恋せし乙女の物語(第20話)事件だ

 悶々と悩む日々が続いた。さすがに未練はあるものね。今だってアキラはイケメンだし、ファッションを除くと優しい彼氏だ。そうだそうだ結婚問題も除くのもある。大学の時からそうだけど一緒にいても自慢の彼氏だったもの。それで随分と妬まれもしたはずだけど、羨望のまなざしを受け続けていたものね。

 明日菜のバージンを捧げたのもアキラだし、明日菜の体を開発したのもアキラ。明日菜の青春は常に隣にアキラがいたとしても良いぐらい。というか、アキラが彼氏になってから明日菜の人生は大きく変わったもの。

 この先だって人生設計を描いていた。結婚して社長夫人になりセレブのリッチな暮らしをするだ。こう書くと嫌らしいけど、社長夫人もセレブな生活も結婚相手がアキラだからのセットみたいだものじゃない。

 それに社長夫人になるのだって嫌じゃない。本音で言うとセレブな暮らしだってやってみたいし、憧れだってないとは言えない。ぶっちゃけ、そうなれるチャンスがあるのに放り捨てられる人なんていないと思う。

 その夢がそこまで迫ってたと思ってた。そうなる以外に道なんかないと思い込んでいた。だけど行く手には暗雲が立ち込めている。重大すぎる岐路に立ってるとしか思えない。アキラには明日菜の知らない何かがある。

 その何かは明日菜の将来を閉ざすものに思えて仕方がないんだ。だから、それでもアキラを信じて待ち続けるか、それともアキラと別れて新たな道を歩むかだ。明日菜だってもう二十六になる。まだ二十六だとも言えるけど、明日が見えにくくなっているアキラとの関係を判断するべき時の気がする。

 続けるか、別れるかの二択なのはわかってるけど、さすがに二人の過ごした月日は長いし重いのよね。毎日のように同じことを考えて、同じような二択の結論になるだけど、答えが出せない明日菜だった。


 そんなことで仕事は休めないから出勤していたのだけど、トンデモないことが起こったんだ。

「風吹君、警察から電話だ」

 えっ、警察、身に覚えなんかないよ。クルマにさえ乗っていないから交通違反もないはずだもの。まさか先週だけど、急いでいたから赤信号なのに歩道を渡ったのがバレたとか。あんなものまで捜査して呼び出されるのだろうか。ドキドキしながら電話を代ったら、

「木島アキラさんについてお話を聞かせてもらいたいから署まで来て欲しい」

 こんな内容だったんだ。頭に血が昇ってしまったから他も何か言ってたけど覚えていない。だって相手は警察だよ。逆上しない人なんかいないと思う。とにもかくにもまず上司に相談してみた。

 テンパりまくっていたけど、まず聞いたのは電話口だけの呼び出しだから拒否は出来ないだろうかって。いくら警察でも、電話一本で善良なる市民を警察まで呼びつけるのは国家権力の乱用になると思ったのよね。

「任意だろうから拒否は出来るだろうけど、素直に出頭した方が良いと思うぞ」

 しゅ、出頭! それって明日菜に自首しろってことなの。明日菜の知らないところで重大犯罪の容疑者されてしまってるなんて。それって冤罪じゃないか。いや、まだ判決が下っていないから誤認逮捕か。でもだよ、罪名も知らずにどうやって自首なんてするんだよ。

「あのなぁ、それだけ重大事態だったら、電話なんかで呼び出したりしないで、ここに直接踏み込んで来るだろうが」

 そ、そっか。のんびり呼び出しなんかして身に覚えがあれば高飛びするよね。ちょっと安心したと思ったのも束の間で、

「オレも呼び出されたことがあるけど、あれは葉書だったし、後日の時刻指定だったけどな」

 上司はなにをやらかしたかと思ったけど、学生の時の交通事故だったらしい。そうなると電話ですぐ来いの明日菜の容疑はムチャクチャ重大のはず。

「容疑者じゃなくて参考人ってやつじゃないかな」

 どう違うんだ。容疑者なら即逮捕で、参考人なら尋問の上で自白させられて逮捕だとか、

「心当たりでもあるのか?」

 ない、断じてない。

「だったら心配しなくても良いのじゃないかな」

 他人事だと思いやがって。相手は警察だぞ。のこのこ顔出したらお縄になって、御白州に据えられて、八丈島とか佐渡島に行かされる羽目になる、

「旅行に行く予定でもあるのか」

 そうじゃなくて島流しだよ。八丈島ならそこで食うや食わずの生活をさせられるし、佐渡島なら日も差さない鉱山の奥深くで来る日も来る日も働かされる。これだって命があるだけマシで、市中引き回しの上、磔獄門だってあるかもしれないじゃないか。

