シオリの冒険:ミュンヘン・バトル

 当日は審査会場にサキ先輩と見に行った。公開審査と言っても各国語が入り混じるので同時通訳の都合上で人数制限があり、審査員の推薦者のみの入場。ツバサ先生はサキ先輩とアカネをなぜか選んでくれてた。

 今回は平穏無事で済んで欲しい半面、暴れるならどこまでやらかすかの野次馬根性が半分ぐらいかな。アカネは審査基準とかで荒れると予想してたんだけど、まさかのいきなりだった。

    「審査員の資格に疑問あり」

 言いだしたのはスウェーデンのルーマン先生。なんとツバサ先生が審査員になるのはおかしいと主張しだしたのよ。ツバサ先生は、

    「ルーマン先生。わたしは押しかけで審査員になった訳ではなく、招待されています。資格としては十分でしょう」

 おっとツバサ先生冷静だ。これで審査委員長のミュラー先生が丸く収めてくれれば、ここは問題ないと思いきや、

    「私もミス・アサフキが審査員に呼ばれたことは不思議だった」

 おいおい、審査委員長が煽ってどうするんだよ。

    「ではルーデル先生にお聞きしますが、審査員の資格に必要なものはなんでしょうか」
    「それは実績だ。たとえば権威あるコンクールでの受賞歴とか・・・」

 ここでツバサ先生は、

    「では審査委員長のミュラー先生も、そうお考えでしょうか」
    「必須とまではいわないが、ここの審査員になるぐらいであれば、あって当然ぐらいだ」

 ミュラー先生で有名なのは、

    『ミュラー風写真』

 これで一世を風靡したこともあるし、アカネも真似したことがあるし、アカネだけでなく写真好きなら一度は真似したことがあると思う。それぐらいの有名写真家であり大家でもある。そしたらツバサ先生は冷やかに、

    「ではミュラー先生の輝かしい受賞歴でも、お聞かせ頂きましょうか。なにしろ審査委員長ですから、さぞかしご立派なものがお有りでしょう」

 あれっ? ミュラー先生が困った顔されてる。あれだけ有名だから、いくらでもありそうなのに、

    「あら、ミュラー先生、多すぎてお忘れになられましたか?」
    「いや、その・・・」
    「あって当然ですものね」
    「その・・・」

 なんで困ってるんだろ、

    「多すぎて覚えておられないようですから、わたしが代わってお答えしましょう。エルデン村夏至祭写真展子どもの部の佳作です。他にございましたらどうぞ」
    「ど、どうしてそれを知っている・・・」
    「あら、間違いでもございましたか」

 なんじゃそれ、そんなの受賞歴には普通は入れないけど、

    「他にどんな輝かしい受賞歴がございますか」
    「それは・・・」
    「それは? どうぞご遠慮なされずに」
    「・・・ない」

 えっ、たったのそれだけ。それだったらアカネの神戸まつり協賛写真展高校の部入選の方が上じゃない。目くそ鼻くその世界だけど、プロとして自慢するほどの受賞歴じゃないものね。

    「ではミュラー先生はエルデン村夏至祭写真展子どもの部の佳作が、審査委員長に相応しい権威ある受賞歴とされておられるのでよろしいですね」

 ツバサ先生も皮肉がキツイな。ミュラー先生は黙り込んじゃった。

    「ルーデル先生、他に御意見は?」

 ルーデル先生も俯いたままだ。でも、これは喧嘩じゃなくて議論だよね。ツバサ先生はゆっくりと、

    「写真家に取ってコンクールは一つの目標ではありますが、これが到達点ではございません。あくまでも利用すべきステップに過ぎないということです」
 たぶんミュラー先生も似たようなものだと思うけど、ツバサ先生もコンクール受賞歴はないのよね。だってさ、いきなり衝撃のデビューで大ブレークしちゃって、新進気鋭時代さえ一気に飛び越えちゃってるもの。

 コンクールが必要な写真家は、アカネのようにこれから売り出したい連中が対象。プロの目標はツバサ先生の口ぐせである、

    『食えるようになること』
 写真家にとってコンクールはあくまでも新人戦であって、過去の業績が評価されるノーベル賞みたいなのとは位置づけがちょっと違うのよねぇ。この辺は報道写真となるとまた変わって来るけど。それにしてもツバサ先生、ミュラー先生の受賞歴なんて良く知ってたな。それも子どもの時のだよ。


 これぐらいなら平穏と思っていたら、

    「やはりミス・アサフキの審査員資格には問題があると考えます」

 おいまたかよ、アイツは誰なんだ。

    「トラース先生。理由を伺いましょう」
    「ここはユーロ大賞、域外の人が審査員になるのはどうかと」

 ツバサ先生は何かを思い出すように。

    「ジャック・レモン、アレクサンドル・ミハルスキー、サンドラ・エドワース・・・」

 名前を次々と読み上げ最後に、

    「・・・加納志織。なにかご意見でもございますか」
 これはこれまでのEC域外の審査員の名前に違いない。アカネでも聞いたことがある有名写真家も入ってるもの。でも故人ばっかりなのに良く知ってたもんだ。

 それにしても無礼だよな。ここは公開審査の会場だよ。審査員の資格問題なんて議論するところじゃないじゃない、つうかツバサ先生を呼ぶ前に済ませとく話だよ。よくツバサ先生があそこまで我慢されているのに感心するわ。

 こんな調子で始まったもんだから、この後にどんな修羅場が待ち受けているかとハラハラ、ドキドキしてたんだけど、その後はまるで何事もなかったかのように公開審査が行われて終了。

 でもね、でもね、審査後の受賞者発表の記者会見で質問が一番多かったのがツバサ先生。なんかユーロ大賞より、公開審査冒頭のやりとりの方が余程記者たちの関心を引いたよう。まあ、そうなるよねぇ。ここでツバサ先生が爆弾をさく裂させるかと思いきや、

