話しているような感じさえしてくる。

「だからヒロコは平凡な家庭の主婦に収まれないし、収まったらいけない人なんだよ。月夜野社長がヒロコを買っているのもそこじゃない。ホントに人って面白いと思うよ。こんな事が起こるんだからね」

 自分の気持ちに素直に進んで良い気がしてきた。

純情ラプソディ:第62話 怒ったぞ

 達也をお母ちゃんに紹介して二人の関係はまた深まったんだけど、達也から相談が、

「二年ちょっとしたら卒業するけど、そうなれば早瀬グループに就職する」

 えらい気が早い話だな。まだ二年生だぞ。そこはともかく、達也はお父様のところで後継者修行に入るのか。ああいうものは、あえて他のところに就職して武者修行することもあると聞いたことあるけど、達也はそうしないみたいだね。

「そこから一年を目途に後継者宣言をする」

 バカに早いな。一年ぐらいで覚えられる仕事じゃないはずだけど、

「後継者って宣言するだけで、修業はオヤジの跡を継ぐまで延々と続くよ」

 あれかな。形を決めて妙な内紛を防ぐためとか。いずれにしても大変だなぁ。その点は達也に同情するよ。どう考えたって、

「そういうこと。ボンボン息子って白い目で見られ続けて、イジメ回されるって事」

 セレブは大変だ。そうなるとヒロコともし結婚するとしたら幾つぐらいかな。十八歳以上になれば結婚できるのだけど、二十代の前半で結婚する大学卒は少ないのよね。そりゃ、二十二歳で卒業するから、あんまり早く結婚して、子どもなんか出来ちゃったら仕事上で困るもの。

 そもそも平均結婚年齢自体が三十歳ぐらいだから、ヒロコのイメージとして結婚するなら早くて二十代の後半ぐらいなのよね。バリバリ仕事していたら、三十代後半でも当たり前みたいな感覚。達也ともそれぐらいだろうな。

「後継者発表の時に、同時にヒロコとの婚約も発表する」

 なるほど。そうなれば婚約が二十四歳で、結婚は二十五歳ぐらいの予定か・・・ちょっと待った、ちょっと待った。いきなり婚約って何よ。そりゃ結婚する前に婚約するものだけど、その前にすることが抜けてるじゃない。

 婚約ってね、婚約するかどうかの返事をもらってからするものよ。そりゃ、達也とは恋人同士だし、達也のお父様に会ったし、うちのお母ちゃんにも達也に会ってもらってる。ついでじゃないけど、ヒロコの一番大事なものを達也に捧げてる。

 そういう意味で結婚へのステップを順番に踏んでるとは言えるけど、それでもまだ深い関係にある恋人同士でしょうが。ここからステップアップするための重要過ぎるセレモニーをまだ通ってないよ。言うまでもないけどプロポーズ。

 ここも女の晴れ舞台の一つじゃない。恋人から妻に身を投じるかどうかの人生の重大な決断のステージじゃないの。これをどういうシチュエーションで、どういう演出にするかも達也の重大過ぎる仕事だぞ。

 それに、それにだよ、そこの返事をどうするか真剣に悩んでる真っ最中なんだ。なんか嫌な予感がしてきた。まさか達也の家ではプロポーズの風習がないとか。とにかく古臭い家なのはわかったから、

「早瀬の家でもプロポーズを受けてもらってから、婚約するのは同じだよ」

 だったら、どうしてなのよ。どうして、どうして、プロポーズより先に婚約発表のスケジュールを決めちゃうの。達也にとってヒロコはそんな扱いなの。まさかヒロコの処女を奪ったから所有物って見なしてるとか。

 それとも貧乏な家の娘だから、もらってやるのに感謝しているはずだにしてるとか。とにかくヒロコをバカにし過ぎてる。もう怒った、完全に怒った、そんな物扱いにするような家に誰が嫁ぐものか。達也との関係も今日限りだ。

「落ち着いてよヒロコ、誰もそんなことを思ってないから」
「だって、だって、他にどう考えろって言うのよ。プロポーズより婚約を先に決めたからヒロコに喜べってでも言うの。それが早瀬一族流のサプライズとか。人をコケにするのも大概にしてよね」

 やっぱり、もっと慎重に相手を選べば良かった。達也が悪い人間じゃないのは知ってるし、達也となら上手くいくと思ったし、上手くいくと思ったから処女だって捧げたんだよ。だけど達也に引っ付いてるものが悪すぎる。そこをヒロコは見誤っていた。

「頼むから落ち着いて、お願いだから。こんな事をする理由があるんだから」

 達也。そういうものは先に言え。話す順番ってものがあるだろうが。そんな事じゃ、早瀬の総帥なんか出来るか。ヒロコ一人をすんなり納得させる事も出来ずにどうやって人の上に立てるって言うんだよ。

 お父様のところで、その性根叩き直してもらえ。十年ぐらいぶっ叩かれてから、味噌汁で顔を洗ってから出直して来い。その時にまともな話が出来るようなら、考え直してやる。達也は気配りできる人だけど詰めが甘すぎるんだ。こんな大ポカやらかすようじゃ早瀬の家は破滅する。だからカルタもいつまで経ってもA級になれないんだ。