「お前は江戸時代に生きてるのか。今の時代に島流しも磔獄門なんてあるものか!」

 だったら網走番外地。極寒の北海道で苛酷な懲役を延々と受けさせられる。そこは入り口はあっても出口がない。そこは重罪者の哭く叫びが途切れない恐怖の地。

「一応聞いとくが、反社とかヤクザとのつながりがあるのか」

 あるはずないじゃない。明日菜がこの世でもっとも縁が遠いところだ。

「だったら警察に行って、御用を済ませて来い。今日はもう休みにしておく」

 冷たいぞ。上司ならもっと親身になってくれたって良いじゃないか。匿ってくれるとか、逃亡の手配を考えてくれるとか、せめて逃走資金を用立ててくれるとか、

「わかった、わかった、警察から帰って来たら話を聞いてやる」

 この投げやり野郎が、恨んでやる、呪ってやる。死刑になったら化けて出てやる。

「トットと行って来い。仕事の邪魔だ」

 警察に向かいながら考えてた。アキラが何をしたって言うのだろう。万引きでもして身元引受人みたいななのもあるかもしれないけど、いくら恋人でも明日菜が指名されるのはおかしいよな。そういうのは、やっぱり親だろ。

 それでも明日菜が警察署に出頭までさせられるってことは、アキラになにか重大な容疑がかけられているのだけはわかる。さらにだよ、その重大な容疑の片棒を担いでいる疑いをかけられているはず。

 警察署に入る前に深呼吸をした。これがシャバで吸える最後の空気かもしれないもの。受付みたいなところで出頭して来た旨を伝えると、

「捜査への御協力ありがとうございます。すぐに御案内します」

 連れていかれたのは机と椅子だけが置かれた殺風景な部屋。これはテレビで見た事あるぞ。取調室ってやつだ。ここで明日菜は厳しい取り調べを受けるはず。大声で怒鳴られたり、デスクランプを目に当てられたり、ウソ発見器にかけられたり、場合によっては殴られたりもあるはず。

 緊張が高まる中に現れたのは一人の若い男。制服を着ていないから刑事ってやつかもしれない。まさに地獄の獄卒、悪魔の使い、いや生ける死神だ。いよいよ苛烈な尋問の始まりだ。生きて帰りたいよう。

「警部補の真田です。捜査への御協力誠にありがとうございます」

 最初はニコやかにってやつだな。でもあの笑顔に騙されたらいけない。こういう連中は腹の中でなにを考えているのかわかったもんじゃない。それこその陰険の塊が前に座っているようなもの。

 なにしろ国家権力の手先の権化だ。そうこいつの仕事は明日菜を罪に落とすのが仕事で、明日菜を絞首台に送ってナンボの商売をやっているのだからな。まず本人確認みたいなものがあったけどテンパり切っていた明日菜にまず聞かれたのが、

「失礼ですが、あなたは木島アキラさんと恋人関係にありますね」

 あるよそりゃ。結婚まで真剣に考えてるもの。そこから聞かれたのがアキラの部屋のこと。そりゃ、数えきれないぐらい行ってるから良く知っている。マンションの見取り図を示しながら、

「この部屋について知っておられることを教えてもらえますか」

 そこはアキラの秘密の部屋だ。入ってはならないと言われてるし、入りたくてもカギがかけられていて入れなかった部屋だよ。だから中がどうなっているかは知らない。

「部屋のドアはこれですよね」

 そんな写真まで撮ってたんだ。あの部屋のドアは変わっていて、他の部屋に較べて妙に分厚くて頑丈そうで、カギだってカードとパスワードの二本立てになっていて、両方がなければ開かないんだよ。明日菜も入ろうとしたことがあるから良く知っている。

 一度、アキラからこっそりカードを盗んで入ろうとしたけど、パスワードはさっぱりわからなかった。お互いの誕生日とか、電話番号とか思いつきそうなものを入力してみたけど全部ダメだったもの。

 それとマンションの部屋のドアって、下の方に隙間があるのが多いじゃない。そこからのぞき込もうとしたけど、ぴったり閉じられてるんだよ。窓の方から見ようと思っても、あの窓はマンションの外壁にあって、ベランダからでは見る事が出来ないんだよね。

