女神伝説第2部:瀕死の女神

 コトリ部長はICUから一般病室に移られました。相変わらずこんこんと眠りつづけられています。感触としては首座の女神との対決後より相当悪い感じがします。お見舞い担当はシノブ部長の根回しもあって今回もミサキ。お見舞い品の交通整理は前回の経験を活かしています。

 現在の焦点は山本先生とミサキ、これにシノブ部長を加えた三人だけに病室がなるようにへの調製です。まず加納さんについてはラッキーでモロッコに長期の撮影旅行に出かけられていて、後二週間ぐらいは帰ってこられないようです。御家族については、

    「ある程度、交代で付き添いましょう」
 この提案を受けて頂きました。付き添いと言ってもコトリ部長の意識は戻っていませんから、実質的にやることがないのです。御両親も片道一時間半もかけての毎日のお見舞いは負担ですし、お仕事もあります。こちらが恐縮するほど感謝して頂きました。山本先生への連絡はシノブ部長にお願いしましたが『すぐ行く』と即答されたのを、こちらの都合の良い日に誘導するのが大変だったと話されてました。土曜日の午後に山本先生にお見舞いに来ていただけるように調整が出来上がり、
    「ミサキちゃん、後はデタトコ勝負よ」
    「首座の女神が自分で出て来られたら良いのですが」
    「出て来られなかったら、前に使った手をもう一度やるしかないけど」
 お見舞いに来られた山本先生は、病室に入るなりいきなりベッドに駆けよって、
    「コトリちゃん、目を覚ますんや」
 こう絶叫して涙をはらはら流されたのに、かなり驚かされました。首座の女神との対決後の一連の入院騒動では常に冷静な態度を崩されなかったからです。これについては、
    「あの時はシオがおったからや。さすがに、シオの前ではそんな態度を取る訳にいかへんやんか。今日はおらへんから我慢できへんかった。シオには黙っといてね」
 かつてコトリ部長と加納さんは山本先生を巡ってしのぎを削られています。山本先生は加納さんを選んではいますが、コトリ部長への想いも残っているのは良くわかりました。思わず、
    「山本先生はコトリ部長のことを今でも・・・」
 じっと涙を流す山本先生でしたが、
    「あんな辛い状況はなかったんや。シオとコトリちゃんの二択やで。どちらか片方に想われただけでも男冥利に尽きるのに、そこから選ばなあかんやんか。シオを選んだのになんの後悔もないけど、コトリちゃんが嫌いになったわけじゃないんや」
 加納さんやご家族がいない状況を作ったのはミサキとシノブ部長ですが、山本先生にとってはむしろ都合が良かったかもしれません。
    「これもシオには黙っといてね」
 そう言われると山本先生はコトリ部長の手を取って、小声でなにか話されていました。切れ切れに聞こえてくるのはおそらく、二人で過ごした楽しい時間を語りけておられたようです。ミサキもシノブ部長もこれを遮る事ができずただ見守るしか出来ませんでした。山本先生は三時間以上もコトリ部長の手を握り締めたままでした。涙は止めどもなく流れ、床に水たまりができています。やっと手を離した山本先生はヨロヨロと病室にあったソファに崩れ落ちるように座り込まれました。
    「誰なの、誰が知恵の女神をこんな目に遭わせたの」
 声が変わっています。これは首座の女神の声です。でも前に聞いた声とはだいぶ感じが違います。声が威厳に満ちているだけでなく怒りに溢れていると言えば良いのでしょうか。聞いただけで震え上がりそうです。
    「静かなる女神よ、すぐに癒しの手を授けなさい。今はあなたの力が必要なの。わたしがやりたいけど、悔しいけど毎日くることができない」
    「どうすれば・・・」
    「見てなかったの。手を取り治る事をひたすら念じなさい」
    「どれぐらいですか」
    「毎日、あなたの体力と気力が続く限り。知恵の女神は瀕死の重傷よ。まだ生きているのが不思議なぐらい。あなたの女神の生命をかけるつもりで取り組みなさい。もし知恵の女神が助からなかったら・・・」
 おそらく『たたじゃおかない』程度ではなく、もっと強い言葉出そうなのを飲み込んでいる様子です。首座の女神は氷の女神、国民や民衆を畏怖させてた時はきっとこんな感じであったと思いました。
    「いろいろ聞きたいことはあると思うが、今は知恵の女神を助けることに集中しなさい。話はすべてそれから」
 それだけ言って後に山本先生は意識を取り戻され、名残惜しそうに帰られました。そこからミサキは首座の女神の命令通り、コトリ部長の手を取り治癒をひたすら祈りつづけました。やってるとわかるのですが、自分の手からコトリ部長の手に何かが流れ込む感じがわかります。

