シオリの冒険:三女神の雑談

 ローマに着いてツバサ先生は、アカネをしげしげ見て、

    「これじゃ、拙いか」

 連れて行かれたのはリナシェンテ。トレビの泉の近くにあるデパートで、上から下まで一揃い買ってもらったんだけど、

    「こりゃ、まさに馬子にも衣裳だわ」

 大きなお世話だ。ホテルは相変わらずの安宿。夕方になってアカネは買ってもらった服に着替えたんだけど、

    「もうちょっと化粧と髪型をなんとかしないと。サキ、手伝って」

 ツバサ先生とサキ先輩の二人がかりで、

    「これでちょっとはマシになったやろ」

 うぅ、セットされた髪が引っ張られて痛い。そのまま夕食に。慣れないヒールが辛いんだけど、

    「ここだよ」
 なんとゴージャスな。こんなゴージャスなホテルのゴージャスなレストランに入るから、アカネの服もゴージャスに整えてくれたんだとやっとわかった。さすがにTシャツにジーパン、スニーカーじゃ敷居が跨げない感じ。

 案内されたテーブルには若い女性が二人。うへぇ、この二人も素敵で綺麗。ツバサ先生と三人並ぶと美の競演って感じ。アカネは・・・言わんとこ。アカネだってね、アカネだってね、可愛いって言ってくれた人もいたんだよ。保育園の時だけど。

    「ユッキー、こっちは仕事」
    「まあね」
    「こちらはコトリね、久しぶり」

 どういう関係なんだろ。見た目はツバサ先生と同じ二十歳過ぎだけど、ツバサ先生のは見た目だけで実は二十八歳。でもタメ口だから同級生とか。じゃあ、この二人も歳より若く見えるとか。

    「こちらの可愛い方は」

 ほらみろ、ほらみろ。見える人にはアカネの真価はわかるんだ。

    「わたしの弟子。渋茶のアカネ」

 ツバサ先生、『渋茶』は余計だ、

    「へぇ、そうなの。ここではユッキーと呼んでね」
    「うちもコトリでエエから」

 見た目だけならアカネも同じぐらいのはずだけど、どうにも年上の感じがする。それもずっと上の感じ。

    「ユッキー、見えるってこんな感じなの」
    「そうよ、おもしろいでしょ」

 何が見えてるって話なんだろ。

    「記者会見場のは、どれぐらいだった?」
    「そうねぇ、コトリちゃんよりちょっと暗い感じかな」

 見えてるのは明るい暗いなのか。いわゆるオーラってやつかな。

    「それは相当よ」
    「そうなの? たいしたことはなかったけど」
    「だろうね。わたしの五倍ぐらいは確実にあるもの」
    「そんなに! でもどうしてあそこで襲われたの」

 ユッキーと呼ばれる女性は少し考えてから、

    「イナンナはアンを砕いたけど、トドメを刺すとこまで行かなかったようなのよ。おそらく一撃を使ったと考えてるけど、使ったイナンナも冥界に引きずり込まれたしまったんじゃないかと考えてる」

 アンって誰なの赤毛のアンとか、

    「エレシュキガルは冥界には繋ぎとめるけど、殺しはしない。でもアンにはイナンナと共にある秘法を施していたで良さそう」
    「なんなの」
    「叙事詩ではイナンナは七つのメーを冥界に持って行ったとなってるけど、あれは砕かれて七つの部分に別れたアンが再び一つになるのを防ぐメーと見て良いと考えてる」

 メーって牛か、いやヤギか、それともトトロに出てくる女の子? あれはメイか。

    「パリの事件の時にエレシュキガルの軛を逃れたアンは地上に復活したんだろうが、メーの存在に気づいたんだと思う。これを外せるのはイナンナかエレシュキガルのみ」
    「でもフェレンツェで襲わなくとも。それもあんな白昼堂々」
    「本当のところはわからないけど、イナンナをようやく見つけたのがフェレンツェだったのはあると思う。神だって見る範囲しか見えないでしょ」

