シノブの恋:四座の女神

 今年はエレギオンHDになってから四十四年目になんだよ。夢前遥として入社してからは十年目、結崎忍としてクレイエールに入社してからなら七十四年目。ひょんな事からエレギオンの四座の女神になり、名前こそ夢前遥になっちゃったけど、中身は結崎忍で変な感じ。

 エレギオンの女神の呼び名は原則として初代の記憶の始まりの宿主の名前に由来する。とは言うものの、主女神は加納志織時代から記憶の継承が復活し、ユッキー社長とコトリ先輩は五百年前に記憶をお互いに封印し、これが解けた木村由紀恵、小島知江時代からになってる。シノブとミサキちゃんは女神が宿った先代から。整理しておくと、

    主女神(シオリ) 加納志織 → 麻吹つばさ
    首座の女神(ユッキー) 木村由紀恵 → 小山恵
    次座の女神(コトリ) 小島知江 → 立花小鳥 →月夜野うさぎ
    三座の女神(ミサキ) 香坂岬 → 霜鳥梢
    四座の女神(シノブ) 結崎忍 → 夢前遥
 こうなってる。もっともこの呼び名で呼び合えるのは、女神の他に三十階メンバーとして認められた一握りの者だけ。この五女神の関係だけど、本来なら主女神がトップのはずだし、四千年前までそうだったんだけど、とにかく扱いにくい存在だったみたいで、首座と次座の女神が眠れる主女神に変えちゃってます。この眠れる主女神がシオリさんとして目覚めたんだけど、コトリ先輩は、
    「あれ、ほんまのところ、どうなってるかようわからん」
 このため古代エレギオン時代でも君臨するだけの象徴みたいな扱いだったし、今でもシオリさんだけは、フォトグラファーやられていてエレギオンHDの経営にはノータッチです。

 主女神を眠らせてからエレギオンを仕切っているのは首座の女神。今だって社長です。これも本来は次座の女神と共同統治のスタイルにする予定だったそうですが、これまたコトリ先輩曰く、

    「ユッキーがトップの方が落ち着くんや」
 首座と次座は本来は同格なんだけど、次座の女神が首座の女神を絶対的に立てることにより権力闘争みたいなものは起った事はないんだって。それ以前にお二人は五千年の記憶を共有しておられる上に無二の親友。お互いへの信用・信頼は絶対。もっとも時に大喧嘩をするのはご愛嬌。

 首座・次座に対して三座・四座は女神としては並び立つんだけど、序列は確実に下なんだ。それぐらい能力に差がある。ほんじゃあ、三座と四座の女神の関係はどうかと言えば同格なんだよね。

 単に神として作られた順番に過ぎないでイイみたい。その証拠にエレギオンHDでも三座が常務、四座が専務だもんね。なぜ四座が専務かの理由も単純で、クレイエールの入社年次がシノブの方が五年早かったのが永遠に続いている感じ。


 さて、四座の女神とはどんな役割だけど、三座・四座の女神が作られた事情が反映されてるって言ってた。古代エレギオンでの施策として医療福祉や教育に力を入れて、最初は首座と次座の女神が担当してたんだけど、さすがに手が回りきらず、専属の女神を作ったぐらいかな。ほいでもって三座が医療福祉、四座が教育担当。これもコトリ先輩曰く、

    「四座の方は時代の要請も入れてもた」
 三座は医療福祉の能力とオプションとして秘書機能を付けただけみたいだけど、四座の方の教育は軍事的機能も含んでいるとしてた。だから軍事訓練も含むあらゆる教育に能力を発揮するだけでなく、戦場の司令官にもなれるらしい。

 位置づけ的にはもし首座と次座の女神の二人に何かあった時には、三番目の女神としてエレギオンを担う役割もあったぐらいかな。そのためか、女神の仕事があれば留守番役が多くなっているとか、いないとか。


 現在のエレギオンHDはエレギオン・グループを率いる世界最大の会社の一つとはいえ、国じゃないのよね。それでも仕事も責任も重いはずなんだけど、コトリ先輩とユッキー社長は、

    「こんなん気楽なものやで。別に殺される訳やないし、殺さんでもエエんやし」
    「そうよねぇ、遊んでるようなもの」

 実際の仕事ぶりもそうで、女神から見てもトンデモない仕事量をこなしているのに、定時で仕事を終わらせてしまい、夕方からは三十階で遊んでるんだもの。張り切るというか緊張感を漂わせてされるのは女神の仕事だけで、

