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「カランカラン」
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「じゃ、私はブラッディ・メアリーにしようかな」
「それやったらデニッシュ・メアリー飲んでみ」
「じゃあそうする」
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「・・・沓掛から古鳴海までの鎌倉往還やけど、前にこの道は『通れない』前提で織田も今川も戦略を立てたって話してたよね」
「そうだよ。だってどう読んでも今川軍が通った形跡がないもん」
「ちょっと鎌倉往還を調べ直したんだけど、あの道は通れたの」
「えっ」
「でも通れなかったの」
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「沓掛から古鳴海に出るには二村山の沓掛峠を越えて扇川の谷間に入るよね。そこから古鳴海への丘陵を越えるんだけど相原郷から古鳴海までの鎌倉往還は二本あったのよ。地図見てくれる
古鳴海から言うと赤塚まで進んだ後に茶屋ヶ根に向かうルートが本来の鎌倉往還で、桶狭間の頃には赤塚から文木に出るルートがメインになってるの」
「ひぇ、二本あったんだ。そっか、文木ルートは善照寺砦があるから通れないし、文木から相原郷に鎌倉往還が通っているなら、ここも今川軍が通れないってことか」
「ちょっと違うと思う。今川軍がその気になれば善照寺砦を囲んで封じ込めるのは容易だから、今川軍が通れない理由にならないのよ」
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「じゃ、義元はなんで鎌倉往還を通らなかったの?」
「沓掛から古鳴海への鎌倉往還やけど、通れなかったのは沓掛峠だったと考えるべきじゃない」
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「両軍が鎌倉往還を使わない前提にした山本君の見方は正しいけど、これは鎌倉往還全体が使えなかったからじゃなくて沓掛峠を軍勢が通れなかったからと考えるべきよ」
「じゃ、古鳴海から相原郷までは軍勢は進めたってこと?」
「そうじゃなくちゃ、信長公記の時間に合わないの」
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「なるほど。信長は中島砦からとりあえず赤塚を目指したで良さそうやな。でも時間がないのなら文木から登った可能性はどう」
「私は文木じゃないと思うの。文木じゃ今川軍から丸見えじゃない。今川軍だって古鳴海丘陵の鎌倉往還は使えることは知ってるわけだから」
「でも文木からでも織田軍が清州に退却した風に見えないかな」
「信長は熱田から丹下砦経由で善照寺に来てるのも今川軍に見られている可能性があると思うの。そこで文木ルートを通ったら清州に帰る以外の可能性を義元に抱かせるのを避けたと思うの」
「言いたいことがわかったぞ。清州に帰るのなら最短距離で帰るはずやから、下手に文木ルートを使えば警戒されるってことやな」
「そうなの。義元が信じるか信じないかは『賭け』やけど、文木より丹下砦から古鳴海に進んだ方が騙せる確率が少しだけ上がるぐらいと思うの」
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「でもさぁ、信長が通った伝承ぐらいあっても良さそうなものやけど」
- 信長は佐々・千秋の惨敗を見て桶狭間道からの強襲をあきらめた
- 義元は五月二〇日に大高城別動隊が活用できるまで積極的な決戦の意志はないと賭けた
- 古鳴海方面に退却するように見せかけ、今川軍から姿を消した
「それがあるのよ。赤塚の少し南の朝日山に豊藤稲荷があるんやけど、そこの伝承に朝日山の麓で織田軍が勢揃いしたとなってるの。朝日山の麓って茶屋ヶ根ルートで相原郷に下る谷間なのよ」
「えっ、そんな伝承があるんや。ひょっとして信長公記の『山際』って朝日山の麓の谷かも」
「私もそう思うねん」
「ちょっとまとめるわ
ん、ん、ん、でもさぁ、鎌倉往還から扇川のとこに下りてきたらやっぱり今川軍に見つかるんちゃう。今川軍だって鎌倉往還見張ってるはずやし」
