シノブの恋:バーの出会い

 シノブも三十階の住人になっています。つまりはユッキー社長やコトリ先輩との同居生活。ミサキちゃんは結婚して新居に引っ越しちゃったけど、シノブがいるだけでもユッキー社長もコトリ先輩も嬉しそう。

 女神の集まる日にはシオリさんも来るし、何故かメンバーになってしまっているアカネさんも来るんだよ。アカネさんは楽しい人で、コトリ先輩よりキャラはぶっ飛んでるんじゃないかと思ったりしてる。もっとも本業では、

    『渋茶のアカネ』

 シオリさんと並び称される巨匠なんだよね。一枚撮ってもらうのに、依頼料もそうだけど、とにかく撮影予約がビッシリ詰まってるから、なかなか撮ってくれないので有名。三十階ではシオリさんが、

    「アカネ、今日はカメラ係だ」
    「またですか。アカネはご飯食べたい」
    「だから食ってもイイし、飲んでもイイけど、質が下がったら許さん」

 こんな感じで気楽に撮ってくれるんだけど、あれ一枚でどれほどするかと思うだけで怖いぐらい。三十階の生活自体は楽しいけど今日は気分転換で、

    『カランカラン』
 バーに独りで飲みに来てる。このバーも思えば長い付き合いになるのよね。クレイエール時代にコトリ先輩に連れて来てもらったのが始まりになるから、もう七十年以上になるもの。

 マスターは百歳を越えても現役でシェーカーを振ってて、ギネス認定の世界最高齢バーテンダーとして記録されてる。もっとも晩年、しばしばシェーカーが吹っ飛んじゃって、これも名物になってた。

    『さすがに歳です』
 こうやって苦笑いしてたけど、このマスターも遂に亡くなっちゃった。葬儀の時にはコトリ先輩は大きな花輪を出してたし、参列もしてた。コトリ先輩だけでなく、エレギオンの五女神はすべて参列し、それだけでちょっとした話題になってたよ。今は孫弟子にあたる方が店を継いで守ってくれてる。


 ここのバーには女神の歴史が刻まれてるんだ。コトリ先輩が山本先生と出会い、告白とプロポーズの祝杯を挙げたのもここ。さらにコトリ先輩と熾烈なラブバトルの末に、シオリさんが山本先生と三杯目のチェリー・ブロッサムを乾杯したのもこのカウンター。

 シノブもシオリさんと初めて出会い、首座の女神から四座の女神を譲られたのもそう。ミツルとの初デートもここだった。女神たちは何かあるとこのバーに立ち寄り、恋愛や人生について語りあう掛け替えのない場所だよ。

    「ホワイト・レディをお願いします」

 今日のシノブの目的は、ここで恋が生まれないかの期待。ホワイト・レディはその昔、山本先生が独り侘しく飲んでいた時にコトリ先輩を呼び寄せた魔法のカクテルなんだ。コトリ先輩は、

    『あははは、恋を呼ぶカクテルってカズ君は言ってたよ』

 それにしても混んでるな。シノブが来た時も空いてたのは、この一席だけだったもんね。商売繁盛はイイことだけど、この雰囲気じゃ恋は生れそうにないよね。みんな楽しそうだな、カップル、仲間連れ、みんな盛り上がってるし。これだったら三十階で飲んでたら良かったと思ったその時に、

    「すみません」

 ふと隣を見るとグラスをひっくり返してた。それが、こっちまで流れてきてる。酔ってるのかな。バーテンダーさんが手際よく片付けてくれたけど、やだぁ、シノブの服まで濡れてる。

    「本当にゴメンナサイ」
    「いえ、お気になされずに」
    「せめてお詫びをさせて下さい」

 今日のシノブは白のワンピース。確かにお酒がかかってシミになりそう。これぐらい、どうって事はないのだけど、ちょっとお詫びしてもらってもイイか。

    「では何か一杯おごって下さいますか」
    「もちろんです」
    「ではジン・フィズを」
 あんまり高そうなのを頼むと悪いものね。どうもお隣も一人で来ていたらしく、妙なキッカケですが話が弾んじゃいました。


 なんとなく因縁めくんだけど、男の商売は医者。歳は三十五歳で勤務医で独身。見た目はイマイチだけど、なぜか緊張させない雰囲気を持ってるのよね。

    「学生さんですか」

 そう見えるよね。見た目は二十歳過ぎだもの。もうちょっと歳を進めてもイイんだけど、ユッキー社長やコトリ先輩ほど微妙な調整が出来ないから、そのまま。さて、どうしよう。学生でもイイけど、