 神だって・・・ドラゴンボールの世界かここは、

    「おそらくだけど、七つのうちで神のパワーが充電できるのは一つだけ。残りの六つは放電すれば終り。焦ったんじゃない。それに白昼堂々でやっても飛んだら終りだよ」
    「でもわたしを殺そうとしてた」
    「メーを外せるのはエレシュキガルかイナンナだけだけど、殺したって外れるんじゃないかしら」

 なんか話が殺伐としてきた。美女同士の会話じゃないよこれは。

    「初代主女神が遺していた粘土板があってね」
    「だからコトリちゃんはエレギオンに行ったのか」
    「そうよ、HDが全面支援したのも、そのため」

 エレギオンって港都大が発掘調査に行ってたやつのことね。ニュースで見たことあるけど、あの調査の支援をしたのは、えっと、えっと、エレギオンHDだ。

    「神韻文で書かれていて解読が大変だったんだけど、驚きの五重構造でビックリした。普通はせいぜい多くても三重ぐらいなのよ」
    「でも教えてくれて助かったわ」
    「当然よ。でも誤算だったのはフェレンツェだったこと。ローマだと確信してたんだけどなぁ。だからコトリにも来てもらって、出来ればシオリを巻き込まずに始末する予定だったのよ」

 えっ、えっ、ツバサ先生を『シオリ』って呼んでる。

    「コトリちゃん、わたしってどう見えるの」
    「自分は見れへんから、わからへんと思うけど、前にいるのも怖いぐらいやねんよ」
    「わたしはイナンナになっちゃったの。愛欲と戦いと残忍な野心家の神に」
    「そうならへんと思う。そのイナンナには戻らないとなってた」

 ツバサ先生は、なにか考えこんでるから聞いちゃえ、

    「ちょっとイイですか」
    「アカネちゃんだったね。可愛いね」
    「ありがとうございます」

 嬉しいけど、そうじゃなくて、

    「シオリ、この子は見込みあるの」
    「あるから弟子にしてる」
    「で、どうなの」
    「頑張ってるよ。これから怠らずに精進したらサトルに匹敵するほどになってもおかしくない」
    「だから渋茶なんだ。なるほど」
 だから渋茶は余計だって。でも、そこまでツバサ先生はアカネのことを評価してくれてたんだ。あれっ? なにを聞くつもりだったっけ。

シオリの冒険:フェレンツェ騒動

 フェレンツェでの撮影は妙なことばかり起ったのよ。フェレンツェではイタリア人女優の写真を撮る予定だったんけど、これが変な奴。ことごとくツバサ先生の仕事にケチ付けるのよ。撮影場所だって、

    「ここじゃ、私の魅力が発揮できない」
 最初の予定ではドゥオモと呼ばれるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とか、ウッフィツィ美術館とか、ヴェッキオ橋だったんだけど全部ボツ。アカネも楽しみしていたからコンチクショウだった。

 そのクソ女優が行ったのは変なところばっかり。わざわざ観光名所を外してる感じ。フェレンツェ自体は治安が比較的良くて、安全な街なんだけど、どんな街だって夜になれば危なくなる。

 でもクソ女優は夜も撮影を要求するんだ。アカネもヤバいと思ってたら、見るからに胡散臭そうな連中が出てきて絡んできたんだ。男性スタッフが対応しようとしたら、突き飛ばされて迫って来た時にはオシッコちびりそうになったもの。そしたらツバサ先生は、

    「どきやがれ、テメーら邪魔だ」
 そう怒鳴ったら、その連中はフニャフニャと座り込んじゃったのよ。クソ女優もこれに懲りてホテルに帰るかと思ったら、そのまま撮影続行。カッシーネ公園に行くと言い出したのよ。

 これは後で知ったんだけど、昼間は市民の憩いの場でもあるそうだけど、夜になると麻薬の密売人も出没するヤバイところらしいのよ。そしたらここにも変なのがいた。訳が分からんこと言いながら・・・もともとアカネはイタリア語がわかんないから訳わかんないんだけど、あれは襲ってきたでイイとおもう。そしたらツバサ先生はまたまた、