    「女神の仕事は女神だけで終わらせんとアカン。これに人を巻き込んだり、ましてや人を戦わせる消耗戦なんて絶対にしたらアカンのや」

 お二人の最大のトラウマであるアングマール戦の教訓でイイみたい。この戦争はまさに総力戦で、辛うじて勝ったとはいえ、敗者は皆殺しで国ごと消滅し、勝ったエレギオンも、十五あったすべての同盟都市が無人の廃虚になり、エレギオンの人口も開戦当初の一割以下に減ったっていう悲惨なもの。

    「あんな拙い戦いは二度としない。死ぬのなら女神だけで十分」

 そのせいかもしれないけど、エレギオン・グループには軍需産業は含まれていません。

    「人殺しの道具で別に儲けんでもエエやん」
    「そうよ、そうよ、そこそこで食べて行ければ十分じゃない」
 ミサキちゃんも言ってたけど、なにが『そこそこ』だといつも思ってる。首座の女神が入社し社長になってから、彗星騒ぎ、第一次~第四次までの宇宙船騒動に便乗しまくって、神戸のアパレル・メーカーから、アッバス財閥にと並び称される大財閥に急成長させてるんだもの。


 女神は永遠の記憶を受け継ぐし、見た目は永遠の若さを保てるのよね。ついでに言えば、心も青春のまま。ただし体は普通の人間だから、歳を取れば死んじゃう。これも古代エレギオン時代は、宿主が変わっても同じ女神との合意があったんだけど、現在ではそうはいかないじゃない。

 シノブも結崎忍として亡くなった時に財産も家族もゼロになっちゃってます。幸いにして首座と次座の女神は神が見えるから、宿主が変わっても誰だかわかるんだけど、エレギオンHDにどうやって就職させるかは問題だったのよね。

 これについては色々計画もあったんだけど、コトリ先輩がマドカさん事件の時に業務の建て直し必要性から、かなり強引に復帰して先鞭を付けてくれたんだ。シノブやミサキちゃんもそうで、第三次宇宙船騒動で女神の招集が行われた時に復帰してる。ただし、

    「大学に復帰しておいで」
 ミサキちゃんもこぼしてたけど、いかにも珍妙な肩書で大学復帰となっちゃたのよ。だって女神の招集があったのは一年の時よ。途中から休学して翌年度から一年生をやり直したけど、エレギオンHD専務のままだもの。

 ミサキちゃんに至っては常務であるだけでなく、地球全権副代表、エラン協力機構(ECO)副代表だったから、一年ぐらいは大変だったって。シノブは東京支社で社長代行だったから、幾分マシだったけどね。

 その代りじゃないけど、神戸でECOをやってた三人は、あのクソ忙しい最中に、なんと恋愛までやってたのよ。コトリ先輩がアダブと出来てたのは、

    「やりかねない」

 これぐらいだけど、ユッキー社長がジュシュルと、一番驚いたのは、あの物堅いミサキちゃんがディスカルと出来てたのよ。ジュシュルとアダブは、浦島夫妻を地球に送り届ける作戦で散ってるんだけど。これを聞いた社長と副社長は、

    『ジュシュルは首座の女神の男である証を立てた』
    『アダブの至高の勇気は、次座の女神の男の証として相応しいものであった』
 女神は自分の男の戦死報告を受けた時に毅然と対応すると聞いたことがあるけど、それを実際に見る日が来るとは思いもしなかった。それは、それは立派な態度だったけど、涙を必死にこらえている姿は見るのも辛かった。

 地球に降り立った九人のエラン人だけど、三年もするうちに次々と病死。最後に生き残ったのはディスカル一人になったのよね。そしたらね、このディスカルとミサキちゃんが結婚しちゃったのよ。それだけじゃなくて、もうすぐ出産で休暇に入っちゃった。つまり、

    『ミサキちゃんに先を越された』

 これが最高に悔しい。だって、だって、コトリ先輩なんて、

    「シノブちゃん、売れ残りの会に入る?」
    「入りません。同じにしないで下さい」
 そりゃ、今年でコトリ先輩は四十一歳、ユッキー社長に至っては七十七歳になるから『売れ残り』かもしれないけど、シノブはまだ二十九歳。同じにされてたまるものですか。今のシノブの目標は男を作ること。誰が売れ残りの会なんかに入るものか。

