女神伝説第2部:佐竹次長の計画

 シノブ部長は猛然と夕食準備に入りました。その手際の早いこと、見事なこと。

    「ミサキちゃん、なにか苦手なものはある?」
    「とくにありませんけど」
    「じゃあ、ちょっと待っててね。そうだ良かったらマルコさんも来てもらったら。マルコ氏もこの話に加わってもらった方がイイと思うの。それにミサキちゃんがここで晩御飯食べちゃうと、マルコさんの御飯困るでしょ」
 それもそうだ、
    「うほぉ、シノ〜ブの作った御飯は楽しみだ」
 ただ四人前となったので、佐竹次長が買い足しに出かけ、ミサキは息子さんのお相手。そうこうしているうちに、
    「ゴンバ〜カ」
 やられた。これは『このバカ』と言ってる訳でなく『こんばんわ』が訛ったものです。どこをどう訛ればこうなるかわかりませんが、ほんと、マルコの日本語には進歩と言うのが見られません。むしろ退化している気がします。

 でも、そりゃそうかもしれません。仕事場でも家でもすべてイタリア語で済んでしまいますから、日本語を話す必要性がない気がします。それは、それで良さそうな気がしますが、子どもが出来た時にちょっと困りそう。日本語も覚えてくれないと・・・それはさておき、シノブ部長がずらっと料理を並べたところで、

    「ウン・ビリンディシ」
 佐竹次長が空気に合わせて乾杯してくれましたが、そうだ今日は通訳がいるんだ。それは頑張るとして、とりあえずは和やかな雰囲気で食事は進みました。息子さんもお客さんが来て大はしゃぎでしたが、やがて疲れて眠ってしまいした。息子さんがいなくなったところで、まずはシノブ部長と推理を重ねた『偽カエサル・イコール・ガラティア王デイオルタス』説を興味深く聞いてくれました。ここで佐竹次長が、
    「偽カエサルだが、ユッキーさんも話さなかったことがあると思うんだ」
    「どんなこと」
    「古代エレギオン王国は偽カエサルによって滅ばされたってことだ」
 たしかにそうなります。それも偽カエサルの勝手な都合で滅ぼされ、危うく国民がすべて奴隷にされるところでした。
    「ユッキーさんがそこまではっきり話さなかったのは、小島本部長が偽カエサルを本物のカエサルと信じ込んでいるのを、友達として気配りしているで良いと思う。まあ、二千年前の話だから本来なら今さらもエエところの話だからだ」
 そう、本来は済んでしまったお話なんだ。
    「でも、偽カエサルは再び現れた。偽カエサルは魔王を失った代償に小島本部長だけではなく、シノブや香坂君まで配下に置こうとしている懸念がある。だからボクやマルコ氏にとっても他人事ではない」
 マルコも含めて深くうなづきました。
    「シノブや香坂君が考えている懸念は二段階で、まずは籠絡した小島本部長を使ってシノブや香坂君の取り込みを狙い、これが拒否されたらクレイエールを潰して失業者にしてでも引っ張り込もうだ」
 これもうなづきました。
    「ここについてだが、小島本部長からの誘いの可能性はあってもクレイエール攻撃の可能性は低そうに思う」
    「どうしてですか」
    「ボクは偽カエサルがアッバス財閥と関係していないと見てるんだ」
 偽カエサルの現代での正体も、アッバス財閥の有力者でそれらしき人物の候補もシノブ部長が調査課を使って調べてますが杳として不明です。
    「そこは佐竹次長、見方が甘いんじゃないですか」
    「推測ばかりになってしまうのだが、クレイエールを攻撃する気ならラ・ボーテを手放さないと思うのと、株主総会で敗れた後に株を手放すこともないと思う。小島本部長だけでなくシノブや香坂君も手に入れたいのなら重要な橋頭保だからだ」
    「その辺は資金繰りが・・・」
    「そうだ。普通ならそう見るが、相手がアッバス財閥なら話が変わる。ラ・ボーテの維持や株買い占め資金程度は、はしたカネだからだ。つまりはアッバス財閥とは直接関係がないと見たい」
 そっか、クレイエール攻撃の意図を持っているのなら、またイチから始めると時間がかかるものね。
    「それと偽カエサルの動きに不審な点がある。あのバーでシノブと香坂君が居合わせたのは偶然かもしれないが、非常にアッサリと小島本部長を口説くのに成功している。ならばだ、ラ・ボーテみたいな回りくどい事をしなくとも、まず直接口説くべきだろうし、それが失敗してからカネのかかる動きに切り替えるべきだろう」
 さすが佐竹次長、冷静な分析です。
    「偽カエサルは仕事を請け負っただけじゃないだろうか。先ほど、アッバス財閥とは直接関係はないとしたけど、アッバス財閥ないしそのパトロンの依頼を受けて動いた可能性はあると思う。つまりはグルリと話が戻って来るが、偽カエサルが目的としていたのはエレギオンの金銀細工師であったと考えてる」
    「でもそれだったら、まずマルコを口説いたら」
