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「タケシはずくあるね~」
福寿荘は一階に雑貨屋兼土産物売り場と食堂があり、二階が客室です。ここでの仕事は部屋の掃除、洗濯、配膳、店番、さらに食堂の手伝いです。ここで調理を教え込まれたのも懐かしい思い出です。
福寿荘の御主人は福丸さん。学生時代からの付きあいです。付きあいというか、学生時代はここで住み込みのバイトをやってました。そのバイトの合間に撮影をさせてもらう感じです。
バイト代は雀の涙ほどでしたが、部屋と食事を提供してもらう感じです。学生時代は夏と春に来ていて、家族同然の扱いでボクの心の故郷みたいなところです。今回もまた住み込みバイトをさせて欲しいと頼むと。
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「わかった」
話は学生時代の思い出話ばかり。この歳になって突然転がり込んできたので、余程の事情があると察してくれてるんじゃないかと思っています。
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「気のすむまでいたら良いだに」
あの日を最後にカメラは触ってません。触ってないどころか学生時代から愛用していたカメラもレンズもカネに換えました。ボクがカメラに熱中していたのは福丸さんも良く知っていましたから、
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「カメラは?」
「用でもなくなったし」
「そうか」
ここで暮らしていると、神戸時代が夢のように感じることがあります。毎日毎日、ピリピリとした緊張感に包まれ、ひたすら写真の事だけを考え、悩み抜いた日々がボクにあったなんて信じられないぐらいです。やるだけの事はやったと思っています。そして終わったんだと。
あの後に実家に帰る選択もありましたが、どうしても気が向きませんでした。とにかく神戸から離れたいと思っていましたが、思いついたのがここだったのです。カメラから、写真から離れる時間が欲しかったのと、疲れ切った心を癒す時間を過ごしたいぐらいです。
あれから三ヶ月。だいぶ落ち着いてきました。心の整理が全部つくには程遠いですが、アカネ先生への思いで夜も寝られなくなるほど狂おしくなるのは減って来ています。そう、もうアカネ先生は手の届かない遠い人になってしまったのです。
ただ最後の撮影の時の不思議な感覚だけは忘れられそうにありません。あの時は、フォトグラファーを目指した者として、自分が撮りたいものを撮ろうと決めていました。そう、愛しのアカネ先生を思う存分撮ろうと。
そうやって心を決めると、どう撮りたい、どう撮れば良いかのイメージが次々に湧いてきたのです。そのイメージを追い求めシャッターを切り続けたのです。頭の中にはそれしかありませんでした。
そこには写真を撮る上の計算とか、約束事みたいなものはどこにもなく、ひたすら自分の描くイメージがあるだけでした。あれがひょっとしたら、自分の世界だったのかもしれません。もう過ぎ去ったことですが、一瞬でもあの境地に達したことだけは満足しています。
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「タケシ、あの荷物、納屋に押しこくってくれたか」
「押しこくるったって、納屋にはもう入りませんよ」
そんな日常を送っていたのですが、福丸さんに呼ばれました。いつになく真剣な顔に違和感を覚えたのですが、
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「タケシ、立木さんを覚えてるか」
立木さんは隣町で立木写真館を経営されてます。谷奥温泉にも良く来られてまして、ここの食堂に立ち寄って良く話をしたものです。あの頃はボクも写真のプロを目指してましたから、写真談義に花を咲かせたものです。
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「立木さんも歳でな、さすがに仕事もごしたいみたいだ」
もう八十歳近いはず。
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「だから助手を探しておられる」
「ちょっと待ってください、カメラは」
福丸さんはさらに厳しい顔になり、
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「神戸で何かあったかは聞く用でもない。だがな、ここでつくなるのは良くない。タケシは写真をするべきだ」
「でも・・・」
「男がこれにすると決めたものをいきなりにするな。タケシはまだ若い、立木さんとこへ行け」
押し問答になりましたが、福寿荘から追い出しかねない福丸さんの気迫に負けてしまい立木写真館に移ることになりました。
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「は~るかぶりやな」
「お世話になります」
立木写真館はいわゆる町の写真館。結婚式や成人式、七五三などの記念写真がメインになります。最初は乗り気がしなかったのですが、そんな時にアカネ先生の言葉が頭に浮かんできたのです。
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『でもね、これも仕事だよ。オフィスの看板背負ってるのを忘れないように』
そうだ、今は立木写真館の看板を背負ってるんだ。やっつけ仕事は許されません。それとどうしても定番写真になりますし、立木さんも、
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「おらはこうしてる」
こう言われましたが、ここでもアカネ先生の言葉が甦ります。
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『タケシ、どうしてわざわざオフィスに仕事を頼んでるか考えたことがある? タケシの写真ぐらいなら誰でも撮れるのよ。それ以上のものをクライアントが要求しているのをキモに銘じといてね』
さらに、
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『タケシ、工夫がないと思えば終わっちゃうんだ。なんの変哲もないものでも、工夫の余地はいくらでもあるんだよ』
アカネ先生が一番嫌ったのは、
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『ありきたり』
『つまらない』
定番としか思えないようなものでも、アイデアと工夫を盛り込むのを要求されました。そうだ、こんな定番ものにどれだけアイデアと工夫が出来るかやってみようと頑張って見たのです。立木さんも最初は、
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「変わった写真撮るな」
こう言ってましたが、そのうち、
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「なるほど、おらも使ってみよう」