AE86の思い出話

 昨日クルマの話題を出したのでついでみたいなお話です。クルマを車名ではなく型式で呼んだのは頭文字Dからじゃないかと思っています。AE86も売り出された当時から知っていますし、その頃には免許も取得していましたが、AE86なんて呼び方じゃなくスプリンター・トレノ、カローラ・レビンでした。

 当時の私も免許も取得したからにはクルマが欲しくなっていました。これも今ではわかりにくくなっていますが、当時の若者なら無理算段してもクルマを手に入れるのに血眼の時代でした。かくいう自分もそうで、カー雑誌を読み漁り、時には販売店に見に行ったりしていました。

 今でこそ秋名のハチロクとして憧れの名車扱いされていますが、当時はあんまり興味が湧かなかったのは白状しておきます。この辺は趣味嗜好の問題もありますが、当時の若者が争って欲しがったかと言われると、どうだろうぐらいです。これはあくまでも私がそう感じたと。もう一度お断りを入れさせて頂きます。

 AE86の当時のカー雑誌の批評的には、これまた今では名機とされている4AGエンジンの評価が低かったと記憶しています。4AGの前が2TGなのですが、これに較べると劣るって感じでしょうか。その2TGが継承されなかった理由は時代背景で、排ガス規制の嵐が吹き荒れて、どのクルマも出力ダウンが余儀なくされ、そこから復活していた時代なのもあったはずです。

 時はバブルに突入しかけていまして、排ガス規制をなんとかクリアして、再びハイパワーエンジン競争に入ろうかだったぐらいの理解でも間違っていないはずです。各メーカーがスポーティ・モデルを次々に投入していたので、AE86はトヨタの70点主義ぐらいの1台ぐらいの認識だったのかもしれません。

 今も変わらない部分はあると思っていますが、スポーティ・モデルを評価するのはスペック厨になってしまいます。この辺は今では考えられない程に情報量がプアだったのが拍車をかけていた部分は確実にありました。それこそ1馬力でも多い方が早いから欲しいぐらいです。

 そういう中でのAE86の評価は飛びぬけて高かったとは言いにくいぐらいです。ですから、頭文字Dを知るまでAE86の事なんてすっかり忘れていたぐらいです。高橋啓介のセリフだったと思いますが、

    10年前のボロハチロクに・・・
 これ実感もって読んでました。今さらトレノかよ、みたいな感じです。でも良かったんじゃないかと思います。頭文字Dのヒットがなかったら、それこそ完全に忘れられたクルマになっていたかもしれません。

 じゃあ、今からでも乗りたいかと言われたら・・・旧車の維持費用の莫大さに目眩がするからパスです。個人的にはAE86よりヨタハチが好きですが、あれだって実際に乗って走らせたらすぐに悲鳴を上げそうです。見果てぬ夢として遠くから眺めるのがお似合いだと思っています。