    「これはマルコ氏に確認しておきたいのだが、クレイエールの居心地はどうですか」
    「クレイエールはボクに敬意をもって待遇してくれてると感じてる。工房建設についても、ボクの意見を完璧に反映してくれてるし、どんな仕事にするかもボクに一任してくれてる。工房の維持費の心配も、弟子の給与の心配もしなくて良い。さらにミサ〜キがいるし、コト〜リにはマンチーニ枢機卿の一件で世話になってる。ここから動く気はない」
    「マルコ氏、ありがとう。そういう状態のマルコ氏を引き抜くには、単にカネを積んだだけでは難しいところがある。引き抜きは当人が今の職場に強い不満がある時に成立するが、そうでない時は容易ではないんだ」
    「なるほど」
    「偽カエサルも現状のマルコ氏をカネだけ積んで引き抜くのは難しいと判断したのだと思う。そこで取った作戦がマルコ氏の居心地を悪くするだったんだ」
    「えっ、たったそれだけのためにクレイエールを潰そうとしたのですか」
 スムーズに会話が進んでいるように思うかもしれませんが、ミサキとシノブ部長が通訳として頑張ってます。
    「偽カエサルが考えた計画は、ラ・ボーテを台頭させクレイエールに取って代わろうとするものだったのは明白だ」
    「それはわかりますが、かなり大げさというか、大掛かり過ぎるというか」
    「ここで偽カエサルの報酬を考えて欲しいのだが、成功報酬による請負料だと見て良いと思う。その他の費用、たとえばラ・ボーテを急速に大きくするための資金はあくまでも必要経費になる」
    「えらい巨額の必要経費ですね」
    「偽カエサルの計画はおそらくこうだ。ラ・ボーテを急成長させ、クレイエールに取って代わる費用は大きいが、その費用はラ・ボーテから回収できるんだ。結果で言えばクライアントはこれを了承している」
 たかがと言ったらマルコが怒るかもしれませんが、職人一人引き抜くためにこれだけ大掛かりな計画を立案したのに驚かされます。
    「偽カエサルの計画は壮大だが大きすぎたと考えている。ただ大きくしたのは理由があったと見ている」
    「どんな理由ですか?」
    「偽カエサルの本当の目的はクレイエールを潰すのじゃなくて、乗っ取るつもりだったんだ」
    「でも、さっき潰すって」
    「それはクライアントへの説明のための方便。ラ・ボーテがクレイエールに取って代わっただけでは偽カエサルの懐に入るのは請負料だけだ。それじゃ、つまらないからクレイエールを乗っ取る事で利益を得ようとしたのだ」
    「それが株主総会の騒ぎに・・・でも、株買い占めとなると相当な資金が」
    「これはクライアントから必要経費で引き出せないし、引き出してしまうとクレイエールの利益もクライアントに行ってしまう。そこで、ラ・ボーテをとことん利用して担保にし資金を作ったと見て良い」
 話の整理が必要なのですが、偽カエサルはラ・ボーテを急成長させるための資金をクライアントから必要経費として引っ張り出し、急成長したラ・ボーテを担保にクレイエール乗っ取りを企画したことになります。
    「そうなると、偽カエサルは困ってるのじゃないですか」
    「そうだ。ラ・ボーテは潰れてしまったから必要経費の回収は不可能となってるし、株主総会でも敗れてしまったからクレイエール乗っ取りも夢と消えた。買い占めていた株の売却ぐらいじゃ損失の穴は埋めきれないと思う。さらに、そういう請負業は実績が重視されるから、今回の失敗は今後の仕事に差し支える」
    「でも、それとコトリ部長の引き抜きはどう関連するのですか」
    「最悪、埋め合わせの一部に使う気かもしれない」
    「埋め合わせって?」
    「偽カエサルがガラティア王デイオルタスであれば、偽カエサルに小島本部長に対する愛情など無い。単に好き者として小島本部長を弄んだに過ぎない。実年齢は別として小島本部長は若くてお綺麗だ。さらに、偽カエサルは女神を宿す女性がこの後どうなるかも知っているはずだ」
    「どうなるのですか」
    「死ぬまであのままって事さ。せいぜい三十歳ぐらいまでしか歳を取らないんだよ。永遠に若さと美貌が変わらない超が付く美人は高く売れる。これはシノブや香坂君にも同様の価値が付く」
    「たしかにそういう意味での価値はあるかもしれませんが、それだけで巨額の損失の穴埋めにはならないと思いますが」
 佐竹次長はため息をつきながら、
    「小島本部長やシノブ、香坂君はオマケだよ。偽カエサルは今回の依頼の失敗の最低限のフォローを考えているで良いと思う」
    「最低限とは」
    「本来の目的であるマルコ氏の引き抜きだよ。これがクライアントの契約目的だからだ。そこで最低限の目的を果たした事にし、クライアントへの御機嫌取りに永遠の美女三人を差し出すってところかな。たぶん、そういうのを大喜びするクライアントだと見て良いと思う」
