ツーリング日和5(第3話)さんふらわあ

 仕事を午前上がりにしてもらって南港に出発。今日のフェリーは十七時五十五分出航で、その一時間前には乗船が必要だから、十五時にはポーアイを出発。

「さすがに混んでるね」
「平日やさかいな」

 フェリーはさんふらわあか宮崎フェリーの二択。宮崎フェリーなら神戸出航だし、料金も少し割安だったけど、

「やっぱり、さんふらわあ」

 前からそう思ってたのもあったけど、船内はさんふらわあの方が基本的にリッチなのよね。というか、宮崎フェリーはエコノミー過ぎた。特等はさすがだったけど、一等でもちょっとって感じ。

「メシもな」

 これだって宮崎フェリーの方が安いのだけど、内容が料金なり過ぎた。だって女の子でしょ、少しでも小綺麗でオシャレな方が良いじゃない。せっかくの船旅だもの。フェリーの旅は時間さえ目を瞑ればリーズナブルだけど、過ごす時間も大事だよ。

「ほとんど寝てるけどな」

 それでもね。取った部屋はデラックス。スイートにも心が動いたけど、これで十分よ。窓もちゃんとあるものね。この辺の贅沢感覚は微妙なところがあるけど、スイートまではさすがにね。

「まずメシやな」
「楽しみ」

 バイキング形式だけど、志布志航路には単品の追加はないのか、ちょっと寂しいな。でもメニューはさすがに充実してるよ。明日に備えてしっかり食べて、飲んで、

「風呂行こか」

 展望大浴場になってるけど、日が暮れるとただの窓ね。明日の朝にもう一回入らなくっちゃ。風呂を上がって部屋に戻っても良かったけど船内をブラブラ。

「山陰ツーリング以来ね」
「あん時は阪九フェリーやったよな」

 あの時のツーリングも面白かったものね。そんな話をしながら歩いてたら、男と目が合ってしまい

「こんにちは」

 声をかけれた。若いな。若いけどさすがに学生は無理があるから社会人ぐらいだろ。格好からすると、

「ツーリングか」

 しまったコトリに先手を取られた。もう棺桶に足どころか、首まで突っ込んでる歳になっているというのに、まだ男に手を出すか。だいたいだよ、目を付けられたのはわたしのはず。負けてられるか、

「ソロツーですか」

 一人なのよね。お手洗いとかで席を外してる可能性もあるけど、

「ええ、ソロです」

 バイク乗りにはソロツー主義者が少なからずいるからね。これもソロにこだわりのある者から、単に大規模マスツーが嫌いなだけまであるんだよね。そうだね少数マスツーもするけど、ソロツーでも全然気にしないタイプって言えば良いのかな。

「ソロツーも嫌いじゃないですが、マスツーも好きですよ」

 だったら、

「明日はどの辺走る予定や」

 クソッ、またコトリに先手を取られた。なるほど、気ままツーリングでその日の宿はその日に決めるって事ね。それなら、

「ほなら一緒にマスツーせえへんか」

 またやられた。今日は調子が良くないよ。明日は挽回してやる。

「カケルって呼んでください」

 それからあれこれ話をしたのだけど、高校を卒業してパティシエの世界に飛び込んだんだって。料理好きみたいだけど、甘いものが好きだったんだろうな。パティシエの世界もコックや板前と同様に徒弟修業の世界で修業過程で階級がある。

 作るお菓子は甘くとも、修業は甘いものじゃない。階級は店によって変わる部分はあるけどカケルの勤めていた店では、

 アプランティ
 コミ
 プルミエ・コミ
 シェフ・ド・パルティ
 スー・シェフ
 シェフ

 アプランティは見習いになるけど、見習の中でも新人、ここはやっぱり新入りって言い方がピッタリくるかな。これを一年ぐらい耐えたらコミになる。コミも見習いだけど二年目まで生き残っただけ上の感じ。

 コミを続けて行けばプルミエ・コミ、見習のベテランぐらいの意味にもなるけど、少し違う気がする。コミの中でも、さらに上の階級を目指せるコミぐらいがより正しい気がする。半人前ぐらいの価値として良いかもしれない。

