ツーリング日和21(第10話)瞬さんの収入

 小説家も出版社も本を売ってナンボの商売だけどヒットの目安ってあるの。

「紙と電子書籍で違いますが・・・」

 電子書籍の方が紙にしない分だけ安く出来るよね。

「とくに在庫管理が安くなります」

 紙の本はかさばるから倉庫代だけでもバカにならないのか。今でも紙の本の愛好者が多いからそっちを例にするって話してくれたけど。

「損益分岐点として初版三万部で返本率二十%ぐらいです」

 えっとえっと、損益分岐点とは売り上げと、それにかかった費用の差引らしい。初版三万部は最初に売り出す部数らしいけど、本ってそんなにたくさん売り出すのに驚いた。

「初版と言うのもありますからね」

 初版はやはり経費が多いそう。いわゆる生原稿から本にするから校正とか校閲に手間がかかるし、装丁と言って本の表側のデザイン料なんかもバカにならないみたいなんだ。返本率とは本屋に卸したものの売れ残って返品されるやつで、二十%は平均ぐらいだとかなんとか。

 でもさぁ、それでも八割売れてるから二万四千部は売れてると思うけど、そこまで売ってやっとこさ損益分岐点ってシビア過ぎる気がする。だって返本率が二十%を越えるだけで赤字ってことになるじゃない。

「だから新人デビューのハードルは高いのですよ」

 この辺は有名作家なら事情が変わってきて、売れるのが期待されるから初版十万部なんてのも普通にあるらしい。もっとも十万部と言っても書店の数が全国で一万店ぐらいだそうだから一店舗にしたら十冊ぐらいだって。

 この売り上げ部数は利益に大きな影響があって、そりゃ、多く売れるほど売り上げが増えるのは当然だけど、本を作る時の最初の経費は変わらないようなものだから、

「ベストセラーになって売り上げ部数が増えれば、出版業界では紙幣を刷っているのと同じだと言われています」

 なるほど、なるほど、いくら刷っても紙代とインク代状態になるってことか。そっか、そっか、やっとわかったぞ、本屋の広告で重版とかなったのをアピールしてるのはそれか!

「初版の売れ行きが良いから重版になるのですが、出版社からすれば重版では損益分岐点が大幅に下がります」

 三版以降は以下同文ってやつだろうな。ここまでは出版社側の話だけど小説家から見ると、

「印税がすべてですが・・・」

 印税って言葉だけ有名だけど、具体的には売り上げに対する取り分で良いようだ。これは売り上げに対するパーセンテージで契約されるそうで、大雑把には八~十二%ぐらいらしい。

「そこもそれほど単純じゃありません。まず幅があるのは小説家の本と言うか、知名度による期待の評価です」

 バリバリの売れっ子作家なら高くなって十五%以上なんてのもある一方で、無名の新人のデビュー作なら五%以下もあるんだって。

「後は契約条件になってくるのですが・・・」

 これも色々あるみたいで、無名の新人作家なら重版されるようなベストセラーになっても最初の印税のままもある一方で、

「重刷時に契約を見直すとか、重刷の出版契約を保留にするなんてのもあります」

 小説家と出版社の力関係みたいなものか。でもさぁ、でもさぁ、瞬さんなら十万部ぐらいは売れてるはずじゃない。

「あくまでも単純計算ですが、一部千円で十万部売れたら一億円の売り上げになります。ここで印税が十%なら一千万円にはなりますが・・・」

 十万部売れても一千万円は微妙だな。一千万円は大金だけど、

「わかってくれますか。一千万円はその作品に対する印税で、毎月毎月、新作が書けるわけじゃありません」

 だよね。小説家がどれぐらいのペースで新作を書き上げるかは個人差が大きいのだけど、一年に一作ペースだって珍しくないし、もっとユックリで、数年おきに出るって作家もいたはずだ。

「小説家のこだわり部分もありますが、粗製乱造で質が下がり、読者の期待を裏切ったりすれば自分で自分のクビを締めることになります」

 歌手と同じような人気商売だものね。ハズレを出せば人気も急落する。それと本を書くのもタダじゃない。これも小説家によって差が大きいと思うけど、自分の頭の中の空想と、ネット情報ぐらいで書ける人もいれば、参考資料をかき集める人もいる。

「司馬遼太郎なんか有名ですね。日露戦争を扱った新作に取り掛かったら、神田の古書街から関連書籍が消えうせたってエピソードが残されています」

 司馬遼太郎の場合は歴史小説家だし、坂の上の雲を執筆する頃には不動の名声を確立してたから出来たのだろうけど、書くための費用はある程度は発生するよね。たとえば旅行作家なら旅行が必要になるし、瞬さんみたいなツーリング作家ならツーリングが必要になる。もちろんすべて経験しないと書けないわけじゃないだろうけど、

「そこですか。言ってしまえば、アイデアに行き詰って気分転換に遊びに行くのも仕事の内になってしまいます」

 ちょっと違うかもしれないけど、志賀直哉は城崎の三木屋に泊まって城崎にてを書いてるけど、その時の宿泊料も本を書くための必要経費になるはず。それで年間一千万円は微妙だ。だって翌年に出した作品が当たるかどうかは、

「出してみないとわかりません」

 そうなるよね。有名作家、売れっ子小説家として名が売れてる人は、このハードルを乗り越えられた人になるのだろうけど、どう聞いたって甘い世界じゃない。それこそ剥き出しの才能がシノギを削る戦場みたいなところだ。

「そんな感じです。もう一つ言えば、スポーツ選手よりは小説家寿命は長いですが、その才能がいつ枯れるかは誰にも予想が出来ません」

 小説家寿命の短い人の典型が一発屋だろ。

「ヒットを出してしまうと、次回作が書けなくなるタイプの人もいます」

 ヒットになるぐらいだから快心作でもあると思うけど、次回作はそれを越える作品を書きたいと思うのが人情だろうな。でもその思いが呪縛になると書けなくなってしまうのかも。

「ボクの場合は気楽です」

 亡くなった前妻の遺産ってどんだけなんだろ。もしかしてだけど、瞬さんの小説家としての収入はヨタハチに消えてるとか。

「そこまでかかっていませんよ。なんとか生活費ぐらいは稼がせてもらってます」

 小説家の収入は本の印税だけじゃないのよね。雑誌とかへの寄稿の原稿料もあるはずだ。あれも作家のランクで原稿料は変わるはずだけど、何本も連載持ってるものね。ヨタハチ代はそっちで賄っているのかも。