    「この麻吹つばさの審査員資格に問題が無かったのは、皆さまがお聞きになられた通りです。それ以上の感想はございません」

 ツバサ先生は表彰式もあるから、アカネたちは先にホテルに帰ったんだけど。帰り道からサキ先輩と二人で憤慨してた。非常識にも程があるじゃないの。部屋に入ってからも二人でヒート・アップしまくってたんだけど、そこにひょっこりツバサ先生が顔を出されたの。

    「先生、あの場であそこまで言われるのは無礼にも程があります」
    「そうですよ。先生なら、コップの水ぶっかけて、机をひっくり返すと思ってました」
    「いや、先生の事なら塩を持ちこまれていて、ぶっかけるはずだと」
    「それもバケツに一杯ぐらい」
    「それぐらいじゃ、気が済みませんよ。バット持って・・・」
    「いやダンビラ振り回して」
    「マシンガンをぶっ放すとか」
    「爆弾ドカン」
    「ミサイル乱射」
    「ICBMを雨あられ」
    「全面核戦争だ」

 ツバサ先生はあきれ顔で。

    「おいおい、わたしの事をそんな人間と思ってたのかい」

 サキ先輩と二人で声をそろえて、

    「もちろんです!」

 ツバサ先生は苦笑いしながら、

    「イイ勉強になっただろ。ヨーロッパとかに来るとこんな扱いは普通だよ。黄色人種の上に若い女だからね。これぐらいは、どこでもあり得るってこと。お前らも一人前になって、こっちに来たらあれぐらい覚悟しときな」

 えっ、わざわざそれを見せるために!

    「さて、これから受賞パーティがあるから行ってくるわ。晩飯はスタッフと食べといて」

 さすがはツバサ先生と思ったけど、なにかモヤモヤしたものが。そりゃ、鮮やかに切り返してギャフンと言わしたけど、あまりにも場馴れしすぎてる感じがする。ツバサ先生だってそれほど経験があると思えないのにまるで、

    「ああ、いつもの奴」
 そんな感じで対応していたようにしか感じなかったもの。ツバサ先生はやっぱり・・・

シオリの冒険:撮影旅行

 ツバサ先生に呼ばれて、

    「アカネ、一緒にヨーロッパに行くよ。準備しといて」
 ツバサ先生には海外からのオファーもあるんだけど、国内での仕事がどうしても優先になってて、だいぶ溜め込んでたみたい。この辺はアカネが足を引っ張りまくったコントの影響もはっきり言わなくてもある。それがユーロ写真大賞の審査員に招かれたから、この際消化してしまおうの話になってた。

 行くのはツバサ先生とサキ先輩とアカネと、オフィスのスタッフが三名。女三人、男三人の六人編成。予定はバルセロナ、マルセイユ、パリ、アムステルダムと回り、ユーロ写真大賞が行われるミュンヘンに。そこからロマンチック街道の都市を幾つか巡りながらウィーンに向かい、フェレンツエからローマってプラン。

 アカネも大学時代に香港には友だちと行ったことあるけど、ヨーロッパは初めて。それもこれだけの長期旅行でワクワクしてた。関空からバルセロナに飛んだんだけど、これが二十時間ぐらいかかってウンザリ。

 驚いたのはアカネやスタッフがエコノミーなのは当然だけどツバサ先生もエコノミーだったこと。てっきりビジネス使われると思ってた。とにかく機内が長いからあれこれ話が出来た。

    「ツバサ先生の高校時代は地味だったんですね」
    「鶏ガラで驚いたかい」

 良い機会だから聞きだしてやろうと思ったけど、

    「成長期って遅れてくるのもいるみたいだねぇ。自分でもビックリしたよ」

 そう言われてしまったらツッコミようがなくなっちゃった。度胸についても、

    「あれ? 自信かな。心境の変化ってやつの気がする。ある時に自信が付いちゃって、高校時代の友だちに会うとビックリされるよ」
 これ以上は今の時点で突っ込むのは難しそう。とにかく時間があるからあれこれ話をしたけど、とにかくこういう時のツバサ先生はざっくばらん。写真哲学の話もあったけど、バカ話もテンコモリ。ただだけど、なんとなくツバサ先生は高校時代の話を避けてる感触があるのよね。もちろん高校時代なんかツバサ先生にとって暗黒時代みたいなものだから、避けたいのはわからなくもないけど。


 やっとこさバルセロナに着いてホテルに入ったんだけど、

    「ここ!」

 てなぐらいの安っぽい宿。ツバサ先生なんか、

    「やった当りだ、ちゃんと水が出る」

 そのレベルってところ。でも驚いたのは安宿だからじゃないんだ。アカネやサキ先輩ならそのクラスで納得するけど、ツバサ先生も一緒なんだよ。もっとビックリしたのが部屋割り。二つしか部屋を取ってなくて、

    「今夜は悪いけどアカネはエキストラ・ベッドでね」

 どうも三人ずつの部屋割りみたいで、ベッドも順番に変わっていくみたい。

    「ツバサ先生がエキストラ・ベッドの日もあるのですか」
    「あったり前だろ、師匠を床に寝かせるつもりなのかい」

 食事だって一緒。食事が終われば翌日の撮影計画の最終確認だけど、

    「ここで撮って、ここに回って、そうそう、ここが拾いもののスポットなのよ。ただ光線の向きが大事だから・・・」

 どうしてツバサ先生はこれだけ詳しいのだろう。たしかツバサ先生はマドリードには行ったことがあるけど、バルセロナは初めてのはず。翌日から撮影が始まったんだけど、朝は早い。バルセロナでは風景写真がメインだけど、朝の光って効果的なんだ。