「カルタは関係ないだろう」

 関係あるに決まってるじゃないの。カルタに重要なエッセンスは、記憶力と、計算力と、判断力。つまり戦略性を高めないとA級には上がれない。そりゃ、戦術性の部分は天性のものもあるけど、戦略性の部分は努力で補える部分。

 達也のカルタは甘すぎるんだよ。札の配置の記憶も、決まり字の移動もね。空札の把握さえ甘いから、余計なところでお手付きするし、相手のフェイントにもすぐに引っかかる。取れるべき札をポロポロと取りこぼす。

 これが仕事に連動しないはずないでしょ。達也のこれからやらなければ仕事そのものじゃない。日々どころか時々刻々と移り変わる情勢の中で、それに迅速かつ的確な対応をしなくちゃならないんだよ。

 なにが社員の生活を背負うだよ。そんなこっちゃ、背中からポロポロ零れ落ちるだけだよ。達也の判断一つでどれだけの損失が出るかわかってんの。だからいつまで経っても全自動一勝献上機なんだよ。

 だいたいだよ、そう言われるのが悔しかったら、そう言われないように努力すりゃ良いだけじゃない。カルタなら被害はサークルだけで済むけど、達也が背負うとしているものが本当になんだかわかってるの。早瀬の総帥になるべき人間がA級にも上がれないないんじゃ、話にならないと思われるよ。

「わかった、悪かった。ヒロコが怒るのはわかったから、少しはボクの話も聞いてくれ」
「とりあえず聞いてあげるから、言ってみて」

 早瀬グループの心臓部が早瀬海洋開発。ここの成功が今の早瀬グループになってるけど、レアアース事業挑戦に苦戦しすぎて、経営権はエレギオンHDに握られてるのは知ってる。実質的には子会社同然でエレギオンHDの意向一つで社長のクビはいつでも挿げ替えられる状態。

 つまり早瀬家の跡取りは達也でも、早瀬グループの後継者はお父様が宣言しようが、任じようが、いつでもひっくり返される状態なんだよね。ここはごくシンプルに達也が早瀬グループを引き継ぐにはエレギオンHD,さらに言えば月夜野社長に認めてもらう必要があるって事。

「その月夜野社長だけど、ヒロコの事を何故か良く知ってるみたいなんだよ」
「だから達也は甘いのよ。相手を誰だと思ってるの。月夜野社長は達也のような甘ちゃんじゃないんだから」

 エレギオンHDに何があるかぐらいヒロコでも知ってるよ。あそこにはCIA並みとさえ言われてる調査部がある。エレギオンHDから見ても早瀬海洋開発のレアアース事業、メタンハイドレート事業の位置づけは重いに決まってるじゃない。

 そのかじ取り役はお父様に委ねてるけど、誰が後継者になるかを調べてない筈ないじゃないの。それもこれまでの慣例から達也しかいないのも丸わかり。そんなもの生まれ落ちた瞬間から調査は始まってるよ。

 別に達也との交際は秘密にしてないじゃない。将来の早瀬グループの後継者の交際相手がどんな女かだって調べるに決まってるよ。それも達也への評価の一つだよ。どんな相手を選ぶかだけでも人間性がわかるものだよ。

 ヒロコだってね、ヒロコだってね、達也と真剣に交際してからこれぐらいは調べて勉強してるんだ。月夜野社長が何故かヒロコを知っているって寝言をよく言えるよ。知ってない方がよっぽどおかしいだろ。下手すりゃ、ヒロコがいつどこで処女を失って、今までに達也と何回やってるかまで調べていたって不思議無いじゃない。

「そこまではいくらなんでも」

 だから達也は甘いのよ。別に興味本位じゃないんだよ。どれぐらい愛し合ってるかで二人の交際の深さがわかるし、そのまま結婚にまで至るかだって見れるってこと。アレの相性が悪けりゃ回数も減って行くし、愛情も冷めて行って、達也が他の女性を選ぶ可能性を考えられるじゃない。

「まあそうなんだけど、もうちょっと落ち着いてよ、これじゃ、話がちっとも進まない」

 お父様がどこかの懇親会で月夜野社長と同席したそうだけど、その時に、

『あんたのところの息子さん、エエ娘と付き合ってるやないか。あの娘やったら文句無しや。これで将来も安泰やな。まだ二十歳やから逃げられんようにしいや。あんなエエ娘は二度と見つからへんで』

 こう言われたんだって。

「謎めいたセリフだったのだけど」
「これのどこが謎めいてるのよ、チイとは頭働かせろ」

 ここまで言われたら婚約まで縛り上げるよね。でもだよ、それは裏の予定。だってだよ婚約するのは四年後じゃない。それを達也の奴・・・今日は怒りがいくらでも込み上げてくる。

 お父様は意味を正しく汲み取って、そういう段取りで進めて行くことだけ決めたんだよ。達也もヒロコとの結婚が重要な意味があるぐらいは理解したで良いと思う。それなのに達也は肝心なところで舞い上がってる。

