事が事ですから表立っては賛同はしませんが、どこかで共感するが本態として良いでしょう。言い換えれば、
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オレも若い頃には・・・
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A:「オレは○○をやった」
B:「オレは××だ」
C:「オレなんか△△だ」
D:「そうかぁ、でもオレは「せいぜい」これぐらいしかやってないが・・・」
ABC:「スゲェ!!!」
こういう行為をいつまで行うかも個人差があり小学生時代ぐらいでやめるのもいますし、大学生でもやる奴はいます(先日もUSJでやらかしていたニュースがありました)。社会人でもいます(今回の高校生のモデルになったような事件)。やらなくなるのは、発覚した時のデメリットの学習により抑制されていくぐらいに解釈しています。
ただなんですが、完全に卒業してやる気も起こらなくなるかと言えば違うと思っています。やるのを自制するだけで「その気」は死ぬまで燻っているんじゃないかと思っています。これはエエおっさん同士の会話の一類型ですが、
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A:「オレは若い頃は○○をやった」
B:「オレは××だ」
C:「オレなんか△△だ」
D:「そうかぁ、でもオレは「せいぜい」これぐらいしかやってないが・・・」
ABC:「スゲェ!!!」
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女にとって男はいつまで経って子どもである
私は男ですからアンケートの観察(プラス人生経験)からですが、女の反応は実に醒めています。心の底から「アホな行為」と侮蔑し、そんな行為に熱中する事自体の理解が不能って感触です。よく女は同年輩の男より精神年齢が上とされますが、原因の一つはこの手の武勇伝への共感の乏しさと言うより、はっきり言って「無い」事に基づいている気がしています。
上記した男同士の武勇伝自慢の場に女性が居る事がありますが、思い起こしても実に冷淡な反応だったと記憶しています。武勇伝は男同士だけではなく、男と女の会話の場にも男はしばしば持ち出す事があります。男は同性の反応と同じものがある事を信じて疑わないのですが、女は「つまらん話」と内心思いながら儀礼として付き合って感じが濃厚です。あれは基本としての共感がまったく無いからだと考えれば理解しやすくなります。たとえば、
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男:「オレも若い頃には・・・」
女:「あ、そう」
男:「それにこんな事も・・・」
女:「あ、そう。ところでお昼はなに食べる?」
男の武勇伝実践と相似する様に、女も悪ぶった男に魅かれてしまう時期があり、これも男の武勇伝実践と同様にある時期になると自分で押さえ込んである種の「卒業」状態に至る感じです。ただそういう思いは卒業して消え去るわけでなく、埋み火のように残り、しばしば世間をアッと言わせている気が私はします。これもありきたりですが、
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女は男にとって永遠の謎