    「アカネ、そっちじゃない、こっちから回って撮って行くんだよ」

 夜明け前からスタンバイして撮っていくんだけど、日が昇るにつれて光線の角度が変わるのを知り尽くしたように動いて行かれるの。この辺はアカネもツバサ先生の意図がだいぶ読めるようになってから、

    「アカネ、やるじゃん」

 褒められちゃった。もっとも直後に、

    「そうじゃない!」

 まだまだ半人前ってところ。十時ごろになって、

    「ちょっと押してるからランチはボカディージョにしよう。悪いけどアカネ、買って来てくれる。わたしはヴィグエタにするけど、好きなもの買っといで。店はコネサでね。支店が近くにあるわ」

 ボガディージョとかヴィグエタって何よと思ったらサンドイッチのこと。言われた通りのところにあったけど、行列が出来てた。こういう事もあろうかとスペイン語のトラベル会話本覚えてたけど、少々苦戦して買って帰ると、

    「お茶を忘れてたけど、まいっか。アカネに頼むと渋すぎるし。トットと食べたら、次行くよ。でも喉乾くから、誰か渋くないのを買ってきておいて」

 今日のツバサ先生は御機嫌みたいで、快調に飛ばされて行きます。アカネは時差ボケも残っていてヘトヘト気分になってたら、

    「よっしゃ、良く働いた。今日はここまで」

 あれ、まだ十四時ぐらいじゃない。そしたら、

    「食事だ、食事だ」

 大衆食堂っぽいところに連れて行かれ、ガッツリ。ビールやサングリアもガンガン。

    「後はホテルに帰ってシエスタ」

 このリズムがスペイン流だとか。それにしてもツバサ先生、どこに行ってもクソ度胸。初めて入った店のはずなのに、まるで十年来の常連みたいに、

    「オゥラ!」

 そりゃ大きな声でズカズカと入り込んじゃうし、他の客に声をかけられるし、ツバサ先生からもかけて回ってる。最後は肩組んで飲んでたものね。スペイン語まで話せるのかと感心していたら、

    「わかんないよ、ああいうものはノリでOK」
 サキ先輩も言ってたけど、ツバサ先生は弟子には厳しい面もあるけど、仕事の時はチーム感覚を凄い大事にするって。なんて言うのかなぁ、同じ目的を持つ同志で熱く燃えられないとイイ仕事が出来ないぐらいかな。今回の取材旅行でチーム・ツバサの端っこにぐらい入れた感じがしてる。


 いよいよミュンヘンってところでサキ先輩がちょっと心配顔。

    「どうされたんですか」
    「ツバサ先生って写真になると鬼になるじゃない」

 それは骨の髄まで知ってる。

    「ツバサ先生は基本的に審査員を避けられてるのよ。これは忙しいのもあるけど、やれば喧嘩になるからって」

 たしかにそういう面はある。とにかく『妥協』の二文字の無い人だし。

    「それをわざわざ受けられてるじゃない。変だと思わない」
    「それはヨーロッパ取材のついでじゃ」
    「そういう名目だけど、やらなくてもイイじゃない」

 言われてみればそうだ、

    「思うんだけど、小さなコンクールならともかく、大きなコンクールの方が喧嘩になりやすいじゃない。とにかくツバサ先生は好き嫌いがはっきりしてるし、嫌いとなれば塩まいて追っ払うぐらいだよ」

 ホテル浦島の時も凄かったって聞いてる。

    「それをあえて受けたのは・・・」
    「誰かと喧嘩する気がマンマンとか」
    「他に考えられない」

 サキ先輩が言う通りタダでは済まなそう。えっ、あっ、そうだ、

    「たしか審査って公開でやるんじゃ」
    「そうなのよ、あそこの特徴で、密室でコソコソ決めるんじゃなくて、各審査員がどう評価しているか筒抜けでやるのよ」
    「だったら、大人しく・・・」
    「してくれると思う?」
 しないと思う。アカネも心配になってきた。

シオリの冒険:アカネの疑惑(2)

 そんな頃にスタッフに密かに呼び寄せられて、

    「アカネちゃんに特別任務をやってもらう」
    「任務ですか」
    「そうだ・・・」

 オフォスの忘年会は盛大に行われるのだけど、その時にツバサ先生の過去を暴く企画をやりたいって。

    「そんなことをしたら」
    「だいじょうぶ、一昨年はツバサ先生がサトル先生の初恋の人まで暴露してたから、社長命令でもある」
 こういう企画になるとアホらしいぐらい盛り上がるのがオフィス加納。去年の仮装パーティだって、どれだけ気合が入っていた事か。スタッフたちはオフィス加納の名を使ってツバサ先生の母校に取材許可までもう取ってるんだもの。

 これもタマタマかどうか不明なんだけど、加納先生も、ツバサ先生も明文館高校出身で、お二人とも写真部。取材の名目もツバサ先生の高校時代を探るにしていて、ツバサ先生の許可まで偽造してた。そこまでやるかと思ったよ。

 オフィス加納からの偽装でも正式取材だから写真部顧問の高木先生が応対してくれた。騙すようで心が痛んだけど、ツバサ先生の高校時代を知ることが出来るワクワク感も強かったのは白状しとく。

 話を聞くと高木先生はツバサ先生が卒業された後に赴任されたらしく、会ったことはないそうなの。だから気を使ってくれて、ツバサ先生を知っている藤本先生まで同席してくれてた。藤本先生は、

    「麻吹君ねぇ。悪いけど印象が薄くて・・・でも今とはだいぶ違う気がする」

 顧問の高木先生が写真部に残っていた、ツバサ先生が写っている写真を見せてもらったけど、

    「これがツバサ先生ですか」
    「そうなってるけど」

 そしたら藤本先生が、

    「うん、間違いない。高校の時の麻吹君はこんな感じだった」
 他にも卒業アルバムでも確認したけど、はっきり言って別人みたいだった。これも高木先生がわざわざ探し出してくれて、ツバサ先生の写真部時代の作品も見せてくれたけど。申し訳ないけど、ごくごく平凡。