 だから達也は詰めが甘すぎる。達也が月夜野社長の言葉を受けてやらなければならない本当の役割が何かを理解していない。こんなの信じられないよ。目的がヒロコとの結婚であるのは正しいけど、結婚を決めれば済む話じゃないだろうが。

 達也が果たさなければならない役割は手段だよ。ヒロコとの愛をより深めプロポーズを受けさせるところに持ち込むこと。さらに言えば、ヒロコに気づかせないように元の結婚へのシナリオを遂行すること。

 そう、月夜野社長の言葉をヒロコに伝える事さえ大失策も良いところってこと。それじゃ、まるで月夜野社長の命令でヒロコは達也と結婚することになっちゃうじゃない。そんな政略結婚みたいなものを達也はしたいと言うの。

 ここも政略結婚でもなんでもとにかく達也がヒロコと結婚したいぐらいまでは理解してあげる。だけどだよ、それを理由にするのは最低。ヒロコにそう気づかせないように持っていくことが達也に求められるって、どうしてわからないのよ。ヒロコはそうして欲しいって、どうして達也のウスラトンカチには見えないのよ。

 月夜野社長はこれでも達也の器量を試しているはず。真の目的を隠しながら、相手を自然に喜ばすこと。それぐらい早瀬の総帥なら朝飯前にやれて当然ぐらい。達也がこれから戦う相手は、そんな海千山千の生き馬の目を抜いてやろうって連中ばっかりだよ。

 トップはバカ正直では務まらないの。相手を喜ばす、いや目的のためにはウソも騙しもなんでもあり。ただしすぐにバレるウソも騙しもダメ。騙したら相手に最後まで気づかせないようにする芸当なんて、パンを食べるぐらいの容易さでやらないと話にならないの。

 戦場と同じよ。戦場では戦う兵士は命令に忠実に動くことが求められ美徳とされる。それこそポチであることが最高の兵士でもある。けど、指揮官は違うのよ。指揮官の仕事は、ただ相手に勝つこと。勝つためにいかなる手段も躊躇なく使うことが求められるの。

 甘ちゃんの指揮官の下で戦えば死ぬんだよ。戦場だから死ぬこともあるけど、価値ある死ではなく、犬死させられちゃうんだよ。ポチを大量に犬死させるポチ指揮官なんて悪い冗談にもなりゃしない。そんな指揮官に誰が命を託すものか。

 ああ、達也って指揮官に向いてない。向いているのは兵士だよ。与えられた命令をいかに果たすかに頭を使うポチ。ありゃ、将軍じゃなく、せいぜい下士官ぐらいしか向いてない。こんなんでどうするつもり。

純情ラプソディ:第61話 女神の密談

『カランカラン』

 コトリったらなんの用事だって言うのよ。学生の間は宿主代わり期の休暇期間でしょ。

「悪い、悪い、ほんまに野暮用やから悪いと思てる」

 まあイイけど。

「早瀬のとこの問題でどうしてもユッキーと相談したくてな」

 なるほどそういう相談か。そんなもの、わたしに相談しなくても良いじゃない。あそこを完全に子会社にするかどうかはエレギオンHDでも何度か議題になったけど、今の早瀬達雄は案外有能なんだよ。

 子会社にして有能な人材を送り込んで立て直す手法はよく使うけど、いかにエレギオンでもそこまで出来る人材はどうしても限られるのよね。企業が栄えるか衰えるかのカギはやはり人に尽きるところがある。

 早瀬は達雄が有能だからそのままにしておくのがわたしとコトリの判断で、それ以上もそれ以下もないじゃない。動くのなら達雄の次が無能な時で良いだけ。まあ、あそこのレアアース事業、メタンハイドレート事業は、金の卵を産む事業だからコトリも気を遣うのはわかるけど。

「達雄でも死にそうなの」
「そうやないけど、ユッキーが可愛がってる子がおるやんか」

 ヒロコの事ね。イイ子だよ。ああいうタイプはどうしても応援したくなるもの。きっと幸せになるよ。そうしてあげたし、

「それはコトリにもわかるんやけど、あの子の相手が問題なんよ」
「どこか問題でもあるの。わたしも良く知ってるけど、お似合いにしか見えないけど」

 札幌の夜に結ばれたみたいだけど、そのままゴール・インしてもおかしくないかもね。もっともまだ二十歳だから、先のことはこれからだろうけど、

「結婚してもらおうと思うんよ」
「藪から棒に何を言い出すの。他人の恋路に手を出してどうするの」
「だからこうやって相談してるんやんか」

 はて、ヒロコは相手が資産家の点を気にしていたけど、コトリが乗り出す程の話じゃないし、

「ユッキー、もう宿主代わりの不調期は終わってるやろ」
「そりゃ・・・ちょっと、ちょっと、早瀬って、そういうことなの」
「そうやねん」

 わたしとしたことがウッカリしてたわ。達也が早瀬一族の一員ぐらいの可能性は頭の隅にはあったけど、まさか本家の跡取り息子だったとはね。人は思わぬつながりがあって面白いものね。