 ミサキは思わず、
    「イヤだぁ、そんな狒々親父の人身御供なんて絶対にイヤだ」
    「サタ〜ケ、ボクのミサ〜キをそんな目に遭わすなんて絶対に許さない」
    「ボクだってシノブを守ってみせる。ここで確認したいことがあるのだけど」
 佐竹次長とは一緒にお仕事をしたことはありませんが、さすがに営業部随一の切れ者です。シノブ部長があれだけベタ惚れするのが良くわかります。
    「香坂君、小島本部長の様子は?」
    「毎日ルンルン状態にしか見えません」
    「そうか・・・まず小島本部長に関しては二つの可能性がある。一つはユッキーさんの見立て通り、近いうちに小島本部長が偽カエサルと見抜いて目覚めてくれること。そうなれば話はシンプルになる。そっちはそっちでまた厄介になるかもしれないが、対魔王戦の再現パターンかな」
    「もう一つの可能性は?」
    「偽カエサルに完全に籠絡されてしまった場合だ。この時にはシノブや香坂君が懸念しているように、小島本部長が引き抜きの手先として現れることになる。だが、この時には断固拒否して欲しい」
 ミサキはうなづきました。狒々親父のオモチャになんかに絶対になるものか。
    「ここからが、問題というか危険になるのだが、偽カエサルはマルコ氏をあきらめないから、非合法的手段に訴えると見ている。非合法的手段を使うのなら、マルコ氏だけではなくシノブも香坂君も危ない」
    「どんな手段を考えておられますか」
    「誘拐だよ。リスクは高そうだが、これで身代金を要求する訳じゃないから、三人を連れてそのまま国外脱出ってところだろう」
    「警察の保護を頼んだらどうでしょうか」
    「難しいだろうな。所在も、名前も、関係も不明な偽カエサルに誘拐される可能性があるなんて訴えても誰も信じる者はいないだろう」
 警察は無理そうなのはミサキにもわかります。佐竹次長の話も全部推測だけで何の根拠もありませんから。
    「警察は事件が起これば動いてくれるけど、それまでは期待できないから自衛手段が必要になってくる。ただなんだが・・・」
    「誘拐されない方法を考えれば良いのじゃないですか」
 佐竹次長は考えをまとめてるようです。
    「現実問題として偽カエサルが手荒な手段を選べば防ぎきれないと考えてる」
    「そんなぁ」
    「ただここで一つポイントがある。誘拐のターゲットは三人であって四人でない点だ」
    「どういうことですか」
    「おそらくボクは誘拐のターゲットにならない」
 そう言われてみればそうだ、
    「そこで計画がある」
 佐竹次長の計画の骨格は、もし誘拐するとしたらなるべく三人一緒にするのが前提です。もしくは数日ぐらいのごく短期間です。偽カエサルの誘拐目的は国外連行ですから、逃亡のための手段も一体化しているはずだから、おそらく誘拐すればその足で国外逃亡を図るはずです。
    「どういう手段で国外逃亡を」
    「飛行機は難しいと思うから船を使う公算が高いと考えてる」
 そこで誘拐された時点で素早く警察に通報して、偽カエサルの誘拐団を捕まえてもらおうです。その通報役が誘拐対象にならない佐竹次長です。
    「つまりは誘拐される前提で準備をしておこうというのがボクのプランだ」
    「そうは上手くいくのでしょうか」
    「不確定要素が多い部分がある計画だが、他に方法が思い浮かばない。たとえばだ、夜に小島本部長が香坂君の家に訪ねてきて、ドアを開けた瞬間に誘拐団がなだれ込むって想定もあるんだよ。そうなった時にこれを防ぎきるのは容易ではないからね」
 なるほど、そういうケースも想定しているんだ。それこそ拳銃でも突きつけられたら一巻の終りだろうし。なんか非日常的な話だけど、腹くくったらそれぐらいはやりそうな気がする。
    「そこでマルコ氏に頼みがある」
    「なんでもするぞ。カラテかジュードーでも覚えるのか、それともニンジュツか」
    「覚えたいなら紹介もしてあげるけど、今からじゃ間に合わないよ。そうじゃなくて・・・」
 佐竹次長のプランを聞いて、
    「それなら、まさしくボクの仕事だ」
    「悪いが急いでくれないか」
    「もちろんだ。ミサ〜キとシノ〜ブの命がかかっているようなものだからな」
    「マルコの分も忘れずにな。偽カエサルは最悪、マルコ氏と小島部長だけ連れて逃げる可能性もあるから」
    「わかったが、中身は」
    「ボクの知り合いにこういうのを趣味にしている奴がいてね。今作ってもらってる。もうすぐ出来上がるから、工房に届ける」
 佐竹次長は最後に。
    「プランはリスクが非常に高い。実際に起れば不測の事態、思いがけないことが起るのも十分に予想される。その時は臨機応変に対応して欲しい。もちろんボクも最善を尽くす。なんと言ってもシノブがかかっているからね」