 それとこれはアカネが頼んでたんだけど、加納先生が写ってる写真も探してもらってた。さすがに六十年以上前だから卒業アルバム程度しか期待していなかったんだけど、

    『ドン』

 なんじゃ、この雑誌の山は。表紙を見ると加納先生の特集雑誌みたい。それもだよ二十冊ぐらいあるじゃない。内容は加納先生のスナップ写真がテンコモリ。ザッと読むと高校時代の加納先生は『女神様』と呼ばれるぐらいのスーパー・アイドルだったみたい。高木先生は、

    「この三倍ぐらいあったらしいのですが、学校に残ってるのがこれぐらいで・・・」
 バックナンバーを見るとトビトビになってた。でもだよ、ここは高校だよ、それも県立の伝統名門校じゃない。どれだけの進学校かはアカネでも知ってるぐらいなのに、どうしてこんな雑誌が発売されるのよ。

 加納先生はさすがに若い。でも高校の時からこんなに綺麗だったんだ。そりゃ特集雑誌の一つも出ても不思議無さそう。普通は出ないけどね。変わった高校も世の中にあるもんだと思ったもの。

 高木先生や藤本先生にお会いしたのは応接室だったんだけど、ふと見上げると一枚の写真が額に入れて飾られてるの。これもかなり色あせしてるんだけどキャプションに。

    『県大会決勝進出記念』
 高木先生や藤本先生も聞いただけの話だそうだけど、かつて夏の甲子園の県予選の決勝まで進んだことがあり、その時の記念だそうなの。でもさぁ、こういう写真ってナインの集合写真ぐらいが定番のはずじゃない、それがなんと応援風景。

 写真はスタンドの応援席を写したものだけど、最前列に机を並べ、その上でボンボンを持ったチア・リーダーが三人写ってる。というか、この三人をメインに撮ったものとして良さそう。よくよく見ると右側のチア・リーダーは、

    「こちらは加納先生ですよね」

 それにしても三人とも美人だ。加納先生は特集雑誌が出るぐらい綺麗だったのはわかったけど、残りの二人も勝るとも劣っていない。だから記念写真に残っているのかもしれない。それにしても、この学校ってどんだけ美人が集まる学校だったんだろ。

    「後の二人はどなたですか?」

 残念ながら知らないって。仕方がないよね、六十年以上前の話だもの。後は許可をもらって校内の撮影させてもらった。これも今どきのことで、

    「くれぐれも生徒が特定できる写真は撮られませんように」
 帰りの電車の中で考えてたんだけど。一番の謎は写真の技量。高校時代の麻吹つばさは正直なところ高校写真部のそれも並レベル。にもかかわらず、たった三年後に、あのブレークするほどのテクニックを身に付けたことになっちゃう。これはあまりにも不自然過ぎる。大学三年間で突然の才能開花で説明するには、どう考えても無理がある。

 次にツバサ先生の容姿。高校時代の麻吹つばさと今のツバサ先生は別人って言うほど変わってること。もちろん高校生から大学生、さらに社会人になって変わる人は男も女もいるのはいるけど、それにしてもの変わりようってぐらい。

 高校から大学・社会人になって変わるのがいるのは知ってる。一番多いのは、高校時代はポッチャリを越えてデブだったのが、ダイエットとシェープ・アップで変わるタイプ。アカネの友だちにもいるから知ってるけど、あれは贅肉を落としたら本来のボディが出てきたぐらいで説明可能と思ってる。

 逆もある程度はいる。高校時代に痩せっぽち過ぎたのが、適度に肉が付いて魅力が出るタイプ。ツバサ先生の高校時代は鶏ガラ・タイプだから強いて言えばこっちだけど、これだけでは説明するのは無理がテンコモリ。

 今のツバサ先生はグラマー。ポイントは豊満なバストとヒップになるけど。間違ってもデブじゃない。お風呂も一緒に入った事があるけど、そりゃ見事なボディで贅肉なんてどこにもない引き締まった体なのよね。まるでギリシャの女神の彫刻みたいな感じ。

 わかるかな。鶏ガラ・タイプに肉が付くと、ヒップぐらいは豊満になってもバストは変わらないのよ。そもそもヒップが豊満になるぐらい肉が付いたら、体全体がデブになるじゃない。いくらまだ成長期だからと言っても、高校から大学でバストが洗濯板からホルスタインにまで成長することはありえないもの。


 もう一つ出てきた謎は加納先生。あんな特集雑誌が何十冊も出されるぐらい綺麗だったのはわかったけど、オフィスに残されている写真より明らかに若い。そうなると高校時代からいくつか歳を取られてから、ある時点で歳を取らなくなった事になる。

 加納先生は写真で見る限り死ぬまで二十代半ば過ぎだったみたいけど、高校時代からそこまで歳を取って、そこで突然止まり不老化したことになる。これも説明も理解も不能だけど、事実であることだけは間違いない。

 ツバサ先生が加納先生と同様に不老化しているかどうかは、もう少し年数が経たないとはっきりしないと言うものの、高校時代の麻吹つばさからツバサ先生への大変身が大学時代に起ったらしいのは確認できたと思う。


 忘年会の暴露写真は大受けした。ツバサ先生が、

    「やめてやめて、それだけは見せちゃダメ」

 そう叫んで大暴れするのをスタッフ全員で抑え込んでスクリーンに、

    「じゃ~ん、高校時代の鶏ガラ・ツバサ先生です」

 怒られなかったかって? この手の悪ふざけは大好きだから、

    「覚えてろアカネ、来年はオネショの写真を探し出してやる」
 これぐらいのリアクションで盛り上がってた。


 忘年会での乱痴気騒ぎの帰りにふと思いついたの。ツバサ先生のスタイルは加納先生そのものじゃないかって。例の特集雑誌には水着の写真まであったのよ。あったどころか一冊丸ごと特集だった。今だったら問題になりそうだけど六十年以上前だからね。