 早瀬グループは早瀬家の世襲。その達也だけど、シノブちゃんの調査の結果はイマイチだったっけ。もっともまだ高校生だったから、最終判断は保留にした。ただあのまま化けなければクビの予定。

「ユッキーが女神の恵みを与えたやんか。あの効果は綺麗になったり、人としての能力が上がったりもあるけど、もう一つ女の幸せもあるやんか」

 女の幸せというか、結婚する相手を間違わないって能力で、必ず幸せな結婚生活を送れるだけど、あれって良くわかっていない効果なのよね。だってだよ、なぜかそうなるって結果しかないんだから。

「達也をどう見る」
「あんな甘ちゃんじゃ無理よ」

 性格は良い。頭だって悪くないが、早瀬グループを率いられる器かと言えば甘すぎる。あれぐらい甘くても普通に暮らす分にはむしろ美点だけど、早瀬の総帥となると求められる能力はまったくの別物。

「それとヒロコの結婚は別物でしょ」
「リンクさせたらおもろいかと思て」

 そういうことか。コトリらしい考え方ね。女神の恵みを受けたヒロコが選んだ男には、それなりの理由があるはずだと考えたのね。シノブちゃんの評価でも、わたしの目でも達也の評価は低いけど、それでも見えてない潜在能力に期待か。

「実際のところやけど、早瀬グループを率いられそうな人材はそうはおらん。達也のクビを切るのは簡単やが、ほいじゃ後釜がヒョイヒョイと出てこんのよ」

 そうかもね。ミサキちゃんやシノブちゃんでも送り込むなら話は別だけど、そう簡単に手放すわけにはいかないし。

「だから呼んだのね」
「そうや、ユッキーが絡んどるからな。勝手に動いて、話がこじれた時に厄介やんか」

 知恵の女神がなんて白々しい。わたしがどう思おうといつも勝手にやってるじゃない。

「まあ、そう言うな」

 ここは考えどころだね。たしかにヒロコは達也を選んでいるが、その意味がどうかだよ。早瀬総帥夫人じゃなく、早瀬グループから離れた達也との幸せな結婚の可能性も高いと見てる。ヒロコが総帥夫人で幸せかどうかは疑問が大きすぎるじゃないの。

 あの子の生い立ちからして、早瀬総帥夫人は嬉しくもないだろうし、楽しいとも思えない。もっと平凡な、どこにでもある暮らしに幸せを見つけるタイプにしか見えないよ。ヒロコにとって早瀬の財産など逆に余計だよ。

「やっぱりユッキーはそう見るか」
「さすがに早瀬海洋開発はエレギオンでも大きいからね」

 それでもコトリはやる気だね。わたしが反対した程度で意見を引っ込めるわけないよ。今日は挨拶したぐらいの意味でしょ。まあ、挨拶してくれた分だけ昔より気を使ってくれているとは言えるけど。

 でも、これが昔からの二人の関係。というか、この程度の問題で相談など不要だってこと。対神戦やってるのじゃないしね。今回の話もコトリの計画が成功すればそれで良いし、達也が無能ならクビにして、その後に平凡だけど幸せな家庭を築けば良いだけのお話。いずれにしてもたいした話じゃない。

「早瀬の家系伝説知ってるか」
「コトリ、それって」

 あそこの家には奇妙な家系伝説がある。シノブちゃんが調べてくれてたけど、

「達雄はそれを踏まえとる気がする」
「踏まえるって・・・それじゃ、ヒロコが選んだのじゃなく達也が選んだってこと」
「そう見れるやろ」

 あのヒロコがそうだって! あの家系伝説には二つの見方があるって分析だったけど、

「あれって、見つけたのじゃなくて、変わったってこと?」
「さすがにそこまでは調べられへんけど、ユッキーにはどう見える」

 これがわたしを呼び出した本当の理由か。こればっかりは実際に見ている者じゃないと確認しようがないものね。ヒロコが変わったのだけはわかる。でもさぁ、男が出来て女になれば変わることがあるのは珍しいことじゃない。

 これを達也が変えてるとも見えるけど、ヒロコが変わったにも見える。生まれつきの素質が男を知ることで開花したケースよ。正直なところは何とも言えないぐらいしか言いようがないけど、

「うちらに欲しいのは結果だけやんか。見出されたのか、変えられたのかは、この際、どっちでもエエやんか。変わった理由ならユッキーがいじったんも加わるやろ」
「コトリの言う通りね。問題はそれだけの器量があるかどうかだし」

 人の才能をいじるのは未だに良くわからないところが多いのよね。長年の経験から危ない事はなるべく避けてるけど、想定外の才能が出ることも、今までだっていくらでもあったものね。