    「どきやがれ、テメーら邪魔だ」

 その連中もヘタヘタと座り込んで動かなくなっちゃったのよ。なにがどうなってるのかわかんなかった。次の日はさらに散々だった。クソ女優の気まぐれは続いて、

    「ツバサ先生、これでイイのですか」
    「女優って、あんなものだから」

 歩いて移動してたんだけど突然ワゴン車が止まり、人相の悪そうな男どもがワラワラと。なんだコイツらと思っていたら、クソ女優とツバサ先生に向ってまっしぐら、これって誘拐と思ったらツバサ先生はこれまた、

    「どきやがれ、テメーら邪魔だ」

 男どもはツバサ先生に触れるだけでヘナヘナと座り込んで動かなくなり、さらにツバサ先生はクソ女優を連れ去ろうとする連中に手をかけると、男どもは

    「うっ」
 そう言いながら倒れちゃったのよ。さすがに警察呼んでの大騒ぎになっちゃった。どうも狙われたのはクソ女優で、やはり身代金目当てだったみたい。さすがにこの日はこれで撮影はオシマイになったんだ。

 翌日は朝から大変で、撮影が不十分だとか、襲われたのはこっちの責任だとか大騒ぎ。クソ女優なんか完全にヒステリー状態で、ついにツバサ先生に殴りかかったんだよ。いや、クソ女優だけでなく、クソ女優のマネージャーとか、付き人みたいな連中も一斉にだよ。

 なにがどうなってるのかわかんないアカネだったけど。不思議な光景をまたも見せられる事になった。襲い掛かった連中はツバサ先生に触れるだけで次々にぶっ倒れるんだ。比較的がんばったのはクソ女優だったけど、

    「うぎゃぁぁ」

 こう絶叫して倒れちゃった。またもや警察騒ぎ。白昼堂々、衆人環視の下の事件だったから、ツバサ先生は間もなく無罪放免で帰って来た。

    「あ~あ、これじゃギャラは取れそうにないよ」
 そういう問題じゃないと思ったけど、イタリアでは有名女優だそうで、芸能記者みたいなのがテンコモリ来て大騒ぎ。昨日は誘拐騒ぎもあったもんね。ツバサ先生は記者会見まで開かされたんだ。

 そしたらまたもや大事件発生。記者会見中にレスラーみたいな大男が突然乱入してきたんだよ。記者会見場にはガードマンもいたけど、それこそ一捻りって感じでツバサ先生めがけて突っ込んできた。記者会見場は大混乱。

 でもツバサ先生は座ったまま。アカネとサキ先輩は、ツバサ先生が腰でも抜かして茫然自失状態と思いこんで駆け寄り、

    「先生、逃げましょう」

 こう言って手を取って逃げようとしたんだけど、

    「たぶんあれがラスボス。ここで騒ぎは終らせる」

 なんとだよ、ツバサ先生は大男が襲ってきたのをガッシと組みとめたんだ。途端に記者会見場の照明が次々に爆発。後から聞いたらホテル中どころか、近所一帯がそうだったみたい。二人は組みあいながらなにか言い合ってたけど、あれは何語だったんだろう。アカネは床にしゃがみこんでたんだけど、目を上げるとツバサ先生が一人立ってて、

    「また警察か。昨日から三度目だよ。もう、うんざり」

 大男はぶっ倒れてた。もうこんな街にはいたくなかったんだけど、ツバサ先生が警察から帰って来たのは夜。

    「ははは、取り調べの警官が三回とも一緒だってさ、またお越しですかって言われたよ」
    「冗談じゃありませんよ、なんなんですか昨日からの騒ぎは」
    「なんだろうね。海外に出ると色々起るもんだねぇ」
    「そういうレベルじゃないでしょ。アカネなんて何年寿命が縮んだことか」
    「わたしに怒っても仕方ないだろ。喉乾いたから、お茶淹れてくれない。渋くないやつでね」

