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「お邪魔します」
「いらっしゃい。シノブ、香坂君がいらっしゃったぞ」
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「あははは、シノブは天使だよ。人が天使に勝てないのは当たり前。一緒に暮らしているだけでも良くわかるもの。そんな天使を奥様にしているだけで世界一の果報者。肩書が下になっている事なんて、どうでも良いことなんだよ」
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「そう言われるのが恥しいよ。だって、シノブがやる方が十倍ぐらいは手際が良くて、ボクが頼み込んでやらせてもらってるんだよ」
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「気を使うほどの事じゃないよ。考えてごらん、シノブが持ってきたら重役が運んでくることになるから、もっと気をつかうだろ」
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「ミサキちゃん、私はカエサルがエレギオンを滅ぼしたのはゼラの戦いに勝った後とずっと思っていたの。でもユッキーさんの話じゃそうじゃないのよね」
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「ミサキちゃん、おさらいだけどファルサルスの戦いがあったのが紀元前四八年八月」
「これに敗れてエジプトまで逃げたポンペイウスが殺害されたのが同年の九月二九日だから一か月ぐらいですね」
「そしてポンペイウスが殺害された数日後にカエサルはアレキサンドリアに到着したとなってるわ」
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「ここからが有名な話になるんだけど、カエサルはクレオパトラ七世を愛人にするのよね。カエサルの事だからクレオパトラも好きだったんだろうけど、クレオパトラを立てた方がエジプトが安定すると判断したんだろうぐらいに見てる」
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「アレキサンドリア戦役は紀元前四七年二月のナイルの戦いで決着が付いたと見て良いと思うけど、この年の六月までカエサルはエジプトに滞在を続けることになるの。戦後処理もあったと思うけど、同時にクレオパトラと遊んでいた時期になるのよね」
「おそらくユッキーさんが言っていた、カエサルがクレオパトラと遊んでいたの期間ですから、偽カエサルがエレギオンに来たのはこの間だと見て良いと思います」
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「ところでシノブ部長。ローマ軍団ってよく言いますが、何万人ぐらいの単位だったのですか」
「何万人? そんなにいないよミサキちゃん。カエサルの時代の編成は、まず百人隊が基本にあってこれが六つ集まって大隊を形成していたの。この大隊が十個集まったのが軍団だよ」
「じゃあ、一個軍団って六千人ですか」
「この辺は編成になるから細かいことを言いだすと長くなっちゃうけど、当時の主力は重装歩兵で、この主力兵の数が六千人ぐらいと考えておいたら良いと思うわ。これに騎兵部隊とか、補助兵種の軽装歩兵部隊が加わる感じかな」
「じゃあ、一個軍団は六千人でイイのですね」
「そうなんだけど、カエサルの軍団は少し違うの」
「もっと多かったのですか?」
「逆よ、もっと少なかったの。軍団って戦えば戦死者や負傷者が出るじゃない。とくにカエサルの軍団は九年間もガリアで戦っていたし、ファルサルスの決戦前にもスペインでもポンペイウスの軍団と戦っているの。戦うたびに欠員が生じるんだけど、原則としてカエサルは欠員補充をしなかったの」
「戦いは数が多い方が有利じゃ・・・」
「カエサルの考え方は違っていて、欠員による数の力の低下より、大隊とか百人隊の一体性を重視していたの。だから、ポンペイウスとの決戦に臨んだ頃のカエサルの軍団は三千五百人ぐらいじゃなかったかの推測もあるわ。その代り、歴戦の強者ばかりだから兵の質は飛び切り高かったぐらいだよ」
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「ちょっと寄り道しちゃったけど、カエサルがエジプトで思わぬアクシデントに巻き込まれていた時に突発事態が起るのよね」
「ポントス王フェルナケス二世による小アジア侵略ですね」
「ポントス王国は黒海の南東部の沿岸にある国だけど、ミトリダテス六世の頃に隣接するボスボロス王国を併呑しさらに黒海沿岸を制覇してしまったの」
