女神伝説第2部:その日

    「佐竹次長、結崎本部長からお電話です」
 出勤してしばらくしてからシノブから連絡があり、小島本部長がお休みで、それも無断欠勤であるとのニュースが飛び込んで来ました。この噂は午前中の内には社内に広がり、どこでもその噂で持ちきりになりました。前回の舞子の事件がイヤでも思い出されています。

 ボクはシノブと香坂君に連絡を取り、昼休みにマルコの部屋で落ち合うことにしました。本来ならシノブの部屋と言いたいところですが、本部長にもなっているのに他の部員と机を並べて仕事がするのが好きで、未だに部長室とか、本部長室を持っていないからです。

 小島本部長と偽カエサルの関係は、小島本部長が籠絡されてしまう公算が高いと読んでいましたが、無断欠勤となると籠絡されなかった公算が高くなります。籠絡されずに出勤であれば良かったのですが、無断欠勤となると監禁されているというのがボクの読みです。それだけでなく、偽カエサル側は小島本部長を監禁したとなると次の行動が連動して早くなるはずです。

 次の行動とは本来のターゲットであるマルコ氏を誘拐し、道連れとして香坂君とシノブも誘拐して国外逃亡することになります。さて、これにどう対応するかを早く考えないといけません。さすがに社内にいるうちは偽カエサル側も動きようもありませんから、動くとしたら帰宅時か帰宅後を襲うことになるはずです。問題は守るか、攻めるかです。

 偽カエサルは小島本部長を監禁したからには、一刻も早く日本から脱出したいはずです。守るだけなら、しばらくの間、どこかに逃げて身を隠すと言うのはあります。これのネックは、偽カエサルの目的がマルコ氏にある点です。数日で国外に逃げてくれれば良いですが、見つかるまで小島本部長の監禁を続ける可能性があります。それとこれでは小島本部長を見殺しにしてしまいます。小島本部長もボク等の仲間なので救出しなければなりません。

 警察は現時点では頼れません。仮に頼れたところで、すぐに偽カエサル一味が逮捕されて小島本部長が救出されれば良いですが、そうならない時には小島本部長を見殺しにしてしまいます。つまりは身を隠して守る作戦と同じ結果しか得られません。

 そうなると攻めるになりますが、襲ってきたところを逆襲して偽カエサル一味を捕まえるのは現実的に難しいところです。ボクも元ラガーメンですから、それなりに体に自信はありますが、ラグビーは格闘術ではありませんし、相手が複数となると限界があります。マルコ氏が加わってもその点は変わらないと思います。さらに、相手は拳銃を持っている可能性もありえます。

 やはり対応として、警察をいかに上手に巻き込むかになってきます。それも警官が一人や二人駆けつけた程度では偽カエサル側に撃退されてしまう可能性が十分にありますから、大きな規模の動きにする必要があります。そのための具体的な策を立てないといけません。もう、仕事なんか手に着きようがありません。昼休みにマルコ氏の部屋に四人は集まりましたが、誰も緊張感を隠せません。ボクは午前中に考えていたことをまず話し、

    「もし偽カエサル側動くとしたら、今晩か明日。今晩の公算が高いと見てる。彼らはマルコ氏を襲いアジトに拉致すると考えてる」
    「そうですね、アジトからさらに国外脱出用の船に移動する手はずだとわたしも思います」
    「そこでなんだが、うちとマルコ氏が分散しているのは、良くないと思う」
    「どういうことですか?」
 ターゲットはマルコ氏なので、マルコ氏の家を襲うのは明らかですが、シノブも狙ってうちの家も襲われるとボクが問題になります。ボクは偽カエサルに取って不要な人間です。最悪で言えば一緒に拉致されて処分される可能性もありますし、頭でもぶん殴られて昏倒させられてしまうぐらいは普通に考えられます。

 誘拐阻止作戦の要は、ボクが元気で動けて警察への通報役にならないといけません。ボクが動けなくなってしまうと偽カエサルは悠々と国外に逃亡してしまいます。そうなるとこれを追いかけるのは非常に困難になります。どうしてもリスクの高い作戦しか思いつかないのが悔しいですが、