次回作の紹介

 紹介文としては、

 シノブがあのバーでホワイト・レディーを飲んでいると男が登場。これがなんと歴史オタクの医者。コトリと山本との失恋の過去が気になるものの、歴史ムックを重ねながら魅かれて行くシノブ。男は歴史ムックを終えてもアタックがなかったものの、今度は乗馬の世界にシノブを誘います。馬と聞いて興味を示すユッキーは渋るコトリを説き伏せて参加。順調に見えたシノブの恋でしたが、男に告げられたのは別離の言葉。そう、男にはライバルがいたのです。落ち込むシノブでしたが、会員になった乗馬クラブの因縁の勝負に臨みます。なんと相手はあの恋のライバル。馬術勝負の行方、シノブの恋の行方はどうなる。

 シリーズの流れからしてポイントになった作品です。序盤の私の趣味の歴史ムックはともかく、中盤からの馬術の世界は、その後のシリーズにかなり使わせてもらっています。

 ただ定番の難点があります。馬術とか馬とか言っても、どこかの遊園地で曳いてもらった馬に乗ったことぐらいしかないのです。後はテレビで競馬中継を見たぐらいの知識です。とりあえず馬場馬術は複雑そうでしたから、見た目が分かりやすそうな障害馬術にしています。

 後はググって泥縄式に知識をかき集めての定番の展開になりました。さすがに馬術なんて知ってる知人は一人しかいませんし、愛知在住なので気楽に取材に行くわけにも行きません。もっとも、聞いてもどれだけ理解できたかは疑問ですけどね。

 話の方はシノブがアラサーになったので、どうしても恋をさせようとしたのが主題です。どうやって出会いを作り、どうやって恋を進展させるかが一つのポイントで、さらに恋路に邪魔が入るのも定番でしょう。そういう基本を押さえつつ、どんな結末にするのかが書き手の楽しみでもあります。

 よろしければお付き合い下さい。

シノブの恋

追悼

 小説の登場人物はオリジナルの時もありますが、モデルがいる時もあります。フォトグラファーであるシオリのモデルは私の旧友です。実際にフォトグラファーですし、小学校から高校までの同級生です。ただし恋愛関係になったことは遺憾ながら一度もありません。この辺は学生時代のある恋人の思い出をさらに被せさせています。

 処女作の恋する歴女の序盤のエピソードも旧友とのものです。卒後17年目の中学のクラス会で旧友と高校卒業以来の再会を果たしたのですが、延々と三次会になっても彼女が誰であるかを思い出せず、散々話をした最後に、

    「ところで誰だっけ?」
 思いっきり顰蹙を買った次第です。


 彼女は中学ぐらいからアートが志望だったようです。ですから中学も高校も美術部だったはずです。問題は高校卒業後の進路で、彼女はデザイン系の専門学校を考えていたそうですが、担任教師が神戸大教育学部の美術科に押し込んでしまったようです。彼女曰く、

    「失敗やった!」
 そこに進学すれば美術教諭の免許は取れるのですが、アートの世界の経歴としては二流以下の評価だそうです。そのために就職したのは一般企業だったそうです。ここからは別の旧友に聞いた話ですが、そこの会社でデザインの力を重宝されて、そういう担当みたいなものをしていたそうです。

 たしかスーパーのチラシの写真を撮っていたなんて話を聞いたことがあります。このエピソードもオフィス加納のエピソードに使わせて頂いています。

 その後が誰も良く知らない時代になるのですが、どうも会社は辞めて独立したぐらいでよさそうです。彼女の事務所の名前だけは覚えていますが、

    sugar cube
 でもって売れたかどうかですが、売れなかったで良いはずです。年数を数えると、ちょうどその頃に私の開業準備が重なってきます。

 開業準備とアートは関係なさそうですが、院内デザインの一つに大きな壁画を描こうの案が出て来たのです。とはいえアート系の知人がいるわけでもなく、思いあぐねた末に彼女を思い出したのです。

 そこで紹介してもらったアーティストに描いてもらっています。ちなみに彼女は尻込みして逃げています。まあデカイは、製作費は安いわ、製作期間は短いわの悪条件もあったからもしれません。

 開業してから一年ぐらいしてから、これも作っては見たものの、そこの穴埋めに四苦八苦していた、玄関脇のディスプレイ製作を依頼しています。

 年に五回程度の模様替えでしたが、四年ぐらい続いたはずです。当時の彼女の仕事として聞いたのは、

  1. 非常勤の美術教師
  2. 梅田のヨドバシカメラの売り子
  3. 名古屋の大学の助手
 名古屋の大学の助手もよくわからん仕事で、
    音のアート
 音楽かと聞いたら違うと言われましたが、説明を聞いてもチンプンカンプンだったのを覚えています。おそらくですが当時の彼女は、たまに舞い込むアート系の仕事をしながら、バイトで食いつなぐような生活だったのではないかと想像しています。

