ツーリング日和16(第5話)古代対馬

 対馬と言えば国境の島になるけど、昔から日本の領土だよね。

「ああそうや、古事記にイザナミが産んだ大八島の一つに挙げられとるぐらいや」
「魏志倭人伝に使訳ができる国って紹介されてるよ」

 使訳ってなんだと聞いたら、言葉が通訳付きでも通じて交流がある国ぐらいで良さそう。そうだった魏志倭人伝でも魏の使者が対馬を通って行ったんだ。コトリさんは、

「始めて一海を度ること千余里にして対海国に至る。その大官は卑狗と曰ひ、副は卑奴母離と曰ふ」

 暗記してるのかよ、さらに続けて、

「居する所は絶島にして、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海物を食らひ自活す。船に乗り、南北に市糴す」

 これが最古の対馬の描写だろうって。この辺のなにを重く見るかだけど、

「古事記の成立は奈良時代の初期やけど、この頃には対馬は日本の領土って意識は常識やってんやろ。まあ古事記の元になっとる口伝の始まりなんか誰もわからんけどな」

 もうひとつは、対馬は古代からそれなりに開けていたとみても良いはずだって。魏志倭人伝の戸数もエエ加減なところが多いそうだけど、

「対馬と半島の交流が多かったんは間違いないやろ。対馬は半島と壱岐の中間ぐらいやから、博多に行くより半島の方が近いもんな」

 対馬の半島側の対岸である釜山は、魏志倭人伝なら狗邪韓国になり、大和王権時代なら任那になるそう。任那って、

「伽耶とも呼ばれるとこや。百済の前身でもエエかもしれん。こことの交流は深いし、古代やったら日本の勢力が及んどった地域であるねん」

 好太王碑ってのがあって、

『そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(三九一年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった』

 ここの解釈論争も、

「コトリは対馬を含む北九州から植民団が行っとったと思うねん。それがあったさかい、日本書紀でも何度も半島に出兵したとなってるやん。日本が半島から最終的に撤退したのは白村江の敗戦でエエやろ」

 だから魏志倭人伝の対馬の描写はかなり正確じゃないかとしてた。そりゃ、魏の使者が狗邪韓国にいる間に聞いた情報の可能性が高いものね。

「千戸は大げさな気がするけんど、それぐらい人が多く住む島やったぐらいは言うてもエエはずや」

 対馬ってイメージがどうしても薄いのだけど、大きさ的には淡路より少し大きくて、人口は今でも三万人弱あって、最盛期には六万五千人もいたそう。対馬の盛衰は半島貿易への依存が大きくて最盛時は昭和の二十年代から三十年代ともされてるとか。

「半島との関係はとにかく厄介やからな」

 それはわかる。関わるとロクな事がないものね。でもそれだけ交流が深いと半島文化の影響は、

「あんまりなさそうやねん。一番影響が出そうな言葉かって借用語ぐらいしかあらへんそうや」

 村落の構造も西日本の村落とほぼ同じだって。

「対馬にとって半島は外国の出稼ぎ場に過ぎんかったってことやろ」

 そんなことを話しているうちに、

「お弁当にしようよ」

 買い込んでいたお弁当を開いて海上ランチだ。食べてるうちにフェリーは壱岐の郷ノ浦港に着き、

「十五分で出航するんだ」

 ホントに立ち寄っただけで対馬に出航。壱岐は博多と対馬の中間点って感じだな。そう言えば対馬って福岡県よね。

「歴史文化的交流から見たらそうなりそうなもんやけど長崎県やねん」

 はぁ、長崎県なの。

「県を変えてくれって請願運動まであったそうだけど長崎県だよ」

 この辺は江戸時代の経緯じゃないかとコトリさんはしてた。対馬の南側に壱岐があるのだけど、あそこって平戸の松浦藩の領地だったそう。その因縁で長崎県が成立する時に壱岐は長崎県に組み込まれたみたいで、

「壱岐が長崎やからバランス的に対馬も長崎にしたんちゃうか」

 でもさぁ、長崎から対馬どころか壱岐にも航路はないじゃないの。

「そりゃ、長崎県なんか佐賀県のさらに西側や。あんなとこからのフェリーなんか誰が乗るか」

 たしかに。

「それでも長崎と対馬のつながりはあるよ」
「そやな。対馬空港からは福岡だけやのうて長崎への便があるもんな」

 というかその二つの空路しかしかないのか。

「まあな。観光とか考えたら東京は無理でも大阪と結びたいはずやねんけどな」

 そういう場合は福岡で乗り換えだろうな。観光と言えばバイクも少なかったな。

「フェリー全般に言える事やけど・・・」

 フェリーも客商売だけど、メインターゲットはトラックだって。そりゃ、観光客も増えて欲しいだろうけど、

「電車もそうやんか。メインは定期を買ってくれる通勤通学客や。観光客はプラスアルファに過ぎん。電車やったらわかりにくいけど、フェリーのメインのトラック輸送を考えたら観光客にはひたすら不便や」

 それは実感してる。

「でもこうやってフェリーがあるから対馬にツーリングに行けるから感謝よ」

 なければそもそも行けないものね。でも遠いよ。朝の五時半に新門司に着いて、一日がかりで対馬だよ。

「その代わりレアな体験できるで」
「関西からだって、そうは簡単に行けないところだよ」

 話のタネにはなりそう。

「それ大事やで。みんなが行っとるとこもエエけど、あんなまり行ってへんとこは自慢になるからな」
「でもさぁ、初めての九州ツーリングなら阿蘇でしょ」

 言うな。これでも仕事の都合なんだから。