「今回は特殊ね」
「そうやユッキーが絡んでもたからな。ほいでも悪い方やない、どっちもがエエ方に作用した相乗効果も期待出来ると思うんや」

 さすがは知恵の女神だね。でもわたしはちょっと複雑。ヒロコにはそんな幸せを与えたつもりじゃなかったんだけど。

「幸せなんか気の持ちよう一つで変わるで」
「たしかにやりがいあるけど」
 
 それも人の短い人生の過ごし方かもね。

「ヒロコもああなっちゃうのか」
「ユッキーが手を出したから、もっと凄いかもしれんで」

 人でもあそこまでなれるものと感心したけど、

「反対しないよ、わたしは賛成。もうちょっと手を入れとく方がイイね」
「頼むわ」

 コトリに上手く乗せられた気がするけど、ま、いっか。暇つぶしになるし。

純情ラプソディ:第60話 シンデレラは甘くない

 そうそうヒロコの誕生日の時に達也を家に連れて帰ったんだ。お母ちゃんに会わせるため。まだ早いと言えば早いのだけど、達也の誕生日の時に向こうのお父様に会ってるからバランスみたいなもの。

 お母ちゃんも達也は気に入ってくれたけど、達也の家のことを聞いて複雑そうな顔をしてた。似たようなシチュエーションで失敗してるものね。それでも嫁姑問題が起こらない点は評価してくれた。やぱりトラウマだと思うよ。

 そしたら話は嫁姑問題から。親戚付き合いに広がっちゃったんだよ。これもお母ちゃんはかなり苦労したで良さそう。考えてみれば達也の家は、お母ちゃんの結婚相手の家なんて鼻息で吹き飛ばしそうな古さと格式じゃない。

「それはない。早瀬の家も親戚と言うか一族は多いけど、本家の地位は絶対だよ」

 封建時代の化石みたいな風習だけど、本家の当主の一言で一族から追放されてしまうとかなんとか。

「追放と言っても、なんか実質的な害でもあるの」
「ああクビになるぐらい」

 なんだかんだで早瀬グループに勤めていたり、その関連企業だったりしている人が多いで良さそう。だから本家から追放されると職を失ったり、会社が立ち行かなくなるんだって。身内への処分はかなりシビアらしくて、親戚風を吹かそうものなら一発だとか。一方で生活が苦しい家への援助もやってるみたいで、

「本家にもたれてるのが多いって、オヤジもボヤいていたのを聞いたことがある」

 経済的に本家が圧倒的に強いからそうなってるのかもしれない。だから分家と言っても親戚だから対等みたいな感覚は全くなくて、完全に主従関係だというから目がシロクロしそうになった。

 だってだよ親戚が集まる会では本家の人間は上段の間に座って、分家の人から拝謁を受けるんだって。上座じゃなくて上段の間だよ。そんなものが家にあることに驚くよ。あんなものは時代劇の中のものだと思ってたもの。

 さらにだよ本家の人間でも嫁に行ったり、新家を作ったりすれば、その時点で分家扱いになり、自分の親や兄弟でも下段に回って拝謁させられ、まともに口を利くのも難しくなるとか、ならないとか。

「本家の嫁はどうなるの?」
「今なら三番目かな」

 とにかく序列だって。トップが当主でナンバー・ツーがその妻。今なら後妻は実質的にいないようなものだから、

 お父様 → 達也 → ヒロコ

 こうなるんだって。分家もあれこれ序列はあるそうだけど、本家と分家の差は途轍もなく大きいから、

「分家ごときがヒロコにまともな口は利けないよ」

つまりウルサ型の親戚に気を使う必要はないのだそう。こうなったのは、かつて親戚が本家の跡目騒動に介入して、時代が時代だから血を血で洗う合戦騒ぎになったことがあったそう。その時の教訓で、本家の力は圧倒的なものにされ、分家が二度と口出しできないようにしたのが今に至るだって。

 よく旧家は難しいと言うけど、達也の家ほどの旧家になると難しいを通り越えてるみたいに見えてくる。今どきなら皇室だってもっとフレンドリーの気がするもの。

「ヒロコも親戚付き合いは心配しなくとも良い」

 そういう問題じゃない気もするけど、有るより無い方が嬉しいかも。それとこれだけ古臭い家になると心配になるのは男尊女卑。とにかく世間の常識が通用しない家だから無い方が不思議だけど、

「無いよ」

 早瀬グループは戦前の早瀬研究所が戦後に早瀬電機となって発展してるけど、その頃の早瀬家は女系だったんだって。つまり優秀な婿養子を取って栄えさせたぐらい。その頃だって息子はいたそうだけど、

「役立たずとされて家から放り出されたって話だ」

 婿養子は取るけどそれ以上に優秀だったのが女ども。まさに女傑として良さそうで、家も早川電機も切り回し女尊男卑状態だったそう。そんな時代が平成ぐらいまで続いたものだから、

「女尊男卑も無くなってるけど、男女に差はない。だからヒロコの序列は三番目になっている」

 う~ん、妙なところだけ現代的だ。とにかく達也の家は尋常じゃないから、お母ちゃんもどれだけ理解できたか怪しい部分は多いけど、

「ヒロコが選んだ相手を信用しています。達也さん、どうかヒロコを幸せにしてやって下さい」

 達也の家を知った時から、達也が白馬の王子様でヒロコが灰かぶり姫って思ってたんだ。ヒロコは灰かぶり姫どころか、単なる灰かぶり女だけど、達也は知れば知るほど王子様ならぬお城の若殿様にしか見えなくなってる。