 普通の濃さの紅茶を入れたんだけど。

    「おっ、紅茶でもこれだけ渋くなるのか」
    「今日のは渋くありません」
    「いや、アカネが淹れるだけで化学変化が起るんだよ」

 それしてものツバサ先生のクソ度胸。怖くなかったのかなぁ、

    「記者会見場でラスボスとか言ってましたが・・・」

 ツバサ先生は、

    「フェレンツェの騒ぎでローマの仕事もキャンセルになっちゃたんだ。もちろんドタキャンだからキャンセル料は全額しっかりもらうけど。ところでローマで友だちとメシ食う約束してるんだけど、一人連れてってもイイと言ってくれてる。アカネ、サキ、行きたいか」
    「御馳走ですか」
    「期待してイイと思うよ」
 ジャンケンでアカネが勝った。やったぁ、本場で本物のイタ飯だ。それもA級グルメだ・・・と思う。

シオリの冒険:ローマの夜(2)

    「コトリ、だったらイナンナの冥界下りの真相は・・・」
    「七つに砕いたアンを冥界に送り込むためやったかもしれん」
    「じゃあ、ミサキちゃんが見た七つの門は、アンの残骸を封じた場所」

 ミサキちゃんの話によると、冥界の最奥部でナルメルを倒し帰る時には七つの門は廃虚と化していたとなってる。これはアンを封じていた最後の力が失われたって事を意味するでイイと思う。

    「ユダがエンキドゥの秘法の痕跡を見つけたって言ってたけど」
    「あれは、誰も見たことがなく、やれる者もいないよ。おそらく冥界から脱出するアンの痕跡やと思うで」
    「じゃあ、あの時の最後の縦穴の崩壊が」
    「その方が話に合う」

 知らなかったとはいえ、取り返しの付かないことをやってしまってたんだ。

    「ユッキー、なに心配そうな顔してるんや」
    「だって・・・」

 コトリはニッコリ笑って、

    「初代主女神が死ぬ前に遺した言葉を覚えてるやろ」
    「もちろんよ、神々の時代は要らないって」
    「あれは神が人に対して、どれだけの事をしてたかの意味やないか」
 そうかもしれない。神と言うから深遠な存在と思っちゃうけど、あれはエラン人の意識、いやエラン人とした方がイイだろう。シュメール神話では、神が働く代わりに人を作ったってなってるけど、あれはそうじゃなく、エラン人が地球人を支配し搾取してたんだ。

 その地球人だって混血率はわかんないけど、エラム基地の末裔である意味エラン人。後から来たエラン人が先に住んでいたエラン人を支配してたと見ることも出来るものね。

 アンは天の神としてシュメールに君臨してたのは間違いない。巨大すぎるアンの力は神々、すなわち流刑囚組のエラン人の平和をもたらしたけど、先住していたエラン人にとっては刃向う事の出来ない疫病神だったんだわ。

    「ユダの言葉を信じれば、イナンナはエランでは革命の女神とまで呼ばれてたそうや」

 イナンナはその矛盾に気づき革命家の血が騒いだで良さそう。革命家ってある種の理想主義者だから、エラン人がエラン人を支配し搾取する世界をぶち壊そうと考え、絶対支配者であったアンに立ち向かったぐらいだよ、きっと。アンが倒された後にエンリルやエンキが台頭するのも同様に許せなかったから倒したんだわ。

    「でも、どうしてあれだけ扱いにくかったの」
    「当り前やんか。革命家ってのは動乱の時代でこそ光るけど、平時には役立たずどころか、むしろ邪魔になるもんに決まってる。倒す相手がいてこそ光るのが革命家ってこと」
 そうかもしれない。革命家って理想家でもあるけど、見方を変えれば現体制に極度の不満を持つ不平家だものね。それも穏当な手段じゃなく、自分の理想のために暴力も肯定してしまう人種だもの。そんな連中は平和な時代の秩序の中では浮くしかないよね。

 エンメルカルから逃げた本当の理由はわからないけど、おおらくシュメールやエラムの地では自分の理想が実現しないと考えたと見て良さそう。イナンナの理想もわからないけど、ひょっとしたら原始共産主義的なものだったのかもしれない。

