ツーリング日和(第26話)バリ伝

 オレのユーチューブの番組はバイクがメインだが、バイクに関連していれば幅は広い。これは言い方が悪いな。狭い分野に特化していたのでは、いずれネタにつまり、飽きられるのがユーチューバーの側面でもある。

 そんな一環で過去の名ライダーや、名勝負の懐古特集もシリーズとしてやっている。基本は現在から過去に遡っていくスタイルだ。誰を取り上げ、どのレースをピックアップするかはオレの好みだ。

「杉田、ついにキングか」
「バリ伝の世界だ」

 ライダーにとってバイブル漫画の一つがバリ伝だ。基本ストーリーは王道で、バイク好きの高校生が才能を見出されてレースの世界に足を踏み入れ、鈴鹿の四耐で優勝するまでが第一部だ。そこから全日本選手権に参戦し苦戦を重ねながら王座に就くまでが第二部だ。

「そして第三部のWGP」

 この手の主人公がステップ・アップしていくストーリーは、最後は世界大会になるが、凡百の作品は、そこまでたどり着くまでに奇想天外の必殺技を駆使しすぎて、最後はトンデモ世界のバトルで尻切れトンボに終わることが多い。

「バリ伝に奇想天外の必殺技はないからな」
「現実に使えるテクニックやからな」

 バリ伝の世界大会の下敷きにされたのがWGPだ。

「ここは解説いるとこやな」
「今とはかなり違うからな」

 現代の最高峰はモトGPだがこれはWGPの後身だ。通算成績もWGPのものを受け継いでいるが、レースはWGP時代と様相が違う。一番わかりやすいのはカテゴリで、WGPのトップ・カテゴリは五〇〇CCであり、モトGPは一〇〇〇CCだ。

「モト2でも六〇〇CCだからな」

 百年以上の時代差があるから当時のタイムと比べるべくもないが、

「逆に言うと、あんなものよく乗っていたって代物だものな」

 バリ伝の頃のエンジンは2スト全盛だ。それも五〇〇CCの2ストだぞ。馬力だけで言えば今の一〇〇〇CCに匹敵する。

「それは言い過ぎやで。バリ伝の頃でも百六十馬力ぐらいやし、NSRの最終型でも二百馬力ぐらいや」

 確かにな。モトGPなら三百馬力を越えてるからな。バイクに限らずレース用エンジンの馬力アップはいつの時代も続けられている。技術的には進歩して馬力は上がるのだが、これを操作する人間の問題が出てくる。

「クルマでもラリーでグループBの時代があったからな」

 あまりに速度が出過ぎるマシンは、いかにプロ・レーサーと言えども操作を誤れば死に直結する。レースとはそんなものとも言えない事もないが、髪の毛ほどのミスが死につながるレベルになったために、

「レギュレーションがきつうなった」

 興行的にもそこまでの化物マシンを作れるメーカーは限定され、レースの勝利は、その化物マシーンのシートを獲得出来るかどうかになってしまっていた。またワークス・チームを送り込むメーカー・サイドも市販車との乖離が大きくなりすぎ、莫大な開発費をかけて勝つマシンを作ることに疑問を抱いていたぐらいだ。

 その結果としてレギュレーションは市販車として耐えうる範囲のものになっていったぐらいで良いと思う。オレや加藤が乗っているバイクはレース用マシンより劣るが、驚愕するほどの差はないとして良いだろう。

「チューンしたら追いつくで」
「そうは簡単にはいかないが、発想としてはそうだ」

 だがバリ伝時代のマシンはそうではない、各メーカーが先端技術の粋を尽くして作り上げたものだ。まだまだ技術的に発展途上であったと言えばそれまでだが、極端な話をすれば排気量さえ守ればなんでもありの時代だった。

「ヤマハのTZ二五〇なんて売ってたんだからな」

 これはサーキット専用マシンで公道は走れないが、二五〇CCで九十三馬力の化物だ。今のモト3が五十馬力だから凄まじさがわかってもらえると思う。とにかく当時のレース用の2ストマシンはモンスターだった。

「モンスターの意味は馬力だけやのうて、車体のプアさもあるで」

 マシンはエンジンだけでは走れない。エンジンを載せる車体がその強大な馬力を受け止めないといけないが、バリ伝時代はパワーが車体を凌駕していたで良いと思う。

「今は逆やな」
「そうだよな。だから加藤も乗れるのだけどな」
「ほっとけ」

 キングこそケニー・ロバーツはバリ伝時代の王者だ。ヤマハのエースとしてアメリカから招かれWGP三連覇の記録を残している。三連覇だけなら他にも成し遂げたライダーもいるし、最高は確か七連覇だったはずだが、