 加納先生もナイス・バディだった。高校時代からナイス・バディだった。オフィス加納に残されている写真でもナイス・バディだった。加納先生は高校時代からナイス・バディだったから、そのまま死ぬまでナイス・バディだったのはわかる。

 ツバサ先生が加納先生の生まれ変わりなら、そのナイス・バディも受け継いだんじゃないかって。そうなのよ、加納先生が亡くなったのはツバサ先生が大学一年の時、それも前期の間。

 麻吹つばさの鶏ガラ・ボディがナイス・バディに変わったのは大学時代に特定しても良いはず。藤本先生の言葉が頭に甦って来る。

    「麻吹君は大人しくて、ちょっと上がり症というか、緊張過剰なところがあって・・・」
 それなのに今のツバサ先生のクソ度胸はなんなのよ。これも大学時代に変わったとしか考えようがないじゃない。だったら、だったら・・・

シオリの冒険:アカネの疑惑(1)

 これは入門した頃の話だけどサキ先輩に。

    「ツバサ先生をシオリ先生って呼ぶ人もいるのは知ってるよね」

 そうなのよね。シオリといえば故加納志織先生が思い浮かぶんだけど、

    「アカネもシオリ先生って呼んでもたぶん怒られないけど、部外者の前で呼ぶのはタブーよ。サキはなんかややこしそうだからツバサ先生としか呼ばないけど」

 アカネもそうしとこう。

    「どうしてシオリ先生って呼ばれるのですか」
    「サキも知らないけど、サトル先生や古いスタッフの人はそう呼ぶのよね」

 そういえば、

    「サトル先生は社長だし、ツバサ先生の師匠だし、年長ですけど・・・」
    「ああ、それ。あのお二人の関係も良くわかんないのよ。どう見ても逆になってるものね」
    「出来てるとか」
    「それは多分ない」

 出来て無さそうなのはアカネも同意。

    「アカネちゃんもとにかく注意しといてね」
 ツバサ先生もよくわからないところがあって、経歴を見ると大学を四年で中退してサトル先生の弟子になってるのよね。この辺はアカネも似たようなものだけど、どうして弟子になったかも不思議と言えば不思議。

 当時を知るスタッフから聞いたことがあるのだけど、ツバサ先生が入門した頃のオフィス加納は倒産寸前だったみたいなの。スタッフの給料は大幅に削られた上に遅配、遅配。この加納ビルだって何重にも抵当に入っていて、クビも回らない状態だったってさ。

 弟子がアカネも含めて三人しかいないのも、半分ぐらいは経営危機の影響と見て良さそうなの。なのにだよ、そんな潰れかけのオフィス加納にツバサ先生は弟子入りしてるのよね。よくサトル先生も弟子入りを認めたものだと思うけど、それ以前にツバサ先生がわざわざ、そんな潰れかけのスタジオの弟子になったのだろうって。


 それより驚くのはツバサ先生がブレークしたのもムチャクチャ早いのよ。入門してたったの三ヶ月だよ。三ヶ月って言えばツバサ先生に、

    『アカネも少しは回るようになったから、ギア上げるよ』

 この地獄の延長宣言を喰らって、のたうち回ってた頃なのよ。サキ先輩やカツオ先輩だってチョボチョボぐらいだったでイイと思う。じゃあ、じゃあ、サトル先生が甘いかって言えば、弟子のカツオ先輩は、

    『口調が丁寧で、優しそうなだけで、やってる事はツバサ先生とまったく同じ』

 これも『どうやら』らしいのだけど、そもそもツバサ先生は下働き時代もなかったみたいで、弟子入りしてすぐに仕事を任せられたみたいなのよ。そしてブレークしたのが、

    『光の写真』

 この写真もツバサ先生が編み出したものと思ってたけど、加納先生が駆使したテクニックみたいで、誰一人マネできないとされてたの。それをアッサリ出来てしまったから話題騒然みたいな感じかな。だって今だって、ツバサ先生以外には撮れないもの。だからブレーク当時からツバサ先生が比較され続けたのは、

    『世界の巨匠、加納志織』
 とにかく現存する写真家では、当時からそもそも比較にすらならないとさえ言われてたのよね。今じゃ、加納志織より上になってるで良いと思う。


 でもおかしいじゃない。ツバサ先生が在籍したのは学芸学部メディア創造学科だけど、そんなところで勉強した程度で、いきなりあれほどの仕事が出来るのが不思議過ぎる。そりゃ、カメラの腕だけなら天才でイイかもしれないけど、下働き技術だって完璧なのよ。

 アカネが出来なければ、ツバサ先生は手取り足取り、ガンガン説明付で教えてくれるんだけど、オフィスのどのスタッフより遥かに上手いんだ。レンズの手入れもかなり怒鳴られたけど、ツバサ先生が磨けば目を疑うぐらいに綺麗になるのよ。

 アカネにもそろそろわかって来たけど、ツバサ先生の技術の一つ一つは何十年も年季が入り倒したものとしか思えないのよ。これはサキ先輩の動きと較べても良くわかるもの。ツバサ先生の前ではサキ先輩でさえぎごちなく見えてしまうもの。アカネのことはとりあえず置いとくけど。


 それとこれは雑誌で読んだだけで、アカネじゃよくわからないところも多いんだけど、ツバサ先生の撮影法は、

    『フィルム時代の匂いがする』

 これを読んだ時に気づいたんだけど、ツバサ先生は連写をあまり使われないんだ。それだけじゃなく、連写を多用するカメラマンをあまり評価されないんだ。理由を聞いたこともあるんだけど。

