幸い天気にも恵まれて気持ちの良いハイキングになりました。コトリちゃんはホントに天使級の晴れ女です。桶狭間も佳境なので自然にその話題になるのですが、
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「でさぁ、問題の義元本陣はどこにあったの」
「信長公記を追ってけばわかってくるよ、とりあえず雷雨の中の突撃はあらへん」
「そうやね突撃の時は
空晴るゝを御覧じ
だもんね」
「次に信長公記には義元本陣が後ろに崩れたとなってる」
「うんうん
後ろへくはつと崩れなり
だもんね」
「ここはもうちょっと注意深く読みたいところで
くずれ逃れけり
やから義元本陣は信長の突撃に崩されて、おけはざま山から下ったと読んで良いと思う」
「そう読んでイイと思う」
「そうなると次の描写は義元が本陣を構えていた『おけはざま山』から桶狭間道を沓掛城方面に逃げる途中の描写になるんやけど
旗本は是なり、是れへ懸かれと御下知あり、未の刻、東へ向かってかかり給う。
織田軍は沓掛城に逃げる義元を東に向かって追撃してると、ここは素直に解釈できるやろ」
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「ところでさぁ、信長は襲撃したところが義元本陣って知ってたんかな」
「知ってたはずやで、信長公記にも佐々・千秋の惨敗を見る描写や、義元本陣から謡が聞こえるシーンがあるやん。つまりは織田軍も義元本陣がどこにあるか知っていたとしてエエと思う。義元本陣の場所が不明って話の出どころはやはり甫庵太閤記でエエんじゃない」
「小瀬甫庵の影響恐るべしやわ」
「でもこれで義元本陣が桶狭間の北側丘陵だってことがわかるやん」
「そやね、義元が桶狭間道を『おけはざま山』から下りて沓掛城方面に逃げるのやから、もし南側の丘陵地帯に本陣があたっら、そこをさらに南側から攻め落とさなあかんから、そんなのは時間的に無理やもんね」
「そういうことやねん。これは完全に推測やけど、鎌倉往還のどこかから桶狭間北側丘陵にあった義元本陣に向かい、そこから義元を桶狭間道に追い落としたと読んで良いと思てるねん」
「でもこれだけじゃ、北側丘陵のどこかわからへんやん」
「そこなんやけど、佐々・千秋の突撃が参考になる気がするんや。佐々・千秋は中島砦近くにいて、桶狭間道を東に突撃した可能性が高いと思うねん」
「私もそう思う」
「信長公記の義元が佐々・千秋の敗北を喜ぶシーンを鵜呑みにしたらの前提やけど、佐々・千秋は義元本陣から見えるところで戦った可能性があるねん」
「そうとしか読めへんもんね」
「つうか、もし信長が強襲策を最初に抱いていても目標は義元本陣にしたいはずやから、見えてたはずやと思うねん。それに本陣位置は必ずしも秘密にするもんやなくて、むしろ味方に御大将が見ているぞと示す必要もあると思うねん」
「そうね。采配を揮うにも、敵味方がどうなっているかを見れる位置じゃないと困るもん。だいたい未の刻にもなって御大将が本陣も構えずウロウロ移動中とか休憩中ってのは油断しすぎもイイとこだし」
「最低限、佐々・千秋の敗走兵から義元本陣の位置を信長は確認してると思てんねん」
「義元本陣の位置がわかっているから鎌倉往還迂回戦術が出て来たとも言えそうやね」
「その辺から推測すると、こんな感じじゃなかったかと考えてるんや
今川軍は鳴海城方向に対して北西を向いて布陣していたのやけど、桶狭間道を挟むように布陣していた可能性が高いと思てんねん。そういう今川軍の陣地伝承跡もあるし。中島砦の東側にいた佐々・千秋隊は桶狭間道を東に進んできたはずやけど、有松村のあたりで包囲殲滅を喰らったぐらいと見れそうな気がするんや」
「そんなに無理ないね。でもちょっと今川陣地からしたら深いけど」
「まあ、桶狭間道でも有松村のあたりは少し広いから、狭いところをそれなりに通しておいて、広くなったところに誘い込こんで包囲したぐらいはあると思てる」
「まあ、あると思う」
「有松村で合戦があって、義元が本陣を置いて見ているとしたら、地図で『義元本陣』としたところぐらいが一番可能性が高そうに思てんねん」
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「なるほどね。ほんで青の点線のところを織田軍が進んで来て南側に追い落とされたら、桶狭間道になるもんね、鎌倉往還から外れたのは
沓掛到下の松の本
こうなってるから松に関係する地名がある『八つ松』あたりかもしれへんねぇ」
「そうやって東に追われて討ち取られたとしたら、伝今川義元墓辺りでもおかしくないし」
「ところでさぁ、私は信長がこの地形を知ってた気がするの」
「コトリちゃん、どういうこと」
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「鷲津・丸根砦を始めとした付城群が築かれたのは永禄二年なんやけど、信長の性格・行動力からして自分で見に来て砦の設置場所まで陣頭指揮していた可能性は高いと思うねん」
「信長ならあり得そうやな」
「鎌倉往還もこの時期には赤塚から文木がメインみたいやったけど、茶屋ヶ根の方も自分で見て確認してた気がするの」
「もし今川軍が善照寺砦間際まで寄せてきたら、茶屋ヶ根通って古鳴海に出られてしまうからね」
「そういうことなの。当時の信長は今川軍との決戦を嫌でも意識していたと思うから、決戦の時の地形を他人ではなく自分の目で確認していたと私は思てるの」
「そんなキャラが信長やし、そんな手間をかける時間も信長にはあったし」
「そういうこと、だってそもそも鳴海・大高城の包囲が始まってから一度も信長が前線に出てないと思う方が不自然やと思わへん」
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「たしかに。ちょっと歴史小説風にしてみるわ。信長が善照寺砦の佐久間信盛のところに視察に行ったぐらいの設定で、