 そう考えるとキボン川流域の豊かな地を選ばず、ビソン川流域の不毛の地にエレギオンを建国したのもわかる気がする。イナンナは富こそ不公平をもたらし、理想を妨げると考えていたのかもしれない。だから、イナンナに取ってエレギオン建国時の苦労は楽しかったのかもしれないわ。

 イナンナが記憶の継承を封じた理由もよくわからないけど、後も合わせて考えるとエレギオンの栄えが見えてしまったのかもしれない。それを見たくがないために、あえて封じたぐらいかも。でもこの辺は、もうわからないな。

    「コトリ、イナンナはシオリで復活するの」
    「そうやろ」
    「だいじょうぶ?」
    「だいじょうぶって書いてあるやん」

 そうだけど。

    「アンって強いのよね」
    「そうなってる」
    「シオリで勝てるの」

 コトリちゃんはビールをグイッと飲み干して、

    「あの時に主女神は、その力の半分をコトリとユッキーに分けたになってるけど、あれは神の言葉でイイと思う。主女神はもっと強大な力があり、それを封じてるんや」
    「そんなもの見えたことないよ」
    「そりゃ、見えへんよ。力の差はそれほど違うってことや」

 どんだけ! いや、だからアンにも勝ったのかもしれない。

    「シオリちゃんがフォトグラファーなのは、ちょうどイイ気がする」
    「どういうこと」
    「あれも芸術の一つやんか。芸術ってゴールのない理想を追い続けるようなものやから、革命家にピッタリっておもわへん」
    「なるほどね、既存の美を乗り越えて革命を起こし続けるのが芸術とも言えるからね」

 わたしもビールをお代わりして、

    「シオリちゃんはいつ来るの」
    「明日ぐらいのはずだけど」

シオリの冒険:ローマの夜(1)

 ああ、くたびれた。なんでローマくんだりまで来てユダと二回もデートもどきをやらないといけないのよ。ホント、あれこそ世界一危険なデートだわ。あれに較べたら、素っ裸で夜のNYのハーレムを歩く方がよほど安全よ。

 ガチガチの緊張が解けてお腹が空いてきた。でも今から出かけるのも億劫だから、今日はルームサービスで晩御飯を済ましちゃおう。なんにしようかな、あれ、部屋の電話が鳴ってる。

    「小山様、面会希望の方が来られてますが・・・」
    「わかった、部屋に通してくれる」

 程なく、

    「じゃ~ん、ウサギだよ」

 ローマに来てもウサギ耳とはねぇ。バニースーツじゃないだけマシか。

    「あれユッキーえらい疲れてるやん」
    「今週、二度もユダとデートしたからね」
    「そりゃ、お疲れさん」

 それにしてもエライ日数がかかったな。ちゃんと旅費は振り込んだはずだけど。

    「来てくれてありがとう。どうやって来たの」
    「そんなものシベリア鉄道に決まってるやん」

 ああ、やっぱり。

    「晩御飯は?」
    「今日は疲れたからルームサービス」
    「ほならコトリが頼むで」

 それでもグッド・タイミング。やっぱりこういう時にコトリがいてくれるとホッとする。

    「エレギオンでなに掘らせたの」
    「アングマール戦の石碑」

 へぇ、あれを掘らせたのか。コトリのリセット感覚もホンモノかも。前にユウタにアングマール戦の話をした後は大変だったけど、かなり変わったみたい。良かった、良かった。

    「泊って行くつもりでしょ」
    「そのつもりでホテルは予約してへん」

 ちゃっかりしてるわ。ルーム・サービスも来たので、

    『カンパ~イ』

 ビールが喉にしみる。

    「で、撮れた」
    「バッチリよ」

 ああこれだ、これだ。見るのは二千五百年ぶりぐらいかな。

    「コトリ、少しは読めた?」
    「シベリア鉄道で考えてた」
    「で、どう?」
    「だいたい読めた」

 コトリが知恵の女神と呼ばれるのはダテじゃないのよ。コトリこそ天才だと思ってる。たしかに知識の習得能力だけならコトリを上回るけど、発想力は及ばないのよ。ハズレも多いのがネックだけど。

