シオリの冒険:ヴァチカンのユッキー

 ローマは初めだわ。シチリア時代だって対岸のタラントさえ行ってないものね。ユッキーになってからも、コトリとユダの協定があってイタリアは出入り禁止状態だもの。写真や動画で知ってるけど、やっぱり本物の迫力は凄いわ。

    「お客さん、着きましたぜ」
 タクシーで空港からやって来たのはサン・ピエトロ広場。前から来てみたかったんだ。夢が叶った感じ。もっともカソリックの連中には魔女として火炙りされそう、いや宿主はされちゃったから恨みはあるけど、人の世で四百年前の恨みを持ちだしても仕方ないか。

 今日のメインはヴァチカン美術館の見学。ヴァチカン美術館と言うけど、中は十二の美術館と五つのギャラリー、三つの礼拝堂があり、さらに広間やら回廊やら、何とかの間がゴッソリ。いわゆる『順路』で見て回るだけでも七キロメートルはあるとされる壮大なもの。

 言い方悪いけど歴代教皇がカネにあかせてかき集めたコレクションだけど、集めた理由はともかく、集まって保存されて、ここで見れると言うのは素晴らしいことだわ。ミケランジェロだとか、ラファエロだとかの作品がこれだけ見事に保存・公開されているのに感謝しなくちゃ。

 でも大きすぎるのもたしかで、歩いても歩いても終らない感じ。それも歩くのが目的じゃなくて世界遺産の団体さんみたいな芸術品の鑑賞が目的だから大変。でもこれも長年の夢だったから感激。喉も乾いたし、小腹も空いたのでカフェチェントラレで一休み。そこに一人の男がツカツカと歩み寄ってきた。ナンパなら歓迎だけどそうじゃないのよね。

    「何語にしようか」
    「シュメール語なら無難ね」

 ラフな服装をしてるけどウルジーノ枢機卿。

    「まずナルメルの件の礼を言っておく」
    「どういたしまして」
    「エレシュキガルはどうなった」
    「わからないわ。でも冥界の神々はすべて死んだで良いと思うよ」

 ウルジーノ枢機卿は信じられないって顔をして、

    「あなたがすべて始末したのか」
    「わたしや次座の女神、そしてユダでも無理なのは知っているでしょう」
    「そうだイナンナでさえ無理だった」

 そりゃ驚くよね、

    「エレシュキガルがあれで死んだかどうかはわからない。そもそもエレシュキガルに生死の概念があてはまるかどうかもわからないけど、生きてても当分は活動しないと思うわ」
    「さすがはエレギオンの女神だな」
    「そうそうユダも大変だったみたいね」
    「ああ、あれか。神も鉛玉には無力なところがあるからな」

 ユダの前宿主はエウスターキオ枢機卿。これがマフィアに襲撃されて蜂の巣になる事件が起こってる。

    「連中相手の付き合いなら計算内だ。五年ほど、ドンやって締め上げておいた」
    「ユダも好きね」
    「神によって楽しみは違うからな」

 ユダの趣味は蓄財なんだけど、マフィアから巻き上げるのが趣味。かなり巻き上げてるみたいで、おかげでマフィアの活動を牽制している部分はあるの。もちろん相手が相手だから時にドンパチに巻き込まれる。

    「わざと撃たれたんでしょ」
    「まあな、外からコントロールしにくいのが台頭したからな」

 ユダはコーヒーをオーダーして、

    「まず確認しておきたいのだが、これは協定破りか」
    「ユダがそうしたいのなら、いつでも受けて立つわよ」

 ユダにヴァチカンで話をしたいって連絡したら、電話口の向こうからでも緊張感が伝わって来たものね。これが逆のシチュエーションならわたしもそうなってたと思う。

    「こっちは遵守したいのだが」
    「わたしも出来ればそうしてもらえた方が望ましい」
    「では、なぜだ」
    「協定内容の改訂」

 ユダは苦笑いしながら、

    「目的は?」
    「そんなものイタリア観光に決まってるじゃないの」
    「では私も日本観光できるのか」
    「良ければ本社に御招待するわよ」

 考えてる、考えてる。この世で何が信用できないって、神の言葉ほど信用できないものはないもの。その神の中でも一番信用できなのはユダだけど、ユダだってこの首座の女神の言葉を同じぐらい信用してないよ。

    「イイだろう。その協定を呑む」
    「神と神の約束よ」
    「あははは、神を信じるのか」
    「他に何が信じられる」

 ユダはなにか思い切ったように、

    「どうもこちら側にメリットは少ない気がするが」
    「あらそう、こんな可愛い女の子に恩を売り付けられるじゃない」
    「売る方が怖いな。まあいい、売らせてもらおう。数日中には手配しておく」
    「助かるわ」

 目的はヴァチカンの図書館。それもローマ教皇の特別な許可が必要なところ。これはエレギオンHDを以てしても許可を取るのはまず不可能。だからユダに頼む必要があったの。教皇と言ってもユダの傀儡だからね。

