シオリの冒険:アカネの疑惑(1)

 これは入門した頃の話だけどサキ先輩に。

    「ツバサ先生をシオリ先生って呼ぶ人もいるのは知ってるよね」

 そうなのよね。シオリといえば故加納志織先生が思い浮かぶんだけど、

    「アカネもシオリ先生って呼んでもたぶん怒られないけど、部外者の前で呼ぶのはタブーよ。サキはなんかややこしそうだからツバサ先生としか呼ばないけど」

 アカネもそうしとこう。

    「どうしてシオリ先生って呼ばれるのですか」
    「サキも知らないけど、サトル先生や古いスタッフの人はそう呼ぶのよね」

 そういえば、

    「サトル先生は社長だし、ツバサ先生の師匠だし、年長ですけど・・・」
    「ああ、それ。あのお二人の関係も良くわかんないのよ。どう見ても逆になってるものね」
    「出来てるとか」
    「それは多分ない」

 出来て無さそうなのはアカネも同意。

    「アカネちゃんもとにかく注意しといてね」
 ツバサ先生もよくわからないところがあって、経歴を見ると大学を四年で中退してサトル先生の弟子になってるのよね。この辺はアカネも似たようなものだけど、どうして弟子になったかも不思議と言えば不思議。

 当時を知るスタッフから聞いたことがあるのだけど、ツバサ先生が入門した頃のオフィス加納は倒産寸前だったみたいなの。スタッフの給料は大幅に削られた上に遅配、遅配。この加納ビルだって何重にも抵当に入っていて、クビも回らない状態だったってさ。

 弟子がアカネも含めて三人しかいないのも、半分ぐらいは経営危機の影響と見て良さそうなの。なのにだよ、そんな潰れかけのオフィス加納にツバサ先生は弟子入りしてるのよね。よくサトル先生も弟子入りを認めたものだと思うけど、それ以前にツバサ先生がわざわざ、そんな潰れかけのスタジオの弟子になったのだろうって。


 それより驚くのはツバサ先生がブレークしたのもムチャクチャ早いのよ。入門してたったの三ヶ月だよ。三ヶ月って言えばツバサ先生に、

    『アカネも少しは回るようになったから、ギア上げるよ』

 この地獄の延長宣言を喰らって、のたうち回ってた頃なのよ。サキ先輩やカツオ先輩だってチョボチョボぐらいだったでイイと思う。じゃあ、じゃあ、サトル先生が甘いかって言えば、弟子のカツオ先輩は、

    『口調が丁寧で、優しそうなだけで、やってる事はツバサ先生とまったく同じ』

 これも『どうやら』らしいのだけど、そもそもツバサ先生は下働き時代もなかったみたいで、弟子入りしてすぐに仕事を任せられたみたいなのよ。そしてブレークしたのが、

    『光の写真』

 この写真もツバサ先生が編み出したものと思ってたけど、加納先生が駆使したテクニックみたいで、誰一人マネできないとされてたの。それをアッサリ出来てしまったから話題騒然みたいな感じかな。だって今だって、ツバサ先生以外には撮れないもの。だからブレーク当時からツバサ先生が比較され続けたのは、

    『世界の巨匠、加納志織』
 とにかく現存する写真家では、当時からそもそも比較にすらならないとさえ言われてたのよね。今じゃ、加納志織より上になってるで良いと思う。


 でもおかしいじゃない。ツバサ先生が在籍したのは学芸学部メディア創造学科だけど、そんなところで勉強した程度で、いきなりあれほどの仕事が出来るのが不思議過ぎる。そりゃ、カメラの腕だけなら天才でイイかもしれないけど、下働き技術だって完璧なのよ。

 アカネが出来なければ、ツバサ先生は手取り足取り、ガンガン説明付で教えてくれるんだけど、オフィスのどのスタッフより遥かに上手いんだ。レンズの手入れもかなり怒鳴られたけど、ツバサ先生が磨けば目を疑うぐらいに綺麗になるのよ。

 アカネにもそろそろわかって来たけど、ツバサ先生の技術の一つ一つは何十年も年季が入り倒したものとしか思えないのよ。これはサキ先輩の動きと較べても良くわかるもの。ツバサ先生の前ではサキ先輩でさえぎごちなく見えてしまうもの。アカネのことはとりあえず置いとくけど。


 それとこれは雑誌で読んだだけで、アカネじゃよくわからないところも多いんだけど、ツバサ先生の撮影法は、

    『フィルム時代の匂いがする』

 これを読んだ時に気づいたんだけど、ツバサ先生は連写をあまり使われないんだ。それだけじゃなく、連写を多用するカメラマンをあまり評価されないんだ。理由を聞いたこともあるんだけど。

    『あははは、三十六枚しかなかったから』
 なんの話かわからなかったんだけど、フィルム時代は一回に三十六枚しか撮れず、撮り切るとフィルム交換をしなければならなかったみたい。今みたいな高速連写なんかやったら一瞬でフィルムがなくなっちゃうぐらいかな。

 でもね、でもね、ツバサ先生は二十八歳なのよ。よほどの骨董趣味がなければフィルム・カメラなんか使わないだろうし、使おうとも思わないじゃない。大学の時に使っていたカメラも聞いたことがあるけど、