    「とにかく謎の文字やけど、書いてあるのはエラム語やろ」
    「そのはずよ。そうじゃなきゃ、そもそも読めないし」
    「そやから、まず字一個ずつに数字を割り振っていった」

 そこから始めるよね。

    「出てきた文字は八十個やった」
    「多いわね。エラムの表音文字は六十個なのに」

 エラム語は日本語と似ていて表意文字と表音文字を合わせて使うの。

    「そうやねん。表意文字が混じると厄介やねんけど、数字も入ってると考えた」
    「表意文字が入る可能性は?」
    「まあ焦らんと」
    「意地悪」
    「それとやけど神韻で書いてあると思うねん」

 神韻は主に祭祀文で使われるもの。色んな仕掛けが施されるんだけど、まず特定の節回しで読むと、あるイメージが頭に浮かぶようになってる。女神賛歌もそうなんだけど、たとえば、

    『恵み深き主女神に感謝』
 こんな感じかな。さらに本文にも仕掛けがあって、今なら縦読みみたいな感じで別のメッセージも織り込まれるの。このメッセージの読み込みは二重三重の仕掛けが施される事も珍しくないの。

 神韻文は初代の主女神が得意だったけど、コトリも読むのも書くのも上手だった。わたしはどっちかというと苦手。そりゃ出来るけど、コトリみたいには出来ないもの。

    「今でも書けるんだ」
    「博士論文も神韻で書いたるつもり」
    「なんて織り込むつもり」
    「そんなもの『一発やりたい』に決まってるやろ」

 はははは、コトリらしいけど、エレギオン語の博士論文なんて通るのかしら。まあユウタではそこまで読めないとは思うけど。

    「でもさぁ、読み込み文はカギがわからないと読めないんじゃない」
    「そこやねんけど、初代主女神は誰のために書いたかやんか。神韻が読み書きできるのはコトリとユッキーだけ言うてもエエやん」

 アラッタの上位神官クラスなら読めるのもいたけど、エレギオンに移住してからは初代主女神とコトリとわたしだけになったものね。あれは初代主女神が晩年に書いたものだから、二人へのメッセージ以外に考えられないものねぇ。

    「初代主女神は色んな仕掛け使ったけど、コトリとユッキーがわかるもんの可能性が高いと見た」
    「それで、それで」
    「まあ見てえな」

 コトリに見せられたのは数字の羅列。エラム語には大文字小文字の区別は無いし、神韻で書く時は区切りを付けないから、見ただけで頭が痛くなりそう。それでも、

    「特定パターンを見つける訳ね」
    「そうやねん。まず冒頭部だけど初代主女神やったらどう書くかや」
    「ありそうなものだったら・・・」
    「それだったら文末形式も神韻なら・・・」
    「そやろ、そやろ」

 さすがはコトリね。

    「・・・ここでこれぐらいわかるやんか。わかる部分の数字を文字に置き換えるとこうなる」
    「あっ、それならここのところは決まり文句ぽくない」
    「そやろ。そう仮定すると、この文字もこの文字もわかるやん」
    「すごい、すごい」
    「その調子でドンドン埋めて行ったら、じゃ~ん、ほら」

 コトリが一枚の紙を取りだして渡してくれた。

    「残ってるところがあるじゃない」
    「数字か表意文字のどっちかやと思うけど、表意文字の可能性が高そうや」

 さて書いてある内容だけど、たいしたこと書いてないな。

    「ハズレかな」
    「コトリもそう思てんけど、カギずらしで読んでみ」

 神韻文の書き方の一つだけど。

    「えっと、最初のところは
    『そは表にあらず』
    こう読めるけど、後は意味がないね」
    「やろ」
    「後ろから右上がりカギはずしで読んだら」
    「あっ」