 今なら達也の家に行って、ちょんまげに刀を差して出てこられても驚かない気がするし、使用人が腰元姿でも納得しそうだもの。さすがにそれはないにしても、身分違いって感じがヒシヒシとしているのは本音。そう言えば雛野先輩から、

「岳に聞いたわよ。まるで少女マンガの世界じゃない。だって庶民の娘がいきなりお殿様のお城の中に放り込まれるんでしょ。そこで健気に生き抜く悲劇のヒロイン役を頑張ってね」
「雛野先輩のところだって」
「ヒロコのところに比べたらしがない町工場だし、付き合う連中のランクもずっと、ずっと下がるもの。達也夫人様と口を利くのも畏れ多い身分だよ」

 反論できない。本当に幸せになれるのだろうか、

「玉の輿にウカウカ乗る奴が一番不幸に決まってる」

 これも反論するのが難しすぎる。さらに追い打ちまであって、

「ヒロコ。昔話や童話のヒロインの結末って知ってる?」

 それって、あれこれあった末に後は幸せに暮らしましただよね。

「そうよ、シンデレラでさえそう。でも本当に大変なのは結婚してからよ。実家の後ろ盾に乏しい女が、あの時代にお城のお妃様になったら並大抵じゃない苦労が待ってるに決まってるじゃない」

 言われてみれば、

「それをちゃんと考えて相手を選び抜いた違いよ」

 たぶんだけど達也と結婚すれば、現代のシンデレラぐらいにもてはやされる気がするけど、ヒロコはそんな結婚をするのが夢だったかと言われたら違う。ヒロコが求めていたのはもっとありきたりな夢。雛野先輩のところでも過剰ぐらい。

 理想は・・・うぅぅぅ、言いたくないけど梅園先輩のところ。そりゃ、梅園先輩は異常に処女にこだわる歪み過ぎた性観念はあるし、メシマズ、掃除嫌い、片付け嫌いの無能主婦でありズボラ嫁。

 でも、でも、それさえ除けば、というか除くのだけで大仕事過ぎるけど、どこにでもある共働き家庭だよ。無能主婦は有能主夫がカバーすれば済む話だし、そんな夫婦はいくらでも・・・そこまでいないけどそれなりにいるはず。

 ヒロコの欲しかった幸せはそんな家庭だったはず。セレブな生活を夢見て玉の輿を狙う気なんかなかったのに、現実はそうならざるを得ない状態に追い込まれてるんだもの。達也を選んだのを失敗だと思わないけど、達也にあんな厄介なものがセットで付いてくるなんて夢にも思ってなかったもの。

 ヒロコは間違った選択をしてるのじゃないかと思いだしてる。シンデレラが王子様と結婚した後に幸せだったか、苦労したかはわかんないけど、それでもシンデレラは貴族の娘だよ。だから灰かぶりでも姫だってこと。世界の昔話の類型に、

『貴種流離譚』

 こういうのがあるのよね。これは本来は蝶よ花よの生活を送れるはずの身分の人がトンデモナイ苦労をする羽目になり、それが最終的に身分に相応しい生活や扱いを受けるようになるぐらいのお話。

 シンデレラは貴種だもの。貴種だから王子様と結婚できたんだ。でもヒロコは貧乏人の純粋培養。だから、だから、ヒロコはシンデレラになれないよ。シンデレラになれるのは灰かぶりでも姫であって、ただの灰かぶり女には無理だと思うんだ。

純情ラプソディ:第59話 梅園先輩の異常な愛情

 梅園先輩は、なんとだよ、クイーン戦の予選を勝ち抜いちゃったんだよ。正月には城ケ崎クイーンとの対決が待ってるんだ。負けても準クイーンだから六段になるし、勝とうものなら二階級上がって七段だよ。

「誰が玲香ごときに負けるものか。クイーンになって七段になるに決まってるじゃない。連覇して八段になるのも時間の問題」

 いつもの怪気炎だけど梅園先輩の実力は文句なし。それは城ケ崎クイーンでさえ認めてるとして良さそう。だって札幌の夜でも、

『ムイムイ、いつまで下で遊んでるの。待ちくたびれたわよ』

 二人は小学校以来のライバルだけど、城ケ崎クイーンも梅園先輩の超聴力に苦戦したんだそう。それに勝つために、

『聞き取りからの反応は勝てないじゃない。だから、それ以後の動きを極限まで無駄をなくしたのよ』

 城ケ崎クイーンの超絶的反応と瞬発力はヒロコも対戦したから良く知ってるけど、とにかく動きに無駄が一切ないんだ。最短距離で出札に火花が飛んでいく感じと言えば良いかな。そんな二人のライバル対決をヒロコも楽しみにしてる。


 そんな梅園先輩がこれまでクイーン戦予選を勝ち抜けなかったのは体力不足がある。とくに五試合目以降になるとガクンと落ちる気がしてる。体力が弱い原因は、あの不摂生すぎる生活がすべて。

「どこが不摂生なのよ」
「あれが不摂生じゃないなら自堕落です」

 それが柳瀬君をポチにしてから変わったのよ。柳瀬君に聞いたけど、梅園先輩の食生活ってコンビニで適当にお惣菜を買ってきて、後はビールだったんだって。極端な時は枝豆だけとか。ちなみになぜかポテチはあんまり好きじゃない。