    「息子は実家に預けて、シノブは今夜はマルコ氏の家に泊ってもらう。ボクもマルコ氏の家に泊りに行くとするが、ボクは途中で家から出る」
 うちの家ではなくてマルコ氏の家にしたのは、うちがマンションで、マルコ氏の家が一軒家である点です。クレイエールはマルコ氏招へいにあたり、立派な家を提供しています。
    「籠城するなら、マンションの方が守りやすいんじゃないですか」
    「籠城が目的じゃないんだ」
 襲うなら一軒家の方が襲いやすくなります。ボクの狙いはマルコ氏の家が襲われると同時に警察に通報する事です。そうやって警察を大規模に巻き込まないと偽カエサルの攻撃を防ぎきれません。後は発信機を付けている三人の位置を警察に通報しながら偽カエサル一味を警察に追わせるのです。
    「サタ〜ケ、無断で悪いと思ったが、ドクター・ヤマモトにある程度、事情を話したら協力してくれると言ってくれた。ドクター・ヤマモトもコト〜リの友達で、なんとか救出に手を貸したいとのことだ」
    「それは危険・・・」
 そこで言葉を飲み込みました。山本先生が小島本部長の力になりたいのは心からのものと思いますし、密かに首座の女神の意向も働いてる気がします。
    「申し訳ないが、協力してもらおう。山本先生に連絡を取って作戦の打ち合わせをしておく。それと既にボクらは敵の監視下にあると見た方が良い。会社を出れば尾行ぐらいは付いてると思った方が良い」
 今日は四人とも仕事を早々に切り上げました。日があるうちに襲われる危険性は低いと考えて、まずはシノブと家に帰り、クルマで保育園に息子を迎えに行き、実家に預けてからマルコ氏の家に向かいます。ボクは手早く腹ごしらえをして、尾行に注意しながら山本先生の診療所に向かいました。到着すると、
    『臨時休診』
 この貼り紙がありましたが、玄関のカギはかかっておらず、中に入ると山本先生が待っていました。診療所で山本先生のクルマに乗り変え、マルコ氏の家から程近いところに止めて待機です。山本先生は、小島本部長とは高校時代の同級生であり、恋愛関係どころか婚約まで進んでいた間柄です。シノブや香坂君とも知り合いで、マルコ氏とも道場仲間です。ボクも、シノブとの初デートの時と、小島本部長が先生のマンションの前で倒れられた時にお会いしています。
    「佐竹さん。コトリちゃんをそんな目に遭わす奴は許さない。今日は本気で行くから」
 静かに闘志を燃やされているのがヒシヒシ伝わってきます。ボクの計画を話すと、
    「ちょっとリスク高いなぁ。敵が踏み込んだ瞬間に乗り込んで、二人で叩きのめしたら早いんちゃうか」
 これについては敵が拳銃を持っている懸念と、乗り込んだ時に三人を人質として盾にされる懸念を話すと、
    「懸念はわかるけど、こういうものにノー・リスクはないんやで。どうも佐竹さんの作戦は芸が細かすぎると思うけど、とりあえず従っとく。船頭は一人の方がエエからな」
 山本先生の懸念も良くわかりますが、どの選択が最善なのかはボクにも不明です。日は沈み、夜が訪れます。ジリジリ、ジリジリと時間だけが経っていきます。つれづれに山本先生と小島本部長、加納さんとの関係をお聞きしましたが、どうにも上の空です。頭の中は偽カエサルの襲撃が起った時の手順の整理と、そこから考えられるシミュレーションで一杯です。
    「佐竹さん。さっきはあんなこと言うて悪かった。こういう時には自分の読みを信じるんや。それとあんまり考えすぎるのもエエことあらへん。あんまり考えすぎると、想定外のことが起った時に動けんようになってしまうものや。ドンと来いの気分で待った方がエエよ」
 山本先生が来てくれて本当に良かったと思います。一人で待機していたら緊張感に押し潰されてしまうところでした。時刻は既に零時を過ぎました。ここまででもたまらないぐらいの緊張の連続ですが、ここからがより危険な時間帯になります。まさに草木も眠る丑三つ時に、