「一種の英雄ですか」
「そうとも言えない事もないけど、共和政ローマと対立関係になり三次に及ぶミトリダテス戦争が起るの。ポントスも強くて、第三次の時はルクルスが十一年戦っても決着が付かず、ポンペイウスが乗りだしてようやく勝ってるぐらい」
「ミトリダテス六世はどうなったのですか」
「息子のフェルナケス二世に殺された。フェルナケス二世は父の遺骸をローマに差し出し、ポントス・ボスボラスの支配を認めてもらってるんだけど、ポンペイウスとカエサルの争いが起ると。父が広げた領土の奪還を目指して動き始めたの」
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「ここでポイントなんだけど、カエサルもファルサルスでポンペイウスに勝った後に小アジア方面に有力な留守部隊を置いていたの。ポントス問題はカエサルだって気にしていたわけなのよ。ところがアレキサンドリア戦役が起ったので引き抜いちゃった」
「全部ですか」
「ううん、最初は三個軍団だったんだけど、二個軍団を引き抜いちゃったのよ。その一個軍団しかいない小アジアにポントス王フェルナケス二世が攻め込んできたぐらいかな。留守部隊はポントス軍と戦ったけど紀元前四八年十二月に惨敗。アンティオキアに逃げ込んでるわ」
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「シノブ部長。ポントス王がローマ軍団を撃破したのはアレキサンドリア戦役の真っ最中ですよね」
「そうよ」
「だからポントス王の小アジア侵略を見守るしかなかったのはわかりますが、カエサルが動いたのは紀元前四七年六月。つまりポントス王が小アジアでローマ軍団に勝ってから半年後、ナイルの戦いからでも四か月後になりますよね」
「そうなのよ、カエサルはポントス王フェルナケス二世が小アジアに勢力を広げて行っても悠々とクレオパトラと遊んでたわけなの」
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「カエサルは紀元前四七年六月にエジプトを立ち、八月にゼラの戦いでポントス軍に圧勝してるわ」
「有名な『ヴィニ、ヴィディ、ヴィチ』ですね」
「そう、『来た、見た、勝った』の世界史に名を残す名言を残しちゃったわけ」
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「ミサキちゃん、エレギオン王国に軍団を率いて現れそうなのは、とりあえず二人いるわ。ポントス王フェルナケス二世と小アジアにいたカエサル軍の指揮官」
「でもフェルナケス二世は否定しても良いと思います。ユッキーさんははっきりとローマ軍団と仰ってましたし、シチリアの強制連行もセットになってますから」
「そうよね、だとすれば・・・指揮官のグナエウス・ドミティウス・カルウィヌスになりそうなんだけど・・・」
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「ドミティウスならローマ軍団を率いてるし、当時はアントニウスの上席だったから可能性はあるんだけど、フェルナケス二世に敗れた後はアンティオキアに逼塞状態なのよね。ここで問題なのはドミティウスが率いてた軍団」
「たしか第二十二軍団だったんじゃ」
「第二十二軍団として正規軍に編入されたのはアウグスツスの時代で、カエサルの時代にはまだ第二十二軍団は存在しないのよ」
「じゃあ、ドミティウスはどんな軍団を率いていたのですか」
「ここが煩雑というか、ハッキリしないところなんだけど。正規軍になる前の第二十二軍団なの」
このデイオタルスなんですが、小アジアの中心部あたりに位置するガラティア西部のトリストボギイ族の族長になります。このガラティアはかつては王国であり、盛衰は色々ありましたが、紀元前六四年にローマの属国になり王国は解体されています。解体され時に三人の族長の支配に代わったのですが、おそらくその一人ないし、その息子ぐらいがデイオタルスだろうと推測されます。ガラティアは北をポントスと接しているため、ポントス王国と接しているため、その支配を受けた事もありますが、第三次ミトリダテス戦争の時にポンペイウスに協力し、デイオタルスはガラティア王として認められます。
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「そうなるとデイオタルスはポンペイウスのクリエンティスですか」
「おそらく」
「じゃあ、軍団を作ったのもポンペイウスのため」
「時期的に他の可能性を考えにくいし」
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「ポンペイウスもポントス王国の動向に注意していた可能性があるから、決戦には参加しなかったんじゃないかと見ている」