 柳瀬君の経歴が少し変わっていて高校の時は駅伝部。珍しい部と思うけど、陸上部から長距離部門が独立したらしいんだ。もちろん選手としてスカウトされて入部したのだけど、

「強豪校のレベルを思い知らされました」

 マネージャーに転向したんだって。都大路を目指す強豪だったけど部員は全寮制。マネジャーの仕事は下働きもあったそうだけど、監督の下で選手の健康管理をメインにやってたそう。料理が上手なのも健康管理の一環で作っていたからと言ってた。その経験を活かして梅園先輩の食生活の改善に取り組んだのだけど、

「鍋やフライパンの手入れから始めました」

 鍋やフライパンも使いっぱなしというか、使ってそのままで何年も放置され、カビが生える程度じゃなく、生えたカビが枯れるぐらいの状態だったとか。それを柳瀬君がすべて磨きなおすレベルから始まったらしい。

 お皿や台所回りも使えるレベルというか、近づくのも遠慮されるレベルだったって言うから、どれだけかと思ったもの。

「そこなんですけど、荷物を片付けて行ったら発掘されたって感じです」

 やっぱり。なんとか料理を出来る体制を復活させたら梅園先輩は、

「あんなにちゃんとした食事が続いたのは大学に入って初めてだった」

 柳瀬君は健康管理だけでなく運動管理も高校時代は監督から任せられるぐらいだったみたいで、次にトレーニング計画も作ったんだよね。柳瀬君も梅園先輩のウィークポイントが体力だと見抜いたんだろうけど、ここで大問題だったのは梅園先輩は大の運動嫌い。それでも渋々やった初日は、

「ムイムイも最初の内は死んでた」

 ちなみに百メートルで完全にヘタばって呼吸困難で動けなくなったそう。体力はババアだ。でも今では毎朝五キロぐらい走るって言うから、たいしたものだ。そう言えば体も引き締まってるよね。

「竜二が励ましてくれたから」

 竜二は柳瀬君の名前。どんなマジックを使ったのかとコッソリ聞いたのだけど、

「えっと、あの、ちょっと、それは・・・」

 柳瀬君もあれこれ励ましたそうだけど、

「わかった、打倒クイーン」
「そんなもので走ってくれるなら、誰も苦労しません」

 熱血ドラマじゃ無理か。そこから渋りまくる柳瀬君からようやく聞き出したのが、

『夜のアレの時に役に立つ』

 なんじゃそれ。アレをやると体力使うのはわかるけど、わざわざ体力付ける程のものじゃないでしょうが。BBA的に体力に落ちてる梅園先輩でも出来るよ。疲れりゃ、マグロになって寝てれば女は済むし。

「まあ、それはそうなんですが・・・」

 柳瀬君が持ち出したのは怪しすぎる話で、長時間やればやるほど女の感度がドンドン上がって行くだったそう。そのためには体力が必要って・・・それって三文エロ小説とか、怪しげな女性週刊誌レベルの代物じゃない。

「どうでも良いけど、誰とそんな長時間やるの。つうかアレの時間って女より男の問題が大きいのじゃない」
「その点をどう理解されたのか今でも謎ですが」

 こんな怪しげな話で、梅園先輩の闘志に突然着火したって言うからどんな思考回路してるんだろ。うん、まさか感度にそこまで反応したのはもしかして、

「ひょっとして梅園先輩って不感症とか」
「不感症じゃないと思いますが、本当のところはまだ」
「本当のところって、どういう意味?」
「言葉通りで・・・」

 えっ、どういうこと。札幌杯からしばらくして梅園先輩と柳瀬君は交際宣言したんだよね。それこそ腕組んで、大はしゃぎ状態だったもの。そうだ公開キスまでやらかしたんだ。それとともに、半同棲だった二人は完全同棲に移行。そこまで行ったら後はもう、

「柳瀬君は彼氏じゃないの」
「それは前に宣言やりました」
「キスもしたよね」
「見てられてたはずです」

 ウソでしょ、ウソでしょ、

「夜はどうしてるの」
「ベッドは一つですから一緒に寝てます」
「そこまで行ってるのに」
「はい」

 ベッドで何してるのよ。

「ホントに愛されてるの?」
「結婚式の初夜まで待って欲しいと」
「待つの?」
「それが希望なら待ちます」

 感心するというより呆れた。梅園先輩は実は処女である噂はずっとあったのよね。口では平気で猥談するけど、やったって話を聞いたこと無いもの。やれば黙っているような人じゃないし。

 だから処女であったのは、それほど意外じゃないけど、男と同棲して一緒のベッドに毎晩寝ても処女のままって信じられないよ。柳瀬君なんて毎晩生殺しじゃない。

「あのぉ・・・それも違います」
「違うって、なにしてるの」

 まず寝る時は素っ裸だって。恋人同士だからそれは不自然とは思わないけど、そこまで行ってもアレ無しじゃ間がもたないというか、収まりがつかないじゃない。別に淫乱って意味じゃないけど、愛し合ってる若い男女がその状態にまでなって、そのまま眠ってるだけなんてありえないよ。