    『EOSのKISSよ』
 もうちょっとイイのを使っても良さそうなものだけど、そこは置いといても要はデジカメってこと。フィルム・カメラ時代の連写の上限が三十六枚なのを知識として知っているのは良いとしても、それを理由に現在の連写を否定的にとらえるのはオカシイといえばオカシイ。


 アカネの心の中に疑惑が湧いて来てるのよね。すべてのキーワードはサトル先生たちがツバサ先生を呼ばれる時の、

    『シオリ先生』
 これで説明できるんじゃないかって。加納先生は八十三歳で死ぬまで現役だったていうし、サトル先生なんて加納先生の八十歳の時の最後の弟子なんだよ。

 そうなのよ、ツバサ先生がシオリ先生の生まれ変わりなら、サトル先生を呼びつけで呼ぶのも、大学中退していきなり光の写真が撮れたのも、カメラ技術に年季が入っているのも、フィルム・カメラ時代の匂いもするのも全部説明できちゃうんだ。


 そこから気になって加納先生の事をあれこれ調べてみたんだ。加納先生も大学を中退してカメラの世界に飛び込んでいるのだけど、まず二年ぐらいで独立されてる。でも最初は失敗してるのよね。要は売れなかったってこと。

 そこからなんだけど、後の旦那さんの下宿に二年ぐらい居候してたらしいのよ。この時に光の写真を編み出したらしいけど、これもビックリするけど編み出したのは旦那さんで、加納先生は悪戦苦闘の末に習得したらしいとなってる。光の写真の誕生秘話はサトル先生でも知ってるけど、後はその写真を武器に売り出して行ったぐらいかな。

 二回目の売り出しの時もすぐさまブレークなんてことはなくて、ボロアパートの一室からオフィス加納は始まったってなってた。スタッフといってもアシスタントが一人だけ、とにかくなんでも自分でやらなきゃならなかったで良さそう。

 売込みも、取引も、交渉も、給与計算も、確定申告もなにからなにまで自分でやっておられて、当時はフィルム時代だったから、押し入れに暗室作って現像までしてたって。言うまでもないけど、炊事、洗濯だって全部そう。

 取材旅行と言ってもオンボロ軽ワゴンに機材を積み込み、コンビニお握りを買い込んで、素泊まりの商人宿みたいなところを利用してたって。食事代も事欠く時期もあったみたいで、メシも食わずに仕事してたって話もオフィスには残ってる。

 わかる? もしツバサ先生が加納先生だったら、すべてが説明できちゃうの。それだけ苦労してたら、カメラや撮影に関することだったら、なんでも出来て当然だし、年季だって半世紀以上になるじゃない。


 もう一つ加納先生とツバサ先生の共通点があるのよ。それは怖ろしいほどの美人であること。加納先生なんて、こうまで言われたらしいのよ、

    『撮られる女優やアイドルより、撮る加納志織の方が遥かに綺麗』
 それもね、若いころの話じゃなくて、八十歳を越えて死ぬまで変わらなかったとされてる。そんな事があり得るものかと思って、オフォスに残ってる加納先生の写ってる写真を調べてみたのよ。撮影旅行とか、忘年会とかのスナップ写真が中心だったけど、あれも不思議過ぎる写真だった。

 オフィスのスタッフも写ってるから比較しやすいのだけど、周囲のスタッフは、当たり前だけど年とともに老けて行くのよね。なのに加納先生だけはちっとも変わらないのよ。八十歳を越えてからのものもあったけど、若い時の写真と並べてみても、どっちが若いか区別できないなんて信じられる。

 気になってツバサ先生のも調べてみた。オフィスに入って六年分しかないけど、まったく変わっていないのよ。そりゃ、まだ六年だし、ツバサ先生も二十八歳だから、これぐらい若く見える人は他にもいるけど、アカネはツバサ先生も同じように歳を取らない気がしてきてる。


 だからといってアカネがどうなる訳じゃないし、ツバサ先生は相変わらずアカネを熱心に鍛え上げてくれてるけど、気になるのは気になる。サキ先輩に話したこともあるけど、

    『アカネちゃんは面白いこと考えるね。でもさぁ、加納先生が亡くなった時にツバサ先生はもう大学生のはずだよ』
 そうなのよね。ここは大きなネックで、生まれ変わりなら子どもの時からだろうって言われれば、何も言い返せなかったの。とにかく弟子修業が忙しくてしばらく忘れていたのだけど、最近になってしばしばお休みをくれるようになってるの。

 『くれる』というか、アカネがなんとか動けるようになって、撮影日数の延長が減って、ツバサ先生やスタッフの休日を潰さなくて済むようになっただけの事だけど、初めて休みがもらえた日は嬉しかった。その時にツバサ先生は、

    『撮ってきたら、見てやる』

 そりゃ、嬉しくて、嬉しくて、撮りまくって見てもらうのだけど、

    「あははは、素人丸出し日の丸写真。こういう場合はね・・・」
    「おっと、こういう時はだな、黄金分割を使うとイイんだよ・・」
    「これはトンネル構図に近いけどバランス悪いな、トンネル構図と言うのは・・・」
    「こういうのを放射構図って言うんだけど、だいぶ違うな・・・」
    「こりゃまた、中途半端な前ボケだな・・・」
 すべての写真に指摘の山を築かれちゃった。でも。でも、やっとカメラマンの勉強が始まった気分で最高。