 コックや板前もそうだけどパティシエも職人の世界なのよ。弟子入りして階級を上げて行くのだけど、これはどの店でどの階級にまで進んだかが経歴になり、その経歴で次の転職が決まる部分が大きいのよ。

 同じプルミエ・コミでも一流店と二流店では扱いが違う。一流店ならスカウトや引き抜きまであるけど、二流店では頼み込んで入店してもコミに逆戻りもある。ぶっちゃけ実力の世界。一流店の階級が重視されるのは二流店より実力がある物差しみたいなもの。

 プルミエ・コミの上がシェフ・ド・パルティになるけど、これは日本語にすれば部門長ぐらいになる。パティシエなら焼菓子部門と生菓子部門ぐらいになるはずで、二つの部門を経験してスー・シェフ、つまり副料理長への道が開けるぐらい。


 カケルが修業したのはドゥーブル・フロマージュで大阪の老舗だし名店。店名でもあるドゥーブル・フロマージュは有名だし食べたこともある。さすがって感じだったかな。カケルはそこでプルミエ・コミまで進んでいる。

 次はシェフ・ド・パルティになるけど、ここに上がるのは関門のはず。どんな組織でも上に行くほど椅子が少なくなるから、実力だけでなく運も必要になる。だからドゥーブル・フロマージュのプルミエ・コミの肩書で転職するのも多いけど、

「そうなんですが・・・」

 席が空きそうになったらしい。上に行くほど椅子が少ないのはシェフ・ド・パルティになっても同じで、スー・シェフの席が空かないといつまで経ってもシェフ・ド・パルティのままになってしまう。

 ドゥーブル・フロマージュのシェフ・ド・パルティともなれば、他店のスー・シェフ、さらにはシェフとして引く手はいくらでも出てくる。そうやって空きそうなシェフ・ド・パルティの席をカケルを狙ったのか。

「単純になりたかったのもありますが・・・」

 カケルもプルミエ・コミになった時点で転職を考えたこともあるようだけど、シェフ・ド・パルティの席が空きかけただけでなく、恋人が出来たのも原因か。喫茶部門のウエイトレスと将来を考えるとこまで深まっていたのだね。

 そりゃ、ドゥーブル・フロマージュのシェフ・ド・パルティともなれば、パティシエの中でも一目も二目も置かれるはず。地位と給料は連動するから、将来設計のためには欲しいだろ。自分の将来と恋のために店内コンペに臨んだってことね。

「課題は生菓子のオリジナルでしたが、コテンパンにされました」

 それって、実際に起こるの。話では良くあるけど、

「だから、ここにいます」

 カケルはコンペに向かって新作生菓子の研究に没頭してる。研究の末の自信作だったのだけど、

「コンペが始まるとナガトとまったく同じもの。さらのボクの作品はガタガタに」

 ナガトとはカケルのライバルであった平野長人。ナガトはカケルのアイデアを盗み、さらにカケルの材料に細工をしている。でもどうやって・・・まさか、

「まさかのまさかでした。亜衣が裏切ったのです」

 亜衣はカケルの恋人だったのだけど、ナガトに走り、さらにカケルのコンペ作品の情報を盗んで流しただけでなく、材料に小細工を施し作品をグチャグチャにしてしまっている。

「さらに盗作疑惑の噂まで立てられ店を辞めざるを得なくなりました」

 カケルはコンペに敗れただけでなく、恋人も奪われ、醜聞を負わされてドゥーブル・フロマージュから叩き出されたことになる。悔しかっただろうな。

「さすがにね。でも二年も前の話です。だからボクは元パティシエであって、今はフリーターです」

 彼女は、

「自分が食べるだけで精いっぱいで彼女なんてとても、とても」

 爽やかに笑ってるけど、ここまで立ち直るのにどれだけの苦労を重ねたんだろう。自分の夢も、恋人も一瞬にして奪われて、どん底に堕とされたようなものじゃない。パティシエへの未練は、

「ないと言ったらウソになりますが、あのコンペの醜聞は広がりましたからね」

 狭い世界だものね。でも同情しちゃった。

「コトリもそうや。そやけど話が出来過ぎてる気がせえへんか」

 コトリもそう感じたか。ツーリングの楽しみに持って来いの話の気がする。それより何よりカケルはイケメンだ。コトリに負けてなるものか。