    『あははは、三十六枚しかなかったから』
 なんの話かわからなかったんだけど、フィルム時代は一回に三十六枚しか撮れず、撮り切るとフィルム交換をしなければならなかったみたい。今みたいな高速連写なんかやったら一瞬でフィルムがなくなっちゃうぐらいかな。

 でもね、でもね、ツバサ先生は二十八歳なのよ。よほどの骨董趣味がなければフィルム・カメラなんか使わないだろうし、使おうとも思わないじゃない。大学の時に使っていたカメラも聞いたことがあるけど、

    『EOSのKISSよ』
 もうちょっとイイのを使っても良さそうなものだけど、そこは置いといても要はデジカメってこと。フィルム・カメラ時代の連写の上限が三十六枚なのを知識として知っているのは良いとしても、それを理由に現在の連写を否定的にとらえるのはオカシイといえばオカシイ。


 アカネの心の中に疑惑が湧いて来てるのよね。すべてのキーワードはサトル先生たちがツバサ先生を呼ばれる時の、

    『シオリ先生』
 これで説明できるんじゃないかって。加納先生は八十三歳で死ぬまで現役だったていうし、サトル先生なんて加納先生の八十歳の時の最後の弟子なんだよ。

 そうなのよ、ツバサ先生がシオリ先生の生まれ変わりなら、サトル先生を呼びつけで呼ぶのも、大学中退していきなり光の写真が撮れたのも、カメラ技術に年季が入っているのも、フィルム・カメラ時代の匂いもするのも全部説明できちゃうんだ。


 そこから気になって加納先生の事をあれこれ調べてみたんだ。加納先生も大学を中退してカメラの世界に飛び込んでいるのだけど、まず二年ぐらいで独立されてる。でも最初は失敗してるのよね。要は売れなかったってこと。

 そこからなんだけど、後の旦那さんの下宿に二年ぐらい居候してたらしいのよ。この時に光の写真を編み出したらしいけど、これもビックリするけど編み出したのは旦那さんで、加納先生は悪戦苦闘の末に習得したらしいとなってる。光の写真の誕生秘話はサトル先生でも知ってるけど、後はその写真を武器に売り出して行ったぐらいかな。

 二回目の売り出しの時もすぐさまブレークなんてことはなくて、ボロアパートの一室からオフィス加納は始まったってなってた。スタッフといってもアシスタントが一人だけ、とにかくなんでも自分でやらなきゃならなかったで良さそう。

 売込みも、取引も、交渉も、給与計算も、確定申告もなにからなにまで自分でやっておられて、当時はフィルム時代だったから、押し入れに暗室作って現像までしてたって。言うまでもないけど、炊事、洗濯だって全部そう。

 取材旅行と言ってもオンボロ軽ワゴンに機材を積み込み、コンビニお握りを買い込んで、素泊まりの商人宿みたいなところを利用してたって。食事代も事欠く時期もあったみたいで、メシも食わずに仕事してたって話もオフィスには残ってる。

 わかる? もしツバサ先生が加納先生だったら、すべてが説明できちゃうの。それだけ苦労してたら、カメラや撮影に関することだったら、なんでも出来て当然だし、年季だって半世紀以上になるじゃない。


 もう一つ加納先生とツバサ先生の共通点があるのよ。それは怖ろしいほどの美人であること。加納先生なんて、こうまで言われたらしいのよ、

    『撮られる女優やアイドルより、撮る加納志織の方が遥かに綺麗』
 それもね、若いころの話じゃなくて、八十歳を越えて死ぬまで変わらなかったとされてる。そんな事があり得るものかと思って、オフォスに残ってる加納先生の写ってる写真を調べてみたのよ。撮影旅行とか、忘年会とかのスナップ写真が中心だったけど、あれも不思議過ぎる写真だった。

 オフィスのスタッフも写ってるから比較しやすいのだけど、周囲のスタッフは、当たり前だけど年とともに老けて行くのよね。なのに加納先生だけはちっとも変わらないのよ。八十歳を越えてからのものもあったけど、若い時の写真と並べてみても、どっちが若いか区別できないなんて信じられる。

 気になってツバサ先生のも調べてみた。オフィスに入って六年分しかないけど、まったく変わっていないのよ。そりゃ、まだ六年だし、ツバサ先生も二十八歳だから、これぐらい若く見える人は他にもいるけど、アカネはツバサ先生も同じように歳を取らない気がしてきてる。


 だからといってアカネがどうなる訳じゃないし、ツバサ先生は相変わらずアカネを熱心に鍛え上げてくれてるけど、気になるのは気になる。サキ先輩に話したこともあるけど、

    『アカネちゃんは面白いこと考えるね。でもさぁ、加納先生が亡くなった時にツバサ先生はもう大学生のはずだよ』
 そうなのよね。ここは大きなネックで、生まれ変わりなら子どもの時からだろうって言われれば、何も言い返せなかったの。とにかく弟子修業が忙しくてしばらく忘れていたのだけど、最近になってしばしばお休みをくれるようになってるの。

 『くれる』というか、アカネがなんとか動けるようになって、撮影日数の延長が減って、ツバサ先生やスタッフの休日を潰さなくて済むようになっただけの事だけど、初めて休みがもらえた日は嬉しかった。その時にツバサ先生は、

    『撮ってきたら、見てやる』

 そりゃ、嬉しくて、嬉しくて、撮りまくって見てもらうのだけど、

    「あははは、素人丸出し日の丸写真。こういう場合はね・・・」
    「おっと、こういう時はだな、黄金分割を使うとイイんだよ・・」
    「これはトンネル構図に近いけどバランス悪いな、トンネル構図と言うのは・・・」
    「こういうのを放射構図って言うんだけど、だいぶ違うな・・・」
    「こりゃまた、中途半端な前ボケだな・・・」
 すべての写真に指摘の山を築かれちゃった。でも。でも、やっとカメラマンの勉強が始まった気分で最高。