「そうなんやけど、実際には雷雨で隠されたしか言いようがないんよ」
「ほんじゃ、雷雨がなかったら?」
「だから雷雨はあったんだって」
「そうじゃなくて、もし無かったらと聞いてるんやけど」
「無かったらじゃなくて、雷雨はあったの!」
「雷雨はあったのは事実やけど、そうじゃなくて・・・」
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「桶狭間の合戦は信長の勝機が非常に少ない合戦やったやん。圧倒的な兵力差の壁は桶狭間丘陵ぐらいの地の利では埋めようがないぐらい大きかってん。そのうえ、今川軍は桶狭間の丘の上に布陣してるの。こういうものは上にいる方が有利なんよ」
- 籠城戦は救援の期待が必要だが、この時点の信長には援軍を期待できる同盟国はない。
- 逃げ場のない籠城戦になったら裏切りが出る可能性が高くなる
- たとえ清州籠城戦を凌ぎ切っても、その頃には少なくとも尾張南部は今川の勢力圏になり、これを挽回するのは小さくなった織田家では非常に難しい
「そうやけど・・・」
「でも信長は清州籠城を選択せえへんかった。これは、
それぐらいの理由はすぐに思いつくから、信長に残された選択は決戦しかなかったと思てるんよ。とはいえ、勝てる要素はそもそも少ないやん。鷲津・丸根砦の捨て駒作戦は非情やけど、そこまで犠牲を払わないと『あわよくば』レベルの勝算も立てられなかったぐらいに思てるんよ」
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「なんとなくやけど、鷲津・丸根砦捨て駒作戦の効果はもっと大きなものを信長は期待していたんじゃないかしら。それが善照寺砦まで来てみたら無理なことが思い知らされた気がするのよ」
- 義元が善照寺砦なり中島砦に信長がいる時に攻撃を仕掛けなかったこと
- 信長が中島砦から迂回攻撃に移動する時にも攻撃を仕掛けなかったこと
- 鎌倉往還を通り扇川流域に織田軍が出た時に、ちょうど雷雨がありこれを今川軍が見逃したこと
「佐々・千秋の惨敗やね」
「そこで賭けに出たんよ。ほぼ全軍挙げての中入りで一挙に今川軍を覆す賭けにね。ただこの賭けに勝つにも困難というより無謀な要素が立ち塞がっていたんよ。今川軍に見下ろされる状況下で中入りなんてそもそも無謀やから」
「だよね、でも・・・」
「鎌倉往還で扇川に織田軍が姿を現した時に、今川軍に気づかれて対応されたら包囲殲滅の危険性もあるけど、織田軍が清州なりに退却したと思い込んでくれれば、『あわよくば』気づかれない可能性がある方に賭けた。そこに都合よく雷雨が訪れたのよ」
「そんな都合が良いことが・・・」
「そうなのよ、信長は僥倖に恵まれて必敗状態から起死回生の勝利を得たとしか言いようがあらへんねん。結果として義元の首まで取ってしまうんやから。これが歴史に選ばれた者の特権かもしれへん。信長が勝てた要因をあえて挙げとくと
これだけのラッキーの団体さんが訪れたぐらいに考えてるの」
「そういえば、桶狭間の勝利について信長は生涯、殆ど口にしなかったとどこかに書いてあったん思い出した」
「信長は桶狭間の勝利が幸運に恵まれただけのものと誰よりも知っていた気がするの。だから桶狭間を教訓として、二度と桶狭間のような状況に陥らないように戦った気がするねん」
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「ところでさぁ、またハイキング行かへん」
「桶狭間に行くの?」
「あそこは行っても完全な住宅街になってるからやめとこ」
「じゃ、どこ」
「丹生山の紅葉」
「行きたい、行きたい」
「それとちょっと話もあるねん」
「話って?」
「そん時のおたのしみ」
「じゃ、お弁当作っとくね」
丹生山を選んだのは、紅葉が綺麗と言うのもありますが、あんまりハイカーで賑う山でないのもあります。そこで私は勝負をかける決意を固めました。ただ物凄く不安やなぁ。相手は義元級ですが、私は信長ではありません。丹生山が桶狭間として私の中入り戦術は・・・秘策中の秘策ですがリスクが高すぎて不安がテンコモリです。私にも僥倖の団体さんが来てくれないと勝利は難しいかも。でも負けるわけにはいきません。