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「そうなるとドミティウスは当初はカエサル軍団二つとデイオタリアナ軍団を率いていたのが、アレクサンドリア戦役の援軍のためにカエサル軍団を派遣し、デイオタリアナ軍団のみで決戦を行ったことになりますか」
「そうなるんだけど、デイオタリアナ軍団の位置づけが問題なのよ。デイオタルスはポンペイウスに協力してポントスのドミテウスと戦った時には友邦軍として記録されてるの」
「その功績でガラティア王として認められてますものね」
「私の見方になるけど、デイオタリスはポンペイウスのためにデイオタリウス軍団を作り、ポンペイウスがファルサルスで敗れた後にカエサルに付いた時にデイオタリウス軍団はカエサル軍に属したと思ってる」
「じゃあ、ドミティウスがポントス王ファルナケス二世に敗れた時はデイオタリアナ軍団と、ガラティア王国軍を率いて戦ったぐらいでしょうか」
「そう考えてる。カエサルが二個軍団をアレキサンドリア戦役に二個軍団を引き抜いたのは、ガラティア王国軍がいたからだと思う」
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「ここで大きな問題はドミティウスがファルナケス二世に敗れた後なんだけど、ドミティウスがアンティオキアに逃げ込んだのは史実として、デイオタリアナ軍団がどこに行ったのかよ。敗兵がアンティオキアに付いて行かなかった可能性を考えてる。デイオタリアナ軍団はおそらくガラティア兵で構成されてるから、デイオタリスの下に逃げた可能性もあると考えてる」
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「ミサキちゃん。私も最初は消去法からドミティウスの可能性を考えていたのだけど、ドミティウスがローマ軍団を率いてエレギオン王国を攻める理由が思いつかないのよね。ドミティウスはポントス王フェルナケス二世との戦いに敗れ後はカエサルに軍事で使われることはなく、オクタビアヌスの時代でも軍事では奮わないのよ」
「でもアンティオキアで軍団の再編成に努めていたとか」
「それも考えたけど、カエサルは軍団が消耗した時に補充再建するより新たな軍団を作るのが基本なの。正規軍団ならまだしも、ファルサルスの後に寝返った、デイオタリスの私兵軍団をわざわざ再建するのは違和感があるのよね」
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「この辺もハッキリしないのだけど、ドミティウスが敗れた後にポントス王国はガラティア王国に侵攻したと思うの。カエサルが来るまでに小アジアの六十%以上を占領したとなってるし。デイオタルスにすれば、なんとしても自前の軍団を再建して、ポントス王国軍を追い出す必要が生じたんじゃないかと思ってるの。だって頼みのカエサルはクレオパトラと遊んでるし」
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「ユッキーさんはカエサルに書状を送ったって言ってたじゃない。あれって、本当はデイオルタスに奴隷として売り飛ばされそうなのを救ってくれの内容じゃないかしら」
「そうかもしれません。ユッキーさんも少し話を飾った可能性があります。コトリ部長と違ってユッキーさんはカエサルを名乗る男にかなり怪しんでいましたから、本物のカエサルに早い段階で書状を送っても不思議ないと思います。ですから王国破壊の代償としてシチリアに新たな居住地を提供したぐらいです」
「私もそんな感じがする。カエサルはポントス王フェルナケス二世の撃破のためにデイオタリアナ軍団が必要だったからデイオルタスの行為を黙認したけど、その代わりにデイオルタスから再建されたデイオタリアナ軍団を召し上げてしまったぐらいに思うわ」
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「ミサキちゃん、これ以上は証拠がないけど、偽カエサルはガラティア王デイオルタスと結論しても良い思うの」
「わたしもそう思います」
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「香坂君、良かったら晩御飯食べて行って。心配しなくてもボクが作るんじゃなくて、シノブに作ってもらうから」
「そんなぁ、夕食まで御馳走してもらったら悪いです」
「いやね、今日の話を耳にしながら、ちょっと思いついた事があるから聞いて欲しいんだ」
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「食べて行って、えっと、これはブライダル事業本部長命令です」