「今でもケニーはキングやし、ケニー以外にキングと呼ばれたライダーはおらへんはずや」

 ケニーの業績の一つにWGPにハングオンを持ち込んだことがある。ハングオンはサーキットだけでなく、峠の走り屋の基本テクニックみたいなものだが、当時のGPライダーはまだリーン・ウィズが主流だったと言われている。

「リーン・ウィズから見たらハングオンは曲芸みたいに見えたはずやけど、ケニーは世界一美しいライディング・フォームと言われたぐらいやからな」

 誤解を恐れず言えばケニーは今に続くライディング・フォームの創始者であり、創始者でありながら完成度が非常に高かったとしても良い。

「ひょっとしたら、今より上かもしれん。あの当時のバイクに乗って、今のライダーが同じタイムを出せるかは疑問やで」

 そこまでは言い過ぎだろうが、伝説どころか神格化されている名ライダーだ。

「ケニーが真の伝説になったのがあのシーズンだな」
「ああ、あの伝説のシーズンだ」

 無敵の王者はそれだけで偉大だが、あまりに頭抜けた強さの一強時代で終わればかえって記憶に残らない。記憶に残る名ライダーには強大すぎるライバルが存在する。

「フレディ・スペンサーやな」
「あの二人が同時代に存在し、死闘を演じたのが奇跡のようなものだ」

 フレディも天才と呼ばれ、フレディの天才の呼び名も、今に至るまで他のライダーに付けられた事がないはずだ。フレディのテクの代名詞が、

「ドリフトや!」

 ドリフトも今ではサーキットの常套テクニックだ。当時でもドリフト・テクニックはGPライダーなら駆使できたはずだが、時代的にはグリッド走行が主流だった。だがフレディはコーナーを攻める常套テクニックとして使いこなしている。

「バリ伝でも、普通の走り屋どころかサーキットの並みのレーサーがグンのドリフトをみて驚愕するシーンは何度もあるものな」
「ピレネーなんてそうだ。バリ伝はフレディの出現後に描かれたものだが、それでもバイクのドリフトは神業技術であったのはわかる」

 もちろん今でも高等テクニックだ。四輪のドリフトも難しいが、二輪のドリフトの方がはるかに難しいからな。加藤じゃ無理だ。

「ウルサイわいと言いたいが、コーナーでタイヤを滑らすなんて狂気の沙汰や」
「オレだって公道でやろうとは思わん。命が惜しいからな」

 ドリフトはコントロールを少しでも間違えばバイクでは転倒になり、公道では死に直結しかねない。

「そんな二人が激突したのが一九八三年のWGP」
「夢のシーズンだよ」

 一九八三年は全十二戦で行われ、ケニーが六勝、フレディが六勝でこの二人しか優勝していない。

「ポールポジションも六回ずつだものな」

 バリ伝は一九八三年のシーズンを下敷きに描かれていて、マンガらしい奇跡の逆転劇で話を盛り上げている。だがマンガの世界であっても、

「グンとラルフの二人舞台に完全には出来なかったな」
「あんなもの実話だから成り立つもので、マンガでやったらウソくさいだけだ」

 ケニーとフレディのテクニックは完全に時代を先取りしていた。他のライダーでは同等の戦闘力のマシンを与えられても追いつけもしなかった。それぐらいの差があったのが一九八三年だ。

「それぐらい扱い難いマシンだったとも言えるな」

 加藤の言う通りで良いと思う。スペック上の馬力でこそ百六十馬力でも、パワーバンドは極端に狭いガチガチのピーキー・エンジンだったらしい。

「それこそパワーバンドを少しでも外せばパワーはだだ下がりだったらしいで」
「ダンパーやサスだって今と比べ物にならないだろうしな」

 それだけじゃない、タイヤだってウソのようの細い。もちろんタイヤの質も今とは大違いのはず。ちょうどバイアスからラジアルへの移行期だったはずだ。扱いにくいエンジンと貧弱な車体とタイヤ、

「あの頃は人が占める部分が今よりもっと大きかったんやと思うで」
「だから他のライダーとあれだけ差がついたのだろう。古き良き時代だよな」