    「いえ社会人です」
    「よろしければお名前を」

 ここは考えどころ。エレギオンHD勤務、さらに専務なんてバレたらエライ事になりそう。どうしようかな、そうだ、

    「結崎忍です」

 夢前遥じゃ、調べたらバレそうだし。さて、この男の名前は伊集院優。

    「鹿児島の方ですが」
    「いえ、祖父の時にこちらに引っ越しています。へぇ、伊集院と聞いただけで鹿児島と結び付けられるとはビックリしました」
 えへ、シノブも歴女なんだよ。なんたって歴女の会の元会長。歴研との討論会で勝ったぐらい。もっとも、あの時はコトリ先輩の独壇場だったけど。さすがにエレギオンHDに移ってからは歴女の会とも縁は切れちゃったけど、今でも歴女は歴女。

 どうも話を聞いていると、伊集院さんも歴史オタクで良さそう。こりゃ、ホントに因縁めいてるかもしれない、このバーで、ホワイト・レディを飲んでる時に、偶然知り合うことが出来た歴史オタクの医者。

 コトリ先輩とはシチュエーションは逆だけど、これは絶対に何かあるはず。これで、なにか無ければウソでしょ。気合を入れて伊集院さんを見直したけど、悪い男ではない。見た目はミツルと較べたら可哀想だけど、嫌いなタイプじゃないもの。

 そう、女神にとって見た目は二の次ってユッキー社長も、コトリ先輩も言ってた。シノブも実感してる。あのミツルが老いさらばえ、最後は認知症でシノブの事さえ忘れてしまったのに、胸を張って愛していたと言えるもの。

 女神が評価するのはハート。それがどれだけ綺麗かなんだ。三女神が争った山本先生は飛び切りだった。シノブだって魅かれまくったぐらい。女神たちが山本先生を今でも大切に思っているのはそのせいだと良くわかる。

 シオリさんの旦那の星野君も綺麗。ミサキちゃんの旦那のディスカルだって、あのミサキちゃんが、あそこまでストレートにゾッコンになるのがわかるぐらい。そういえば、マルコも瞬間湯沸かし器だったけど、ハートは綺麗だった。

 伊集院さんも綺麗に感じる。そりゃ、あの見た目で、歴史オタクだったら、一般受けしないかもしないかもしれないけど、十分に評価できる綺麗さを感じるもの。

    「結崎さんも歴史に興味があるとはうれしい限りです」
 とりあえず歴女の会のメンバーって名乗っておきました。ウソだけど間違いないじゃないぐらいは言えるよね。えっと、えっと、コトリ先輩の時は、ここからどう流れたんだっけ。たしか一の谷の合戦の話から、須磨山上遊園にハイキングになったはず。

 これも誘った方も誘った方だけど、大乗り気で出かけたコトリ先輩を尊敬する。もっともあの二人は初対面じゃなく、高校の同級生だったから、そこの差はあるか。

    「お恥ずかしいですがミーハー系の歴女なんです」
    「ミーハーであろうが、なんであろうが歴史好きは歓迎です」
    「でもミーハーだけじゃなくて、もうちょっと歴史を深く知ってみたいと思ってます」

 これはウソじゃない。もう何年前になるのだろう。シオリさんとコトリ先輩がラブバトルで火花を散らしている時に、桶狭間の話を聞いたことがあるんだ。概略だけだったけど、そこまでムックを積み上げる過程が羨ましくて、羨ましくて。

    「ボクで良ければお相手しますが」
    「それは是非」
    「では、来週の同じ時刻にここでお会いしましょう」
 これはデートの誘い? それとも座興? でもこれで終りにしたくない気持ちがいっぱい。恋は突然に舞い降りることがあるんだよ。歴史の話を聞きたいのはウソじゃないけど、それ以上にもう一度会って話をしたい。

 話をして伊集院さんをもっと知りたい。シノブの予感なら知れば知るほど好きななりそう。あのホワイト・レディって、女が使えば歴史オタクの医者を呼ぶカクテルかもしれない。それもハートの綺麗な男を。

    「今晩は服を汚したお詫びだから、奢らせてね」
 あれっ、シノブが御手洗に行ってるうちに会計を済ませてたんだ。なかなかやるじゃん。来週もこのバーに来てみよう。