    「日本でもなにか起ってるのか?」

 そこが一番気になってるよね。そうでもなければ、この首座の女神が命の危険を冒してまでヴァチカンに乗り込んで来るはずないものね。

    「イナンナがちょっとね」

 ユダの顔に緊張が走ってる。神にとって、これほどの緊急事態は他に考えられないぐらいかも。ためらうように、

    「これは伝えておいた方が良いだろう。イエスも妙なのだ」

 げっ、可能性だけはあると思ってたけど。だからユダも会う必要があると判断したか。わたしの顔色も変わってるかもしれないね。

    「ありがとう。わたしも一つ伝えておく。イナンナはローマにもうすぐ来るわよ」
    「イナンナが来るのか・・・」

 そりゃ考えるわよね。この微妙な事態の時にイナンナとイエスが接近する意味を。

    「あそこに目ぼしいものはない」
    「だったよね。ユダはあの部屋の主みたいなものだから」

 わたしも多くは期待していない。というか、ユダが許可を与えた時点で行く必要もないかもしれない。でもユダと言えども見落としている可能性はある。

    「うふふふ、お互いの破滅のカギがこんな時に接近するのはワクワクしない」
    「わははは、破滅のカギとは上手い表現だ。このイスカリオテのユダを信用せよと言っても無理があり過ぎるだろうが、まだ死にたくないのだけは信じてもらってもイイだろう」
    「それは信じるわ。死にたいなら、こんなところで油を売ったりしてないからね」
 ふぅ、ユダは行ったか。とりあえず死なずに済んだ。ユダも死にたくなかったんだろうな。このカフェの周囲に式神をビッシリ配備してやがった。コトリとコンビを組んでいるのならともかく、一人で勝てたかどうかは時の運だったよ。

 これだけ観光客が多いから、お互い連続ジャンプで逃げられないことはないけど、それでも何が起るかわからないのが神との決闘。やらずに済んで良かった。後はどこまでユダが約束を守るかだけど、イエスだけでなくイナンナも様子がおかしいと知れば、この一件が済むまでは協定を守るだろう。


 イエスはイナンナに似てるところはあるのよ。アラッタの主女神と同様に強大な力を持ち、活躍した時には慈悲の人であったのは間違いない。まず問題はユダがどうやってイエスを眠らせ、取り込んだかなのよ。

 イナンナの時は死闘の果てに弱っている一瞬のチャンスを捉えてそうしたけど、ユダ一人でそれが出来たかは大きな疑問。ユダの力は大きいけど、せいぜいわたしとチョボチョボぐらいだからね。

 それとずっと謎なのはイエスが誰かってこと。イエスがキリストとして活躍しときは慈悲の人だったけど、その前の宿主からそうだったとは思えない。あれほど強大で慈悲深い神が八千年もいたとするのは不自然過ぎる。コトリはなんらかの理由で眠っていた神が目覚めたんじゃないかとしていたけど、わたしは違うと思う。

 イエスもイナンナと同様に多面性、ぶっちゃけ多重人格的な神だった可能性が強いと考えてる。そう、イエス以前は暴虐の神であった時代もあったと考える方が自然だもの。その手の神ならゴマンといるし。

 ただだけど強大な神の数は少ないのよ。アラッタ時代は強大な神は都市の神として君臨してた。たとえばニップルにはエン・リル、エンドゥにはエン・キ、アダブとケシュにはニンフルサグ。

 でもエン・キもエン・リルもイナンナに殺され、ニンフルサグはエレシュキガルに冥界に送り込まれ、パリでコトリがトドメをさしてる。そうあの時にエンキドゥもわたしが倒した。残るのはシッパルの太陽神ウツ、ウルの月の女神ナンナぐらいが思いつくけどどうだろう。

 他ならエンメルカル。エンメルカルはギルガメシュに移ったと考えてるけど、ギルガメシュ以降は不明なのよね。ギルガメシュも多面性があるからイエスの可能性があるけど、どうだろう。

 まあエンメルカルならイナンナが反応するのは筋が通るのだけど、アラッタの時に逃げちゃってるから微妙なところ。このイナンナが反応する点を考えると、もっと恐ろしいのがいるのよね。イナンナが倒しとされる天の神アン。

 神を取り込む能力はわたしもユダにもある。でもアンの能力は別格と見て良さそう。わたしやユダだって取り込んだ神の能力の影響を受けるけど、アンの場合は自分の力にそのまま加えていた感じがする。

 エレシュキガルの能力に近い感じもするけど、やはり違う。どう見たって、倒した神をドンドン取り込んでひたすら強大化したとしか思えないもの。そうじゃなければ、神が神にひれ伏すなんてあり得ないし。

 イナンナがそれほど強大なアンを倒したのはユダの言葉を信じて良いと考えてる。生き残ってたら世界が変わっているはずだもの。イナンナがどうやってアンを倒したか不明とユダはしてたけど、イナンナが駆使したのは一撃以外に考えられない。

 一撃は力の劣る神が勝てる一発逆転の必殺技。コトリが編み出したのはそうだけど、これも、もともと使えたから編み出せたと今は考えてる。だから三座の女神さえ冥界で駆使出来たと考える方が自然だもの。

 問題はアンが本当に死んだかどうかなのよ。そう考えるのは良くないね、イナンナの一撃はアンを倒したけど、アンが抱えていた神々を全部殺せたかどうかに疑問が残るとした方が良い。

 エレシュキガルで考えるとイイかもしれない。あの時は三座の女神が夜叉となって冥界の神を全滅させてしまってるのよね。これも普段のミサキちゃんを見てると笑っちゃうけど、まず生き残っていないと思う。

 あれがもし、エレシュキガルだけ倒していたらどうなっていたかってお話。そうなればエレシュキガルの軛は消滅し、冥界の神は地上の神として復活した可能性は十分にあるのよね。

 変な喩えだけどエレシュキガルは自分の冥界に神々に軛を懸けて捕えていたけど、アンは天界に神々に軛を懸けて捕えていたと見れるんじゃないかって。そのアンをイナンナが一撃で砕いてしまったら・・・

 あらやだ、考え事をしてたらもうこんな時間。なにがなんでもシスティナ礼拝堂には行かなくっちゃ。創世記、天地創造、最後の審判・・・ミケランジェロの傑作を見逃してなるものか。命懸けでユダに会ったんだから、それぐらいの御褒美はもらわなくっちゃね。