 だから隣のマンションから覗こうとしたことがあるけど、見るからに分厚そうなカーテンで閉ざされていてなにも見えなかった。だからその部屋があるのは知ってるけど中がどうなっているかは明日菜はまったく知らないんだ、

「それと、この写真ですが」

 こ、これはアキラとのツーショットだけど、こんなものまでいつの間に。これが国家権力ってやつなのか。

「あなたの服装について確認しておきたいのですが・・・」

 確認も何もアキラがプレゼントしてくれた服だし、同じような服はクローゼットから溢れるぐらいあるよ。

「普段もこの服を着られていますか」

 あのね、こんな服で普段過ごしてるわけないでしょ。社会人としての常識を疑われるぐらいわかるでしょうが。

「あなた以外に木島アキラさんが付き合っていた女性を知っていますか」

 いないよ。いるはずないじゃないか。さっきも言ったでしょ、結婚を真剣に考えてるんだから。結婚をそこまで考えていなくとも、恋人関係なんだよ。他に彼女を作ってたりしたら許せるものか。

 刑事さんは結婚してないのか、結婚していなくても恋人がいればわかるでしょうが。それとも刑事って職業は何人もの愛人を抱えるのが常識とでも言うの。明日菜は刑事じゃないから一人しか愛せないし、明日菜しか愛して欲しくない。

「ごもっともです。言うまでもなく刑事も愛する人は一人だけです」

 ホンマかいな。愛人を何人も抱え込んでるからそんな質問が平然と出て来るに決まってる。刑事は苦笑いしながら、

「これは確認だけの意味ですから他意はありません」

 信じられるもんか。そこからはアキラとの馴れ初めとか、肉体関係まで聞きやがった。国家権力の手先はそこまで聞くかと思ったけど、答えなければ磔獄門にされるから正直に話したよ。そしたらだんだん怖くなってきて、

「やっぱり逮捕されるのですか!」

 そもそもアキラはどうなってるの。

「あなたは参考人です。まだ捜査中なので話せることは限られますが、あなたにあったかすかな容疑もこれで消えました」

 やっぱり明日菜は容疑者だったんだ。取り調べはまだ小手調べなんだよきっと。これも聞いたことがある。手強いと判断した容疑者は時間と心理的な圧迫を加える戦術を使うって。そうなるとこのままでは帰れない。

 留置所に放り込まれて、明日からは朝から晩まで休みなしの尋問をされる。取調室での厳しい尋問が終われば留置所に逆戻り。鉄格子とコンクリートの壁に囲まれた部屋で孤独にされ、明日菜の体力と気力が尽きるのを待つんだよ。

 やがて精も根も尽き果てた明日菜は、刑事が作文した自白調書にサインをさせられる。それでも頑張ろうものなら、縄で天井から吊るされてムチで打たれたり、重たい石の板を抱かされたり、

「そんな拷問はこの時代にはありません。もう帰って頂いて結構ですよ。捜査に御協力ありがとうございました」

 警察を出たら腰が抜けそうなぐらいフラフラになってた。なんてシャバの空気は美味いんだ。もう二度と吸えないと思ってたもの。それと釈放されたと言うことは、明日菜にかけられていた容疑が晴れたで良いはず。

 でもなにがあったんだ。わかったのはアキラがなんらかの容疑をかけられ、明日菜にも容疑がかかっていたぐらい。なにが参考人だ、ガチンコの容疑者扱いだったじゃないか。命の瀬戸際とはこういうことだと良く分かった。

 でも妙だな。こういう時ってアリバイとか聞かれるはず。一応聞かれたけど、その日にアキラのマンションに行っていたかどうかだった。全部スケジュール帳に書いてあったから見せたら真田警部補は、なにかの資料と照らし合わせながら、

「なるほど・・・」

 これで終わりだったもの。それとヤクがらみでもなさそう。それならば、尿検査とか、血液検査があるはずだものね。警察の取り調べと言っても刑事ドラマぐらいしか知らないけど、どうしてカツ丼が出なかったのだろう。最近は経費節約で変わったのかな。それより気になったのは真田警部補が明日菜を最初に見た時の反応。

「なるほど、そういうことか・・・」

 なるほどで済ませるな。こっちは罪人にされるかどうかの瀬戸際なんだぞ、とりあえず家に帰ろう。今にも倒れそうだもの。