シオリの冒険:ヴァチカンのユッキー

 ローマは初めだわ。シチリア時代だって対岸のタラントさえ行ってないものね。ユッキーになってからも、コトリとユダの協定があってイタリアは出入り禁止状態だもの。写真や動画で知ってるけど、やっぱり本物の迫力は凄いわ。

    「お客さん、着きましたぜ」
 タクシーで空港からやって来たのはサン・ピエトロ広場。前から来てみたかったんだ。夢が叶った感じ。もっともカソリックの連中には魔女として火炙りされそう、いや宿主はされちゃったから恨みはあるけど、人の世で四百年前の恨みを持ちだしても仕方ないか。

 今日のメインはヴァチカン美術館の見学。ヴァチカン美術館と言うけど、中は十二の美術館と五つのギャラリー、三つの礼拝堂があり、さらに広間やら回廊やら、何とかの間がゴッソリ。いわゆる『順路』で見て回るだけでも七キロメートルはあるとされる壮大なもの。

 言い方悪いけど歴代教皇がカネにあかせてかき集めたコレクションだけど、集めた理由はともかく、集まって保存されて、ここで見れると言うのは素晴らしいことだわ。ミケランジェロだとか、ラファエロだとかの作品がこれだけ見事に保存・公開されているのに感謝しなくちゃ。

 でも大きすぎるのもたしかで、歩いても歩いても終らない感じ。それも歩くのが目的じゃなくて世界遺産の団体さんみたいな芸術品の鑑賞が目的だから大変。でもこれも長年の夢だったから感激。喉も乾いたし、小腹も空いたのでカフェチェントラレで一休み。そこに一人の男がツカツカと歩み寄ってきた。ナンパなら歓迎だけどそうじゃないのよね。

    「何語にしようか」
    「シュメール語なら無難ね」

 ラフな服装をしてるけどウルジーノ枢機卿。

    「まずナルメルの件の礼を言っておく」
    「どういたしまして」
    「エレシュキガルはどうなった」
    「わからないわ。でも冥界の神々はすべて死んだで良いと思うよ」

 ウルジーノ枢機卿は信じられないって顔をして、

    「あなたがすべて始末したのか」
    「わたしや次座の女神、そしてユダでも無理なのは知っているでしょう」
    「そうだイナンナでさえ無理だった」

 そりゃ驚くよね、

    「エレシュキガルがあれで死んだかどうかはわからない。そもそもエレシュキガルに生死の概念があてはまるかどうかもわからないけど、生きてても当分は活動しないと思うわ」
    「さすがはエレギオンの女神だな」
    「そうそうユダも大変だったみたいね」
    「ああ、あれか。神も鉛玉には無力なところがあるからな」

 ユダの前宿主はエウスターキオ枢機卿。これがマフィアに襲撃されて蜂の巣になる事件が起こってる。

    「連中相手の付き合いなら計算内だ。五年ほど、ドンやって締め上げておいた」
    「ユダも好きね」
    「神によって楽しみは違うからな」

 ユダの趣味は蓄財なんだけど、マフィアから巻き上げるのが趣味。かなり巻き上げてるみたいで、おかげでマフィアの活動を牽制している部分はあるの。もちろん相手が相手だから時にドンパチに巻き込まれる。

    「わざと撃たれたんでしょ」
    「まあな、外からコントロールしにくいのが台頭したからな」

 ユダはコーヒーをオーダーして、

    「まず確認しておきたいのだが、これは協定破りか」
    「ユダがそうしたいのなら、いつでも受けて立つわよ」

 ユダにヴァチカンで話をしたいって連絡したら、電話口の向こうからでも緊張感が伝わって来たものね。これが逆のシチュエーションならわたしもそうなってたと思う。

    「こっちは遵守したいのだが」
    「わたしも出来ればそうしてもらえた方が望ましい」
    「では、なぜだ」
    「協定内容の改訂」

 ユダは苦笑いしながら、

    「目的は?」
    「そんなものイタリア観光に決まってるじゃないの」
    「では私も日本観光できるのか」
    「良ければ本社に御招待するわよ」

 考えてる、考えてる。この世で何が信用できないって、神の言葉ほど信用できないものはないもの。その神の中でも一番信用できなのはユダだけど、ユダだってこの首座の女神の言葉を同じぐらい信用してないよ。

    「イイだろう。その協定を呑む」
    「神と神の約束よ」
    「あははは、神を信じるのか」
    「他に何が信じられる」

 ユダはなにか思い切ったように、

    「どうもこちら側にメリットは少ない気がするが」
    「あらそう、こんな可愛い女の子に恩を売り付けられるじゃない」
    「売る方が怖いな。まあいい、売らせてもらおう。数日中には手配しておく」
    「助かるわ」

 目的はヴァチカンの図書館。それもローマ教皇の特別な許可が必要なところ。これはエレギオンHDを以てしても許可を取るのはまず不可能。だからユダに頼む必要があったの。教皇と言ってもユダの傀儡だからね。