 こ、これは・・・

    『安ぜよ、
    戻りし者はイナンナにあらず』

 シオリが主女神として復活するってことなの。でもこれだけじゃ、

    「コトリ、三重神韻の可能性は」
    「見つけた。曲がりカギ外し二段跳びや」

 よく見つけたものね。

    『我○○を倒しけり、
    されど死なず、砕けたるのみ、
    そを○○に託し封ず。
    されど時は永遠、
    甦りたる時は我も甦らん
    我が力、深く封ぜん』
 これは・・・なんてことなの。

シオリの冒険:ラテラノ宮殿

 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂はローマの四大バジリカの一つとされ、ラテラノ宮殿が隣接している。ヴァチカンの外にはあるけど、まあヴァチカンの飛び地みたいなところでイイと思う。

 ラテラノ宮殿は四世紀初めから千年に渡って教皇の宮殿として使われてた。まさか首座の女神が訪れることになるとは感慨深いわ。ここはルチアの天使にとって敵の大本営みたいなところ。

 シチリア時代はここから使徒の祓魔師が派遣されてたはず。使徒の祓魔師の目的はルチアの天使の排除。真の目的は聖ルチアが隠し持ってると思いこまれていたオリハルコン、つまりプラチナの奪取。

 そいでもってヴァチカン側の司令官がイスカリオテのユダ。もっとも当時はそこまでお互いに知ってた訳じゃなく、断続的に襲ってくる使徒の祓魔師をコトリと二人で始末してた。そうねぇ、特撮シリーズで現れる怪人をやっつける正義のヒーローみたいな役かな。向うから見たら違ったろうけど。

 最後の使徒の祓魔師が現れたのが千年前だったかな。ラテラノ宮殿もクレメンス五世がアビィニヨンに移ってから荒廃し、さらに火事が起って建て直されてるから当時と同じじゃないけど、そこをルチアの第一の天使が訪問するとは時代も変わったもの。

    「どうぞこちらへ」

 来意を告げると案内されたんだけど、

    「ウルジーノ猊下、本日は教皇聖下の特別の思し召しにより御許可を頂き恐悦至極でございます」
    「では案内しよう」

 宮殿の奥深くに入り、やがて目の前には大きな扉が。ウルジーノ枢機卿は、

    「ここから先は教皇聖下の許可を得たものしか入る事は叶わぬ」

 クラシックなカギで扉を開けて枢機卿と二人で扉の向こうの長い廊下に、

    「ユダよ、ここもだいぶ変わったのか」
    「ああ、火災のためにほぼ建て直してかなり小さくなっている」
    「ここは焼けなかったのか」
    「焼けたよ」
    「文献や資料は」
    「アビィニヨンに持って行ってたから無事だった」
 ラテラノ宮殿のこの一角は異教の間とも呼ばれ、ヴァチカンでも限られた人しか知らない秘密の部屋。もともとはキリスト教布教のために、他の宗教の教義を分析していたところとも言われてる。

 教義の分析のために他の宗教の資料が大量に集められ保存されている。キリスト教の布教のために他の宗教の教典とかを焼いたりしているが、実は殆どはここに保存されているとも噂されている。

    「それにしてもユダ自ら案内とは恐縮するな」
    「恐縮じゃなく緊張だろう。それは私も同じだ」

 ユダを以てしてもこの部屋への入室許可を取るのは大変だったようで、ようやくユダことウルジーノ枢機卿の監視の下での閲覧が許可されたぐらいのようだ。

    「こんなところで首座の女神とやりあう羽目になったら、どちらかが必ず死ぬからな」
    「殺伐としておるな。密室でこんな可愛い女の子と二人きりだぞ。デート気分ぐらいになれぬか」
    「世界一危険なデートだな。それにこれでも聖職者だ」