 彼女に転機が訪れたのは高校の同窓会。私は欠席しましたが、彼女は悩んだ末に出席。その時に仕事の話が舞い込み、この仕事によりフォトグラファーとしてブレークすることになります。

 ここも知っておられる人がどれほどおられるかわからないのですが、彼女はカメラが一番得意だったそうです。しかしカメラはとにかく競争相手が多くて、カメラで食うのは難しいと言っていました。彼女曰く、

    「カメラなんてシャッターを押せば、そこそこ綺麗に撮れるから・・・」
 このエピソードも膨らませて取り入れさせて頂いています。それでも待望のカメラで売れたのですから、待ったかいはあった気がしています。絵の方は・・・このエピソードは伏せさせて頂きます。


 本当に忙しくなったようで、一年もしなういちに、うちの仕事なんかやってられなくなり、海外での仕事も頻繁にあったようです。会えなくなったのは寂しかったですが、それこそ苦節三十年ぐらいですから、素直に祝福させて頂きました。

 そして今年も中学のクラス会がありましたが彼女は欠席。誰もが忙しいからだろうと思い込んでいました。そりゃ、案内のハガキをデザインしたのは彼女だったからです。しかし既に彼女はクラス会に出席できるような状態ではなかったのでした。

 七月になり突然舞い込んだのが訃報。そりゃ、もう、驚いた、驚いた。クラス会の直後ということもあり、再び集まったクラスメイトは早すぎる死に涙しました。やっと、これから花を咲かせる時代にやっとなったのにの思いです。

 
 モデルの彼女は亡くなりましたが、作中のシオリは加納志織から麻吹つばさになっても健在です。せめて自分の作中で活躍させてやるのも供養の一つじゃないかと勝手に思っています。そうそう、シオリが大写真家になっている設定は作中の必要性もありましたが、彼女にそうなって欲しいの思いも少しは込められています。

 とにかくブレークしてからは殆ど会っていません。小説を書き始め、フォトグラファーの世界を描き始めた時に、一度ぐらい取材をしておけば良かったと後悔しています。

    年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず
 彼女が好きだった向日葵は今年も咲き誇っていましたが、彼女はもういません。中三のクラスメートが亡くなったのは二人目ですが、先に逝った二人で向こうでのクラス会の準備を始めてるかもしれません。

 そうですね、もう十年もしたら、それなりに集まって来るかもしれません。二十年もすればかなり盛会になり、三十年もすれば、こっちに残ってる方が・・・

 わたしもまだ「すぐ」には行きたくありませんが、そのうち追いかけます。気を長くしてお待ちください。

記憶の中の体力

 雑談五日目です。

 たいした話ではないのですが、歳を取れば体力は落ちます。もちろん歳を取っても若い人を凌ぐ体力を見せる方もいますが、平均的には落ちていきます。

 落ちる理由は年齢のためもありますが、社会人になると運動する習慣が乏しくなるのもあると考えています。職種にもよるでしょうが、デスクワークが中心の仕事ならそうなりやすいと思っています。

 平日はdutyに追いまくられますから、仕事帰りに一汗かくより帰って休みたいが人情でしょうし、休日だってノンビリ休みたい人の方が多数派だと思います。とくに若い頃に運動があまり得意でなかった人ならなおさらでしょう。

 それでも記憶の中の体力はかなり残る気がします。そんな捻った話ではなくて、

    これぐらいは今でも出来るはず・・・
 やってみたら体が付いて行かなかったぐらいですが、このギャップも歳とともに大きくなる気がしています。それなりに若いうちは、ヒーヒー言いながらもなんとかこなせても、ある年代からまったくついて行けなくなってしまうぐらいでしょうか。


 歳の事は書きたくないですが、四捨五入の線さえ越えて還暦に近づきつつあります。今どきのことですから、還暦と言っても老け込む歳じゃないともされますが、もう相当な差は付いている気がします。

 これは旧友に聞いたお話ですが、友だちと熊野古道に行かれました。熊野古道となるとある程度は歩く前提が必要なのですが、旧友の友だちはそれを承知で参加しています。ちなみにすべて私と同い年です。

 熊野古道と言ってもその日に選んだのは青岸渡寺。通常の観光なら奥の駐車場を利用するのですが、目的が熊野古道ですから大門坂を歩いたようです。お手軽すぎると言えなくもありませんが、気分だけ味わうならそういう選択もあると思います。

 登り坂や石段も含みますが、青岸渡寺・那智大社まで1.5kmほどです。旅行プランとして無理はなかったと思いますが、那智大社に着くころには旧友のお友だちは動けなくってしまったそうです。そこから那智の滝までは1km弱ほどですが、