    「日本でもなにか起ってるのか?」

 そこが一番気になってるよね。そうでもなければ、この首座の女神が命の危険を冒してまでヴァチカンに乗り込んで来るはずないものね。

    「イナンナがちょっとね」

 ユダの顔に緊張が走ってる。神にとって、これほどの緊急事態は他に考えられないぐらいかも。ためらうように、

    「これは伝えておいた方が良いだろう。イエスも妙なのだ」

 げっ、可能性だけはあると思ってたけど。だからユダも会う必要があると判断したか。わたしの顔色も変わってるかもしれないね。

    「ありがとう。わたしも一つ伝えておく。イナンナはローマにもうすぐ来るわよ」
    「イナンナが来るのか・・・」

 そりゃ考えるわよね。この微妙な事態の時にイナンナとイエスが接近する意味を。

    「あそこに目ぼしいものはない」
    「だったよね。ユダはあの部屋の主みたいなものだから」

 わたしも多くは期待していない。というか、ユダが許可を与えた時点で行く必要もないかもしれない。でもユダと言えども見落としている可能性はある。

    「うふふふ、お互いの破滅のカギがこんな時に接近するのはワクワクしない」
    「わははは、破滅のカギとは上手い表現だ。このイスカリオテのユダを信用せよと言っても無理があり過ぎるだろうが、まだ死にたくないのだけは信じてもらってもイイだろう」
    「それは信じるわ。死にたいなら、こんなところで油を売ったりしてないからね」
 ふぅ、ユダは行ったか。とりあえず死なずに済んだ。ユダも死にたくなかったんだろうな。このカフェの周囲に式神をビッシリ配備してやがった。コトリとコンビを組んでいるのならともかく、一人で勝てたかどうかは時の運だったよ。

 これだけ観光客が多いから、お互い連続ジャンプで逃げられないことはないけど、それでも何が起るかわからないのが神との決闘。やらずに済んで良かった。後はどこまでユダが約束を守るかだけど、イエスだけでなくイナンナも様子がおかしいと知れば、この一件が済むまでは協定を守るだろう。


 イエスはイナンナに似てるところはあるのよ。アラッタの主女神と同様に強大な力を持ち、活躍した時には慈悲の人であったのは間違いない。まず問題はユダがどうやってイエスを眠らせ、取り込んだかなのよ。

 イナンナの時は死闘の果てに弱っている一瞬のチャンスを捉えてそうしたけど、ユダ一人でそれが出来たかは大きな疑問。ユダの力は大きいけど、せいぜいわたしとチョボチョボぐらいだからね。

 それとずっと謎なのはイエスが誰かってこと。イエスがキリストとして活躍しときは慈悲の人だったけど、その前の宿主からそうだったとは思えない。あれほど強大で慈悲深い神が八千年もいたとするのは不自然過ぎる。コトリはなんらかの理由で眠っていた神が目覚めたんじゃないかとしていたけど、わたしは違うと思う。

 イエスもイナンナと同様に多面性、ぶっちゃけ多重人格的な神だった可能性が強いと考えてる。そう、イエス以前は暴虐の神であった時代もあったと考える方が自然だもの。その手の神ならゴマンといるし。

 ただだけど強大な神の数は少ないのよ。アラッタ時代は強大な神は都市の神として君臨してた。たとえばニップルにはエン・リル、エンドゥにはエン・キ、アダブとケシュにはニンフルサグ。

 でもエン・キもエン・リルもイナンナに殺され、ニンフルサグはエレシュキガルに冥界に送り込まれ、パリでコトリがトドメをさしてる。そうあの時にエンキドゥもわたしが倒した。残るのはシッパルの太陽神ウツ、ウルの月の女神ナンナぐらいが思いつくけどどうだろう。

 他ならエンメルカル。エンメルカルはギルガメシュに移ったと考えてるけど、ギルガメシュ以降は不明なのよね。ギルガメシュも多面性があるからイエスの可能性があるけど、どうだろう。

 まあエンメルカルならイナンナが反応するのは筋が通るのだけど、アラッタの時に逃げちゃってるから微妙なところ。このイナンナが反応する点を考えると、もっと恐ろしいのがいるのよね。イナンナが倒しとされる天の神アン。

 神を取り込む能力はわたしもユダにもある。でもアンの能力は別格と見て良さそう。わたしやユダだって取り込んだ神の能力の影響を受けるけど、アンの場合は自分の力にそのまま加えていた感じがする。

 エレシュキガルの能力に近い感じもするけど、やはり違う。どう見たって、倒した神をドンドン取り込んでひたすら強大化したとしか思えないもの。そうじゃなければ、神が神にひれ伏すなんてあり得ないし。

 イナンナがそれほど強大なアンを倒したのはユダの言葉を信じて良いと考えてる。生き残ってたら世界が変わっているはずだもの。イナンナがどうやってアンを倒したか不明とユダはしてたけど、イナンナが駆使したのは一撃以外に考えられない。

 一撃は力の劣る神が勝てる一発逆転の必殺技。コトリが編み出したのはそうだけど、これも、もともと使えたから編み出せたと今は考えてる。だから三座の女神さえ冥界で駆使出来たと考える方が自然だもの。

 問題はアンが本当に死んだかどうかなのよ。そう考えるのは良くないね、イナンナの一撃はアンを倒したけど、アンが抱えていた神々を全部殺せたかどうかに疑問が残るとした方が良い。

 エレシュキガルで考えるとイイかもしれない。あの時は三座の女神が夜叉となって冥界の神を全滅させてしまってるのよね。これも普段のミサキちゃんを見てると笑っちゃうけど、まず生き残っていないと思う。

 あれがもし、エレシュキガルだけ倒していたらどうなっていたかってお話。そうなればエレシュキガルの軛は消滅し、冥界の神は地上の神として復活した可能性は十分にあるのよね。

 変な喩えだけどエレシュキガルは自分の冥界に神々に軛を懸けて捕えていたけど、アンは天界に神々に軛を懸けて捕えていたと見れるんじゃないかって。そのアンをイナンナが一撃で砕いてしまったら・・・

 あらやだ、考え事をしてたらもうこんな時間。なにがなんでもシスティナ礼拝堂には行かなくっちゃ。創世記、天地創造、最後の審判・・・ミケランジェロの傑作を見逃してなるものか。命懸けでユダに会ったんだから、それぐらいの御褒美はもらわなくっちゃね。