 まあ、わたしもかなり緊張してる。一瞬の油断が生死を分けかねないもの。

    「長いデートはお互いの精神衛生上よろしくないから、少しお手伝いしよう」
    「それは助かる」

 これは掘り出し物があるかもしれない。ユダが手助けをするという限りは隠したいもの、見せたくないものがあるはず。でも、それをどうやって見つけるか。

    「どうせ信用していないだろうが、首座の女神が求めるものはここにはない」
    「それはわたしが決める」
    「悪いが今日だけだぞ」

 正直なところ、これだけの文献や資料の中から欲しい情報を見つけ出すのは難しい。ましてやユダの監視下でだよ。ユダも妨害するだろうし、そもそも、もう他の場所に移しているかもしれない。開き直るか。するとユダが、

    「首座の女神には見えるか」
    「なにをだ」
    「このユダさ」

 何が言いたいのだ。見えるに決まってるが、

    「今日は信用しても良いのじゃないのかな」

 こ、これは迂闊だった。

    「もうそこまでか」
    「大変だ」
    「だろうな」

 ここまでイエスの力が増大しているのか。

    「どうなる」
    「わからん。取って代わられても不思議ない」
    「新キリスト教でも始めるか?」
    「趣味じゃないが、やりかねない」

 ユダはある部屋に案内した。質素だがソファもあり応接室風になってる。

    「ユダよ、今日は信用しよう」
    「何が聞きたい」
    「誰なんだ」

 ユダは少し間を置いて、

    「共益同盟の本部跡に行ってみた」
    「ご苦労様なことだ」
    「そこにあった」

 まさか、

    「それはエンキドゥの秘法の跡か」
    「さすがに察しが良い。実物は初めて見るが、伝えられる通りとしてよい」
    「ユダは知っておるのか」
    「さすがに知らない。しかし研究していた時期があった。お互い時間だけは売るほどあるからな」

 あの秘法は知る限りエンキドゥのみに行われたはず。

    「エンキドゥが行ったのか」
    「あの術はエレシュキガルの内部から使うのは無理だ。基本は外部から作る脱出口みたいなものだからな」
    「となると太陽神ウツなのか」

 ウツの系譜は伝承によるとエンメルカルに伝わり、さらにルガルバンダ、ギルガメシュと続くはずだが。

    「首座の女神はエレギオンに移住したから知らぬのは無理ないが、シュメールから神は去って行ったのだ。それがシュメールの王朝の終焉の原因の一つだ。私もパレスチナに動いた」
    「ではウツはラーに」
    「そういうことだ」

 まさか、

    「ならばクレオパトラもウツか」
    「それはクレオパトラを見たことがないからわからない。たぶん違うと思うが・・・」

 ウツはアッカド神話では男神となっているが、本来は女神。もっとも男性に宿主を乗り換えた可能性はある。

    「話を戻すが、ウツがエンキドゥの秘法を使えるとして、誰を助けたのだ」
    「それが問題だが、残念ながらわからない」

 ホントかな。

    「今言えそうなのは、ウツは生きている。さらにウツは誰かをエレシュキガルの冥界から助け出している。エンキドゥの秘法ではエレシュキガルの軛は外せないが、無くなってしまったと見ることは可能だ」
    「アンはどうなのだ」

 ユダは思い出すように、

    「アンはイナンナにやられた。聞きたいのはアンが取り込んでいた神々であろうが、首座の女神が想像している通り、多くは甦った。甦ったが・・・」
    「甦って、どうなった」
    「短期間の内に消えた。エレシュキガルが動いたのだ」

 ちょっと待て、そうなると、

    「だからシュメールから神は去ったと言うのか」
    「私はそうだった」

 ユダは笑いながら、

    「エレシュキガルは強大だった。エレシュキガルを倒すには外部からでは不可能とされ、内部からのみ可能とされていた」
    「だからイナンナも、エンキドゥも」
    「あの二人が敗れてから無敵と見なされていたが、まさかやられるとはな」

 ユダは時計を確認し、

    「悪いが時間だ。本を読んでもらえなかったことを遺憾とする」
    「どうするのだユダ」

 ユダは笑いながら、

    「生き残って見せるさ」
    「逃げるのか」
    「そうしたかったが、イエスが許してくれそうにない。また会える日を楽しみにしている」