    『ガッシャーン』
 ガラスの割れる音が聞こえます。山本先生は急いでクルマをマルコ氏の家の前に回します。そこには三台のワゴン車が止まっており、相当な人数がマルコ氏の家に乗り込んでいる気配が窺えます。ボクは手はず通り警察に急報しましたが、その電話の最中に三人が家から連れ出されるのが見えます。運転席の山本先生を見ると写真を撮られていました。
    「佐竹さんの読みが当たったみたいや。あれだけの人数がいると二人で殴りこんでも、しんどかったかもしれん。とりあえず証拠写真だけは撮っといた」
 確認すると発信機のSOSはオンとなっています。敵の動きは手慣れたもので、三人をワゴン車に押し込むとクルマを出させます。襲撃時間は五分もあったでしょうか。いわゆるプロの手際よさを感じます。警察は急行してくれると思いますが、待っていても仕方がないのでワゴン車を追います。
    「佐竹さん、この発信機のポイントやけど、マルコさんの家とワゴン車の両方にあるのはどういうことや」
 二重の発信機の装着の話をすると、
    「よう考えたな」
 ここでボクの計画ではアジトを確認してから警察に通報でしたが、山本先生は、
    「こうしとき。佐竹さんは今日の仕事が遅くなった。たまたま帰宅した時に襲撃を見たから、現在追跡中って」
 このアドバイスに従って警察に連絡を取ります。これも山本先生が居てくれてこそ出来ることで、一人で追跡しながら、一人で警察と連絡を取り合うのは難しいというか、思いつきもしませんでした。
    「佐竹さん、どこに向かいそうや」
    「どうもポーアイみたいです」
    「それやったら道変えよ」
 深夜にベッタリ追跡したら気づかれるかもしれないので、道を変えて行こうの提案です。ワゴン車は神戸大橋に向かいましたが、ボクらは港島トンネルからポーアイに向かいます。ポーアイに着いて、
    「どっちに向かってる」
    「神戸大橋から東に向かっています」
    「警察に続報いれとき。それとこれはヤバイかも」
 どう『ヤバイ』かと聞いたのですが、ボクの読みではまずアジトに連れ込んでから、監禁されている小島本部長を連れ出し、そこから船に向かうと考えていましたが、山本先生は、
    「三台も多すぎると思たんや。コトリちゃんもワゴン車の中にいると思うわ」
    「そうなると・・・」
    「アジトに立ち寄らずにそのまま船に乗る気や。その辺はライナーバースのはずやから、荷物の積み下ろしを終えた船を待機させとると思う。乗り込んだら即出航の感じや」
 発信機の信号を頼りに追いかけて行くとあのワゴン車らしきものが見つかりました。黒づくめの男たちが船に乗りこもうとしています。
    「警察はまだみたいやな。なんとか警察が来るまで足止めしとかんとアカン。佐竹さんはここで連絡役で待っといて。ボクがちょっと行ってくる」
 そう言い残すと山本先生はクルマから下りて黒づくめの連中の方に走り寄りました。なにか短いやり取りがあったみたいですが、すぐに乱闘になります。山本先生は『本気』と言ってましたが、殴りかかってきた最初の男を投げ飛ばします。しかし相手は大勢ですから取り囲まれたら不利と判断したのか、動き回りながら戦っておられます。その時です。
    『パァーン、パァーン』
 山本先生は崩れ落ちるように倒れます。ボクは急いで駆けつけましたが、既に黒づくめの男たちは船に乗り込んでいます。まだ警察は来ません。船は埠頭を離れていきます。どうしたら良いか立ち尽くしていた時に、
    『ドッカーン』
 船が爆発しました。やっと到着した警察は水上警察に連絡を取っているようです。山本先生も救急車に収容されて病院へ運ばれていきます。船に乗り込んだ警察は小島本部長、シノブ、香坂君、マルコ氏の救出に成功したみたいです。ボクも警察に連れて行かれて事情聴取です。大変な一夜が過ぎて行きます。