    ここで待ってるから・・・
 熊野古道を楽しむどころか、熊野古道に苦しまれていたでよさそうです。記憶の中の体力なら余裕であったのでしょうが、現実にうちのめされたぐらいです。あれほど歩けないとはビックリしたと旧友は言ってました。

 そこからの話になりますが、旧友が住むのは私の故郷ですが、中途半端な寂れた地方都市です。そういうところは完全なクルマ社会です。公共交通機関は都会から見たら信じられないほどプアですし、そんなものを積極的に利用する発想が乏しいところです。

 買い物にしてもクルマ社会の発想に変容してまして、徒歩園内で間に合わせるのも難しくなっています。とにかく気軽にクルマを使いますから、かなりの近距離でもクルマで済ませてしまいますし、そう出来るような交通体系になってるぐらいの理解で良いかと思います。

 だからどうしたの話になりますが、下手すると都会人より足腰の衰えが早くなるんじゃないかとしていました。言われてみればそうで、場所柄にもよりますが、都会の方が歩いて買い物に行く頻度も多そうですし、公共交通機関を利用するだけでも運動量は少しは増えますものね。


 ちょっと寄り道しましたが、記憶の中の体力も衰えてきたら、次の老いのステップの気がしています。そりゃ、ますます動かなくなるからです。せめて、そんな日が来るのが一日でも遅くなるように抵抗中です。

カメラのお話

 ここ1年ばかり小説連載だったので、雑談四日目です。

 シオリがフォトグラファーの設定で、そこからアカネやマドカの話を膨らませているのですが、あれだけ書いているとカメラが欲しくなります。コンデジは持っているのですが、デジイチかミラーレスクラスが欲しくなってしまうのです。

 去年もカメラ欲しい病が燃え盛って買う寸前まで進んだのですが、出不精人間に必要かのストッパーが辛うじて利いて、踏み止まっています。これが今年も再燃。

 去年思いとどまったのは、唯一カメラを使う機会がある春秋のハイキングに持って行きにくいというのがありました。これまではウエスト・ポーチに突っ込んで行ったのですが、さすがにミラーレスでもこれはサイズ的に無理があります。そこで発想を変えてみました。ミラーレスが入るようなウエスト・ポーチがあればエエじゃないかと。

 さすがにミラーレスが入るウエストポーチとなると種類が限定されますが、遺憾ながら見つけてしまったのです。従来の物より二回りぐらいは大きくなりますが、入るのは入ります。ただし入るカメラは限定されます。

 デジイチよりミラーレスの方が小型軽量なのは間違いありませんし、本体が小型のものはかなり売り出されています。問題になるのはレンズです。

 これも調べてわかったことですが、レンズサイズはイメージセンサーのサイズに比例する部分が大きい事です。これはそうなっているのか、そうしているのかわかりませんが、フルサイズやAPS-Cのレンズは基本的にデジイチと共用する傾向があるようなのです。簡単にいうとデカイ。

 これに対しマイクロフォーサースになるとレンズも小型軽量。画質はイメージセンサーの大きさに比例する部分はあるようですが、ハイキングに持って行くウエストポーチに入ると言う目的のためにはマイクロフォーサースのレンズでないと無理が出ます。

 小説ではエラそうな事を書いていますが、腕は正直なところド素人ですから、細かな画質の差は見てもわからないレベルですから、マイクロフォーサースのミラーレスの入門機にしています。

 使ってみた感想ですが、あのサイズと重さなら、なんとかハイキングに持って行けます。うん、撮っていたら相当のカメラ好きに見えるかもしれません。コンデジで撮ってるより本格的に見えるでしょうから。

 機能としてはEVFが標準で付いているのが嬉しかったです。背面の液晶で撮るのはどうしても慣れ切らなかったもので。この辺も世代の気がします。やはり写真はファインダーをのぞいて撮りたかったからです。

 この際だからとセットレンズの他に単焦点レンズも購入。単焦点は安いとあちこちに書いてありましたが、あんなに高いとはビックリしました。カメラの本体並でしたもの。

 そこまで奮発した理由は唯一つ。コンデジではどうしても撮れないボケ写真を撮って見たかったからです。そのためにわざわざ新神戸駅から森林植物園のハイキングまでやりましたが、

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 ノブドウと思いますが、初めてにしては良くボケてくれたと思います。ついでにもう一枚、

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 他は・・・聞かないで下さい。撮れたという成果に満足しています。それでもこれでハイキングの楽しみが一つ増えました。つうか使わないともったいなさすぎます。