 これが猛烈に消耗するのです。山本先生が帰られた後に三十分もやれば倒れそうでした。それでも続けるしかありません。毎日続けている内に、コトリ部長に宿る知恵の女神が見えてくる気がします。真っ青な顔で喘いでいるコトリ部長が見えるのです。

 ミサキが手を差し伸べるとほんの少しだけラクそうになったように見えるのですが、翌日になればまた悪くなっています。少しでも良くしようと頑張るのですが、病院からの帰りはまさにふらふら、シノブ部長に頼み込んでタクシーにしてもらいました。シノブ部長は、

    「ミサキちゃん、辛いと思うけど、もうあなたしかいないの。お願い」
    「わかってます。わたしの命と引き換えにしても救ってみせます」
 よほどミサキの顔色も悪くなってるようで、マルコも心配して、
    「ミサ〜キ、どうしたんだ、どこか悪いのか」
 コトリ部長の容体を話すと、
    「コト〜リが危ないって。でもミサ〜キも心配。おおボクはどうしたら」
 頭を抱えていました。毎日見ているのでわかるのですが、コトリ部長の人間としての容体は安定しているのですが、女神の方の容体は首座の女神が仰られたように生きているのが不思議なぐらいです。ミサキが渾身の力で癒すと少し持ち直すのですが、一晩すればまた悪くなっています。もうミサキの体力も気力も限界と思ってしまうのですが、コトリ部長の言葉を思い出しています。
    『ミサキちゃん、耐える戦いってこんなものだよ。こっちだって苦しいけど、相手だってラクじゃないの。挫けた方が負けるの』
 ここでミサキが挫けたらコトリ部長の女神は確実に息絶えます。コトリ部長の女神が生きるも死ぬも、すべてミサキの肩にかかっているのです。辛くて長い戦いになりました。そんな時に山本先生のお見舞いがもう一度ありました。前の時と同じようにコトリ部長の手を取っていました。ずっと、ずっと、握っておられました。それこそ朝から夕までずっとです。やっと手を離された山本先生はソファに崩れ落ちるように倒れ込み、
    「静かなる女神、いや癒しの女神よ。知恵の女神への伝言を頼む。わたしが話をしたがってるとな」
 首座の女神の声です。威厳に満ちた声でしたが疲労の色は隠せません。
    「コトリ部長は」
    「わたしの出来ることは尽くした。上手くいけば一週間もすれば意識は戻る」
 それだけ仰られて消えられました。ミサキがコトリ部長の女神を見ると明らかに顔色が良くなっています。最後の気力を振り絞って癒しの手を続けていくと、今度は確実に回復する手ごたえがあります。これに勇気づけられて一週間、
    「う〜ん、なんとか生き返ったみたい」
 コトリ部長の声を聞いた瞬間にミサキは倒れました。そのまま入院で一週間は意識を取り戻さなかったようです。気がつくと、ベッドサイドにはシノブ部長とコトリ部長が、
    「ミサキちゃん、ありがとう。今は休んでいて、聞きたいことはたくさんあると思うけど、体力を回復させるのが今のお仕事だよ」
 病室から出るコトリ部長も車椅子でした。コトリ部長は助かったのがわかりましたが、もう全身はガタガタ。とにかく今は休もう。コトリ部長を助け出す使命は果たせたんだ。