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信長:『沓掛峠は』
信盛:『ここを通っての軍勢の移動は無理でござる』
信長:『しかとか』
信盛:『見た者に聞いたところでは・・・』
信長:『たわけ、見に行く』
こんな調子で沓掛峠ぐらいまで足を延ばすぐらいの行動力は信長にはあると思うわ」
「それぐらいは信長ならやってない方が不思議なぐらいやもんね。実際の桶狭間の時ほどの大軍が来るとまで予想していなくても、付城築いて包囲戦やってれば、いずれは今川軍が救援に来るのは当然やし、迎え撃つのはこの近辺になるのは間違いないし」
「桶狭間道の方だって自分で行って見てないほうが不思議なぐらいや」
「だから中島砦で中入り戦術を選んだってことやね」
「まあ義元があんな大軍を動員してくるのは信長の予想を越えていたかもしれへんけど、地理の方は信長はしっかり把握してたんでエエんじゃない」
「これじゃ梁田政綱がわざわざ登場する余地は少なそうやね」
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「さて、桶狭間道に追い落とされた義元もある程度は東に進んでるんや信長公記にも
初めは三百騎計り真ん丸になって義元を囲み引きたるが、二三度、四五度、帰し合い、帰し合い、次第次第に無人となって後には五十騎ばかりに成りたる也。
義元を囲んで退却しようとしてるのがわかるんや」
「うん、時代劇でよくある本陣で義元が討ち取られるシーンは甫庵の創作だってわかるわ」
「でもって、退却戦は難しくて、基本は相手を一旦押し込んで距離を取って、その隙に下がり、陣を整えて追撃してくる敵軍を迎え撃つみたいな感じになると思うねん」
「うんうん、相手はかさにかかって攻め崩そうとするから、退却戦の殿は難しくて被害も大きいのよね。秀吉が方面司令官に抜擢されたのも金ヶ崎の退き口を成功したからやもんね」
「戦国時代でも軍勢は統制が取れていないと脆いし、退却戦ではなおさらだったでエエと思う。秀吉の退き口もすごく高く評価されてるし、関ヶ原の時の直江兼続の最上義光戦もそうやと思てんねん」
「そうよね。義元は『おけはざま山』の本陣から追い崩された時点でも三百人ぐらいはいたみたいやけど、完全に敗走体勢になっての三百人やから秀吉や兼続の時より条件が悪いもんね」
「そんな感じになってたと思う。三百人でももう少し余裕のある体勢で織田軍を迎え撃っての退却戦なら、桶狭間道自体は広くないから、なんとか義元は逃げきれた可能性はあったと思うねん」
「そんな崩れそうな義元部隊に織田軍は猛烈に喰らいついたわけやね」
「なんとなくやけど、わりと短時間で義元を守る軍勢は支えきれずに散り散り状態になり、乱戦の白兵戦状態から毛利新介に義元は討ち取られてしまったってところかな」
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「・・・ちょっと話があるねん」
「そういうてたねぇ。なんのお話?」
「あの夜にチェリー・ブロッサムで祝杯を挙げてくれたんは本当に嬉しかってん」
「ありがとう」
「でもさぁ、チェリー・ブロッサムで祝杯の本当の意味をマスターに聞いた?」
「彼女が出来たらじゃなかったの?」
「もちろんそうやねんけど、マスター言うてなかったみたいやな」
「なになに?」
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“言いたいことも うまく言えなかった
このままサヨナラに するわけにはいかない
心の中で高まってくリズム
もう押さえることはできないさ“
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「付き合ってからもずっと思ってるけど、コトリちゃん以上の女性がこの世に存在するとは思えません」
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「チェリー・ブロッサムの本当の意味は、自分と結婚してくれる素晴らしい彼女が出来た時に祝杯を挙げることなんです」
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「絶対に幸せにします。ボクと結婚してください」
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「無理。私はそんな女じゃないの・・・」
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「前のチェリー・ブロッサムの時に二股の話したやん。あの時の前の彼氏は完全に切ったつもりやってんけど、ゴメンナサイ、切れ切れてないんよ。私みたいな二股女にこのプロポーズを受ける資格はないわ」
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「その話は知ってた」
「えっ!」
「知ってた上で今日プロポーズしてる」
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「前の彼氏よりブサイクで、連れて歩いてもパッとせえへんと思うけど、コトリちゃんを愛する気持ちだけは誰にも負けへん。何があっても絶対に幸せにしたる。コトリちゃんを泣かすようなことは絶対させへん。前の彼氏への未練があっても全部吹き飛ばしたる。もう一度言います。ボクと結婚してください」
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「ありがとう。こちらこそよろしくお願いします」