「柳瀬君はそれで平気なの?」
「ボクだって、生殺しに耐えられるほど聖人ではありません」

 うぅ、聞くんじゃなかった。梅園先輩は雛野先輩とかなりディープなレズまでやってたんだった。雛野先輩とレズる時はタチだったけど、柳瀬君はレズのタチ技術を仕込まれたぐらいで良さそう。

「みっちり教え込まれました」

 ヒロコにレズ経験はないけど、女が女を本気で攻めたら強烈らしい。それを男である柳瀬君がやっても効果はあると思うけど、それでも満足できるのは梅園先輩だけじゃない。まさか柳瀬君はひたすら奉仕させられてるだけだとか、

「だからそんな聖人ではありません」

 げっ、げっ、タチとネコを入れ替わるっていうけど、

「男相手でも応用は利くってされてました」

 ヒロコの完全に知らない世界だ。達也相手にヒロコがタチをするなんて想像もつかないもの。梅園先輩が柳瀬君とやっているのは完全にレズ行為だよ。それも愛撫する段階だけのもの。

 男と女というか、普通のカップルなら前戯段階だけやってるって事だよね。普通ならそこで燃えてきて本番になるのだけど、処女を守るとなると柳瀬君はどうなるの。

「前戯というか、そこでフィニッシュまで・・・」

 えっ、えっ、それって怪しい風俗店みたいな、

「想像するならそんな感じです。もちろん行ったことはないですよ」

 とにかく話がディープ過ぎるよ。梅園先輩は処女さえ守れたら、手であろうが唇であろうがフル回転なんだ。それもほんじょそこらのフル回転じゃなく、柳瀬君の体力の限界に挑戦するぐらいのフル回転で良さそう。

「柳瀬君はそれで良いの」
「良いと言うか、悪いと言うか・・・」

 そこまでになれば、普通はやるでしょ。つうか、そこまでディープな愛撫って、やってから上達するものじゃない。それも誰だってやるようなものじゃない、ヒロコも達也にやってないよ。

 世の中は広いし、ヒロコが思うより様々な行為に走ってるカップルは多いかもしれない。それでも、それでもだよ、初体験の前にそっちにそこまで走るカップルは限りなくゼロに近い気がする。さらに言えば初夜までどれぐらいの歳月があるっていうのよ。

「計画では五年です。ムイムイも五年目なら給料も少しは良くなるでしょうし、ボクの給料も合わせれば暮らせるはずぐらいです」

 結婚計画は具体性に富み過ぎてるけど、五年だよ、五年。目眩がしてきた。そりゃ、女の夢として理想の男と初夜に処女を捧げるのはあるけど、それはあくまでも夢だし、現実はなかなかそうならないよ。ヒロコですらそうだもの。

 そこまでやって守っている処女って価値あるのかな。男が処女を珍重するのは、処女膜の有無もあるだろうけど、まだ性体験を知らない初心な反応だと思うんだよね。だけど、この二人がここまで励んでしまえば初心さなんて銀河系まで飛んでいきそう。

「倉科さんは詳しいですね」
「詳しいはずないじゃない!」

 まったく余計な事を知ってるって誤解されちゃうよ。これも聞くんじゃなかったけど、梅園先輩はベッドに入る前に柳瀬君の前で必ず愛の誓いをするんだって。それは悪いとは思わないけど跪いて・・・まさか、まさか、

「跪くって、柳瀬君は立ってるんだよね」
「ええ、はい、そうです」
「梅園先輩の目の前にあるのは?」
「そうなります。しっかりと口にされます」

 そんな状態で神妙にこう言うんだって。

『ムイムイは必ず愛する竜二と結婚し、初夜にすべてを捧げるのを誓います』

 よくまあ、そんな状態でしゃべれるものだと思うよ。しゃべって誓うだけじゃなくて、そこから二人の一回目が始まるっていうか、終わるまでやっちゃうって言うのよ。

「最近では朝も誓われます」

 狂ってる、正気じゃない。すべてを捧げると言うけど、残ってるのは処女だけじゃない。それを守る異常な情熱としか言いようがない。柳瀬君もよく付き合ってるよ。そりゃ、男は出せば満足するって聞いたことがあるけど極端すぎる。出せるならどこでもイイのかよ。

 ヒロコはもちろん口にした事なんかないよ。求められても嫌だ。でも、口にするのは求められそうな気がしてる。これは愛しあっていれば必ずしも変態行為と言えなさそう。もちろん最後までじゃないよ、あくまでも流れの中での愛撫の一つ。

 達也との事は置いとく。だいたい比べるのが無意味だ。こんな先輩を持ってしまったのがヒロコの不幸だ。そんな先輩に毒されつつあるヒロコはさらに不幸だし、手遅れになりつつある。

 とにかく世間の常識から外れ過ぎてるカップルだけど、本人同士が納得していれば良いよね。というか、柳瀬君じゃなければ梅園先輩の相手なんて絶対に無理だよ。これも愛の形だし無理やり言えば究極の純情かもしれない。五年先の初夜を無事迎えられますように。